2013年2月17日日曜日

翻訳日誌〜僕の興味分野と想い

今回は、僕が普段どんなことをしているのかや、仕事に対する想いを書き綴りたいと思います。


この年明けから、フリーの翻訳家(「家」をつけられる程、全然稼げてはいませんし、多くの実績もないのですが)として仕事をし始めた僕ですが、どちらかと言えば、英日翻訳(英語を日本語に翻訳する)より、日英翻訳(日本語を英語に直す)の案件を多く頂いています。


過去実績はこちらをご覧下さい。


大学では言語学(日英翻訳)を専攻していた僕ですが、いわゆる「フリーの翻訳家」のように、ITや金融、特許等、専門分野を持ち合わせているわけではない(これらの翻訳は総称して「産業翻訳(技術翻訳)」と呼ばれています)ので、まだまだ勉強中の身である、というのが正直なところです。


ただ、個人的には、英日翻訳より日英翻訳のほうがしっくりくるのも、事実です(裏を返すと、英語を自然な日本語に直す力が十分ではない、ということでもあるのですが)。


今は、小さな仕事を引き受けながら、翻訳会社のトライアルを受けたり、様々な分野の情報に目を通して、一つでも「専門分野」を確立することが、目標です。
(キャリアを積むための選択肢として、企業内で勤務する、というのもあるのですが、長期的に海外に行きたかったりする欲が正直なところありまして、どうやって自分の最適解を作り出すか、結構悩んでいます)


一番の理想は、翻訳会社に登録をして、在宅で仕事をすること。
前職の仕事が大変だったのもあって、「自分である程度時間を自由に決めて、仕事をしたい」というのが、一番の想いです(まだまだそんなことを言える立場ではありませんが)。


ただ、僕が一番興味・関心を持っている翻訳分野というのは、あまり注目されていないんじゃないか、という想いもありまして、ここからは、それに関する僕の想いを書いていくことにします。



大学(学士)での研究テーマは、おおざっぱに言うと「日本文化(表現)のローカリゼーション」でした。

ローカリゼーションというのは、例えば電気製品の取り扱いマニュアルを英語から日本語に直したり、ということを指すのですが、僕が興味を持って、研究していたのが「日本固有の伝統や産業等を外国人(英語)に伝える時に、翻訳ではどのような工夫がされているのだろう」ということでした。

大学時代に何度か海外(主にヨーロッパ)に行ったことがあり、その時に、日本の文化とか技術とかその強み(国力)を肌で知る機会がありました。


そんなことがあって、大学時代の後半に、「日本の伝統工芸品を海外に販売する」Focus Japanの事業立ち上げに関わる機会を頂いたり、

「日本を伝えるフリーペーパー」を作成し、インドに二週間程渡って現地の日本語学校や、大学の日本語学科を訪問して配る完全個人プロジェクト(二人)の「Free Magazine Project」を行ったりしました。



(5分程のムービーです)


こんな経緯もあって、「日本固有の文化や表現って、英語にどうやって訳されているのだろう?」ということに興味を持ち、それを研究したのです。

(ちなみにローカリゼーションという言葉は、口頭試問の時にある教授が口にされた言葉で、とてもしっくりきたことを今でも覚えています)


例えば、「着物」ってどういう風に英語に訳すんだろう、とか。

「熨斗」や「水引」、「ご祝儀」といった言葉。

例を挙げるときりがありませんが、こんなに独特で、魅力的なものを、海外のファンに少しでもよりよく、正確に伝えるために、どんな工夫がされているのか、またはすればいいのか。

そんなことに興味がありました(今もあります)。


だから、少しでも多く、この翻訳の分野で身を立てたいですし、
もっともっと、こういう新しい分野が開拓されてもいいんじゃないか。

そう思っています。


先の例で言うと、「着物」はkimonoで、市民権を得ているとは思いますが、

「熨斗」なら、(abalone) emblem on envelope
(abalone=アワビ、envelope=封筒)

「水引」なら、string(祝いようか弔事用かで、red-white stringとblack-white stringという風に使い分けたり)のように、

訳す時に工夫を重ねる、ということが、大事なんじゃないか、と思っています。


日英翻訳というと、日本語を第二言語として流暢に使える英語ネイティブの方がするのが一般的かもしれませんが、


言葉と言葉の間にある意味、言葉が含んでいる微妙なニュアンスを理解できる、日本語ネイティブだからこそ、翻訳できることもできるのではないか、と思い、このような仕事に取組んでいます。


だから、僕はクライアントの意向をしっかり踏まえた上で、いい翻訳を提供させて頂きたいと思っています。

(これは、一般的な営業の仕事にも当てはまるのかもしれません)


自社の商品を海外に売りたい

外国から来る観光客向けに、英語の説明文を作りたい

自社のwebページを英語でも準備したい


等々、お考えの企業様も多くいらっしゃるかと思われます。

そのような皆様のお力添えをさせて頂ければと思っています。


日本の良さを伝えたいと思っておられる方は、大勢いらっしゃるのではないでしょうか。

「augument5」の日本紹介映像がかっこいいと話題に」のように、映像を作って発信されている方もおられます。

僕も、そのベクトルに対して、自分がどのように関わって行けるのかを模索した中で、「翻訳」というアプローチを取っています。


まだまだ勉強中の身ではありますが、よろしくお願い申し上げます。

2013年2月9日土曜日

Three years has passed since...

9th February is the day when I departed to Poland for the first time (it was in 2010).


Three time is long enough to change my thoughts for the world or some other thing. I'm not sure for my ideas which I had three years ago, but I can somehow remember some of them.


I confess that I did know nothing at that time.
I have even remembered my fear when I boarded in the plane.

Though I chose that way, I was also oppressed by much fear for unknown world.

Looking back those days, I regard that I did my best as I could at that time and the experiences I had there did create who I am now.

It's not so easy to summarize those things in simple words, but I could notice how Japan was looked by the world and also find my mission.

Though my interests and missons changes frequently, those experiences were so precious to broaden my perspectives and senses of values.


I really appreciate for the East European country, Poland.

2013年2月2日土曜日

2012年2月2日。僕は、ヨーロッパ漂流に出た。

2月2日。

カレンダーを見て、ふと気づいた。

去年、2012年のこの日、僕は大阪からヨーロッパへの飛行機に一人乗って、旅に出た。


旅の入口は、2月2日、フィンランドのヘルシンキ。

旅の出口は、3月15日、フランスのパリ。


その間、特に予定を立てていたわけじゃなかった。

文字通り、それは白紙の旅だった。


どこに行ってもいい。

何もしなくてもいい。


特に、ワクワクしていたわけでもなかった。

それは、僕が生きている毎日の延長線上に、すーっと延びている、そんな場所にゆっくりと向かっている、そんな気分だ。


当時、毎日書いていた日記(といっても、そんなにきれいなものではなくて、ただの手記に近い)を読み返していて、僕の中に、あの時の光景が一つずつよみがえった。


二回沈んだ夕日。

マイナス20度のヘルシンキ。


故障で止まった夜行列車。

エメラルドグリーンのオーロラが、天空で踊っていた。


国境を越える一日一本のバスに乗りそびれたこと。

誰もいない、なにもない北極圏を寂しく流れたこと。


白銀と群青がにらめっこをする、冬のフィヨルド。

一人で歩いたコペンハーゲン。


ポーランドに行った時は、流氷でフェリーが接岸できなかった。


寒いヨーロッパで気づいた、人の温かさ。

空の青さと、空の広さ。目に映る景色の雄大さと、荘厳さ。


身体の芯から温めてくれる、おいしい料理に舌鼓を打ちながら、

何も決めず、何も持たずに、ただただ、街を流れてた。



行く先々の街では、厚かましくも知り合いに声をかけ、一晩の安住の地を分けてもらうことも沢山あった。

(今思えば、携帯もパソコンも、何も連絡手段を持たずにあれだけ厚かましいことを、よくもやっていたと思う。)


当時僕は、ひとまず仕事をしようと決めて、就職先だけを慌ただしく決めて、この漂流に出た。


もちろん、自分でもいろいろ悩んで、迷ってもいた(といっても、今も当時と状況はあまり変わってはいない)し、あの時の選択は、自分では最適の選択だったと思っている。


けれど、漂流して、やっぱり気づいたんだよね。




旅っていいね




ってね。


本当に、ただ本当に、それだけ。


自分の知らない土地を歩いて、


いろんな人と話をして、


またとない景色をこの目で見て、


頭の中の思索をめぐらす。


これが、僕の好きなことなんだって。



実は、コペンハーゲンをぶらぶらと歩いていた時に、

街の人のみんなの笑顔が素敵で(日本で見たことないくらい、と言っても過言じゃない)、


何が違うんだろう


っていうのは、その時に思ったんだけど、

自分なりの論理と仮説はその時に出た。


それは、ここでは文字にはしないけれど、

自分の目で見て、

自分の足で歩いて、

自分の頭で考える、


この三つの大事さに気づくことができた。


最近書いた、この記事にも似たようなことは書いているんだけど、


これからも、旅をしたいな(旅じゃなくてもいいんだけど)


と、強く思ったのは確かだった。


あとは、当時お会いしたある日本人の方にも、強く影響を受けて、

こういう人になりたいな

と思ったのも、結構大きな影響だったと思う。

だから、

こんなに素敵なことを沢山経験できるのに、仕事を始めたらこんなこともできなくなるなんて、つまらないな

って思ったのは、多分事実だったと思うし、

そういう想いは、ずっと、心の片隅に眠っていたんだと思う。


当時使っていたカメラを、帰国直前に盗られてしまって、記録は殆どないんだけど、

これだけ時間が経った今でも、いろんなことを思い出すことができるから、

記憶に残っているのなら、それはそれでいいかな、なんて割り切ったりもして、

案外美味く生きているんじゃないかと思う。


過去の事実は変わらなくて、過去の意味だけが変わるんだ、

とはよく言われるけど、


あの時、あの時期にヨーロッパを漂流できたのは、自分の中で大きな糧になっているんじゃないか、と思う。


次に自分の足で漂流するのは、いつになるだろう。


旅のあしあと
フィンランド〜ノルウェー北部〜スウェーデン〜デンマーク(コペンハーゲン)〜ポーランド〜チェコ(プラハ)〜スロバキア(ブラチスラバ)〜オーストリア(ウィーン)〜ドイツ(ミュンヘン)〜フランス



漂流中、帰国後に少しまとめたブログ記事はこちら。

旅日記

Coldplayと旅したヨーロッパ


「流れて」生きる、ということ