2016年6月30日木曜日

半年が経過



気づいたらもう、6月も終わりですね。


ちょっと、時間が経つの早すぎじゃないでしょうか(苦笑)





ちょっと前まで、まだお正月三が日だった記憶があるんですが←





さて、この半年は本当に籠もりきりました。


日本国内はちょろちょろ足を運びましたけど、ほぼ仕事で。



関西圏を除くと、東京に何度か行っただけで、6ヶ月間で東京と関西以外の他にどこにも行かなかったのは恐らく、初めて。



で、当然海外にも一度も行きませんでした。



去年の6月は仕事でアブダビに行った後、ヨーロッパに行っていましたが(笑)



半年間海外に行かなかったというのも、実に久しぶりです。




で、このブログでも時々書いていましたが、



今年の後半は、環境をがらっと変えます。


「静から動へ」ですね。



詳しい話はまた、今週末にでもブログでします。






まあ、人生、変化していかないとつまらないわけです。


それを「変化」というのか「成長」というのかは人によって違うと思いますが、


少なくとも僕は、そんな言葉を自ら口にできるほど、世界に対して横柄には振る舞えないですよ(笑)



なので、あくまでも少しずつ変化していく、ということでね。




また新しい取り組みも始めて行きますので、


そちらも楽しみにしていて下さい。





2016年6月28日火曜日

出国後の旅程



7月の頭に日本を出発して、空路で向かうのは


北京。


そこで二泊。


初日は夜に到着して、翌日丸1日をフリータイムにしているので、
この時に万里の長城まで日帰りで行く予定。


その次の日に、列車に乗ってモンゴルまで。


翌日、ウランバートル到着。


ここでも一泊するので、
できれば列車到着後の翌日に、草原までツアーかタクシーのチャーターで向かいたい…。


ウランバートル市内のホテルに宿を取っているので、ゲル泊は無理。


ただ、ツアー料金は1人240ドル前後と、完全に観光客料金(笑)なので、どうするか思案中。


できれば、宿泊日の夜にウランバートル近くで星空も見たいけど…。



その次の日の夜に、ロシアに向けて出発。


翌日、イルクーツク着。


バイカル湖畔まで移動して一泊。


翌日はイルクーツク観光の後、モスクワへ列車で向かう。


車中で3泊して、3日後の未明にモスクワ着。


ここで2泊して、ベラルーシ経由でワルシャワまで。



これで、15日間の旅。



奇しくも、沢木耕太郎が深夜特急の旅に出たのと同じ、26歳での旅達。


あの伝説には到底及ばないけれど、「旅適齢期」での2週間の旅行を満喫してきます。



旅が終わった後は、ポーランド生活の開始ですね。





2016年6月22日水曜日

出発まで2週間




を切りました。


仕事の都合で、全く準備はできていませんが(笑)




ただ、今回せっかくなので、新しいことに挑戦してみようかと。



せっかく1年間、海外で生活できるわけですからね。



というわけで、その準備も進めていて、じきこのブログでも案内する予定です。



そちらもまたお楽しみに。





2016年6月16日木曜日

親鳥と雛


「初めに目にしたものを親と思って付いていく」


というのは、鳥の習性のようだけれど(確か、風の谷のナウシカの原作で登場した巨神兵もそういう設定だったけど)、




人が仕事に携わる際に、最初に身を置いた環境が全てだと思ってしまうことは、往々にしてあることだと思っている。



僕が勤めていた会社は、まあ勤めている時から超絶酷い環境であったのは間違いなかったけど、


当時はそうとう精神的に辛かったし、「他もどうせこんな環境なんだろう」と思っていた。


まあ、その後結局独立して生きていくことになったけれど、あれができたのは、大学生の時に、インターンとかで別の世界を曲がりなりにも見ていたことが大きかったように思う。


ああいう経験があっても、仕事を始めると相当洗脳されかけていたから、本当は大学中に、学生であることを盾にせず、ビジネスの世界に身を置いておくことは必要なんじゃないか、と思う。


別に、ビジネスの世界に身を置かなくてもいいけど、「逃げても大丈夫」という認識を持っておくことは、本当に大事。



そういう経験すら持っていなくて、会社で仕事を始めて「この世界が全て」なんて思っていると、本当に抜け出せなくなる。


でも、そうなってしまうのは、雛が最初に見た鳥を親鳥と思うのと同じ理屈なんだと思う。




本当に自分が見ている世界がまともなのか、というのは、他に判断基準がないと当然ながら分からない。


だから、10代後半から20代前半にかけて旅をするなりビジネスに関わるなりして、色んな世界を少しでも見ておくことが必要。


会社なんて所詮利害関係の集まりだし、そんなハコの中にいる人達にあなたの人生狂わされたらいけませんよ。






2016年6月7日火曜日

ポーランド滞在中は



他の東欧諸国に行くことはあっても、西側には行かない可能性が高い。


行きたいのはウクライナ、モルドバ、バルト三国(これらが一番優先度と興味が高い)


次はハンガリー、スロバキア(の東部)、スロベニア、セルビア。


知り合いがいるイタリアとドイツは西側に入るけど、これらは「ハンガリー」と同列。


それ以上に、北欧に行きたいとも思っているので(フィンランドでオーロラ、ノルウェーで白夜)、西側に行く機会を作るとすれば、別の時にまた1年ワーホリで西側(例えばポルトガル)に滞在して、そこを拠点に(北アフリカも含めて)旅行をすることになると思う。(まったく予定はないが)



とにかく、1ヶ月に一度国内旅行に出かけてたとすると、他の国に行く余裕がほぼない気がするので、この1年、本当に「西側」に足を運ぶ可能性は凄く低い…と前もって言っておくことにする。




ビザ受け取りのために



また東京に行かないといけないのだけれど、こればかりはなんというか、本当にアホくさい…。


関西から、新幹線で片道14000円くらいして、往復で28000円。で、戦果はパスポートの受け取りだけって…。



ちなみに、ポーランドのビザは初めての渡航の時に、実は発給してもらったことがある。これは当時、シェンゲンの規則を全く知らずに、向こうの人から「ビザは要らないよ!」と言われていたのに、大使館で発給してもらったのだ。(結局、そのパスポートを盗られてしまったのだが…)



この時はワーホリビザは無かったけれど、たしか関西から書留で送って、返却も郵便扱いでしてもらったのだけれど、制度が変わってしまったのだろうか。


ちなみに、ビザの申請時に「代理人に受け取ってもらえるよ」ということで専用の書類をもらったけど、自分の知り合いで東京にいる人なんて今はほぼ仕事をしているし、領事部の営業時間も限られているし、手続きの中で変なミスとかがあってもシャレにならないので、こういうのは自分で取りに行くのがスジだと思っている。



で、今月中旬に東京でのイベントに合わせて行こうかと思ったけれど、その時は渡航も迫っているし、仕事のスケジュールが確定しておらず、比較的時間のある今週中に行こうと思っていたけど、今日、また仕事が入ってしまって、超絶暇という状態でもなくなってしまった。



にしても、本当に関西にも大使館があればいいのに…と思う。

前の申請時には、スカイマークの早割みたいな運賃を使い、神戸~羽田の飛行機の往復が13000円未満で行けたのだけど、さすがに今回、直前の購入でそれは無理だし…



我ながら、往復3万円を出してビザの受け取りに行くのは馬鹿馬鹿しく思える(笑)








2016年6月6日月曜日

新天地での生活は



ヨーロッパのポーランド、街はワルシャワ。


今年の7月くらいから来年の9月末まで、のんびり暮らす予定です。



ワーホリ中の模様は、現在構築中のこちらのブログで詳しく書いていく予定ですので、こちらのブログもまた、楽しみにしていて下さい。


↓このブログですね

Poland Life





まあ、機をみて何度か帰国する予定でもいますが(笑)


ヨーロッパにおられる方とは是非お目にかかれる機会を頂ければと思います。


日本にいる皆さんも、気軽にワルシャワまで遊びに来て下さい(笑)








ビザが降りました

今日、大使館から電話があって「ビザが降りた」とのこと。


思ったより数日早い連絡で驚いていますが、





これで全て決まりました。


あとは大きなトラブルに巻き込まれること無く、新天地で思いっきり生活するだけです。





2016年6月1日水曜日

人間の価値はどこにある?



ビザ申請のために行ってきました。


にしても、一番驚いたのは、品川駅。



大学時代には、この駅近くにオフィスを構える会社で在宅でインターンをさせてもらっていて、時々東京で集まる機会に品川駅で降りていて、コンコースの内側を、会社に向かって、外側を、駅に向かってきっぱりと二手に分かれて歩いている群衆を見ていて「怖いな」と思ったんですが、



今回は、駅のホームと上の乗り換えコンコースを結ぶ階段で…


階段の左半分が「↑のぼり」、右半分が「↓くだり」という目印があって、一応手すりもあって分かれているわけですよ。


ただ、山手線のホームでしたが、時間的にホームに降りる人は殆どいなくて、反対にホームから上に行く人は、列車から沢山降りてきたわけです。


で、全員が全員、「↓くだり」の階段が空いているにもかかわらず、律儀に「↑のぼり」の階段側に列を作って上っているのを目にしてしまって…



いやあ、本当に言葉は悪いですが「気持ち悪い」って思いましたよ。



だって、右半分空いているじゃないですか。



ちなみに僕は、その右半分の一番左側(階段全体で言えば真ん中付近)をスタスタスタ…と早足で歩いて、軒並みの人間を追い越していきましたが、



なんで右半分にも分かれて歩かないのか、全く理解できませんでした。



いや、もちろん降りている人が沢山いるときにそれやったらダメですよ。(大阪とかそういう人多いですけど。笑)



でも、この時は降りる人が殆どいなくて、右半分だけ異常に空いていたので…本当に不思議でした。




これがいわゆる、思考停止状態ってやつなんでしょうか。



それとも、「みんなが左を歩いているし、自分だけはみだせない」なんていう、見えない同調圧力でも存在するんでしょうか。

僕は全く感じませんでしたが(汗)



いずれにせよ、恐怖というか、薄気味悪さを覚えましたね。




あと、最近思うんですが、上でも使いましたけど「思考停止」って言葉あるじゃないですか。



人間、頭を持っているのにそれを使っていない、って意味ですよね。




僕、人間の価値ってそれこそ「考えること」にあると思っているんですよね。


人工知能が台頭してきているなかで、人間が他人を動かすことができる分野って、「(失敗も含めて)考えること」だと思っているわけです。


いろんな前提を組み合わせたり、帰納・演繹を組み合わせて考えを詰めていったり、メタファーを使って・独自の視点で物事を切り込んでいったり。


それらの根本にあることって「思考」だと思うわけです。あるいは、疑問を持つ力。それが「考えること」に繋がります。




将棋の世界でも、コンピュータがプロ棋士をなぎ倒していっていますが、その上で、「人間同士の戦い」が魅力的なのは、悪手を指したりポカをしてしまったり、という「マイナス面」まで含めた「人間らしさ」に、魅力を我々が感じているからじゃないか、と思うんですよ。だって、人間誰だって失敗はしますし、そういう経験をするからこそ、自分や他人の弱いところを受け入れられるし、人間同士の泥臭い付き合いが生まれていったりするわけですよね。(まあ、これは「思考」っていうよりも「感情」といったほうがいいかもしれないですけど)



だから、いずれにせよ、考えることを放棄してしまった人間って、なんというか、アレだよなあ、と思ってしまうわけです…



(今回、あえて言葉を濁してしまいました)