1月9日に静かに日本に戻ってから、既に2週間以上が経ちました。
日本に着いてからの僕はというと、奈良で翻訳等の在宅仕事をコツコツと続けながら生きています。
結局僕は、英語をはじめとする言葉、言語に興味があるんだと思いました。
心の安定感がハンパない。
習字やピアノ等の習い事をしたことのある人は分かると思うんですが、「無になれる」のがこの時なんです。
「翻訳」なんて偉そうに言っていますが、僕には特に、専門分野の知識があるわけではありません。
ITやバイオ、経済、政治等色々あるわけですが、どれも全然分からないので、今はとにかく、いろんな記事に目を通して勉強中です。
この数年で、ある程度の自分の得意分野を絞れるだけの力は必要かな、と思っています。
それがどれになるか、今は分からないので、引き受けられる仕事は基本引き受ける。
「去る者追わず、来る者拒まず」の姿勢です。
改めて、お金を頂いて勉強できるのもすごいことだと思うし、自分の好きなことだか、これだけ無心になって続けられるんだな、とも思いました。
今は実績を作ることが一番目先にあることなので、それに向かってゆっくりとではありますが、進んでいます。
貴重な機会を頂ければ有り難いです。
もし、翻訳等でお困りでしたら、ご相談下さい。
日⇔英の翻訳・通訳でお困りでしたら、対応させて頂きます。
また、韓・中・仏語も対応可能ですので、こちらもございましたら、どうぞよろしくお願い致します。
今日は、1月24日。
10月25日が僕の誕生日なので、もう4分の1が過ぎました。早い。
振り返ってみると、10月25日はポーランドの夜行列車の中で迎えました。
その日からポーランドで日本語を教えながらの生活が始まって、今ここ。
思い返せば、この3ヶ月は「自分の好きなことしかしてない」です。
おいしいご飯を食べて、日本語を教えて、翻訳や在宅の仕事、そして旅。
ざっくりとしているけど、本当にこれしかしていない。
そしてこれって本当に、文字通り「有り難い」ことなのかな、と思います。
この繰り返しで一年を過ごせたら、絶対に幸せだろうと。
ポーランドでは、多くの気づきがありました。
特に大きかったのは、
「自分ができることは限られている」ということでした。もっと言うと、
「そんなに多くのことに興味はない」、ということです。
「人生は有限だ」これは事実です。
でも、僕が今この言葉を聞いて、真っ先に心に浮かべるのは、焦燥感ではなく、不思議な安寧なのです。
「今の状態のまま、命のろうそくが消えても、納得できる」
そんな風に、何故か思えるようになったのです。
「遊心」ーこんな言葉があります。
「ある物事の上に心を置くこと」という意味なんだそうです。
僕が好きな、あるプロ棋士の扇子に書いてある言葉なのですが、買った当初は「遊び後頃が大事だ!」と、わけのわからないことを言っていました(笑)
ですが今、この言葉の意味するところが、分かったような気がするのです。
そして、ある友達からもらった、フランスの言葉。
"Je me moque de savoir beaucoup de choses;
je veux savoir des choses que j'aime."
「多くを知ることに興味などない。私は、自分の好きなことが知りたいのだ。」
という意味だそうです。
この言葉も、最初受け取ったときは「言葉」しか分かりませんでした。
しかし今、その中身がぼんやりと見えた気がします。
僕は5ヶ月でサラリーマンを辞めました。
それが自分の中ではコンプレックスとして、未だに残っています。
「逃げだ」と、多くの人に言われました。
「逃げてばかりだと、結局何もなせない」と。
ですが、僕はこうも思います。
「逃げてもいいんじゃないでしょうか?」と。
逃げる・逃げないは本人が決めていい。
そして、人間絶対に、逃げない場所があるんです。誰がなんと言おうと、逃げない場所がある。
それは、誰かに言われるものではないのかもしれません。
少なくとも僕は、自分にとってのそういう場所に気づくことができました。
そういえば、僕が奈良にいるということで、わざわざ僕に会いにきてくれる人がいます。
これも本当にありがたいことです。
自分がどうやって故郷に貢献していくかは、まだまだ何も見えておらず形にはもちろんできていませんが、一人でも多くの知人を招待して、奈良のおいしいものやきれいな景色を知ってもらうのも素敵なことだな、とも思い始めました。
寝床を提供することはちょっと厳しいんですが、一声かけてもらえれば奈良公園周辺は案内させてもらいます。
関西に寄られる際は、是非奈良にもお越し下さい。
基本家に籠っている身としては、こういう風に声をかけて頂くことが、貴重な気分転換の機会なのです。
まだまだ未熟者ですが、こんな私をこれからもどうぞよろしくお願いいたします。
日本に着いてからの僕はというと、奈良で翻訳等の在宅仕事をコツコツと続けながら生きています。
結局僕は、英語をはじめとする言葉、言語に興味があるんだと思いました。
心の安定感がハンパない。
習字やピアノ等の習い事をしたことのある人は分かると思うんですが、「無になれる」のがこの時なんです。
「翻訳」なんて偉そうに言っていますが、僕には特に、専門分野の知識があるわけではありません。
ITやバイオ、経済、政治等色々あるわけですが、どれも全然分からないので、今はとにかく、いろんな記事に目を通して勉強中です。
この数年で、ある程度の自分の得意分野を絞れるだけの力は必要かな、と思っています。
それがどれになるか、今は分からないので、引き受けられる仕事は基本引き受ける。
「去る者追わず、来る者拒まず」の姿勢です。
改めて、お金を頂いて勉強できるのもすごいことだと思うし、自分の好きなことだか、これだけ無心になって続けられるんだな、とも思いました。
今は実績を作ることが一番目先にあることなので、それに向かってゆっくりとではありますが、進んでいます。
貴重な機会を頂ければ有り難いです。
もし、翻訳等でお困りでしたら、ご相談下さい。
日⇔英の翻訳・通訳でお困りでしたら、対応させて頂きます。
また、韓・中・仏語も対応可能ですので、こちらもございましたら、どうぞよろしくお願い致します。
今日は、1月24日。
10月25日が僕の誕生日なので、もう4分の1が過ぎました。早い。
振り返ってみると、10月25日はポーランドの夜行列車の中で迎えました。
その日からポーランドで日本語を教えながらの生活が始まって、今ここ。
思い返せば、この3ヶ月は「自分の好きなことしかしてない」です。
おいしいご飯を食べて、日本語を教えて、翻訳や在宅の仕事、そして旅。
ざっくりとしているけど、本当にこれしかしていない。
そしてこれって本当に、文字通り「有り難い」ことなのかな、と思います。
この繰り返しで一年を過ごせたら、絶対に幸せだろうと。
ポーランドでは、多くの気づきがありました。
特に大きかったのは、
「自分ができることは限られている」ということでした。もっと言うと、
「そんなに多くのことに興味はない」、ということです。
「人生は有限だ」これは事実です。
でも、僕が今この言葉を聞いて、真っ先に心に浮かべるのは、焦燥感ではなく、不思議な安寧なのです。
「今の状態のまま、命のろうそくが消えても、納得できる」
そんな風に、何故か思えるようになったのです。
「遊心」ーこんな言葉があります。
「ある物事の上に心を置くこと」という意味なんだそうです。
僕が好きな、あるプロ棋士の扇子に書いてある言葉なのですが、買った当初は「遊び後頃が大事だ!」と、わけのわからないことを言っていました(笑)
ですが今、この言葉の意味するところが、分かったような気がするのです。
そして、ある友達からもらった、フランスの言葉。
"Je me moque de savoir beaucoup de choses;
je veux savoir des choses que j'aime."
「多くを知ることに興味などない。私は、自分の好きなことが知りたいのだ。」
という意味だそうです。
この言葉も、最初受け取ったときは「言葉」しか分かりませんでした。
しかし今、その中身がぼんやりと見えた気がします。
僕は5ヶ月でサラリーマンを辞めました。
それが自分の中ではコンプレックスとして、未だに残っています。
「逃げだ」と、多くの人に言われました。
「逃げてばかりだと、結局何もなせない」と。
ですが、僕はこうも思います。
「逃げてもいいんじゃないでしょうか?」と。
逃げる・逃げないは本人が決めていい。
そして、人間絶対に、逃げない場所があるんです。誰がなんと言おうと、逃げない場所がある。
それは、誰かに言われるものではないのかもしれません。
少なくとも僕は、自分にとってのそういう場所に気づくことができました。
そういえば、僕が奈良にいるということで、わざわざ僕に会いにきてくれる人がいます。
これも本当にありがたいことです。
自分がどうやって故郷に貢献していくかは、まだまだ何も見えておらず形にはもちろんできていませんが、一人でも多くの知人を招待して、奈良のおいしいものやきれいな景色を知ってもらうのも素敵なことだな、とも思い始めました。
寝床を提供することはちょっと厳しいんですが、一声かけてもらえれば奈良公園周辺は案内させてもらいます。
関西に寄られる際は、是非奈良にもお越し下さい。
基本家に籠っている身としては、こういう風に声をかけて頂くことが、貴重な気分転換の機会なのです。
まだまだ未熟者ですが、こんな私をこれからもどうぞよろしくお願いいたします。