ソウルの街を、一人で歩いていました。
やっぱり僕は、観光地は好きではないみたいです。今日マーケットを一人で歩いていたけど、みんな客引きをしてくる。
何も買いたくないのに、買物する前提でお金の話や、商品の話をしてくるから、ちょっと辛い。
・ローカルに生きること(ローカリティ・locality)
・個の生き方/「個そのもの」(インディビジュアリティ・individuality)
この二つが、今の僕の最大の関心かもしれません。
(これからの世の中がこうなる、というものではなくて)
・ローカルに生きること
ある場所に根を張って「生活すること」が、好きなんだと思います。
自分で米や野菜を作って、近所の人と物々交換したり、仕事を手伝ったり。
実家が米や野菜を作っていて、親戚の人の仕事を手伝ったり、手伝ってもらったり、柿やイチジクをお裾分けしたり。
そんな光景を幼い頃からずっと見てきたのが、一番の影響やと思います。
ずっと一つの仕事(会社勤め)ばかりして生きていくことに違和感を持っていたけれど、その源泉は、こんなところに遡ることができるのかもしれない。
海外でも何度か生活しました(と言っても、それぞれ二ヶ月程度ですが)。
基本的に買物は、地元のスーパーでするし、出費等も地元の水準に抑えられるから、観光地での物価を見たら驚くし、たぶんよっぽど欲しいもの以外、何も買わない。
(もともと貧乏性なのも、あると思います。笑)
あと、地元の人に助けてもらうって大事です。
地元の店のことやらなんやら、色々知っているし、歴史とかその街の観光のこと、普通は分からないことも沢山教えてくれる。
そんな繰り返しで、人と人との繋がりが、徐々に強く、そして温かくなっていくと思います。
正直、観光客ばかりで、その場所に住んでいる人が見えない場所は嫌い、というか苦手です(今までで一番嫌いなのは、パリ)。
やっぱり「人」が好きです、僕は。
たぶん、僕が奈良でしたいことも、これらに源を発しているのやと思います。
より多くの観光客(外国人)にお金を落としてもらう。
もちろんこれは大事。
でもそれ以上に、観光客ばかりに埋め尽くされてしまった東大寺や春日大社は嫌。
もっと、地元の人と観光客が、共生(?)できるような場所にしたい。
そして、「奈良は、他の場所とは違う独自の良さがあるよね」と、一人でも多くの人に言ってもらえたら、素敵ですよね。
もちろん、このセリフは日本全国、いや、世界各地にあてはまるものだと思います。
そんな素敵な場所にするには、どうすればいいか。
僕にはまだ分かりません。
・個の生き方、というよりも「個」そのもの
人と人との繋がりって、大事です。というより、それ以上に素敵です。
僕はカウチサーフィン(CS)というSNSを使って、旅先に住んでいる人の家に泊めさせてもらっています。
今回はポーランドでも、ベルリンでも、ソウルでも、素敵なご縁を頂いて泊めさせて頂くことができました。
もちろん、宿泊費が浮く、これ事実です。
財布も温かい。
でもそれ以上に、一人でホテルに泊まる以上に多くのことを学べるし、話せるし、時には教えることもあります。
その国の言葉。人柄。料理。行ってみたい場所とおススメの場所。
国の歴史。ホストの人柄から人生観まで。
本当に素敵です。
僕は専ら、与えてもらってばかりなので、何を恩返しできるかいつも考えています…
そして、この方法で旅をしていると、考えます。
「生きていくのに、お金っていくら必要なんだろう?」と。
もちろん、お金は必要です。
年金。保険。教育費。育児費。その他諸々。
でもその一方で、お金を介せずに、何かを交換することもできるんじゃないかとも思うんです。
知り合いから古着を譲ってもらう。
家に泊めさせてあげる。
畑作のお裾分け。
仕事の手伝い。
あれっ、これってどこか「ローカルな生き方」と似ていませんか?
なにも、お金が必要ない、と言っているのではありません。
ただ、少し前に無縁社会という言葉が流行ったように、人との繋がりが薄れているのも、事実なのではないかと思います(個人的な感覚です)。
お金ばかりに目を向けるばかりに、人間はもっと大事なものを見失ってしまったのではないか、と…。
人の価値が、年収で測られてしまっています。
もちろん、それだけの仕事ができる人はすごいと思います(僕は言葉でしか、感覚的に理解できませんが)。
ただ一方で、本当にそれだけのお金が必要なのかも、考えてみる必要はあると思います。
お金を介することなく、貨幣とそれ以外をミックスして生きていくことは簡単ではないかもしれませんが、そこまで難しいものでもないのでは?とも思っています。
(あくまで感覚です。まだ、仮説を立てられるだけの十分な材料を持ち合わせていません)
お金は、相対的な価値指標の一つにすぎなくなるのではないか?
そして、その代わりをするのが人との繋がりなのではないか?
(お金で買えないもののひとつに、人の温かさがあると思います。)
果たして、これからの世の中がどうなっていくか、僕にはよく分かりません。
僕も勉強不足で、根拠や仮説を立てられない。
ただ、少し期待はしています。
あくまで、自分の経験ベースですが。
<自分の足で、自分の頭で>
ソウルの街を一人で歩いていて、自分のモヤモヤが、一時的にまとまった気がします。
この二ヶ月半、良いことも悪いこともありました。
ただ、今までバラバラに浮かんでいた思考の断片が、すーっっとまとまった、そんな気がします。
やっぱり、自分の足で歩くことは大事です。というか、必要だと思います。
僕にとっては、歩く場所はどこでもいいのかもしれない。
ただ、言葉も貨幣も違うほうが、新しい「何か」が入ってくると思いました。
目的もなく、ただぶらぶら歩いているけれど、目に入ってくるいろんなものが、僕の頭の中に埋もれている思考のかけらを突っついてくれます。
そう、自分の目で見ることも自分の頭で考えることも、同じくらい大事で、必要なことだと思います。
僕は、そんなに多くのものを持ってはいません。
お金もないし、経験値も少ない。
でも、歩ける足と、世界を吸い込む目、そして、考える頭は持っている。
まだまだ未熟なサルですが、自分の哲学を持って、自分のペースで歩いていきます。
・「ナリワイを作る〜人生を盗まれない働き方」を上梓された、伊藤洋志さんのインタビュー
自分で自分の「ナリワイ」を作る 「素人だから、新しい仕事を立ち上げられるんです」 伊藤洋志さん【第1回】
「非バトルタイプ」として生きる 「初めは大儲けできなくても、仕事は育つんです」 伊藤洋志さん【第2回】
〈人生を盗まれない働き方〉をしよう 「天才でもない、普通の人にできるナリワイ作り」 伊藤洋志さん【第3回】
宗教やマルチには絶対に頼るな 「ナリワイを作るのも、ベースは人間関係です」 伊藤洋志さん【第4回】
やっぱり僕は、観光地は好きではないみたいです。今日マーケットを一人で歩いていたけど、みんな客引きをしてくる。
何も買いたくないのに、買物する前提でお金の話や、商品の話をしてくるから、ちょっと辛い。
・ローカルに生きること(ローカリティ・locality)
・個の生き方/「個そのもの」(インディビジュアリティ・individuality)
この二つが、今の僕の最大の関心かもしれません。
(これからの世の中がこうなる、というものではなくて)
・ローカルに生きること
ある場所に根を張って「生活すること」が、好きなんだと思います。
自分で米や野菜を作って、近所の人と物々交換したり、仕事を手伝ったり。
実家が米や野菜を作っていて、親戚の人の仕事を手伝ったり、手伝ってもらったり、柿やイチジクをお裾分けしたり。
そんな光景を幼い頃からずっと見てきたのが、一番の影響やと思います。
ずっと一つの仕事(会社勤め)ばかりして生きていくことに違和感を持っていたけれど、その源泉は、こんなところに遡ることができるのかもしれない。
海外でも何度か生活しました(と言っても、それぞれ二ヶ月程度ですが)。
基本的に買物は、地元のスーパーでするし、出費等も地元の水準に抑えられるから、観光地での物価を見たら驚くし、たぶんよっぽど欲しいもの以外、何も買わない。
(もともと貧乏性なのも、あると思います。笑)
あと、地元の人に助けてもらうって大事です。
地元の店のことやらなんやら、色々知っているし、歴史とかその街の観光のこと、普通は分からないことも沢山教えてくれる。
そんな繰り返しで、人と人との繋がりが、徐々に強く、そして温かくなっていくと思います。
正直、観光客ばかりで、その場所に住んでいる人が見えない場所は嫌い、というか苦手です(今までで一番嫌いなのは、パリ)。
やっぱり「人」が好きです、僕は。
たぶん、僕が奈良でしたいことも、これらに源を発しているのやと思います。
より多くの観光客(外国人)にお金を落としてもらう。
もちろんこれは大事。
でもそれ以上に、観光客ばかりに埋め尽くされてしまった東大寺や春日大社は嫌。
もっと、地元の人と観光客が、共生(?)できるような場所にしたい。
そして、「奈良は、他の場所とは違う独自の良さがあるよね」と、一人でも多くの人に言ってもらえたら、素敵ですよね。
もちろん、このセリフは日本全国、いや、世界各地にあてはまるものだと思います。
そんな素敵な場所にするには、どうすればいいか。
僕にはまだ分かりません。
・個の生き方、というよりも「個」そのもの
人と人との繋がりって、大事です。というより、それ以上に素敵です。
僕はカウチサーフィン(CS)というSNSを使って、旅先に住んでいる人の家に泊めさせてもらっています。
今回はポーランドでも、ベルリンでも、ソウルでも、素敵なご縁を頂いて泊めさせて頂くことができました。
もちろん、宿泊費が浮く、これ事実です。
財布も温かい。
でもそれ以上に、一人でホテルに泊まる以上に多くのことを学べるし、話せるし、時には教えることもあります。
その国の言葉。人柄。料理。行ってみたい場所とおススメの場所。
国の歴史。ホストの人柄から人生観まで。
本当に素敵です。
僕は専ら、与えてもらってばかりなので、何を恩返しできるかいつも考えています…
そして、この方法で旅をしていると、考えます。
「生きていくのに、お金っていくら必要なんだろう?」と。
もちろん、お金は必要です。
年金。保険。教育費。育児費。その他諸々。
でもその一方で、お金を介せずに、何かを交換することもできるんじゃないかとも思うんです。
知り合いから古着を譲ってもらう。
家に泊めさせてあげる。
畑作のお裾分け。
仕事の手伝い。
あれっ、これってどこか「ローカルな生き方」と似ていませんか?
なにも、お金が必要ない、と言っているのではありません。
ただ、少し前に無縁社会という言葉が流行ったように、人との繋がりが薄れているのも、事実なのではないかと思います(個人的な感覚です)。
お金ばかりに目を向けるばかりに、人間はもっと大事なものを見失ってしまったのではないか、と…。
人の価値が、年収で測られてしまっています。
もちろん、それだけの仕事ができる人はすごいと思います(僕は言葉でしか、感覚的に理解できませんが)。
ただ一方で、本当にそれだけのお金が必要なのかも、考えてみる必要はあると思います。
お金を介することなく、貨幣とそれ以外をミックスして生きていくことは簡単ではないかもしれませんが、そこまで難しいものでもないのでは?とも思っています。
(あくまで感覚です。まだ、仮説を立てられるだけの十分な材料を持ち合わせていません)
お金は、相対的な価値指標の一つにすぎなくなるのではないか?
そして、その代わりをするのが人との繋がりなのではないか?
(お金で買えないもののひとつに、人の温かさがあると思います。)
果たして、これからの世の中がどうなっていくか、僕にはよく分かりません。
僕も勉強不足で、根拠や仮説を立てられない。
ただ、少し期待はしています。
あくまで、自分の経験ベースですが。
<自分の足で、自分の頭で>
ソウルの街を一人で歩いていて、自分のモヤモヤが、一時的にまとまった気がします。
この二ヶ月半、良いことも悪いこともありました。
ただ、今までバラバラに浮かんでいた思考の断片が、すーっっとまとまった、そんな気がします。
やっぱり、自分の足で歩くことは大事です。というか、必要だと思います。
僕にとっては、歩く場所はどこでもいいのかもしれない。
ただ、言葉も貨幣も違うほうが、新しい「何か」が入ってくると思いました。
目的もなく、ただぶらぶら歩いているけれど、目に入ってくるいろんなものが、僕の頭の中に埋もれている思考のかけらを突っついてくれます。
そう、自分の目で見ることも自分の頭で考えることも、同じくらい大事で、必要なことだと思います。
僕は、そんなに多くのものを持ってはいません。
お金もないし、経験値も少ない。
でも、歩ける足と、世界を吸い込む目、そして、考える頭は持っている。
まだまだ未熟なサルですが、自分の哲学を持って、自分のペースで歩いていきます。
7.1.12 ソウルにて
※僕が考える「人との繋がり」や「ローカリティ」については、以下のお二人のブログや記事、著作の影響を強く受けています。
情報は多くなってしまいますが、是非ご一読して頂ければありがたいです。
・インドネシアで活躍されている釜我さんのブログ記事
(「アジ活インタビュー」内のリンクに飛んで頂くと、一番濃い哲学に触れられると思います)
・「ナリワイを作る〜人生を盗まれない働き方」を上梓された、伊藤洋志さんのインタビュー
自分で自分の「ナリワイ」を作る 「素人だから、新しい仕事を立ち上げられるんです」 伊藤洋志さん【第1回】
「非バトルタイプ」として生きる 「初めは大儲けできなくても、仕事は育つんです」 伊藤洋志さん【第2回】
〈人生を盗まれない働き方〉をしよう 「天才でもない、普通の人にできるナリワイ作り」 伊藤洋志さん【第3回】
宗教やマルチには絶対に頼るな 「ナリワイを作るのも、ベースは人間関係です」 伊藤洋志さん【第4回】
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