2月2日。
カレンダーを見て、ふと気づいた。
去年、2012年のこの日、僕は大阪からヨーロッパへの飛行機に一人乗って、旅に出た。
旅の入口は、2月2日、フィンランドのヘルシンキ。
旅の出口は、3月15日、フランスのパリ。
その間、特に予定を立てていたわけじゃなかった。
文字通り、それは白紙の旅だった。
どこに行ってもいい。
何もしなくてもいい。
特に、ワクワクしていたわけでもなかった。
それは、僕が生きている毎日の延長線上に、すーっと延びている、そんな場所にゆっくりと向かっている、そんな気分だ。
当時、毎日書いていた日記(といっても、そんなにきれいなものではなくて、ただの手記に近い)を読み返していて、僕の中に、あの時の光景が一つずつよみがえった。
二回沈んだ夕日。
マイナス20度のヘルシンキ。
故障で止まった夜行列車。
エメラルドグリーンのオーロラが、天空で踊っていた。
国境を越える一日一本のバスに乗りそびれたこと。
誰もいない、なにもない北極圏を寂しく流れたこと。
白銀と群青がにらめっこをする、冬のフィヨルド。
一人で歩いたコペンハーゲン。
ポーランドに行った時は、流氷でフェリーが接岸できなかった。
寒いヨーロッパで気づいた、人の温かさ。
空の青さと、空の広さ。目に映る景色の雄大さと、荘厳さ。
身体の芯から温めてくれる、おいしい料理に舌鼓を打ちながら、
何も決めず、何も持たずに、ただただ、街を流れてた。
行く先々の街では、厚かましくも知り合いに声をかけ、一晩の安住の地を分けてもらうことも沢山あった。
(今思えば、携帯もパソコンも、何も連絡手段を持たずにあれだけ厚かましいことを、よくもやっていたと思う。)
当時僕は、ひとまず仕事をしようと決めて、就職先だけを慌ただしく決めて、この漂流に出た。
もちろん、自分でもいろいろ悩んで、迷ってもいた(といっても、今も当時と状況はあまり変わってはいない)し、あの時の選択は、自分では最適の選択だったと思っている。
けれど、漂流して、やっぱり気づいたんだよね。
旅っていいね
ってね。
本当に、ただ本当に、それだけ。
自分の知らない土地を歩いて、
いろんな人と話をして、
またとない景色をこの目で見て、
頭の中の思索をめぐらす。
これが、僕の好きなことなんだって。
実は、コペンハーゲンをぶらぶらと歩いていた時に、
街の人のみんなの笑顔が素敵で(日本で見たことないくらい、と言っても過言じゃない)、
何が違うんだろう
っていうのは、その時に思ったんだけど、
自分なりの論理と仮説はその時に出た。
それは、ここでは文字にはしないけれど、
自分の目で見て、
自分の足で歩いて、
自分の頭で考える、
この三つの大事さに気づくことができた。
最近書いた、この記事にも似たようなことは書いているんだけど、
これからも、旅をしたいな(旅じゃなくてもいいんだけど)
と、強く思ったのは確かだった。
あとは、当時お会いしたある日本人の方にも、強く影響を受けて、
こういう人になりたいな
と思ったのも、結構大きな影響だったと思う。
だから、
こんなに素敵なことを沢山経験できるのに、仕事を始めたらこんなこともできなくなるなんて、つまらないな
って思ったのは、多分事実だったと思うし、
そういう想いは、ずっと、心の片隅に眠っていたんだと思う。
当時使っていたカメラを、帰国直前に盗られてしまって、記録は殆どないんだけど、
これだけ時間が経った今でも、いろんなことを思い出すことができるから、
記憶に残っているのなら、それはそれでいいかな、なんて割り切ったりもして、
案外美味く生きているんじゃないかと思う。
過去の事実は変わらなくて、過去の意味だけが変わるんだ、
とはよく言われるけど、
あの時、あの時期にヨーロッパを漂流できたのは、自分の中で大きな糧になっているんじゃないか、と思う。
次に自分の足で漂流するのは、いつになるだろう。
旅のあしあと
フィンランド〜ノルウェー北部〜スウェーデン〜デンマーク(コペンハーゲン)〜ポーランド〜チェコ(プラハ)〜スロバキア(ブラチスラバ)〜オーストリア(ウィーン)〜ドイツ(ミュンヘン)〜フランス
漂流中、帰国後に少しまとめたブログ記事はこちら。
旅日記
Coldplayと旅したヨーロッパ
「流れて」生きる、ということ
カレンダーを見て、ふと気づいた。
去年、2012年のこの日、僕は大阪からヨーロッパへの飛行機に一人乗って、旅に出た。
旅の入口は、2月2日、フィンランドのヘルシンキ。
旅の出口は、3月15日、フランスのパリ。
その間、特に予定を立てていたわけじゃなかった。
文字通り、それは白紙の旅だった。
どこに行ってもいい。
何もしなくてもいい。
特に、ワクワクしていたわけでもなかった。
それは、僕が生きている毎日の延長線上に、すーっと延びている、そんな場所にゆっくりと向かっている、そんな気分だ。
当時、毎日書いていた日記(といっても、そんなにきれいなものではなくて、ただの手記に近い)を読み返していて、僕の中に、あの時の光景が一つずつよみがえった。
二回沈んだ夕日。
マイナス20度のヘルシンキ。
故障で止まった夜行列車。
エメラルドグリーンのオーロラが、天空で踊っていた。
国境を越える一日一本のバスに乗りそびれたこと。
誰もいない、なにもない北極圏を寂しく流れたこと。
白銀と群青がにらめっこをする、冬のフィヨルド。
一人で歩いたコペンハーゲン。
ポーランドに行った時は、流氷でフェリーが接岸できなかった。
寒いヨーロッパで気づいた、人の温かさ。
空の青さと、空の広さ。目に映る景色の雄大さと、荘厳さ。
身体の芯から温めてくれる、おいしい料理に舌鼓を打ちながら、
何も決めず、何も持たずに、ただただ、街を流れてた。
行く先々の街では、厚かましくも知り合いに声をかけ、一晩の安住の地を分けてもらうことも沢山あった。
(今思えば、携帯もパソコンも、何も連絡手段を持たずにあれだけ厚かましいことを、よくもやっていたと思う。)
当時僕は、ひとまず仕事をしようと決めて、就職先だけを慌ただしく決めて、この漂流に出た。
もちろん、自分でもいろいろ悩んで、迷ってもいた(といっても、今も当時と状況はあまり変わってはいない)し、あの時の選択は、自分では最適の選択だったと思っている。
けれど、漂流して、やっぱり気づいたんだよね。
旅っていいね
ってね。
本当に、ただ本当に、それだけ。
自分の知らない土地を歩いて、
いろんな人と話をして、
またとない景色をこの目で見て、
頭の中の思索をめぐらす。
これが、僕の好きなことなんだって。
実は、コペンハーゲンをぶらぶらと歩いていた時に、
街の人のみんなの笑顔が素敵で(日本で見たことないくらい、と言っても過言じゃない)、
何が違うんだろう
っていうのは、その時に思ったんだけど、
自分なりの論理と仮説はその時に出た。
それは、ここでは文字にはしないけれど、
自分の目で見て、
自分の足で歩いて、
自分の頭で考える、
この三つの大事さに気づくことができた。
最近書いた、この記事にも似たようなことは書いているんだけど、
これからも、旅をしたいな(旅じゃなくてもいいんだけど)
と、強く思ったのは確かだった。
あとは、当時お会いしたある日本人の方にも、強く影響を受けて、
こういう人になりたいな
と思ったのも、結構大きな影響だったと思う。
だから、
こんなに素敵なことを沢山経験できるのに、仕事を始めたらこんなこともできなくなるなんて、つまらないな
って思ったのは、多分事実だったと思うし、
そういう想いは、ずっと、心の片隅に眠っていたんだと思う。
当時使っていたカメラを、帰国直前に盗られてしまって、記録は殆どないんだけど、
これだけ時間が経った今でも、いろんなことを思い出すことができるから、
記憶に残っているのなら、それはそれでいいかな、なんて割り切ったりもして、
案外美味く生きているんじゃないかと思う。
過去の事実は変わらなくて、過去の意味だけが変わるんだ、
とはよく言われるけど、
あの時、あの時期にヨーロッパを漂流できたのは、自分の中で大きな糧になっているんじゃないか、と思う。
次に自分の足で漂流するのは、いつになるだろう。
旅のあしあと
フィンランド〜ノルウェー北部〜スウェーデン〜デンマーク(コペンハーゲン)〜ポーランド〜チェコ(プラハ)〜スロバキア(ブラチスラバ)〜オーストリア(ウィーン)〜ドイツ(ミュンヘン)〜フランス
漂流中、帰国後に少しまとめたブログ記事はこちら。
旅日記
Coldplayと旅したヨーロッパ
「流れて」生きる、ということ
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