2014年1月31日金曜日

Japanese media create "pop" articles about STAP-cell discovery

Dr. Obokata's discovery, which brought big impact to the science world, is broadcasted as a mere "pop" news by Japanese media.


Her discovery is "to make cells that can grow into any tissue in the body (by Guardian)" and this is a surprisingly innovative finding.

As it is a significant scientific discovery, many US and UK media, and those of other countries report it. They explain the significance, how the system works, the risks for human use and so on.

BBC : Stem cell 'major discovery' claimed

The Independent : Stem cell breakthrough: Japanese scientists discover way to create 'embryonic-like' cells without the ethical dilemma

CNN : Stem cell breakthrough may be simple, fast, cheap


In Japan, media also report this breakthrough, but they seem rather reporting something pop, such as Dr. Obokata's daily life and her joshi-ryoku (which literally means "girl's power" in Japanese: their make up, dressing, that how the behave as a "nice woman") in the article.

Reading these English articles and Japanese articles, I was astound that Japanese media don't report any essential elements such as the research milestones, achievements or the benefit. It seems rather a "pop magazine article" than a "conservative media report" for me. 

Checking on the Internet, I read some negative opinion for Japanese media tendency for the reasons above. I also agree to it, because they report it as a mere "contents for consumption".

Some of the coverage on newspapers and TV, they reported Dr. Obokata's personal life and sometimes "how young female researcher brought big impact on scientific field" or that "she encouraged the prospective Japanese researcher in that field".


Is it the essence of this research?

It should be not what her life is like or how her action encourages the people, but what she discovered and what it makes a change into our life or the scientific world that is highlighted in this course of finding. Foreign media's neutral and objective coverage is what should be done originally. I became skeptic that  Japanese media did unreasonable coverage and that they didn't focused into the essence.


Japanese media had better take a look on the essence of this breakthrough and treat the researcher fairly in social and gender context.

2014年1月29日水曜日

無意識の底に眠っている意識

この半年くらいで、ものすごく「無意識的に」行ってしまうことが増えたと最近感じています。

内容も様々で、食事に関してだったり、旅行中のことであったり、仕事のことであったりしますが、よく言えば「以前ほどあれこれ考えなくなった」ということが、自分でもだんだん分かってくるようになりました。


今回は、そんな「無意識」について、自分の思う所を書ければと思います。



◎ちょっと前までは、頭で考えてばかりだった

最近はようやく、仕事でもプライベートでも動いて、実績を積んだり何かをやり遂げたり、ということが多くなってきましたが、少し前までは頭でっかちな人間でした。

「これをやったらどうなるんだろう?」というのはもちろん、「こんなことをしたらこんなことが起こってしまわないだろうか」「やって失敗したらどうしよう」というような、マイナスのことをいろいろと頭で考えては、いろいろと理由をつけて結局はやらなかったことが多くありました。

その結果何が起こるかというと、時間は経つけれど一向に自分の中で何かをやり遂げたり、達成したり、ということは起こらない、ということです。

特に、2011年の夏場頃から一年くらいは、そんなことが特に多かった時期でした。


◎やるしかない状況になって、実際に見えるもの

正直、今までは「学生」ということもあって(もう2年くらい前の話ですが)、それが「免罪符」となっていたのも事実だったと思います。

ただ、去年の今頃からこんな風に仕事をしていこう、と決めたので、とにかく前に進まなければいけません。

・スキルはない
・経験もない
・コネもない

とにかく、自分で仕事を見つけて、仕事を作って、勉強をして、経験を増やして…ということをやっていかなければなりませんでした。

もう自分を守ってくれるものはないので、後ろ盾なしにやっていかなければいけません。

去年は一年間で、それほど大きな稼ぎにはなっていないのですが、特に最初の3ヶ月くらいは悲惨でした。

それでもお金はいりますし、とにかく「仕事がもらえるようにならないと」ということで、いろいろ智恵を絞って、アドバイスを頂いて、自分なりにやってきました。

最初はテストも落ちまくりでしたが、確か4月頃に初めて、ある会社の試験に通って登録させてもらうことができました。
(合格通知メールが届いた時に泣いたことは、今でも覚えています。ただ、登録したからといって定期的に仕事があるわけではない、と気づいたのですが…)


その後はクラウドソーシングサイトも使って、一時的に「実績作り」と「経験値を積む」ことを目標に、仕事を獲得してはやり続けました。

それからは、いろんな仕事を頂いたり、人から教えてもらった情報を頼りに何かに手を出したり、ということをしぶとく続けて、現在に至ります。
(本当はこんなに要約できないのですが笑)


で、こういうことを続けてくると、いつのまにか「なんとかなるんだな」ということが、実体験として分かってきたのです。


僕も一年程前は、何も分からない状態で、何もない状態で、「試験受けても落ちたらどうしよう」とか「仕事でミスしたらどうしよう」なんてことをずっと考えて、悩んだりもしました。(テストは基本無料なので、時間割いたわりには…なんてことになる場合もあるので)


ですが、こういうことを続けていると、「ずっと落ち続けるわけじゃない」「試験に落ちても、勉強になったと思えばいい」というふうに、ちょっとは前向きに考えられるようになって、結局はまた試験を受けたり、勉強をしたり、ということに繋がるのです。


他には、僕はよく人と会うのですが、ご飯やイベントに呼ばれた時は、反射的に「参加しよう(したい)」となります(時間や場所の関係で、見逃すことのほうが多いですが)。

これも、無意識的に反応しているのですが、「人と会ったら面白い話ができる」「情報を手にすることができる」「悩みを打ち明けられる」「仕事に繋がるかもしれない」ということが、経験上分かっているから、こんな風に反応してしまうのだと思います。

(他にも、どこにお金を使うか、どんなことをするかというとっさの判断、決断も、無意識的にするようになってきました)


結局の所、いままでは頭でいろいろと「意識」していたことが、いろんな経験を通す中で身体の奥底にインプットされて、「無意識」的に判断、行動することができるようになってきたのではないか、と思っています。


◎経験を増やして、無意識のうちに判断できることを増やしていきたい

無意識的に判断することになったのは、仕事でも多々あります。

分かりづらい文章、ニュアンスの掴みづらい言葉(単語)等々、英語を日本語に訳す時には次から次に出てきますが、これも辞書と友達になって、英文を読む量を増やして、日本語に触れる機会を増やせば、だんだんと自然な言葉に訳せるようになったり、そういうフレーズが頭に浮かんだりしてくるようになりました。

これは例えば、英語のニュアンスや単語の意味などを(かつて)しっかりと覚えたり、理解したことがどこかに眠っていて、「無意識」的に、かつ正解からそう離れてはいない部分を当てる、考えることができるのだと思います。

(翻訳についてまとめると長くなるので、これは別の機会にでも)


ここで重要なのは、「単なる無意識」と「意識が底にある無意識」は異なる、ということであって、経験、行動、思考のようなものが体のどこかに染み付いて、眠っているからこそ、無意識的に良いものがアウトプットできるのだということです。
(将棋の秒読みで急所に手がいくか、限られた時間内でアイデア出しができるか、など)


このことは、自分で知識を増やして、経験量を増やさないと決して伴わないのではないかと思います。


旅の経験を積むからこそ、盗難防止の対策やパッキング、トラブルに巻き込まれない方法を「無意識のうちに」実践できるのではないのでしょうか。


今はインターネットを通していくらでも情報を得て、「情報デブ」になってしまうことができてしまう時代です。
しかし、本当に質の良いもの、洗練されたものに出逢って、そういうことを自らがアウトプットできるようになることが、こんな時代だからこそ必要とされるのではないでしょうか。

2014年1月27日月曜日

働き方や仕事、生き方について知見を広げてくれるおススメ本5冊

フリーランスとして仕事をしていて、決して普通(大多数)の人のように、安定している訳でもないのですが、この1年くらいで、自分なりの世の中に対する違和感といったものがきちんと言葉にされている本に出逢うことが多くなりました。

いずれも、ここ数年で出版された本なのですが、特に「仕事の仕方」「働き方」「生き方」というテーマが、全ての根底に流れている本です。


今回は、こういうテーマについて悩んでいたり、小さな違和感を持っている人たちに是非読んで頂きたい本を紹介します。


①「ナリワイを作る〜人生を盗まれない働き方」

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一言でいうと、「自分で仕事を作る」ことについて書かれた本。大きなテーマは「GDPを上げなくても人は幸せで豊かに暮らせる、ということの実践」でしょうか。

しかも「身の回りで必要なものは、全部自分の手で揃えよう!」ということなので、例えば家を建てたり、結婚式を「自給」したり、と、従来の考え方がひっくり返るような「仕事」が数多く紹介されています。

著者自身も、大学時代の専攻や、卒業後の就職経験などからいろいろと思うことがあったようで、原体験の必要性、重要性についても気づくことができます。


僕も、本業とは別にこういう「ナリワイ」を作りたいとは思っていますが、なかなかできていません。
(小規模でいいから、電気の自給はしたい)



②「やりがいのある仕事という幻想」

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日本だと、僕たちは多くのところで「仕事は自己実現だ」という風に教育(洗脳?)されてきます。


しかし一方で、仕事にやりがいを見つけ出せない人も実際にいます。

この本では、「別に人生仕事が全てじゃない。仕事がないからといって人の尊厳がなくなるわけじゃないし、もっといろんな考え方、仕事への取組み方があってもいいんじゃないか」ということが書かれています。


③「僕らの時代のライフデザイン」

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東京で、インターネットを使っていろんな人にお世話になりながら生活をすることはできるのか?、という「ノマド・トーキョー」を実践した時の話、またそこから、今の不確実な世の中ではどんな心構えを持って、どんな風に生きていったらいいのか、ということに対する考察が書かれています。

僕も、この本に書かれてあったことにはとても共感、納得をして、特に「到達地点を決めてから逆算して辿り着く、ということは当てにならない」という部分が印象に残っています。

④「独立国家の作り方」


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タイトルが衝撃的ですが、何を隠そう、日本に「新政府」を作った人の話です。

今の世の中での人との関わりや仕事、お金への考え方が、著者の主観ではありますが書かれていて、僕もぼんやりと考えていたことがすっと入ってきました。

著者は小学生の時から、「なぜ人だけはお金がないと生き延びれないのか」ということや「家賃はなぜ、大地ではなく大家さんに払うのか」といったことを疑問に思っていたようで、そんな素朴な疑問をじょじょにほぐして解決していく手だても書かれていて、読んでいて爽快でした。




⑤「ニートの歩き方」

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「ニート」のphaさんの著書です。

この本も「なんで人間は働かないといけないのか」とか「ネットを使って今の世界を生きていけないのか」という、どことなくユートピアような話が、ゆるい口調で書かれています。

僕も、時々「働きたくないな」と思うことはあって(人間誰でもあるとは思いますが)、この本を読めばちょっとは気持ちが楽になりました。

(phaさんはある意味悟りを開いていると思います)


― ― ― ― ―

紹介した順序は、僕が読んだ順序なので、出版の新旧は違っています。


僕ももともと、一般的な世の中というか、仕事とか会社とか、あまり合っていなくって(要するに社会不適合者ですね)、それで今はこんな風に生きている訳なんですけれど、これらの著者はみんな、同じような「アウトロー」な生き方を実践していて、ある種僕に取っては、そしてこれからの世の中に取っても、希望なんじゃないかと思っています。

だんだんと「今の世の中、なんか変だな」と思っている人が多くなってきて(昔からそうなのかもしれませんが)、それをこんな方法で実践、昇華している人が、徐々に出てきた。

知っている人は知っていて、知らない人は全く知らないのだと思いますが、僕も「どう生きるか」というところは仕事に関係なく興味のある部分ですので、自分は自分の命をどうやって表現していくのか、というところにも、もうちょっとアンテナを張って、形にしていけるように動いていこうと思います。


2014年1月26日日曜日

ベトナムからのお年玉 〜ベトナム旅行記(8)

1月7日。

昨日はダナン→ホイアン→ダナンと移動して、夜はダナンで現地のおいしい料理を食べて、今日はダナン観光をする予定でしたが、今まで来ていた服の洗濯ができていません。

フロントに問い合わせると、朝一で始めて正午(チェックアウトの時間)には終わるとのことなので、ダナン観光は止めて、チェックアウトの時間までホテルで時間を潰すことに。
(ホテルの立地が中心部より遠く、手持ちの現金にも限りがあり、飛行機の時間も16時頃というのも、観光を見送った要因でした。)


ホテルは部屋(ドミトリー)でなぜかネットが繋がらず、洗濯が終わるまではロビーでWi-Fiを拾って、メールを捌いたり、いろいろやることを済ませました。

と、そこで一つ頭にひっかかったことが。


年明け(正月)に、クラウドワークスである小さな仕事を引き受けてくれる人を募集したのですが、その応募者の中で一件、Skypeで直接話をしたい、というところがありました。


(普段は受注側として使っているのですが、一度発注側として使ってみたかった。)


で、1月3日から8日まではベトナムにいて、ネット環境が不安定になるので帰国してからにしようと思っていたのですが、この日2時間くらい時間ができてしまったので、Skypeできないか、と思った訳です。
(相手は平日日中だといつでもOKだったので)

そこで、相手のアカウントを検索して申請しようと思ったのですが、なんとそこの「所在地」欄が「ダナン」に。


あれれ?


応募時にこの企業は「ベトナム発の企業で、日本にも支社があります」とは伺っていたのですが、今回の相手はてっきり日本支社だと思っていたので、まさかベトナムとやりとりすることになるとは…しかもなんでよりによって、ダナンなんだ…、と、びっくりしました。

少し時間が経ってから「Skypeできます」とのことだったので、商談を行ったのですが、最後に「実は僕、今ベトナムのダナンにいます…」と、恐る恐る伝えたら、相手も「えっ?」という反応。(当然ですが。笑)


僕が今日チェックアウトをして、夕方にはホーチミンに戻ることを伝えると「昼ご飯一緒にいかがですか?」と誘われたので、「えいや!」の勢いで乗ることに。


12時にチェックアウトをして(洗濯物は部屋に届いていました)、待つこと15分。

タクシーに乗って、お二人来て頂きました。


川を渡って少し行くと、ダナンの名物?らしい料理屋に到着。

ここでは見事に写真を撮り忘れ(あまりのミラクルの起こり具合に)たのですが、薄いお米の皮にお肉と野菜(種類が多い)を入れて、撒いて食べる生春巻きのような食べ物でした。

これを食べて、お二方(共に女性)と、ダナンやフエ、ホイアンなどのベトナム中部の話や日本とベトナム、日本語、仕事の話等、いろいろ日本語で行いました。
(二人とも日本語ペラペラ!)



その後は少しだけ、その会社にお邪魔させてもらい、ここでも軽く雑談したのち、時間が来たのでダナンの空港へ。


到着時はよく分からなかったのですが、コンパクトな空港で、チェックインカウンターから手荷物検査、ラウンジまでがスムーズに繋がっていました。

で、ここでもまたベトジェット航空の遅延の影響を受けることに。


もともとの出発予定は16時20分。

空港に着いた時には17時45分に変更になっていて
(後で調べると、その日の正午くらいに時間変更のメールが届いていた)、



更に機材の遅延で、結局出発は18時30分頃に…。


この日の夜は、ホーチミンで大学の後輩達と食事をすることになっていて、「ベトナムタイムなのであまり時間にピリピリしないで下さい」とのことだったのですが、19時半開始予定で、僕が着いたのが20時過ぎ頃。

思いもよらぬメンバーがいたので少し驚きましたが、ヤギの肉だったか(もはや何の肉か忘れました…)をおいしく頂きました!


ほんと、今回の滞在は殆ど英語を使わなかった。
日本人が多かったのと、ベトナム人も日本語ペラペラ…。

ベトナム語は結局「こんにちは」「ありがとう」も覚えずじまいでしたが、ここまで現地の言葉を勉強しなかったのは始めてでした。


なんにせよ、いろんな人に誘って頂き、素敵な出会いが会った今回のベトナム旅行は、今まで以上に僕の中で面白く、収穫の多いものでした。



翌1月8日は、11時頃のフライトで台北経由で帰国。

台北まではまさかのジャンボジェットに乗ることができました。


こんなことをもっともっとできるように生きていきたいな、とおもいます。

2014年1月23日木曜日

一度は住んでみたい町、ベトナム中部のホイアン!! 〜ベトナム旅行記(7)

ホイアンのバス停から歩くこと、15分。

(一つ前の旅行記の記事はこちら


歩行者天国になっている場所までやってきて、いよいよ「らしく」なってきました!






ホイアンは世界遺産となっていて、ベトナムの伝統的な古い町並みが楽しめるのですが、個人的には台湾とヨーロッパを足して2で割った町、という印象を受けました。


日本橋。

ホイアンの観光施設に入るには、共通の綴り券を買う必要があって、それがないとこの橋も渡れません。(中を見て回ることに興味がないので、僕は買っていません。笑)

ちなみに、この橋のすぐ南側には、無料で渡れる橋があります。


こんな町並み。


で、こちらがヒルカワさんが運営されているお店"Cool Japan in Hoian"です。


ヒルカワさんのブログ


中は少し見て回りましたが、100%絹(綿だったかな?)でできたTシャツやベトナムコーヒーのセットなどが売ってありました。

ヒルカワさんとは、午後にここで会う予定だったのですが、急遽ダナンで夜の食事の予定が決まったとのことで、ホイアンめぐりの後は再びダナンに戻ることになり、そちらで合流することになりました。


昼食。

野菜のベトナム風焼きそばに、タイガービールをつけます。
これで95,000ドン(約475円)。とにかく安い!

このお店は川に面しているのですが、日差しも温かくのどかで素敵なひと時を満喫できました。
(こういう時間は誰かと一緒に過ごしたいのですが、そういうのはいまだにできていません。笑)


川。


ここだけみると、南国です。
(実際に暑くて、少し汗ばみます)



マーケット。
買物は普段、ここで済ますそうです。


で、Cool Japan in Hoianの店員さんから教えてもらった、日本人のスタッフがいる喫茶店に向かいました。


Duck Cafeというお店です。(リンク先はFacebookページ)


こういうのどかな町並みは大好きで、ホイアンに一泊すればよかったというのは、こういう贅沢な時間をもっと過ごしたかったからです。


もう一つ思ったのは、ベトナムは物価も安いし、ビザも2週間までならなくてOKなので、ホイアンとか、こういう素敵な町に長期滞在(長期でもないけど)して、ゆっくり仕事しながらまったり過ごすのも、絶対に面白いんだろうな、と思いました。


やっぱり実際に足を運んで、目で見て、肌で感じて、そこから気づくもの、感じるものを大切にして、生きていきたいです。


ホイアンにいたのはわずか数時間でしたが、お世話になった皆さん、ありがとうございました!


写真では良さが分からないかもしれないのですが、足を運んで頂く価値はどこの町よりもあると思っています。

僕は今までヨーロッパをメインにウロウロしていますが、それでもホイアンほど、住んでみたい素敵な町はありませんでした。

ヒルカワさんがこちらで店を構えられた理由も、なんとなくですがわかりました。


― ― ― ― ―

さて、18時半にダナンでヒルカワさんと待ち合わせのため、17時頃にDuck Cafeをあとにしバス停に向かったのですが、17時半になってもバスが出発する気配がありません。

日も暮れてきて、この時間だと18時半には間に合わないな…と思って確認すると、バスは18時発とのこと。1時間見ておかないといけないので、これだと間に合わない!

(夕方以降は本数が減るみたいです)


他の乗客に電話を借りて、遅れる旨を伝えたのですが、このときは結構不安でした。
(何度も通ってきた道ではあるものの…)


出発時には日も暮れて、盗難というか(ないんでしょうけど)トラブルは怖いと思いながら…

ホイアンの店で「現地のバス料金は18,000ドンだから、出してみて下さいね」と言われ財布に用意していたのに、車内は暗くお札の種類が分からなくなり(涙)、

結局車掌に"Five? (5万ドン?)"と聞いて、うなずいたのでしぶしぶ50,000ドン札を渡したら…


なぜかこっそりポケットから札束を取り出して、2万ドンを返してくれました!

こんな時間にバスに一人で乗る日本人の度胸を認めたのか?
それとも「仕事」だったからなのか?

とにかく、少しホッとしました。


バスは飛ばして、18時45分にはダナンの降り場につきました。
(事前に集合場所を教えてもらって、車掌に伝えたら下ろしてもらえました。バス停はないみたいです)


この後、ヒルカワさんともう一方、ベトナムで医療関係の仕事に携わっておられる方と三人で、ベトナム料理に舌鼓を打ちながら、仕事のこと、ベトナムのこと、人生のこと、これからのことなど…3時間くらいみっちりとしゃべりました☆

こんかいのベトナム滞在では、日本の方と多く会って、あまり英語は使っていないのですが、それでも人との出会いは最高のエンターテイメントということで、思う存分楽しめました。


結局ホテルに戻ったのは、23時頃だったか、シャワーを浴びて洗ってない衣類をクリーニングに出して、一日を終えました。




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2014年1月20日月曜日

ダナンからホイアンへ 〜ベトナム旅行記(6)

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1月6日、朝。

太陽が窓から差し込み、目が覚めました。
(カーテンがなく、かつ一番日の当たるベッドに指定されました…)

変な人に入られないかどうか、不安で一杯でしたが、なにも起こりませんでした。

ホテル料金には朝食が入っていたため、12階(最上階)に移動して、ご飯を食べます。


8時半くらいに行きましたが、他にだれもいませんでした。


写真を撮り忘れましたが、海も見え景色が良かったです。




ベトナム中部では、世界遺産の町ホイアンに行くのが一番の目的ですので、ホテルを出て、バス乗り場を向かいます。


僕がホイアンを知ったのは、日本ギャップイヤー推進協会に寄稿をされたヒルカワさんの文章を読んだのがきっかけ。


その時から、「日本人が惚れて住んでしまう町って、どれだけ素敵なんだろう?」と、ずっと思っていました。

ついにそれを、この目で確かめる日が来た訳です。

参考:「ベトナムの"世界遺産の街"ホイアンでお土産屋さんを開く」



というわけで、地球の歩き方に書いている「ダナン大聖堂から路線バスに乗車、片道5000ドン」という情報(と地図)だけを頼りに、バス乗り場にレッツゴー!





これがホテルの真ん前の道。外れにあるからか、車は少ない。反対側に15分も歩けば、砂浜です。


大きな橋。ダナンは陸側(大陸)と海側の島の間に川があり、そこを渡ります。(ここに来るまでに、すごく幅の広い交通量の多い道を横断しないと行けませんでした。さすがに怖かった)



綺麗です!

実はダナンという町も、唐津さんという面白い方とお会いする機会があって知った町。「関西で言う大阪みたいな町」とのことでしたが、確かに商業都市、という感じです。



ただ、僕は神戸にいたこともあって、どちらかと言え神戸みたいな町だと思いました。笑



橋を渡ってすぐの道を左に曲がり、ずっと歩くと、見えてきました、ダナン大聖堂です。


(後ろの建設中の建物が邪魔)


ここにバス停の標識があったのですが、前は見事に駐車の列。

やがてやって来た黄色いバス(Da Nang - Hoi Anとフロントガラスに書かれている)に乗ると、車掌が「50,000ドンだ」と言い出します。

「は?0一つ多いんじゃない?」と思い、いろいろ交渉しましたが結局変わらずで、50,000ドンを支払い。

(ホイアンで後で聞いた話では、現地料金は18,000ドン。外国人だと良くて30,000ドンのようです。日本人が利用する場合は、乗る時に18,000ドンを出して、いちゃもんをつけられたら交渉、という流れになるようですが、なかなか現地価格では払えないようです。)

(地球の歩き方に書いていた5,000ドンは嘘でした。笑 1年古いものだったから?ただ、同じく歩き方に書いてあった「ホイアン行きのバスは五行山経由」というのも、実際に乗ってみたらよくわからないままホイアンにつきました。)


ダナンからホイアンまでは、バスで1時間くらい。ボロボロのバスで、地元の人しか乗っていませんが、窓から入る風が心地よかったです。


ホイアンのバス停は、中心部から少し離れた所にあるので、ここから15分くらい、更に歩きます。


像が見える交差点を右手に渡ると、安宿が多い通りを歩きます。


結論を言うと、ダナンにドミトリーはなく、飛行機の時間が日中であれば、ホイアンやフエなど、観光地までバスで移動して、そこで泊まるのが賢いようです。僕は夜着の飛行機を取り、一日ずつ宿を取るのが面倒だったのでダナン泊にしましたが、ホイアンで泊まった方がよかったと思います。それほどホイアンは、長く滞在したい町です。




お寺(?)


ホイアンのきれいな町並みは次回、紹介します。



詳細はこちら↓↓







2014年1月19日日曜日

クチの戦争遺産へ、日帰りツアーに 〜ベトナム旅行記(4)

1月5日。

ベトナムでの一番の目的、結婚披露宴も終わり、あとは気兼ねなく(?)観光です。

今日は、ホテルまで迎えにくるツアーに参加。

朝からはクチという、ベトナム戦争の激戦地帯だったところへの日帰りツアーに参加します。

このツアー、ホテルのフロントで申し込んだ時には13万1000ドン(約650円)だったのですが、どうやらホテルの隣の旅行代理窓口?(中は理髪店なのですが、入り口にいろんなところにいくツアーが書かれてあります)だと、8万ドン(約400円)程だったようで…。

ホテルに着く前にその代理店には気づいていたのですが、同じかどうかまで確認する時間がなかったので、ホテルで申し込んでしまいました。

たった250円ですが、ベトナムではタクシーに乗れたり、ご飯食べれたりするくらいの差ではあるので、こういう支出にも気を遣わないと行けないな、と思いました。


もともと今日の予定は決めておらず、一緒に泊まった友達(先にベトナムに到着してた)が「ここは行ったらいいよ!」とのことだったので、参加してみることにしたのです。


途中の、サービスエリアみたいなところ。(地上です)

ここで、他のバスとの待ち合わせ(同じ所に行くツアー?)をするために、20分ほど待機。

…のはずが、同じようなバスばっかりで(ナンバープレートしか違わないし、そこまで覚えてない!)、かつ一部乗客はそれで迷ってどこかに消えてしまい、出発するのに1時間くらいかかりました。


バスの移動だけだと、片道約1時間半くらいですね。


目的地に着くと、入場料90,000ドン(約450円)を払い、中に入ります。(これは別払い)





防空壕のような、地下の移動通路。

ここを通れる体験ができるのですが、とにかく狭いのと、ただでさえ熱いのに熱気がこもって、120mを通り抜ける頃には汗だくで、かつ足がガクガク。普段使っていない筋肉を酷使したからか、ハンパない震えでした…。

で、あまりここでは写真を撮っておらず(わずか5枚!)、他にはベトナム戦争の映像や、クチの町(村)の説明、資料等が全て屋外で見れました。

最後には、射撃練習もできたのですが、これが10弾で30万ドン(約1,500円)。

なんとなくでやってみたのですが、思った以上にあっけなく、銃声もすごかったので(耳栓みたいなのをしました)、あまり良い買物ではなかったかな。


いろいろ見て回って、午後1時過ぎくらいには出発です。
(半日ツアーで、午前8時半発、午後3時着。)



帰ってきたのは午後2時半頃。

この日は夜の飛行機で、ベトナム中部、ダナンに飛ぶのですが、それまで時間があるので、ベトナム戦争の資料館に足を運びました。
(これも友達に勧められた)

友達は「1時間では足りない!」と言っていたのですが、僕は凄惨な映像、写真を見れない(枯れ葉剤での奇形児の写真などは、体が拒絶反応を起こす)ので、半分くらいのコーナーは足を入れることもなく、1時間も経たずに出ました。
(広島平和資料館、アウシュビッツにも行きましたが、こういうのはダメですね。小中学校の保健の時間でも、生殖とかそういう話で貧血起こすくらいに異常な体質?なので、これはもう、体が受け付けません)


そんなこんなで、ホテルに戻ってきたのが16時半頃。


元々は、空港を20時のフライト(ベトジェット航空)で飛ぶ予定だったのですが、前日に「スケジュール変更」というメールが届いて、22時出発に変わっていたので、ホテルのロビーでネットをしながら時間を潰します。
(このスケジュール変更は、ダイヤ改正だと思っていたのですが、後で全く違うことに気づかされます)

それでも全然時間が経たないので、簡単に腹ごしらえだけして、空港に向かうことに。

近くの露店(サンドイッチ屋:フランスパンに肉や香草、唐辛子が入っている)でサンドイッチを二つ買って(一つ13,000ドン。安い!)、もう一回ホテルに戻り、一つだけ口にして空港に向かうことにしました。




(こういう地元感のある場所が好きです。バイクが絶えず、怖かったですが笑)


2014年1月16日木曜日

ホーチミンの結婚披露宴に出席! 〜ベトナム旅行記(3)

 ホテルに戻ったのが2時頃で、一旦ベッドに横になります。

友達は4時頃に帰ってきて、ドレスを着たり準備があるとのことだったので、僕もそれまでは寝ることにしました。

ただ、まさに日中であるのと、異郷の地で興奮しているからなのか、あまり寝られません。(笑)

3時半くらいにはごそごそし始めて、シャワーを浴びたりして、支度を始めました。



出国前、結婚する友達に服装のことやら確認したのですが、「男性はドレスコードはそんなに決まってないので、Yシャツとジーパンでもいいよ!」とのことだったので、その服装にしました。
(スーツだとスーツケースに入れないとダメで、移動が面倒というのもありました)



事前の予定では、
17時開場
18時披露宴開始
21時終了

と書いていたのですが、「ベトナムタイムで行われるから(=17時には始まらない)」とのことだったので、17時頃にホテルでタクシーを捕まえて、会場に向かいます。

ホテルから会場まで、約30分。ホーチミン3区の郊外にあるところです。

どんなところなのかと思っていたら、屋外パーティー会場が幾つもあるうちの一画を使っていて、すごく豪華で素敵な場所でした!




この下の写真は、17時半頃に撮ったものでしたが、全然人が来ていません。(笑)


豪華!


これだけみると、ベトナムっぽさはありません。





おめでたいことです。

結局人が揃って始まったのは、19時前だったような。

恐るべしベトナムタイムですね!笑


(肖像権の関係で、当の友人のはっきりとした写真は載せていません)



僕たちは、おいしいベトナム料理を頂きながらお祝いしましたが、これから末永く、幸せに暮らして欲しいですね。


思えば、大学の時は学部が同じだっただけで、コースもゼミの教授も全く違っていて、かつ学内でも殆どあうことはなかったのに、お互い学外でいろいろ活動していたのもあって、こんな風に呼ばれたのですから、大学を卒業しても、こんな風に関わりを持っていられるのは、本当に素敵なことだし、幸せなことだなと思います。

(大学メンバーは他に、学部の友人、ホーチミンに留学をしていた先輩後輩が一人ずつ。声をかけていた人もそんなに多くはなく、その一人に入れてもらっていたんですから、嬉しいもんです。)

(ちなみにこの挙式の話は、結婚をする当の本人からではなく、もう一人の友人と東京で会った時に聞いた、というオチ付きです。笑)


新郎新婦の挨拶、また家族の挨拶が終わった後は歓談が続いたのですが、次に始まったのがなんとカラオケ大会。笑


いきなりベトナムの人が入れ替わり立ち替わり、歌を謳い始めまます。

ベトナム語なので、もちろん何を言っているかは分かりません!笑

その後、別の日本人の方が歌を歌われた(しかもギターをかついで!)のですが、なんとドラえもんの歌でした。
(しかも聞いたことのない歌が一曲。どうやらドラえもんの歌、変わったらしいですね。)


僕も、結婚した友達から「何か歌ってよ」という、80%は冗談であろうフリをその場で受けましたが(笑)、結婚ソングがよく分からず、舞台に上がることはありませんでした。

(木村カエラの"Butterfly"がぱっと思い浮かびましたが、当然サビの最初しか知らず…)

そういえば、このフリを受けた時にみんなで「結婚ソングって何があるっけ?」って聞いたら、以外にも「てんとう虫のサンバ」が出たんですが、これは完全に、みんな親の影響なのでしょうか…。


その後はカラオケを楽しみつつ、写真撮影をしたり歓談をしたりしていたのですが、なんとベトナムの披露宴は「カラオケ大会のあとは自由解散」らしく、気づけばひとり、また一人と、会場から消えていきました。笑


自由解散とは!日本では考えられないですね!


僕たちは最後の方まで残って、あまねく写真を取り、話をしたりして、その後はベトナム人の友人(留学していた人の友人)とベトナムコーヒーを飲みにいったりして、23時頃にホテルに戻ってきました。


ホーチミンのイルミネーション。旧正月が近づき、通りは電飾がされているところも。日本のイルミネーションより光が細やかで、上品な印象を受けました。


ホー・チ・ミン像


高層ビル群。


朝来たビエンタイ市場。
夜でもこのロータリーを渡るのは怖かったです。