2013年1月24日木曜日

帰国後の僕はというと

1月9日に静かに日本に戻ってから、既に2週間以上が経ちました。

日本に着いてからの僕はというと、奈良で翻訳等の在宅仕事をコツコツと続けながら生きています。



結局僕は、英語をはじめとする言葉、言語に興味があるんだと思いました。

心の安定感がハンパない。

習字やピアノ等の習い事をしたことのある人は分かると思うんですが、「無になれる」のがこの時なんです。


「翻訳」なんて偉そうに言っていますが、僕には特に、専門分野の知識があるわけではありません。

ITやバイオ、経済、政治等色々あるわけですが、どれも全然分からないので、今はとにかく、いろんな記事に目を通して勉強中です。


この数年で、ある程度の自分の得意分野を絞れるだけの力は必要かな、と思っています。

それがどれになるか、今は分からないので、引き受けられる仕事は基本引き受ける。

「去る者追わず、来る者拒まず」の姿勢です。

改めて、お金を頂いて勉強できるのもすごいことだと思うし、自分の好きなことだか、これだけ無心になって続けられるんだな、とも思いました。

今は実績を作ることが一番目先にあることなので、それに向かってゆっくりとではありますが、進んでいます。


貴重な機会を頂ければ有り難いです。


もし、翻訳等でお困りでしたら、ご相談下さい。

日⇔英の翻訳・通訳でお困りでしたら、対応させて頂きます。

また、韓・中・仏語も対応可能ですので、こちらもございましたら、どうぞよろしくお願い致します。




今日は、1月24日。

10月25日が僕の誕生日なので、もう4分の1が過ぎました。早い。

振り返ってみると、10月25日はポーランドの夜行列車の中で迎えました。
その日からポーランドで日本語を教えながらの生活が始まって、今ここ。

思い返せば、この3ヶ月は「自分の好きなことしかしてない」です。

おいしいご飯を食べて、日本語を教えて、翻訳や在宅の仕事、そして旅。

ざっくりとしているけど、本当にこれしかしていない。
そしてこれって本当に、文字通り「有り難い」ことなのかな、と思います。

この繰り返しで一年を過ごせたら、絶対に幸せだろうと。




ポーランドでは、多くの気づきがありました。

特に大きかったのは、

「自分ができることは限られている」ということでした。もっと言うと、

「そんなに多くのことに興味はない」、ということです。


「人生は有限だ」これは事実です。

でも、僕が今この言葉を聞いて、真っ先に心に浮かべるのは、焦燥感ではなく、不思議な安寧なのです。

「今の状態のまま、命のろうそくが消えても、納得できる」
そんな風に、何故か思えるようになったのです。




「遊心」ーこんな言葉があります。

「ある物事の上に心を置くこと」という意味なんだそうです。

僕が好きな、あるプロ棋士の扇子に書いてある言葉なのですが、買った当初は「遊び後頃が大事だ!」と、わけのわからないことを言っていました(笑)

ですが今、この言葉の意味するところが、分かったような気がするのです。


そして、ある友達からもらった、フランスの言葉。

"Je me moque de savoir beaucoup de choses;

je veux savoir des choses que j'aime."

「多くを知ることに興味などない。私は、自分の好きなことが知りたいのだ。」
という意味だそうです。

この言葉も、最初受け取ったときは「言葉」しか分かりませんでした。
しかし今、その中身がぼんやりと見えた気がします。




僕は5ヶ月でサラリーマンを辞めました。
それが自分の中ではコンプレックスとして、未だに残っています。

「逃げだ」と、多くの人に言われました。

「逃げてばかりだと、結局何もなせない」と。


ですが、僕はこうも思います。
「逃げてもいいんじゃないでしょうか?」と。

逃げる・逃げないは本人が決めていい。

そして、人間絶対に、逃げない場所があるんです。誰がなんと言おうと、逃げない場所がある。
それは、誰かに言われるものではないのかもしれません。

少なくとも僕は、自分にとってのそういう場所に気づくことができました。




そういえば、僕が奈良にいるということで、わざわざ僕に会いにきてくれる人がいます。

これも本当にありがたいことです。

自分がどうやって故郷に貢献していくかは、まだまだ何も見えておらず形にはもちろんできていませんが、一人でも多くの知人を招待して、奈良のおいしいものやきれいな景色を知ってもらうのも素敵なことだな、とも思い始めました。

寝床を提供することはちょっと厳しいんですが、一声かけてもらえれば奈良公園周辺は案内させてもらいます。

関西に寄られる際は、是非奈良にもお越し下さい。

基本家に籠っている身としては、こういう風に声をかけて頂くことが、貴重な気分転換の機会なのです。


まだまだ未熟者ですが、こんな私をこれからもどうぞよろしくお願いいたします。

2013年1月16日水曜日

To jest moja miłość dla Polski

Time flies away - One week has gone by after I arrived in Japan.



Before arriving in Japan, I spent several days in Seoul, South Korea. (Because flight ticket between Warsaw and Seoul was cheaper than that of Warsaw and Osaka)


Though I am in Japan, I somehow feel if I were in Poland even now - I don't know why, but maybe my body and soul are in different places. 


My third Polish life (about two months) was excellent - I know this word is a stale cliche - to experience many things and reflet myself. 



Actually I confess that I had been totally depressed and had no aim to live before I went to Poland.

Maybe you'll be surprised to hear that but it was true.


Though I don't write any details about it, it was also true that i had a piece of hope if I go to Poland, I would "revive" again - Poland, now it's the very my second homecountry, would give me the second birth. 





When I arrived at Warsaw, beautiful autumn leaves welcomed me.

The very next day, I became 23rd years old, in the train which headed Koszalin.

Even now I remember the anxiety and hope to "live my life" (this is also used in this blog's title), which I felt in the train.


Maybe it was the very beginning of my "second birth"...




Rainbow is beautiful.

It's not only the beauty, but also is a bridge to connect the extreme east and the west part of the big continent. 



There are some accustomed sceneries I had ever seen before, but they also gave me courages to go forward.




Looking back on my works, I sometimes think if I could do my best.

I have some ideas which I might have been able to do.


However, It was my pleasure to tell Japanese and Japan for those who had interests for them, in the small city.

It was also my pleasure to work with what I learned in my university. It was my first experience and I also learned many things.





I always pondered my past, present and future.

Like the snow covering ground, my thought was very quiet but also pure.

What I could notice was that I couldn't bring too many stuffs in my arms.


With much information, I might have been lost which direction I wanted to go forward.

However, as I believed somehow, I could gradually noticed "who I was" - or my identity.





Surrounded, supported by many people, I could spend so precious time in Poland.


I love this country, probably it' because the kindness of you.

This country captures my heart more and more.



I, who was totally depressed before leaving Japan, have changed when I came back here. 



I don't tell so much, but I re-found the way I want to go along with.




Like the shining stars and snow crystals, I'll be the person I want to be.


Meeting with you, I could live in Poland.

Talking with you, I remembered who I am.


Eating with you, I knew the warmth of heart.

Walking with you, I realized the pleasure that I can walk on my legs.



Every encounter has a meaning, and each of them made who I am now.


I am really happy to be able to go to Poland, because I could walk on my own legs and see on my own eyes.

This is the pleasure to be alive.


I can't promise completely that I go to Poland again, but,


I'LL BE BACK.




See you soon!



My past entries about my short stay in Poland are follows.

I was invited to a Polish family

I'd like to explain the difficulty of Polish grammar.

Sunday Free Market

My Polish life

2013年1月7日月曜日

僕がソウルで考えたこと。

ソウルの街を、一人で歩いていました。

やっぱり僕は、観光地は好きではないみたいです。今日マーケットを一人で歩いていたけど、みんな客引きをしてくる。
何も買いたくないのに、買物する前提でお金の話や、商品の話をしてくるから、ちょっと辛い。

ローカルに生きることローカリティ・locality
個の生き方/「個そのもの」インディビジュアリティ・individuality

この二つが、今の僕の最大の関心かもしれません。
(これからの世の中がこうなる、というものではなくて)

ローカルに生きること

ある場所に根を張って「生活すること」が、好きなんだと思います。
自分で米や野菜を作って、近所の人と物々交換したり、仕事を手伝ったり。

実家が米や野菜を作っていて、親戚の人の仕事を手伝ったり、手伝ってもらったり、柿やイチジクをお裾分けしたり。

そんな光景を幼い頃からずっと見てきたのが、一番の影響やと思います。

ずっと一つの仕事(会社勤め)ばかりして生きていくことに違和感を持っていたけれど、その源泉は、こんなところに遡ることができるのかもしれない。


海外でも何度か生活しました(と言っても、それぞれ二ヶ月程度ですが)。

基本的に買物は、地元のスーパーでするし、出費等も地元の水準に抑えられるから、観光地での物価を見たら驚くし、たぶんよっぽど欲しいもの以外、何も買わない。
(もともと貧乏性なのも、あると思います。笑)


あと、地元の人に助けてもらうって大事です。

地元の店のことやらなんやら、色々知っているし、歴史とかその街の観光のこと、普通は分からないことも沢山教えてくれる。

そんな繰り返しで、人と人との繋がりが、徐々に強く、そして温かくなっていくと思います

正直、観光客ばかりで、その場所に住んでいる人が見えない場所は嫌い、というか苦手です(今までで一番嫌いなのは、パリ)。

やっぱり「人」が好きです、僕は。


たぶん、僕が奈良でしたいことも、これらに源を発しているのやと思います。

より多くの観光客(外国人)にお金を落としてもらう。
もちろんこれは大事。

でもそれ以上に、観光客ばかりに埋め尽くされてしまった東大寺や春日大社は

もっと、地元の人と観光客が、共生(?)できるような場所にしたい。

そして、「奈良は、他の場所とは違う独自の良さがあるよね」と、一人でも多くの人に言ってもらえたら、素敵ですよね。

もちろん、このセリフは日本全国、いや、世界各地にあてはまるものだと思います。

そんな素敵な場所にするには、どうすればいいか。

僕にはまだ分かりません。


個の生き方、というよりも「個」そのもの

人と人との繋がりって、大事です。というより、それ以上に素敵です。

僕はカウチサーフィン(CS)というSNSを使って、旅先に住んでいる人の家に泊めさせてもらっています。

今回はポーランドでも、ベルリンでも、ソウルでも、素敵なご縁を頂いて泊めさせて頂くことができました。

もちろん、宿泊費が浮く、これ事実です。
財布も温かい。

でもそれ以上に、一人でホテルに泊まる以上に多くのことを学べるし、話せるし、時には教えることもあります

その国の言葉。人柄。料理。行ってみたい場所とおススメの場所。

国の歴史。ホストの人柄から人生観まで。

本当に素敵です。

僕は専ら、与えてもらってばかりなので、何を恩返しできるかいつも考えています…


そして、この方法で旅をしていると、考えます。

「生きていくのに、お金っていくら必要なんだろう?」と。

もちろん、お金は必要です。

年金。保険。教育費。育児費。その他諸々。

でもその一方で、お金を介せずに、何かを交換することもできるんじゃないかとも思うんです。

知り合いから古着を譲ってもらう。

家に泊めさせてあげる。

畑作のお裾分け。

仕事の手伝い。

あれっ、これってどこか「ローカルな生き方」と似ていませんか?


なにも、お金が必要ない、と言っているのではありません。

ただ、少し前に無縁社会という言葉が流行ったように、人との繋がりが薄れているのも、事実なのではないかと思います(個人的な感覚です)。

お金ばかりに目を向けるばかりに、人間はもっと大事なものを見失ってしまったのではないか、と…。


人の価値が、年収で測られてしまっています。

もちろん、それだけの仕事ができる人はすごいと思います(僕は言葉でしか、感覚的に理解できませんが)。

ただ一方で、本当にそれだけのお金が必要なのかも、考えてみる必要はあると思います。

お金を介することなく、貨幣とそれ以外をミックスして生きていくこと簡単ではないかもしれませんが、そこまで難しいものでもないのでは?とも思っています。
(あくまで感覚です。まだ、仮説を立てられるだけの十分な材料を持ち合わせていません)

お金は、相対的な価値指標の一つにすぎなくなるのではないか?

そして、その代わりをするのが人との繋がりなのではないか?

(お金で買えないもののひとつに、人の温かさがあると思います。)


果たして、これからの世の中がどうなっていくか、僕にはよく分かりません。

僕も勉強不足で、根拠や仮説を立てられない。

ただ、少し期待はしています。

あくまで、自分の経験ベースですが。


<自分の足で、自分の頭で>

ソウルの街を一人で歩いていて、自分のモヤモヤが、一時的にまとまった気がします。

この二ヶ月半、良いことも悪いこともありました。

ただ、今までバラバラに浮かんでいた思考の断片が、すーっっとまとまった、そんな気がします。

やっぱり、自分の足で歩くことは大事です。というか、必要だと思います。

僕にとっては、歩く場所はどこでもいいのかもしれない。

ただ、言葉も貨幣も違うほうが、新しい「何か」が入ってくると思いました。

目的もなく、ただぶらぶら歩いているけれど、目に入ってくるいろんなものが、僕の頭の中に埋もれている思考のかけらを突っついてくれます。

そう、自分の目で見ることも自分の頭で考えることも、同じくらい大事で、必要なことだと思います。

僕は、そんなに多くのものを持ってはいません。

お金もないし、経験値も少ない。

でも、歩ける足と、世界を吸い込む目、そして、考える頭は持っている。

まだまだ未熟なサルですが、自分の哲学を持って、自分のペースで歩いていきます。



7.1.12 ソウルにて


※僕が考える「人との繋がり」「ローカリティ」については、以下のお二人のブログや記事、著作の影響を強く受けています。

情報は多くなってしまいますが、是非ご一読して頂ければありがたいです。

・インドネシアで活躍されている釜我さんのブログ記事







(「アジ活インタビュー」内のリンクに飛んで頂くと、一番濃い哲学に触れられると思います)


・「ナリワイを作る〜人生を盗まれない働き方」を上梓された、伊藤洋志さんのインタビュー

自分で自分の「ナリワイ」を作る 「素人だから、新しい仕事を立ち上げられるんです」 伊藤洋志さん【第1回】

「非バトルタイプ」として生きる 「初めは大儲けできなくても、仕事は育つんです」 伊藤洋志さん【第2回】


〈人生を盗まれない働き方〉をしよう 「天才でもない、普通の人にできるナリワイ作り」 伊藤洋志さん【第3回】

宗教やマルチには絶対に頼るな 「ナリワイを作るのも、ベースは人間関係です」 伊藤洋志さん【第4回】

2013年1月1日火曜日

Articles in multi-languages are now available!

Thank you for accessing to my weblog every time!

Now my weblog can be read in multi languages!


No sooner begins the new year than can you read my weblog in multi languages!

When I write the new article, I tried to do it in mainly Japanese, and sometimes in English. But, there are many articles written only in Japanese.

However, every time when I check the access, I noticed many people access from all over the world!
The main accesses are from Japan, U.S and Poland, but there are some readers from U.K, Germany, Norway, HongKong, Russia, Denmark, Turkey, Corgis, India, Australia and Indonesia.

Of course there are more access from other countries.

I don't know why people from so many countries access to my blog, but I really appreciate to your access.


The problem is that I don't know what language the readers use as their native language.

I hope most of you are able to read my Japanese or English, but I've also thought if there is any barrier for other native language speakers.


In order to solve this problem, I launched a translation function into this weblog.

Now you can change the displayed languages into as whatever you like.

 
There is how to do below.




When you scroll the top page, you find a tab "Article Translate" on the right side.

Click this tab and choose your native language.


I have to clarify that this function is provided by google translation so that there are some unnatural translation and making-no-sense sentences sometimes.

Though there are some inconvenience, I owe you can read my articles in your language now.


I hope many more people all over the world will access to my weblog in 2013.

Tatsuya Yabuuchi