2015年9月30日水曜日

9月も終わり

1年の4分の3が終わる。


年度で言うと、半年分。



最後の三ヶ月は、根を深く掘っていく時間にしよう。



2015年9月29日火曜日

クラウドソーシングサイトは、一度は発注側で使ってみることをオススメする3つの理由

かつて、救いようのないニート状態だった時期がありまして、


その時にとりあえず、当座をしのぐためのお金を稼ぐのに活用していたのが、クラウドソーシングサイトでした。


クラウドワークスとかランサーズですね。


これらに関するぼくの体験や意見は、以下の2つの記事をご覧頂ければご理解頂けると思うのですが、


クラウドワークは、「仕事の仕方」の選択肢としてアリだと思う。


私がクラウドソーシングサイトを使わなくなった四つの理由



これらのサイトは、受注する側ではなくって、発注する側で活用してみるといいです。というか、学びが多くあります。


(ちなみに、上のリンクで書いてある「使わなくなった理由」は、受注者として立場で書いています)


発注側としての利用をお勧めする理由は3つあるんですが、

①自分の苦手な分野を外注できる

②受注側のレベルは軒並み高い

③ディレクションの練習(経験)を積むことができる


というものになります。


①について、ぼくは仕事上、自動化をしたほうが早い内容があるので、各種マクロを使う時があるんですが、プログラミング系(正規表現など)を解読して自分で使うのが苦手なので、こういうのを外注しています。

もちろんお金はかかりますが、自分1人では解決できない(かとっても時間がかかる)ことを、その道のプロに代わりにしてもらえる、というのは、ものすごく時間の節約になります。(そしてストレスも溜まりません)


デザインとか会計処理とかブログのメンテナンスとか、自分が苦手と思っている分野は、外注に出して時間を節約するのは大いにアリです。


②について。

ぼくはプログラミング系の仕事しか外注したことないんですが、レベルが高いです。

この前は「こんな課題を抱えていて、ここが分からなくて、こんなものが欲しい」ということをできるだけ具体的に伝えたら、30分くらいで満足のいくものが納品されました。もちろん、検収も一発オーケー。


この時はいささか拍子抜けしてしまいましたが、自分でいくら考えても分からない部分で、外注で解決することができるなら、迷わず使ってみましょう。

予算が…という人も、自分が用意できる予算を予め共有しておけば、その料金でしてくれる人がきっと出てきます(もちろん、安さとリスクは常に対になっているわけですが、それも勉強していけば、だいたい分かります)


③これも、将来的に自分が社長になったり、プロジェクトを行う、という時の経験になります。


自分が抱えている課題を、その道のプロに相談して解決してもらうわけですから、自分の課題を言語化して、できるだけ詳しく伝えることになります。

相手はプロなので、やりとりの中で気になる点や追加の質問を適宜聞いてくるとは思うんですが、そういう時に「プロはこういう箇所を気にかけるのか」と思えるだけでも、勉強になるわけです。


それを、他のシチュエーションで自分が活用すれば良いだけです。


しかも、発注側がいいのは(というと語弊があるかもしれませんが)、「相手が下請けになる」ということです。


普段ぼくたちのほとんどは、自らが「下請け」になっています。誰かの言うことを聞くわけです。


これが、クラウドソーシングサイトで発注側になると、自分が下請けではなくなります。

で、普段下請けしかしていないと、いざディレクションをするとなるとやりかたが分からないわけですが、例えば、普段の仕事で「下請けの立場として、相手がこういうところをもっと詳しく教えてくれたら、スムーズに仕事ができるのに」と思うことって、誰でもあるわけですよ。


これを、これらのサイトで、実際に使ってみるわけです。で、相手と気持ちよく取引ができれば、それもまた経験になるわけですし、「こういう風に人を動かすのか」ということも学べるわけです。


これはまた、別の機会に書こうと思うんですが、ぼくは「人のうえに立つ人ほど、下に位置する人のことを理解できるべき」と常々考えています。

そういう意味では、普段とは逆のポジションで仕事をすることを、これらのサイトでしてみるっていうのは、また逆に、普段の仕事での気づきにもなるわけです。


以上、クラウドソーシングサイトを発注側として使ってみるススメ
でした。



今年の楽天イーグルス

まだシーズンは終わっていませんが、


まあ、安定のへなちょこさでしたね(笑)


ファンですけど、もはや笑うしかできないっていう(笑)



監督が掲げていた「超機動力野球」ですが、



優勝争いからの早逃げだけは、他の追随を許しませんでしたね(笑)


さすが、名前に負けないレジェンドを残してくれました。





しょーもない冗談は置いておいて。




まあ、球団のフロントが、どういう思惑でチームの首脳陣の体制を考えていたのかは、詳しくは知りませんが、


あの監督はやっぱり、失敗だったでしょう。



可哀想なのは選手ですよね。


プロ野球選手としてめいっぱい活躍できる期間って、そう長くはないわけですよね。
長く現役を続けられる選手でも、20年ちょっとですか。


その中の一年を、特に去年や今年のように、夏場以降に失速して、気概や士気を保てないまま過ごして試合をこなすだけになってしまう(しかも勝てない)っていうのは、何よりも選手にとっては辛いことですし、正直時間も無駄になってしまうんですよね。

これが、優勝争いやCS出場争いで負けられない戦いが続く、というのであれば、必死感も違いますし、来季以降に繋がるんでしょうが。

こんな、勝つことにすら執念を感じないような試合ばっかりしていると、何よりも選手のためにならないでしょう。


それに、戦う相手球団や応援しているファンにとっても、大変失礼だと思うんですよね。


球団創設1年目、2年目とかだと、致し方ない部分はあるんでしょうが、さすがに10年以上経ってこれではダメでしょう。





後出しジャンケンがいけないワケ

メールのやりとりをしていると、「その情報は先に言ってくれよ!」とツッコみたくなる時があります。


「●日空いている?ご飯いかない?」


と聞かれて


『ごめん、その日は無理やわ』


と返事すると、


「じゃあ■日は?」


『その日も無理やね』


「じゃあ▲日は?」





と、何べんも聞かれる、っていうのが典型的なパターンですよね。


これ、友達ならまあ許せるといえば許せるんですが、正直面倒だったりするんですよね。


一番いいのは、最初のメールで「●日と■日と▲日の、どれが空いている?」と、一回で聞いてくれることです。


これだと、「一番いいのは▲日かな」と、最小限のトランザクションで予定を仮押さえすることができるわけです。


考えてもみてください、仕事でのメールのやりとりでこんなことをされる状態を。


「取材をさせて頂きたいんですが、●日はいかがでしょうか?」


『うーん、その日は先約が入っていますね』


「では、■日はいかがでしょうか?」


…と、これが数回続くだけでもうんざりです。そもそもそんなにメール見ていないし。


でも、こういうことって得てしてやってしまいがちです。


この前に書いた、以下の記事:
起業の前にサラリーマンを経験すべきか


には書けなかったんですが、会社員をしていない人は、こういうやりとりに対するコスト意識もおしなべて低い気がします(あくまで、自分がやりとりをしてきた中で思うことです。もちろん個人差はあります。)



この、「相手の出方を伺って、再度パンチを繰り出す」というのは、ある意味高等戦術なんですが、本当に忙しい人を相手にしていると、もう通用しないんですね。「最初のメールで候補日全て伝えてくれよ」ってことになります。要するに、後出しジャンケンが通用しないわけです。


将棋や囲碁をしていると分かるんですが、「待った」はできないわけですよ。そして、自分の手駒も相手の手駒も、全て分かった状態でゲームが進んでいきます。手持ちの飛車を手で隠していて、いきなり打たれたらそりゃ怒りますよ(笑)



別に、後出しジャンケンをしたからといって、「卑怯だ」と言われることは実社会ではあまりないと思います。ただ、相手によっては「そんなことをするんだったら、私は相手にしませんよ」ということを、直接伝えずに去って行くことがあるので、メールのやりとり一つにせよ、使う言葉一つにせよ、注意深く行っていく必要があるのです。


それに、最初に全てさらけ出すほうが、相手の懐に入っていけますからね。相手も防衛の姿勢をとりあえずは解いてくれるわけです。


ということで、後出しジャンケンはあまりしないでおこう、という話でした。





2015年9月28日月曜日

お金を何に替えるか

誰かの著書かブログ(メルマガだったかも)で見て「なるほど」と思ったことの一つに、「人間関係には税金がかからない」っていうのがあります。


これは、ぼくの中ではコペルニクス的転回になっていて、そこから「確かに、お金を持っていると税金がかかるな」という、しごく当たり前のことを考えるようになりました。


ここで大事なのは、「税金がかからない」ということです。


例えば、お金で本を買う。


自分の体験を増やす。


仕事(売り上げ)に関係する道具をそろえる。


税金がかかるものを、別のもの(こと)に変えることで、本来かかるはずだった税金が、かからなくなります。



これって一種のトリックだと思うんです。


人間は誰しも、「カネが欲しい」と思ってしまうわけですが、


そのカネを手に入れて、なにがしたいのか、


ということを、一体どれだけ多くの人が考えているのか。



というのも、お金があればそれだけ税金がかかってしまうわけですし(といってももちろん、お金がないよりは手元に残る額は多いです)、不動産を持っていても、固定資産税がかかる。お金を使っても所得税がかかる…というわけで、なんだか「税金」からは逃れられないようになっているわけです(タックスヘイブンを利用する、とかの方法はあります)。


だったら、いっそのこと少しでも税金がかからないようにするために、自分の知識や経験(つまりは無形のもの)に「投資」することって、大事なんじゃないか、と思うわけです。


そして、その投資した「無形の資産」を使って更にお金を稼ぎ、更に「無形の資産」に替えて…ということができれば、ある程度理想的な生き方なんじゃないかな、と思っています。



2015年9月27日日曜日

ブログの過激さと実際の柔和さ

イケダハヤトさんの「武器としての書く技術」を読み終えました。



印象に残った部分、今日からでも実践したい部分は沢山ありましたが、一つこのブログで紹介するなら、次のフレーズでしょう。


実は、「ブログの過激」さと「対面したときの柔和さ」は、実は明確な因果関係があります。つまり、ブログで過激なことをはき出しているので、リアルではもう吐く毒がないのです。(中略)ぼくにかぎらず毒舌気味なブログを書いているブロガーは、会ってみると意外に温厚な人がおおいのは、そういう理由があるのでしょう。


これですね、

ぼくも結構言われるんですよ。


ぼくのブログは結構過激で(ぼくは全然そうは思わないんですけど)、ブログを読んで頂いている一部の方からは、言葉遣いもえげつないし、書いている内容もグサグサ刺さるし、なんかえらいヤツだなあ、と思われているようなんですね。


実際、ブログだけ知っていて、リアルでお会いした方も何人かいるのですが、そういう方からは決まって「ブログとは全然違いますね」と言われるんです。



もともと、ブログのキャラはリアルとは全然違うし、そこは意図的に使い分けていた(というか、普段見せない一面をブログで惜しみなく出している)のですが、イケハヤさんによって、因果関係は証明されているんですね(笑)


でも確かに、ぼくも他人のブログを読んでいて、似たようなことは思っています。


そういう人のほうが人間的に深みがあって、ぼくは好きですけどね。




まずはパクることから始めてみたら?

例えば文章を一つ書く、っていうことにしても、まずはパクることから始めてみればいいと思うんです。


ぼくは小さい頃、そんなに本は読んでいなかったんですが、「こんな文章を書けたらいいな」と、読んでいて思ったことは沢山あるんですね。


例えば、星新一のショートショートシリーズ。





もともと活字が大嫌いだったぼくにとって、ショートショートシリーズはまさに「救いの神」でした。これ、読んでいても苦痛になりませんでしたね。


で、読んでいると、「こういう文章なら自分も書けるかも」と勘違いしてしまうわけですよ(笑)。そして、「こういう軽いタッチの文章を書けるようになりたいな」とも思いました。

ぼくは硬めの文章も好きですが、その一方で清水義範さんのこういう本とか



柳田理科雄さんの空想科学読本シリーズとか



こういう、軽めかつ世の中にケンカを売っているような(苦笑)テイストの文章が大好きだったんですよね。


だから、「こういう風な文章書けるようになりたいな」と思って、小学生の頃から、余ったノートにほぼテイストをパクる感じで、文章を書いていたんです。


で、「パクる能力」は大事だと思うんですよ。


つい先日は、オリンピックのロゴのパクり疑惑が浮上していたりしますが、

最初はパクりから始めていいと思うんですね。


というのも、最初から自分のスタイルなんて確立されるわけないからです。


野球選手でも、少年野球の頃はまず、プロの素振りとか見て、真似することから始めるわけですよね。


「パクり」と言うと響きが悪いですが、「守破離」という言葉に代えてみたらいいんです。まずは「守」から入って、その中で自分にしっくりくるものを選んでいく。



だから、文章を書くこと以外でも、しゃべり方とか服装とかタチいぶるまいとか、自分が「いいな」と思うことはまずパクってみればいいと思うんです。しかも、ロゴのコンペに応募するわけじゃありませんから(笑)、テイストは丸パクりでもいいんですよ(さすがに、このブログの文章をそのままコピペするのはアウトですけど)。


ぼくも文章はいろいろ書いてきていますが、出発点には「こんな文章が書きたい」という、憧れの対象があったんですね。


だから、憧れを見つけて、まずはなんでもいいからパクってみましょう、というお話でした。



2015年9月26日土曜日

毎日の昼寝

いつも、昼ご飯の後は、机の横にあるベッドで15分くらい仮眠を取ります。

このほうが、昼の集中力が長続きするので。


ただ、横になるとどうしても頭が働いてしまって、

パソコンを見ているときには考えないようなことをあれこれと考えるので、実はほとんど昼寝になっていないという(笑)



ただ、本当に眠たいときは、日中でも横になります。で、10分くらい昏昏と眠る。

これでその日はしのげます。


オフィスや会社でも「昼寝タイム」が導入されてきていて、昼寝は効果があると言うことが分かってきているとは思うんですが、


やっぱり横にならないと、短時間でもぐっすり眠れないんじゃないでしょうか。



2015年9月25日金曜日

自動現ナマ製造マシーン

毎日、家の近くを30分くらい散歩してるんですよ。

普段は朝なんですけど、最近寒くなってきているのと、今朝は雨模様だったので、日中に散歩をしていたんですね。


で、近くの家がキウイフルーツを作っているのを見かけたんです。

藤じゃないですけど、網の天井(?)に木の枝が伸びて、そこから実が垂れ下がっているんですね。


キウイがどういう風に作られているのかは知らないんですが、さすがにあの実物を見ると、種を蒔いただけでは勝手に実はつけないんでしょうね。



で、ふと思ったんですけど、果実を得るには、相応の準備が必要なわけですよ。


食べ物だったら、土地を耕す、雑草を抜く、種を蒔く、水をやる、無視に食われていないかを調べる、対応をする、鳥に食べられないようにする、と、いろいろと手間暇をかけないといけないわけですね。


で、これってビジネスにも当てはまるわけでして、最初は顧客を開拓するとか、自分のサービスを作るとか、サービスの見直しを行うとか、相応の仕込み(準備)が必要になってくるわけです。



とすると、よくネットの世界で言われるような、「●●時間で●弱万円の稼ぎを手に入れた!」とかの文句って言うのは、まあ怪しいな、と思うわけですよ。


だって、耕してもいない土地に種を蒔いたら豊作になってしまっているわけですよ(笑)


そんなことあるわけないじゃないですか。



あとは、「収入の自動化」の話も、かなり怪しいですね。


私も、広告収入などで幾ばくかの小遣いはネットで稼いでいますが、それにはある程度のアクセスが必要ですし、そのためにはブログも書き続けないといけません。

長年にわたって読まれる記事、なんていうのも、変化の早いこのご時世に、何ヶ月持つかなんていうのは分からないわけですし、ブログの更新が止まると、「このサイトは生きていない」と検索エンジンがみなして、検索でヒットしづらくなるんですね。


そもそも、世の中なんて動きや変化があって当たり前です。その中で、何も変わらずに、なにも動かずに豊作を得ることなんて、自然の摂理からして矛盾しているわけです。


世の中には、長い間生きてこんな自然界の法則にすら気づくことができない方々がいるのかと思うと、なんだか逆に恐ろしいですね。



ブログはワードプレスにするのがいいのか

今日のイケダハヤトさんの記事。


http://www.ikedahayato.com/20150925/43777601.html


イケハヤさんのブログは、ライブドアブログなんですね。UI的に、ワードプレスだとてっきり思っていました。



で、ここで書かれているように、別に有料で独自ドメイン取らなくても、無料のブログを使えばいいと思います。(ライブドアとかでも、有料のプランがあるようですが)


私は仕事用のHPをワードプレスで作っていますが、ほとんど更新できていないのと、個人的にこういうサイトをいじるのが苦手で、プラグインのインストールができなかったり、ページが飛んだり、ってことが起こってしまいそうで、今後も最低限の更新だけしていこうと思っています。


ちなみにドメイン使用料は、月100円です(笑)

ロリポップの最安プランです。




ワードプレスの導入を真剣に考えていたときは、「記事が消えたらどうしよう」とか結構悩んでいたんですが、今思い返してみると、書いた記事なんてそんなになかったわけですよ(笑)


このブログにもあるように、飛んだら飛んだで、最初からやり直せばいいと思っています。


この、「やり直せばいい」っていう考え方ってものすごく大事なんですよ。だって、大多数の人は「やり直せない」と思っているから。実際、時間をかけて積み上げてきたものが吹っ飛んだら、失望しかしないでしょう。


私の場合、ビジネスでゼロから立ち上げる経験があるので、「失ったらまたゼロからやり直そう」と思えます。堀江貴文さんなんかもそういう本を書かれていたと思いますが、「どうやったらゼロから立ち上げられるのか」ということを肌感覚で持っていないと、この思考は無理でしょう。



それに、これはケンカ売ってしまうことになりますが、ワードプレスにこだわる人に限って、資産化できる記事の数が少なかったり、読者が少なかったりしますよね。


自分の中ではイケハヤさんのブログの記事(質、量)がとりあえずデフォルトになっているので、イケハヤさんが「資産化」という言葉を使うのなら説得力はありますけど、他の人に言われてもなあ…というのはぶっちゃけあります。


ちなみに私は、使いやすさの観点(記事の書きやすさ、レイアウト変更の簡単さ等)から、Googleが提供しているBloggerを使っています。これも無料でできます。



ここでも、本質的なことを見つめることが必要になってきますね。


自分はブログを通して何をしたいのか?ということを。







なぜぼくは相変わらず、分かりづらいブログを書き続けているのか?

ブログを書き始めてからは既に7年くらい経っているのですが、


我ながら、小難しい話を毎度毎度書いていて、もう少し分かりやすく、受けのいい内容を書けないか、と思うことは多々あるのですが、



なんというか、そういうことはできないので諦めています。




有り難いことに、ブログは多くの方に読んで頂いているのですが、


正直なところ、自分が伝えたいことが読者の何割に届いているのか、というのは分かりません。恐らく半分にも満たないでしょう。


ただ、ぼくは究極的に「話をわかり合える少人数の人とコミュニケーションが取れればいい」と割り切っています。


だから、あえて小難しい話を書いているんです。
(というか、分かりやすく書けないっていうのが本当の理由ですが笑)


小難しい話って、分からない人には分からないんですけど、分かる人には分かるんですよ。


というのも、どうしても抽象的な話になりがちなのですが、分かる人は、その話を自分の体験に置き換えて理解できるからなんです。

そこで「あ、その話わかる!」ってなる。


良く言えば、「ハードル」を設けているんです。


「俺の言わんとしていることが分かるかいな?ビビッとくるものがあれば話しよーぜ。分からんのなら、それは残念だ」みたいな風になっているんですね。



こういうスタンスって大事だと思いますよ。だって、自分の哲学が分からない人に対してゼロから説明するのって超難しいですから。


直接面識のある人から時々、「あの分かりにくいブログがいいんですよ」と言って頂くのですが、あれは自分の中では褒め言葉です。





自分の人生から自分を排除する、という能力について

大学を卒業してから、というよりも独立してから大きく変わった考え方の中に、「自分の人生は自分のものじゃない」というのがあります。


【参考記事】
自分の人生は、自分のものではない


実は数ヶ月前にも、似たような内容でブログを書いているんですよ。



こういうことを考えるようになったのは、「自分の人生は、思ったほど自分で決められるものじゃない」ということを何度も経験することになったからです。


仕事について言うと、独立してから頂いた仕事は、必ずしも自分のしたいこと、得意な分野ではなかったのですが、それを取り組んでいるうちに、自然と勉強もして、その分野や内容について「専門性」が増していった、というのがあります。


偶発性っていうんんでしょうか。


大学生でも、必ずしも自分が望んだ職種や企業に勤められるわけじゃないと思うんですね。

で、実際に仕事を始めてみると、その仕事が思った以上に面白くてはまってしまい、成績優秀になってトッププロになる、というケースはあまたにあると思うんですよ。


そういうことを経験したことがある人は分かると思いますが、こういう状況だと、「自分の夢」とかって半分以上、どうでもよくなるんですよね。仕事だと、クライアントは困っているわけでして、その問題の解決のために自分の頭を精一杯振り絞るわけですよ。


そうすると、自然とその分野での経験値が上がっていくわけですが、この状態は、「自分の人生は自分のもんだ!」と思っていたら、絶対になることはできません。「こんなこと自分はしたくないのに!」と、思ってしまうと思うんです。



というのも、かつてのぼくがそうだったからなんですね。


会社員時代の仕事は(というか、あの時はどちらかというと人間関係が)合わなくって、自分が思っていたことと違う内容でしたし、自分にも幻滅していましたし、人生もったいないことしてるな、って本当に思っていました。
(まあ、「もったいないこと」に対するアレルギーは今でも強くて、「時間を無駄にしているな」と思うことには関わらないことにしています。)


ただ、今振り返ってみると、もっと広い視野を持っていれば、当時の仕事も、他の世界で転用が効くように取り組んでいたと思います。


というか、今の状態だと、当時の仕事に戻ったとして、当時以上の結果を出すことができる自信があります。



何度もブログで書いていますけど、結局本質は同じなんですよ。

人付き合いとか、人が何に心を動かされるのかとか、何に価値を見いだすのか、とか。


そこが分かっていれば、理解しようと努めれば、どんな仕事だって人付き合いだって、究極的に同じなんです。そこに仕事の貴賤とか、日本人と外国人、男女の違いっていうのはないです。


で、そういう段階に入るためには、一回自分の人生から自分自身を「脱構築」する必要があるんですね。


つまりは、自分の人生をメタ化して見てみる、俯瞰してみてみる、っていう能力です。


生きていくっていうのは、他の人との関わりであるわけですし、

その中で、他人から必要とされることって多くあると思うんですよ。


で、相手なんて自分のことをよく分かっていないわけですから、「そういえば●●得意だったよね、やってみてよ」とか「この書類作っといて」とか、平気で無茶振りがやってくるわけです(笑)

この時に、自分の夢とか理想に執着してしまうと、「なんでこんなことしないといけないんだ」とか「自分には無理」って思ってしまいますよね。


だから、自分自身の人生に執着しない、ってことが大事になってくるんです。


「お、また無茶振り受けてしまった。いろいろとテンパるけどやってみようとしている自分がいるな」くらいに、自分のことを距離を取って見てみるようにしてください。そうすると、今まで自分が気づかなかった自分の可能性や世の中に対する発見ができますから。


それはつまり、自分の変化を楽しむ、アクシデントを楽しむ、他人の力を借りて自分の人生を作っていく、っていう考え方を取り込んで生きていくということです。


この能力を身につけて実践できるようになると、世界の見え方が変わりますので、是非実践されてみてください。




2015年9月24日木曜日

生きてて初めて、本を読んで泣いたとき

確か、小学生高学年の時だったと思うんですが、


読んで初めて泣いた本は、「エルマーの冒険シリーズ」でした。











いつ読んだのかははっきりと覚えていないのですが、


この頃から「出会いと別れ」の切なさは肌感覚で分かっていたのかもしれません。





もともとそんなに本を読んでは来ていない人間なんですが、振り返ってみるといろいろと思い出しますね。



2015年9月23日水曜日

田舎で一番便利なデパート

は、間違いなくAmazonです。




私の場合、仕事関連の設備を買うことが多いのですが、


今までは家電量販店に行って買っていたんです。



が、Amazonのほうが値段が安いことがほとんどですし、家から出ずに購入ができるし(時間をロスらない、というのが大きい)、本や家電を買うのであれば、間違いなくAmazonが便利です。


食料も購入できるようですが、使ったことはありません(笑)



日中勤めておられる方だと、受け取りが難儀かもしれませんね。


ただ、「時間の節約」という意味では、自分がしなくてもいいこと(店に行く、品物を選ぶ、購入する、家まで運ぶ)を別の業者に代行してもらう、っていうのはすごく合理的です。


仕事っていうのは根本的に、自分ができないこと、したくないことを代わりに誰かにしてもらう、っていうことですから。


もっとAmazonを使う人が田舎で増えればいいんですけどね。




最近買った本(9月23日現在)

2015年9月22日火曜日

空想科学読本

自分が理数系分野に苦手意識を持たずに、むしろ興味を持つことができたきっかけとなった本は、間違いなく「空想科学読本」。



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調べてみたけど、今は合計20巻程度出ているらしい…出過ぎやろ。


最近の号は全然読んでいないけど、一巻~五巻くらいまでは、科学的なものの考え方がメインに出ていて、「そんな風に考えるんだ」っていう発見が、幼い頃には感動的だった。


あとは、純粋に「こんなくだらないことを一生懸命に考える人がいるのか」っていう驚きと(笑)





「仮面ライダーが地上に向かって飛び蹴りを食らわすと、なぜ爆発して敵は上に飛んでいくのか?」



とか、誰も考えないでしょう(笑)




果たしてこの本が、科学の世界への最初の誘いとして良いのか、理系への苦手意識を払拭するためのものとして良いのか、は正直疑問なのですが、何も読まずに食わず嫌いになってしまうよりはいいですよね。



「科学」って意味では、理科系に限らず人文科学や社会学でも通用する(課題を持ってそれを考察する)ので、ポップな感じで本を読んでみたい、って言う人にはお勧めのシリーズです。



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2015年9月21日月曜日

彼岸花が美しい季節になりました


今日の朝の写真。


言っているうちにもう秋分で、夏至からもう三ヶ月経ったのか…という驚き。












去年はこの時期地元を離れていて、帰ってきたら既に彼岸花は枯れていました。


まだ満開じゃないみたいですけど、なかなかきれいですね。





2015年9月20日日曜日

ミラーニューロン

「身の回りの人間は、自分に大きな影響を及ぼす(そしてまた、逆もしかり)」


って意味の言葉なんですが、


自分は、この言葉が言わんとしていることを昔から強く思っていてですね、


あまりそうは見られないんですが、相当つきあう人間は選んできました。


なので、以前に書いたこの記事にもあるように、現在続いている人間関係は、「自分に良い影響を与えてくれている人たち(かつ、自分も相手に良い影響を与えている)」の集まりであるわけですね。



自分は結構、発する言葉、耳にする言葉、目にする言葉、気をつけているんですよ。

自分の仕草もそう、相手の仕草もそう。


そういう細かいところが結局は大きな差を生み出す、と考えているので、


例えばとんでもない時間泥棒とか、


常に何かに怒っている人とか、


自己中心的な態度があからさまに分かってしまう人とか、


思慮が浅い人とか、


っていうのとの関わりは、絶っています。



いや、冗談抜きで「自分が地に墜ちる」のが嫌いなんですよ。


「自分はやればできる、まだまだこんなもんじゃない」っていう気持ちが人一倍強いんですね。


だから、自分に悪影響を及ぼす相手との関わりは、願い下げです。


自然にフェードアウトする時がほとんどですが、


敢えて絶縁になりそうな言葉や態度を使って、半強制的に関係性を絶つ(自分でコントロールする)ってことも時々行っています。


だって、レベルの低いところで足踏みしたくないから。



究極的に、自分に合わない人が根本的に好きになれない、ってこではありません。


人間、変えられるのは自分と未来だけ、って思っているので、相手が悪いんじゃなくって、そういう相手とつきあってしまっている自分が悪い、と戒めています。


自分は変えられますからね。





大型連休がイヤな4つの理由

①道路が混む。


なんで渋滞に巻き込まれやんなあかんねん、と。貴重な時間が奪われることが大嫌い。


②人が混む。


電車の中もそうだし、行楽地もそう。

基本的に人混みが大嫌いなので、こういう環境にわざわざ出向いていくことに価値を見いだせない。


③でもどこかに行かないと負けた気がする


「なんで俺だけ家に籠もって何もしていないんだよ!負けた気がする!」


とか思ってしまうわけですよ(笑)


④連休明けの自慢話がウザい


これが一番イヤ(笑)


「オレさ~、●●行ってきてさ~~~」


っていう、あの「自分勝ち組なんですけど」アピールのすごさ。


「知らんがな!」って思います。


でも、「お前はどこ行ってきたの?」って聞かれて「ずっと家にいた」って言うのも、辛いんだよな~(苦笑)





あ、会社員時代の話ですよ。


今は自分の人生を生きている実感がとてもするので、相手と比較してどうこう、とは思っていません。



時間差攻撃

今回の大型連休は



外出予定なし \(^o^)/ なのですが(笑)






まあ、別に人ごみのなかをわざわざどこかに出かけていかなくてもいいな、っていうのが本音でして、



この連休中もオフィスで仕事をされている方、行楽地で仕事をされている方も沢山おられるでしょうし、



そういう立場の人は、堂々と時間差攻撃で人生を満喫すれば良いと思うのですよ。


渋滞もしないし人混みもないし、そういう世界の方がラクだと思いますけどね。





あこがれが見えない

最近、Twitterでやたらネット起業系のアカウントにフォローされるんです。


「パソコン1台で●●万円稼いで、世界を放浪!」


とか、そういうヤツです。



でも、全然心を動かされないんですよね。



そのアカウント(その人)が、あこがれの対象として見えないんですよ。


いや、もちろん、がっつり稼いで、世界旅行はしたいですよ。



でも、果たしてそれだけで、人生を楽しめるのか?っていう疑問が。


世の中のことをある程度正しく理解するには、教養って大事なわけですよ。


世界の物事に対する一般常識とか、そういうやつ。


フォローされるアカウントを見ていると、そういう「教養ある感」が伝わってこないんですよね。


たとえて言うと、一緒に銀座に寿司を食べに行ったら、ネタにソースぶっかけて食べてしまう、っていうイメージ(笑)



なんかですね、こういうオーラがプンプンするんです。


ご自身の写真をアイコンに使っておられるようですが、ぶっちゃけ「そこまで頭良さそうじゃないな」っていう。


飛行機乗り遅れそうだし、闇両替所でぼられそうだし、貴重品ホテルに置き忘れていそうだし。


話してても、自分の考えを持っていなさそうで、面白くなさそうなんだよな。


そういうオーラが伝わってくるのですよ。


つぶやき1つを見ても、そこでの言葉遣い、使っている言葉のセンス、細かいところで「ん?」と思うこともあります。



自慢なのかこけおどしなのか、自分アピールなのか、意図がよく分からないんですが、少なくとも自分にとっては憧れではないことは、確かです。




地頭を鍛えるためのオススメの本5冊

これからの世の中では、「地頭の善し悪し」が大事になってきます。

受験などを経験していると、どうしてもその世界での成績の善し悪しなどで、「頭の善し悪し」を決めてしまいがちですが、


そうではない。


もちろん、地頭がいい人は、受験などでもよい成績を残す経口にありますが、


受験だと、地頭がよくても、テクニックを身につけても、似たような結果になるので、ちょっと分かりづらい。


で、これからの時代はいかに良い地頭を持っているかが大事になるわけです。

就職しても安泰ではないし、

ボーダレス化する世の中で海外の影響を仕事でもプライベートでも受けることになるでしょう。

地方や国の財政もヤバい、と言われています。


こういう時の判断や思考って言うのは、決して受験や試験を突破するときの能力では行えないんですよ。


なので、普段から何かを考えて、自分なりの思考プロセスを持つ、意見を持つ、ってことをしておかないといけません。地道な作業ですが、こういうのって地道にコツコツしないと、積み重なって行かないんですよ。


で、今回は「地頭を鍛える」のに適した本を紹介します。

あくまで、自分の頭を使わないといけないんですが、何からやったらわからない、っていう人は、とりあえず以下の本を読んでみて、自分なりに頭を使ってみることが大切です。



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タイトルでは5冊と書いていますが、実質2人の著者で5冊です。

なので、内容に偏りはあります。


ですが、何も読まないよりはましです。


「武器としての~」は、「決断」は内面的なケースが多くって(自分が決断するかどうか)、「交渉」は、人とのやりとり(説得、交渉等)の話が多いです。

個人的には、仕事での交渉や考え方などに応用の利く、「交渉思考」のほうが良かったです。

が、二冊とも読んでみて損はないです。


ちきりんさんの本は、これぞ「地頭を鍛えるための入門書」のようなものなので、是非読んで見てください。

いろんなケースがそれぞれの本で書かれていて、そんなに長くもないので、「こんな考え方があったのか!」という、新しい気づきも得られるはずです。

自分が知らなかった思考法を知るだけでも引き出しが増えるので、問題解決能力が高くなりますよ。


世の中って、嘘か誠か分からない話も沢山ありますし、どのように数字やデータを見せるのか、というのも、相手の意向があるわけです。

いわゆる「情報弱者」にならないためにも、そして不安定な世の中を生きていくためにも、もっと「自分の頭を鍛える」ことに時間とお金をかけてもいいんじゃないでしょうか。