2012年10月18日木曜日

世界一周旅行は単なる消費物に成り下がってしまったのか?

ここ数年で巷では、「世界一周」という言葉が頻繁に聞かれるようになり、多くの人が同様の方法をとって、日本から海外に出ているようだ。
特に大学生の間で大流行?しているみたいで、休学をして旅に出る人が増えているのは確実なんじゃないかと思う。

僕自身、世界一周はしたことがないが何度か海外を旅して回ったり、滞在していたこともあって、このように多くの人が海外に出て行くことは、全く否定しない。むしろ、いい傾向だと思っている。

しかし、ここ最近の動向を見ていると、どうも違和感を覚えることが多いので、今回はそんな違和感について書いてみようと思う。

いきなり端的に、僕の違和感を書いてみると

今の「世界一周」というのは、人生の貴重な機会(経験)ではなくて単なる「消費物」でしかないんじゃないの?

というものだ。


つまりどういうことなのかというと、

世界旅して何経験してるの?
僕にしたら、単に時間とお金を消費してるだけに見えるんですけど、

って、そういう話です、はい。

僕の周りにも、今世界旅している友達がいて、たまにFacebookの写真を見たり、ブログの記事を読んだりするけど、案外同じような日本人の旅人とつるんでいたり、「〇〇の料理はおいしい!」とか、「△△寒い!」とか、そんなレベルの記事しか書かれてないのを見ると、「おいおい、世界旅して感じることそれだけかい!」って、思わずつっこんでしまうわけですね。
(もちろん、いろいろ考えることと、それをブログ等の手段を使ってアウトプットすることは全く別のことなので、これは批判というより小言として受け取ってもらう方がいいかもしれません)


ただ僕自身ポーランドに滞在していて、日本語を一切使わずに現地で生活をしていた、ということと、想像以上に日本の文化に興味を持っている人がいることを知った、ということ、そしてアウシュビッツを訪れて、歴史認識について考えるきっかけになった、という三つの原体験があったので、自分にとってはすごく異郷の地で濃い経験をすることができた、と思っているし、あの時の体験がその後の自分の価値観の変化に少なかれ影響を及ぼしているので、今世の中で流行っていることと照らし合わせると、「その人が何を経験しているのか」ということをもっと知る機会があればいいなあ、と思っている。

(ちなみにヨーロッパを回った時に、デンマークでもある仮説を作ることができたし、チェコ、スロバキアに行った時は、同じ東欧でもポーランドとは違う歴史背景を知って、ナチス以外にも冷戦について考える貴重な機会が持てた。人が興味を持っていることはそれぞれ違っているから、僕からは何も言えないが、果たしてこのような「疑問」やら「仮説」を持ったり、もつきっかけをなる体験(それは、自分の内面にエネルギーが突き進んでいくものだ)をしている人って、どれくらいいるんやろうか、というとも素朴な疑問)


あと、僕が一番「?」なのは「旅を通したセルフブランディング」なるもの。

僕もTwitterで追っかけているだけなんで、詳しいことはなんともいえないけど、どうやら「自分の旅はこれだけすごい」っていう風に「見せ方」を工夫して、自分の価値を高める手法らしい。

例えば、LCCやCSを上手く使って旅費を安くする方法や、世界の絶景をまとめてブログで発信するとか。
つまり「この人に話聞けば、何かおトクな情報入手できそうだ」というふうに人にアピールする方法の一つなんだと思う。

ここまでくると、旅そのものが単なる大衆に消費されるコンテンツと化している、と思ってため息が出る。

ここまでくると、もはや「旅から何かを学ぶ」という、一種の謙虚さが忘れられているようにしか思えなくて、恐ろしい。

そんなブランド化された自分の中に、アウシュビッツで感じた戦慄は残っているのだろうか。

アウシュビッツじゃなくてもいい。

アフリカでみた貧困の現場や、インドで感じた熱気とカオスでもいい。

その人自身の目で見て、肌で感じたこと。

その頭で考えたこと。

そういうものは、カネにならないかもしれない。でも、旅で得る本当に大事なものは、カネじゃないかもしれない。






旅をしていると、文化や習慣の違いの壁にぶつかることも多々あって、その中で軋轢が生じたり、ストレスが溜まったりすることもあると思う。

でも、そういう壁にぶつかることで、自分にとっても勉強ができたり、新しい発見があったり、何よりも全く異なるバックグラウンドを持った人たちと、意思疎通を図れることができるんじゃないかと思う。
(これは何も、旅に限らず留学なり、海外でインターンをするなりの経験に共通していると思う)

それなのに、先に述べた「ブランディング」を目指してしまうと、ともすると自分の「悪い経験(恥ずかしい経験)」を削ぎ落してしまうことになってしまうだろう。
(何より、ここでの「ブランディング」というのはいわゆる企業が努力をして行っていることと全く同じことだ。自社ブランドを作り上げる・守るために、損失隠しをする場合だってあるだろう)

果たして、そんな「無機質」なことをどれだけの人が聞きたがるのだろうか。そして、どれだけの人がそんな「無機質」な自分を作り上げたいのだろうか。


別に、旅費を節約するノウハウなんて知らなくてもいいじゃないか。

「自分はここに行って、こんなことを考えた。こんな経験をした。」ということを、うまくまとめられなくても、削ぎ落さなくてもいいから、感じたままに伝えれば、興味を持っている人は自ずと聞いてくれるだろう。


変に自分の経験をコンテンツ化して、セルフブランディングなんかしないほうが、本当に大切なものに気づけるんじゃないか。

それは、旅をした本人だけが気づくものだと思うし、他の人に伝える必要もないかもしれない。


安易に「ブランディング」なんかすると、姿を現してくれる世界に対して失礼だ。



もし、あなたが資本主義の成り下がりものになりたくって、自分を大衆化してまで旅をコンテンツとして消費したいのなら、ブランディングでもなんでもやって頂いて結構だが、そういう傾向に対して何か違和感を覚えている人がいるのなら、一度立ち止まって考えてみるのもいいかもしれない。


このブログが、そんな人の一助になれば幸いだ。




「旅」に関して、社会学者の古市憲寿さんがピースボートを題材に、面白い視点で本を書かれているので、もし興味がある方は以下の本もご覧下さい。



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2 件のコメント:

  1. 藪内さんのご意見を聞いてため息が出てきました...
    というのも、すごく共感できるからです!
    BlogやSNSでの投稿を見ていると皆さん旅行中の楽しそうな写真や幸せそうに見える文章ばかり述べられますよね。
    特にSNSではその傾向が顕著に表れると思います。
    これも一種の幸せな自分を見せたいという「見栄」なのでしょうか...
    労働して得た収入から多額のお金を支払って異国での時間や経験を買うのですから、それを良い思い出にしたいというのは人間の自然な欲望なのだとも思います。
    しかし、こればかりなのにも違和感を覚えるのは事実です。
    私はガイドブックを読んでいる時にもこの違和感を抱いてしまいます。
    例えばお隣の国、韓国を例に挙げてみます。
    韓国を取り上げているガイドブックの情報の大半が「ここが今流行のお洒落スポット!」や「ここに行けば韓流スターに会えるかも!」「ここであなたも韓流美人に!」などの決まり文句でグルメや美容、韓国ドラマの撮影地紹介で占められています。
    しかし、これだけで十分に韓国を取り上げているのか疑問に思います。
    韓国の目線で述べると韓国には他国に侵略された歴史やまだ戦争が終結していない歴史といった部分もあるのです。
    10年ほど前までは板門店を紹介するページも数ページ存在していましたが、現在のガイドブックにはほんの少ししか掲載されていません。
    独立記念館や西大門刑務所跡などの所謂「反日施設」の記載が一切無いガイドブックも多いです。
    これは現実の韓国を覗いてみたいとする旅行者にとっては非常に残念なことだと思います。
    これは韓国当局や旅行業界の方々の推薦したいテーマや多くの旅行者のニーズがエンターテインメントやグルメの部分だということで合致しているからかもしれないので仕方のないことですが。
    紹介する方にはぜひ様々な角度からその国について紹介してほしいです。

    なんだか長々と特定の国の事象について述べてしまい申し訳なく思います。
    私の考えを何となくで良いので分かって頂ければ幸いです^^

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    1. ながいさん

      コメントありがとうございます。長い間返信していませんでした。
      ながいさんがおっしゃることはとてもわかります。まさにその通りだと思います。
      何かの本で読んだのですが、今は何でも情報が手に入るので、実際の旅は「本に書かれてあること(ネットに載ってあること)」を確認する作業にすぎない、という一言に感心しました。
      そうではなく、逆の順番でいろんなことを知っていく、そんな旅にしたいですね(これは旅に限りませんが)

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