2015年10月31日土曜日

ask.fm始めました。

ask.fm/tyashf7



なんでも聞いて下さいませ。



イケハヤさんがブログでされているようなこと、今年度の初めくらいにやろうかなと思っていたんですが、こういうサービスは知らなかったので。



一体どんな質問を受けるのか、というところからも発見はあると思っているので、学ばせて下さい。



あと、わりとガチで、質問を通してブログのネタ作ろうと思っています。









今後の予定

来年辺りに、ポーランドでワーホリをして生活。


その後半年はシェンゲン国に入れないけれど、再度入れるようになれば、ドイツでワーホリビザを取って、そのままフリーランスビザで生活する




というのは、今後のライフプランの一つとして考えています。



ワーホリは年齢制限があるので、きちんと時期を考えないといけないんですが…。




あとは、奈良市で一人暮らしとか。



高価な椅子を買ったので、海外で住むならその椅子の処遇を考えないといけないんですが。




ただ、仕事を一層安定化させることも必要なので、最後は見切り発車で飛び込むことになると思います。




フリーライダーはやっかいな存在

だと思うようになりました。


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ぼくもどちらかといえば、フリーライダー的なことはしているんですがね。


これは今日、税金の勉強をしていた時に思ったんですね。


2時間くらい、自分で調べ物をしてノートを作ってマーカーを引いて、自分なりに知識を増やして理解を深めました。



で、今までも経験あるんですけど、こういうことをしていると「教えてください」って、友達とかから言われるわけです(半分以上は当人も本気じゃないというか、建前というか枕詞みたいに使っているとは思うんですが…大学の友人にもそんな風なこと言われたことありましたね)。



ただ、本当に心を開ける「親友」だったらまだしも、不特定多数の人に対してこういうことを「教える」のって、すごく効率が悪いんですよ。


というのも、ぼくは時間を使って(大げさに言えば命を削って)何かを得たワケなんですが、それを文字通り「フリーライド」しようとしてくるわけですから。



ちょっと前に、「友人だからといって無料で(または安く)仕事をお願いしてもいいのか」って話が議論になりましたけど、


これもちょっと考えてみれば、「フリーライド」そのものなんですよね。


ぼくもごくたまに、金銭的な見返りを求めずに本業絡みで作業をする時があるんですが、これはもう、いい加減やめたほうがいいですね。



今回の場合で言うと、ぼくはそもそも税金や経理の専門でもなんでもないので、そういうことを聞かれても自分で果たして良いのか、っていう問題が根本にあるわけですけど、


ぼく自身も含めて、もっと「他人が削った命」には向き合って、それなりの対価を払わないといけない(少なくとも、そういう考え方を持つ)ってことは大事なんですよね。


今のぼくのばあい、仕事をできる時間を敢えて、「仕事じゃない」ことに振り向けたわけなので、潜在的な機会損失となっているわけです。


もちろん、その機会損失と引き替えに、幾ばくかの知識と理解が増えたわけですが、いずれにせよ、そういうものに対して何も見返りを求めずに(考えずに)「教えてほしい」「力になって欲しい」っていうのは、どうも筋違いなんじゃないかなあ、と思うようになりました。


(数年前はこんなこと考えたことはなかったんですが…。やっぱり人間、変化するものですね)



ぼくの場合、そういう意味では、人との待ち合わせには絶対に遅れないように努めていますし(90%以上の割合で、自分が待たされる:かといって、相手が遅れても、自分は本を読んでいるので問題ないのですが)、その辺りのコスト意識というか、意識の持ちようが異なる人とは、付き合いづらいかなとは思っています。

(そういうところで結構、人に対する判断をしてしまいます)



仕事に関しては、自分が苦手なこと(デザイン、経理、マクロ作成…)は極力お金を払って別の人に頼んでいるんですが、この辺りも他の人ってどんな風に考えておられるんでしょうか、ちょっと興味がありますね。



自分もまだまだ、コスト意識的にフリーライダー的な部分があるので、その意識は変えていかないといけないんですが。





税金の勉強

今日は少し時間を割いて、税金について調べ直してみた。


主に減価償却(の年数)と固定資産、所得税率、各種控除について。


参考にしたのはこちらのサイト。

http://inqup.com/



自分に必要そうな内容のページを調べて印刷して、ノートに貼ってマーカーで勉強。


きっかけは、freee上でパソコンソフトの購入を登録しようとしたら、減価償却の話が出てきたから。


今まで減価償却って、言葉しか知らなかったんだけれど、要するに「長いこと使うから、単年で全て経費にするんじゃなくって、数年かけて経費に入れていきましょう」ということのよう。


全額経費にして節税をしようと思っていたので「こんなことされてたまるか!」と頭に血が上ったときもありましたが(笑)、とりあえずきちんとしたルールを知らないといけない、というのと、「じゃあ他にどれぐらい経費に突っ込めるのか?」というのも、合わせて知っておきたかったので、時間を取ってみたわけです。


とりあえず減価償却は、来年以降も経費に突っ込めることをプラスに考えます。



大学を卒業したときに「人生の本番はこれからで、今からどれだけ勉強するかが大事」だと思っていましたが、仕事を始めてから時間を割いて勉強をする(そしてそれを稼ぎや節税に繋げる)って、我ながら本当にめちゃんこ大事だなと思いました。



「本なんてタダ同然」

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出典はこちら。


http://transformation-technologies.livedoor.biz/archives/65789663.html



「その人の人生をかけた本であれば」


って、本当にそうですよね。


その人の人生を2000円くらいで買えるわけです。


こういうことがちょっとずつ分かるようになって、僕も本を買うようになっていきました。


ただ、「買ったまま置いておいて、気になったときに該当箇所だけ読む」っていうのは、まだ慣れていません。







2015年10月30日金曜日

二年契約は妥当なのか?


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引っ越しするのであれば、と思って(今のところ予定はない)物件をネット上で調べていたんですが、


二年契約って多いんですよねえ。



スマホとかインターネット端末も同じように、二年契約っていうのが多いんですけど。



個人的に、二年契約って好きじゃありません。


というか、二年も同じところと、同じ内容で契約するって、変化の激しい時代だと、ちょっと怖いです。


(自分は一年くらい先のことまでしか、考えられないのでなおさら)



賃貸はまだよくって、1年契約とかもできるのですが、


スマホとか端末になると、2年契約未満っていうのは、月々の料金が高くなるようです。(しかも、サービスの内容の割には金額が高くて、個人的にはすごく不安)



今のインターネット端末は年末で契約期間が切れるのですが、先日電話で「契約更新」の話をされて、いろいろと聞いていると「次からは三年縛りになります」って…。


しかもこれ、ネットで確認するか、電話で確認しないと分からないし。


情弱向けの詐欺商売もいいところですよ、本当に。




てなわけで、来年辺りからはSIMフリーiPhone5s + 格安SIMあたりに引っ越しする予定です。


特に通信関連の契約は、いい加減世の中の時流を鑑みて単年契約とか、半年契約のプランを出して欲しいですね。





今幸せだと思うこと

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自分に足りない部分が見えてきたこと、でしょうか。


仕事などを通して、自分まだまだだ、と思う時が多々あります。

こういうことを考えすぎるとどうしても、自己肯定感が低くなってしまうのですが、


更によい方向を目指そうと思えるのが、幸せなことだと思っています。



普通とはちょっと感覚が違うのかも。


一般的には、「満ち足りているから」幸せなんでしょうけどね。


ぼくはあまり、そういうこと思わないんだと思います。



だって、欠けているほうが、足りないほうが、普通じゃありませんか?



満月になったら、あとは欠けていく一方です。


まだまだ高みを目指そう、とは何歳になっても思い続けていたいですね。





殺生

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地元の農道を歩いていると、夏場は特に、多くの昆虫が車に轢かれて命を落としているのを見かける。


文字通り、押しつぶされているというか。



こういうのを見ると、胸が痛む。



風呂掃除をしていても、ハエとかは極力殺したくないので、風呂の外に逃がすとかしている。



ただし、殺生したくないとは言っても、蚊とGは別。




ソフトバンク一強時代の予感

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今年のソフトバンクは強かった。



そんな日本シリーズだった。


レギュラーシーズン中もぶっちりだったし、クライマックスシリーズも負けなしだし、なんなんだこの強さは、という感じでしたね。


パリーグでここまで一つのチームが抜きんでることは今までなかったと思うんですが、


ついに、セリーグとパリーグの状態が入れ替わってしまったんじゃないでしょうか。


毎年パリーグは、3球団くらいが拮抗して優勝争いやAクラス争いをしていましたし、セリーグは巨人が強い時期が多かった。



来年以降、パリーグがどんな風になっていくのか興味がありますが、当面の間はソフトバンクの帝国時代が続くんでしょう。



まずは、球界再編に関係した二球団(オリックス、楽天)が共にAクラスに入ってクライマックスシリーズを戦うようなリーグになることを願っていますが。






2015年10月29日木曜日

さよなら381系くろしお




今月末(正式には明日)で見納めなんですよね。


381系のくろしお。










ぼくはお盆前に、関西近郊140円切符をつかって京都→和歌山を、グリーン車に乗って「乗り納め」をしてきたのですが、なかなか乗り心地良かったですよ。
(これについては別途記事を書く予定)


ぼくは世代的に国鉄時代を知らないんですが、国鉄形式のフォルムはがめつくなくって妙に落ち着きがあるから、好きなんですよね。


(まあ、一番好きなのは改造車のパノラマクロでしたが…)



新しく投入されるのは、683系2000番台改造の289系だそうで、ヘッドマークもなくなるし、さみしいもんですね。


同時に、こうのとりやはしだて・まいづるからも381が引退だそうで(しかもこっちは国鉄色)、関西一円のJR界隈もまた、さみしくなりますね…。





納得感

自分の取った行動とかを、自分で「納得」できるのか、ということは、結構大事なことだと思っています。



究極的に、他の誰に何を言われようとも、自分が納得できるのであれば、周りは関係ないから。
(もちろん、さすがに道徳的にまずいことは、そうとはいかないけれど…)



ぼくの場合、もともと人の目線はあまり気にしないほうでした。


というより、他人に理解されないくらいの方が気持ちがいいので、あえて「他人の予想」をはずすように、行動を選択してきました。



一時期、どうしても他人の目線や意見が気になりすぎる時があって(一年くらいか)、その時はあまり良い時間を過ごせていませんでしたし、頭にノイズがずっとあるような感じでした。



自分はこれだけ考えて行動を取っているから、そこまで考えていない他の人には納得してもらえなくてもしょうがない、とも思っています。



他人の目線や意見を気にしすぎると、人生が予定調和な感じになってしまうのが嫌いなのもありますね。




自分の中での勝ち負けの判断基準

自分が納得できる行動を取ったか、選択をしたか、ということです。



昨日の記事に対してそんな風なコメントを頂いたので。



ぼくは、「他人と同じことをする」ということに魅力を感じないというか、そういうことが好きではないので、その選択肢は「負け」になっているのです。


これが、根本的にあるぼくの哲学なんです。



だから、他人と違っていることをするだけで自分はある程度納得が行きますし、それで成功するとか失敗するとか、実際のところさほど関係ない。



なので、他人と違うことをする、という時点で自分の中では「勝ち」になってしまっているわけです(笑)




2015年10月28日水曜日

人生なんて逆張りしてナンボ

自分は比較的、他人とは「あえて」違った道を選択して生きてきたほうだと思う。

(もちろん、もっと逆張りをしてエッジを効かせて生きている人も沢山知っている)



例えば、東南アジアブームが到来している中、一人ポーランドと繋がりを作り続けていたし、


就職も、都会にいたら干からびてしまいそうだから、という理由もあって地元に戻った(まあこれは、そろそろ環境を変えるかもしれないけど)。


会社を辞めてから独立を決めたときも、比較的若い人の中で人気のWeb屋にはならなかった。(で今は、翻訳の世界で生きている)



自分の価値観や、なぜその選択をしたのか、という理由を話すには100記事くらい書かないといけないと思うのだけれど、一つには「他人と同じことして生きていきたくない」というのは確かにある。


自分の場合は、比較的「相手の道とはあえて逆を行く」ということを意識して選択をしてきたほうだと思っていて、こういうのはなんというか、「普通の選択をしている人」を一種のアンチテーゼにすることで、自分の存在意義を作ることができるのは確かだ。


で、逆張りしていると、(ルーレットとか、ギャンブル系でもそうだけれど)、負けるときのほうが多いけれど、勝つときは圧勝できる。


(もちろん、人生で負け続けるのは良くない)



なんというか、この選択そのものが哲学の表れなんですよ。


勝つか負けるかは、ぶっちゃけ関係ないです。負けても潔く「この道を選んだことに一寸の悔いなし!」って言えるかどうか、なんですよね。


みんなと同じことをやって、平均的に勝つのか、


みんなと違うことをやって、負けることも多いけど、ボロ勝ちする味をかみしめたいのか、



こういうのって、その人の人生観が表れると思うんですよね。


別にどっちがいい、とかいう話ではないんですけど、どうせなら人生観がシンクロする人と付き合っていきたい、とは思うわけです。



自分は逆張りを続けて、ようやく勝てる土俵を見つけた、というか自分のフィールドを作り始めることができた、と思っています。ようやくそういう段階です。



本当は、「逆張りしてナンボ」なんてことも考えずに選択した結果が、マジョリティとは逆方向を向いていた、っていうのが理想なんですけどね。





若さの怖さ

は、気づいたら失われているという点だと思う。


そんなことを言っている自分もいつのまにか、20代後半に突入している。

さすがにもう、若くはないでしょう。




自分は男だからか、あまり年上の人に若いから、という理由で比較的ちはほやされたことはないほうだけれど、若さというものはとてつもない武器となる一方で、気づいたら失われているものだから、20代の前半とかになにを経験して何を考えるか、何を次につなげるか、というのは案外、すごく重要なことだと思うのだ。


(でも、そんなことまで考えて行動できる20代前半はほぼいないだろうし、この時なんてまだまだ人生は収斂しないし経験も少ないし、判断材料が少ない。そこで「えいや」で飛び込んでしまえることこそが、「若さ」の強みだとは思うけれど)



自分の場合、この数年で考え方が大きく変わって、そろそろ「積み上げていく」ことを意識し始めました。結果的に崩れてしまってもいいけれど、仕事とかで「何を経験して蓄積するのか」ということは、そうとう意識して行動するようになった。


もともと将来(というか歳を重ねること)に恐怖を持って生きているほうなのだけれど、これが30歳になった時に、振り返って何も蓄積がないとなると、ちょっと本当に怖いと思うのだ。



そういう意味で、自分は(とりあえずは)この道で覚悟を決めたし、その世界でトップを目指そうとも決めた。



「若さ」で評価してもらえた人が「若さ」を失った時に、何を武器にして何で評価してもらえるか、というのが結構重要だと思います。





ちょっと話は変わりますが、そういう意味では19歳の時に初めてタイトルに挑戦した渡辺明(プロ棋士)は、この時に「もう若くない」と言って周りを驚かせたのだけど、


当時この意味は分からなくて(自分は確か14歳)、でもこういうこと言えるってかっこいいな、とは思っていたのだけれど、


今思うと、あの時の渡辺さんは「若いからちやほやするんじゃなくって、私の実力で私を見て下さい」ってことを言いたかったんじゃないのかな。

(この言葉はインタビューに載っていたのだけれど、インタビューの内容は全然覚えていない)




2015年10月27日火曜日

嗚呼、つまらない

将棋の王座戦は、またもや羽生防衛に終わったらしい。


今日の朝刊を見て、げんなりしてしまった。



自分は世代的に、挑戦者の佐藤天彦さんを応援していたのだけれど。


これまでも、豊島さんや広瀬さん、中村太地さんも羽生と戦ったけれど、いずれも敗退。



いくら実力主義の世界とはいえ、ここまでくると見ていて面白くない。



羽生さんは、その思考法や哲学には学ぶべきところが多くあるし本も読んでいるけれど、もうちょい他の人がタイトルを取って、群雄割拠になってくれないかなあ。


羽生世代が強すぎると世代交代も新陳代謝も起こらないし、将棋界全体にとっても悪影響な気がする…というのは言い過ぎか。



でもまあ、竜王戦やNHK杯でも羽生世代をなぎ倒す若手が出てきているし(大石さんや永瀬さん)、決勝トーナメントなどでも勝っている若手もいるから、タイトル戦でいうと場数の差、なんだろうなとは思う。


がしかし、もうちょっと見ていて面白い結果になって欲しい。



2015年10月26日月曜日

「勉強は最高の娯楽」

というセリフを聞いて、確かになあ、と思いました。


(ちなみに、某ネット教材で聞いた)


「2000円くらいの本を買って、それを教材にしていろいろと深掘りをしていったら、いくらでも勉強できる」ということなんですね。


本のコスパが良い、という話はこの辺りで肚に落ちました。


確かに、食事や映画、テーマパークも娯楽としては良いですが、お金は使ったら数時間で消えてしまいますしね(もちろん、そこから学べることもあるのですが)。


お金があったら本を買っていろいろと勉強する、ということに気づけたのは大きいです。



2015年10月24日土曜日

部屋のスペース

最近、パソコンやら本、本棚やらが結構スペースを取ってきて、ただでさえ狭い部屋が一層狭くなりつつある。


仕事をして寝る分には困らないのだけど、これからも書籍を買っていくとなると、今のままでは厳しいかな…と思っている。


引っ越しするなら奈良市の中心部で、できれば仕事部屋と寝る部屋を分けて(それか広い間取りで、半分を個人空間、もう半分を仕事空間にする)、月4万円くらいで借りて生活していきたい。


大学時代に一人暮らしをしていたから、そういうのは大丈夫だと思うんだけれど。


ただ、一人で生活するのはコストがかかるから、できれば誰かと一緒に住みたい。


でも、仕事は静かなところでしか捗らないので(コワーキングとか無理)、シェアハウス、っていう感じでもない。


理想は同棲なんだけれど。

(最近結婚とかそういうのを、コスト視点でしか見れなくなってきていて我ながらひどいとは思うが…)




まあ今の仕事的に、最低限パソコンと衣類だけスーツケースに詰めたらどこでも引っ越しできるので、パートナーに合わせて移動するっていうのは物理的に可能なんだけれど。


ただ、一人で暮らすにせよ、ある程度生活費がかかるから、今の状態でするのは大変かなあ、とも思ったり。


(というか、海外長期生活もしたいから、賃貸借りるのもな…と思ったり)



今は実家で、大都市に出るのは不便だけれど、空港行きのバスが近くから出るのは、地味にポイント。



引っ越しひとつを考えても、もうちょっと紙に書いて整理した方がよさそう。







ブログ名、変えようと思います

今のブログの名前、正直英語で長いし分かりづらいし、誕生日も近いので、これを気に変えようかと思っています。


全く案はないのですが、日本語で歯切れが良く、分かりやすいタイトルにしたい。


英語のタイトルにしていたのは、当初は英語で記事入れして海外にも発信しようと思っていたんですが、あまりにエネルギーがかかるので、見送った次第なのです(昔はちょくちょく英語で何か書いていましたが)。



んなわけで、ブログ名の変更にも乞うご期待下さい。



ついに破産か

今日、アマゾンでポチった本がこちら。


















ちょっと今月買い物をしすぎで、クレジットカードへの請求額がえらいことになりそうです。





2015年10月23日金曜日

開放感

抱えている大きな仕事の終わりが見えてきた。



来週一週間は、少しペースを落とせそう。



というか、明日からまたぶっちぎっても大丈夫なんだけれど、今日みたいな開放感を味わうのが好き。


ここで気分転換をして、再度気を引き締めることができる。



ずっと緩みっぱなしはまずいけど、ずっと緊張しているのもまた、身体に悪そうだ…



2015年10月22日木曜日

ショパンコンクール ファイナル 10月20日 フル映像+α





これ、すごいですね。


ファイナルまで進むと、フィルハーモニーと一緒に演奏できるんですってね。










ちなみに、日本人ファイナリストの小林愛実さんの演奏映像が、これのようです。


受賞は逃したようなんですが。


というか、この映像を見る限り、ファイナルでも空きはあったんですよね…ちょっと悔しい。



にしても、演奏前にいつまでも続く拍手、こういうの嫌いじゃありません。



2015年10月21日水曜日

とんがっている?

先日、「今でもずっととんがって(尖って)いるね」と、複数の方から言われたんですよ。


自分はむしろ、丸くなったと思っていたのですが、どうやら傍から見るとそうではないようです。



ただ、実際のところ、これでとんがっていると思われるのは、ちょっと納得がいかないです。

ぼくがとんがっているんじゃなくて、周りの人が丸くなりすぎているんですよ。


もっと言うと、皆さん去勢され過ぎです。


人間って普通、表に出さないけど、もっと、欲望とか希望とか哲学とか、いろいろと持っていると思うんですよね。


そういうのはもっと、表に出して生きていけばいいと思うんですよ。で、自然と敵ができて、味方ができる。そして、味方と付き合っていく。

別に敵を作ることを意識しすぎなくていいんですよ。人間って、好意を抱く人には自然と良く接してしまうんですから、そういう「良い影響」を与えてくれる人と付き合う時間を長くすればいいんです。


そういう人と接している限り「とんがる」ことはありません。


2015年10月20日火曜日

「成長したい」なんて言っている時点で、絶対に成長なんてできません

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学生とかに多いと思うんですけど、仕事を通して「成長したい」って言うようなことを考えている方って比較的多いと思うんですね。


が、ぼくはこの言葉、絶対に信用しません。というか、この言葉を聞いただけで、話す気がなくなります。



個人的な意見ですが、この言葉って全然論理的でないと思うんですね。今回はそんな話を少しできればと思いますが。


理由①:そもそも「成長したい」なんて思って成長できるもんじゃない


ぼくは常々、「生きていくにはメタ化が必要」だと言っています。

分かりやすく言えば、「自分を更に上から俯瞰して、客観的に見る」ことですね。


自分の立ち位置を冷静に把握して現状を確認する、とかの際には、こういうことが割と大事になってくると思うんです。


ただ、いわゆる「成長したい」って時には、自分をメタ化してはいけない、と思うんですね。



例えば、仕事で関西に出張に行くとしますね。

で、プレゼン資料はパワポでパソコンに作っておいたはずなのに、新幹線の中で確認しようとしたら、どうも保存できていなかったようで、資料がない。

こうなったらちと焦りますよね。


こういう状況だと、列車が関西に着く2時間ちょっとの間で、どうするかを考えないといけないわけです。

資料を作り直すのが1つですが、作った「はず」の資料と全く同じものは作れないかもしれません。だから、幾分か簡略化したものを作る、というのは解決策のひとつです。


もう一つは、パワポを使わずにプレゼンをする、というものです。ワードで資料を作るとか。


とりあえず、結構テンパった状態の中で、時間とリソースの制限を抱えながら解法を見つけ出す必要があるわけですね。


で、なんとかして解法を見つけて、プレゼンを終えました。


今回の反省として、「作った資料は予備をUSBメモリに保存して持ち歩いておこう」とか、それなりに次に繋げられるようにするわけですね。(まあ、普通予備のデータはどこかに保存していると思うので、この例はあくまで例え、ということで…)


で、仮にもう一度似たような状態になった場合に、今度はきちんとリカバリーできて、ダメージが少なかったとします。



これこそを「成長」と言うのではありませんか?



パワポ資料でなくてもいいんですが、例えば取引先から急な依頼の変更があった、とか、納期変更の相談を受けて、プロジェクトチーム内でベストの解決策を考えないといけなくなった、とか、いろいろとあると思います。


こういう時に、結果振り返ったときに「あの経験はこれからはしたくないけれど、あれがあったからこそ強くなった」みたいなことが、仕事でもなんでも、あると思うんです。これこそがいわゆる、一般的に言われる「成長」であって、それはいわば、「したくてする」ものじゃないと思うんですね。


というのも、仮に「成長したい」という気持ちが最初にあれば、こういう「予期しない出来事」に対する対策はある程度考えられているわけで、トラブルが起こったとしても「それなんて予想範囲内だよね-」とか言って、「プランA」を発動すればお茶の子さいさいで、解決できるワケなんですよ。


でもそれって、そもそも「予定の範囲内」での出来事なんで、緊急事態に面して、自分の頭をフルに使って解法を考える、ってことをしないわけで、そもそも「成長」なんかにならないわけですよ(笑)


っていうか、最初からそれができるのであれば、「成長」なんて言葉は使わないと思いません?だって「やれて当たり前」なんですから。野球で、1アウト1塁で4番バッターを迎えたときに、シュート回転したボールで胸元を突いてゲッツーを「きちんと」取れるワケです。それって単に、「最初からレベルが高いだけ」ですって(笑)

普通は同じ状態で、ピッチャーもキャッチャーも必死になって、配球を考えたり投げる球種を考えたりするわけです。最初は緊張もあって大変だったけど、だんだんと配球も組めて、ゲッツーを狙って取れるようになった。これこそが「成長」です。


②「成長」の基準値と目標値が分からない

「成長」には、必ず「ベースの値」と「目標の値」が付いてくるんですよ。

例えば、国の経済成長率だって、基準となる年月があって、比較する年月の指標があるわけです。

すごく簡単な話、身長の伸び縮みだって、「160cmから3cm伸びた!」という風に、「基準値」と「目標値(結果値)」があるわけです。

別に比較するものは数値じゃなくてもいいんですが、「成長したい」って言っている人は概して、基準値も目標値も、はっきりとしていないことが多いですね。(まあ、そういうことは人様にわざわざ言うもんじゃないのかもしれませんが)

まあ、キャリア数年の人が、例えば仕事の効率化や年収アップ、異業種に参入して汎用的なジョブスキルを別の世界で使ってみる、という風に考えるのは、ある意味「成長志向」だと思いますし、これは「今の自分」という基準(収入、業務効率etc)がある程度数字で表されるのでいいとは思うんですが、キャリアゼロの状態で「成長したい」なんて言っても、ちょっと現実味が少ないかな、というのが個人的な印象です。だって、仕事一年目だったら、大学時代と比べて収入は大きく上がりますから、この数字だけを見ると放っておいても「成長」するわけですし(笑)、業界や仕事のことも「基準」が自分の中にないので、比較のしようがないんですよね。




だから、というと変かもしれないんですが、「仕事を通して成長したい」って人は、「何をどう成長したいのか」ってことを、きちんと言語化したほうがいいです。きちんと考えている場合はいいんですけど、言語ができないのであれば、それは考えていない証拠です。






味方が欲しければ

敵を作ればいいんです。


割と簡単な話でして。



あまりこういう話はしたくないんですが、


恐らく、このブログを読んでいるあなたも、小学生や中学生の時に、いじめに関係したことがあると思うんですよ。


それは、いじめられる側だったかもしれませんし、いじめる側だったかもしれない。



いじめられた経験のある人は分かると思うんですが、ひどいいじめって、本当にクラスでグルになってくるんで、味方がいない時があるんですよ。



でも、たいていの場合、多くの人からいじめられていても、自分の周りには何人か(1人、2人って時もあります)、自分の側に立ってくれる人がいるんですよね。


簡単に言うと、というかそのままですが、それが「味方」なんですよ。


光があれば影がある、じゃありませんが、自分の味方をはっきりとさせるためには、あえて影をくっきりとさせる、っていうのは、案外効果のある方法です。


プロのブロガーを見ていると、そういう手法を取って、自分の味方と敵を峻別している方は沢山おられますね。

(この方法は、ビジネスでも有効のようです)

(そして、そんなこともつゆ知らず、「自分のことを否定された!」と食ってかかる馬鹿な読者もいるわけです。これこそが、その文章を書いた人にとっての「峻別」方法なわけですね)



ぼくは、いじめはできる限り起こらないほうがいいと思っていますが、生きていく上で、「敵」ができることはある程度仕方ないと思っていますし、敵がいるからこそ、自分の味方になってくれる人も出てくる、と思います。


何も、八方美人になって生きていく必要はありませんし、そもそもそんなことをしていたら、精神的に疲れてしまいます。


ぼくもどちらかといえば、今までは「できるだけ色んな、多くの人に好かれよう」と思って生きてきましたが、最近は、自分の人生なんだから、ウマの合わない人とは付き合わなくていいや、ぐらいの考えに変わりました。
(こういう観点で、ぼくは会社員に向いていないのかな…と思ったりはします)



そんなこともあって、最近は「この人とは合わなそうだな…」と思ったら、あえて距離を遠ざけるような(きつい)言葉を発することもあります。


それで絶縁願いを出されたことも何度かありましたが、実は「こんなに効果があるのか」と、嬉しくなってしまったのは、ここだけの話です。


ぼくはブログで、いろいろと敵を作っているんですけれど、そこで付き合う人の幅は制限していますし、その壁を乗り越えてきた人には、全力でぶつかりたいと思っています。


自分の味方には、恥をかかないよう(かかせないよう)に、出せる力を精一杯出すのが礼儀だと思っているので。





ショパンコンクール ファイナル 10月19日 フル映像









ショパンコンクール ファイナル 10月18日 フル映像





日本人奏者がファイナルに残っておられるようなんですね。


ちょっと結果が気になりますが。



音楽だけでもリフレッシュになりますが、パフォーマンスを見るなら、映像も見ないといけませんね。




2015年10月19日月曜日

「時間の射程」は人それぞれ異なります

どのくらい先の未来を具体的にイメージできるか、っていうのは、人それぞれ個人差があるんですよねー。



今までゆめにも考えたことがなかったんですが、いろんな人と話していて、「もしかしたら?」と思い、ここ最近ようやく気づいたんです。




ぼくはものすごく、「近視眼的」というか、「時間の射程が短い」んですよ。


一年先のことって正直、具体的にはイメージできないです。


考えることができて半年先、とかなので、「とりあえず半年間の計画をざっくり立てて動いてみて、時期が来たら分かることもあるから、その時にまた考え直そう」っていうタイプです。


この「射程」が、一年とか五年とか、十年とか、または逆に3ヶ月とか1ヶ月、ってこともあるわけです。


ぼくのばあい、学生時代にリーマンショックや震災を見てきたので(直接モロに影響を受けた、ってことではありませんでしたが)、これらの影響は思った以上に大きいですね。これで「将来って何が起こるか分からないし、ん十年計画とか無意味だろ」と思うようになりました。


ただ、今まではこんな考え方が当たり前だと思っていたんですが、世の中どうやらそうではないようなんですね。


例えば、そこまで具体的にイメージしているわけじゃないと思うんですが、「大学卒業から定年まで一つの会社で勤めあげる」とか、「35年ローンを組んで家を買う」とか、そういう方々は今でも大勢いらっしゃるんですよ。


ぼくにしてみたら、ここまで変化の激しい時代に一つの会社で仕事を続ける、とか、35年間同じ場所に住み続ける、っていうのは到底理解できないことなんですが、実際にこういう行動を取る人が居るっていうことは、漠然としているかもしれないけれど「時間の射程」を長く取ることができる人も、一定数いるってことを意味すると思うんですね。
(ただ正直、時間の射程が長いのか思考停止なのかは、紙一重だと思っています)


だから、今まではこういう人たちの考え方にすごく衝撃を受けていたんですが、もはや「そんな考え方もあるんだな」くらいに受け止めて、流すことが多くなりました。



で、こういう風に「射程」が異なっていると、コミュニケーションを取るのも難しいんですよね。


簡単な例で言うと、「35年ローンを組む」前提で物件を探す夫と、「35年ローンなんて信じられない」考えをしている妻がいたとすると、当然ながら居住地や引っ越しの話をした時に、話が食い違います。


パートナーであれば、話して解決することがほとんどなのでしょうけれど、もうちょっと遠い距離になると、「お互いが持っている前提」が違っていることすら気づかなくなるので、危ないことが多くなってくるんじゃないでしょうか。


例えば、企業の役員が計画を立てるときに、「1年の射程を持つ人」と「5年の射程を持つ人」と「10年の射程を持つ人」とがいたとします。

この時に、「長期的に見るとプラスになるけれど、短期的になるとマイナスを甘受しないといけない」という考え方が必要な場合がありますし、それとは相反して、「短期的に売り上げを上げてキャッシュを確保する」という考え方が出てくる場合があるわけです。


前者は「10年射程」の持ち主が、後者は「1年射程」の持ち主が考える可能性が高そうです。
(もっというと、1年射程の人にとっては、マイナスを甘受するのが「最初の2ヶ月」だったりするので、射程が違う、というよりも時間の尺度が異なっているだけ、という場合もあり得ます)



こういう風に、感覚の違いで方向性や意見に齟齬が出てきたときに、「相手は自分と、時間の射程が異なっているんだな」と理解できるかどうかは、コミュニケーションを取る上でも大事になってくるでしょう。
(これは会社内だけではなく、むしろ親子や学校の先生生徒のように「世代間」でのコミュニケーションが必要な場合にも、差を生み出しうる要素となるでしょう。一昔前は10年かけて起こっていた変化が、今では1年で起こるようになった分野だってあります)



できれば、二つ以上の「時間の射程」で物事を計画、考察できるようになりたいものですね。



2015年10月18日日曜日

設備投資

今の仕事で当面は生きていこう、と去年の今頃に決意をして、こちらのサイトにお世話になりながらいろいろ試行錯誤をしてきたのですが、


この一年で、仕事への設備投資を結構してきました。


キーボードとマウスの買い換え、

照明の買い換え、

椅子の買い換え、

外付けHDDの複数購入など。


全て、リンク先の講座で教わったものですが、本当に「重装備」になってきました。


あとは、半ばデスクトップ状態で使っているノートパソコンを、デスクトップに買い換え(て、大型ディスプレイをつけ)れば、一通りの環境構築は完了するのですが、


なかなか快適な環境になった一方で、引っ越しが大変になってきたなあ、というのもまた本音でして、



海外で長期生活をするときは一体どうしようか、と既に困惑しています。




2015年10月17日土曜日

ポーランドの通貨と物価について

ポーランドは、ユーロ圏ではありません。


未だに「ズロチ」という、独自通貨を使っています。
(ちなみに正しい発音は「ズウォティ(=金、という意味)」ですが、日本語では慣例的に「ズロチ」と呼ばれています。こちらのほうが発音が良いですし。





既にバルト三国ですら、ユーロ圏になってしまったので、


ヨーロッパ圏で、現時点でユーロを導入していない数少ない国のひとつです。

(他にはチェコやデンマーク、スイス、ハンガリーなど)


一時期ユーロ導入が考えられていたようですが、ユーロ危機もあったりして、独自通貨の使用が続いています。


レートはだいたい、1ズロチ=33円。

(2015年10月17日時点で、1ズロチ=31~32円前後で変動しているようです)

あと、補助通貨もあって、0.01ズロチ=1グロッシュです。

お店などの表示では00.00(小数点第二位)まで表示されています。



物価については、日本よりもおしなべて安い(ものにもよるけれど、日本の物価の50~90%)ですが、日本でも都市圏と地方で違いますし、ポーランドも同じですので、一概にどう、とは言えません。

ただ、全般的に、ポーランドのほうがコストはかからない感じがします(このあたり、感覚の個人差もあるので微妙な話ですが)。


あと、初めてポーランドに行ったのは2010年ですが、この時は心持ちもう少し、物価は安い印象がありました。経済成長もしているので、物価上昇が続いているのかも知れません。


首都のワルシャワだと、だいたい以下のような物価です。
(1ズロチ=33円で計算)

・空港から中心までのバス:4.4ズロチ(=145円)(約30分)

・タクシー:初乗りが8ズロチ(=264円)、その後1km:2ズロチ前後が加算(早朝深夜はこの1.3倍くらい)

ちなみにワルシャワのタクシーは、ポーランド国内でもほぼ最安らしいです(向こうに住んでいるポーランド人の知り合い談)

・長距離鉄道:移動距離によりますが、半日の移動(座席の普通車)でマックス50ズロチ(=1650円)程度と、鉄道は神がかって安いです。(しかも、確か24歳以下だと25%引きになったはずです)。長距離バスも同じくらいだと思うんですが、なんせ乗ったことがないので…。

・安宿のドミトリー:25~40ズロチ前後/泊(=825~1320円)(素泊まり)

・ホテルのダブル・ツインルーム:100~200ズロチ前後/泊(=3300~6600円)
(ヨーロッパなどでは、一部屋いくら、という売られ方をしているで、2人で使うのであれば1人当たりの値段は安いですね)

(もちろん、ヒルトンとかの最高級ホテルに泊まれば、1泊3万円とかします)

※ホテルに関してはExpedia等のサイトで日本円表示で検索した場合を参考にしています

・喫茶店:アメリカンが約5~8ズロチ(=165~264円)、カフェモカなど、生クリームやアイスがついたおしゃれ(?)なものになると約10~15ズロチ(=330円~495円)

・食事:ディナー(飲み物別途)が20~30ズロチ程度(=660~990円)、安めの食堂であれば10ズロチ台後半もあり。昼食、軽食だと10ズロチ台で購入可能です。(ポーランドはじめヨーロッパでは、トルコのケバブが安くて人気です。出店だと8ズロチくらいで食べれました。レストランだとドリンクとポテトがついて12ズロチとか。)

食事に関して言うと、マクドナルドやケンタッキーもありますが、若干高め。

スーパーだと、パスタ(500gとか)が高くて4ズロチ(=132円)、ヨーグルトが一個1ズロチ前後(日本みたいに3個まとまったりしていませんが、一つがデカい)、アルコールも缶ビール1本(500mL)が3ズロチ前後(だったはず)で、とにかく自炊すれば、限りなく節約はできます(まあ、旅行していたらあまりそういうことはないですが)。



こういう情報は、現地で長期生活してみないと感覚が分からないので、ぼくもその際に改めて記事を書こうとは思いますが、とりあえず、日本にいるよりコストがかかるということはありません。


ユーロが導入されている西欧と比べると割安感は絶対にあるので、ポーランドは旅行でもオススメなんですけれど、そもそもマイナーな国なので、ちょっと残念ですね。






ショパンコンクール 第三ステージ 10月16日午後の部 フル映像





こちらは5時間を超えます。


明日からファイナルだったでしょうか。



これ、旅行会社がツアーを組んでいるんですけれど、一回戦を全て見る、とかの一週間滞在で、70万円くらいしたんですよね。(ファイナルだったかも)


いずれにしても、この値段は高すぎです。


ポーランドは日本よりも若干物価が安いので。


ちなみに一回戦のチケットは、公式サイト経由で購入して、一回約2000円でした(笑)


これがファイナルとかになってくると、一回1万円くらいしたと思うんですが。


にしても、70万円とかは、高過ぎです。


ちなみに僕は、航空券10万円+宿泊費3.5万円+α(食費、コンサートチケットとか)で行きました。







ショパンコンクール 第三ステージ 10月16日午前の部 フル映像





映像は5時間あるんですね。


見に行ったときは、会場の後ろ(後方入り口付近)で、奏者へのインタビューが行われていたので、それが含まれているのだと思います。




2015年10月16日金曜日

弱者のイズム

幼い頃から、ケンカには勝つ自信が全くなかったので(笑)



自分は「剛」ではなくて「柔」で戦わないと生き残れない、とは、小学生の頃からぼんやりと思っていました。



腕力でなぎ倒す、っていうのは自分の戦い方ではないんですね。



だからその頃から、頭を鍛えよう、と思っていろいろと試してきました。
(最近は、体の代謝も落ちるので適度な運動と体力も必要だな、と思うようにはなってきましたが…)



そんなこともあって、北斗の拳を読んだときにはラオウではなくってトキに親近感を覚えましたし、
(でも、一番の理想は雲のジュウザ)



プロ野球でも、ID野球で知力を駆使した野村監督の哲学が好きでした。
(ヤクルト監督時代は全然知らないんですが、楽天時代にいろいろと知れました)


将棋でも、相手の力を上手く利用してカウンター攻撃を狙う振り飛車戦法が好きでしたし。



自分で自分を「弱者」っていうのもどうかと思うんですけれど、



自分に腕力はないから、相手の力を上手く利用して賢く戦う、というのが、自分のイズムになっています。