フリー生活5ヶ月目。
組織・企業に属さず仕事をするようになって、はや四ヶ月が経った。以前の記事(企業に雇われずに3ヶ月間仕事をしてみて、感じたこと。)でも、フリーになって感じたことをいろいろ書き綴ったが、この一ヶ月でも、また新たな視点から物事を考えることができるようになったので、今回はそんな雑想を綴っていくことにしようと思う。
さて、この一ヶ月で一番考えたことは「仕事(料)の相場」である。
今僕は、自分で翻訳の勉強をしながらクラウドワークス、ランサーズなどのクラウドソーシングサイトを使って、仕事を探して頂いている。
(クラウドソーシングについては、以前に書いたこちらの記事に詳しく書いているので、そちらを参照して欲しい→クラウドワークは、「仕事の仕方」の選択肢としてアリだと思う。)
これらのサイトを使っていて、一番疑問に思うのは「あれ、仕事の単価が相場より極端に安くない?」ということだ。
この疑問に関していうと、これらのサイトを活用して仕事をしている他の人からも、同じような感想が出て来るのが現状なのだが、これはいろいろと考えさせられる(シリアスで見逃せない)事実だと思う。
翻訳の相場というと、ピンキリであるのも事実だが、例えば1word(英単語)が10円とか、一文字(日本語)が5円とかである(ここで示した数値をその道のプロがみると、いろいろ思うことはあるのだろうけど、ここではあくまで「例え」として、思考訓練に必要なものだというくらいに考えて欲しい)。
だから、一つの案件の英単語数が1000wordであれば、1万円で見積もりを出したりするのが、いわゆる「相場」なのである。
しかし、実際にクラウドソーシングを活用している人は分かると思うのだけど、ここで翻訳系の案件を探していると、1ページ400字のデータが10ページあって、発注側の希望額が6000円だったり、これに似たような(あるいはこれより額が少ない)案件が時たま見られる。残念ながらそれが事実となっているのだ。
もちろん翻訳といっても、内容が「金融」とか「法律」とか、その道を極めないとできないような分野もあれば、日常使われている、比較的平易な言葉だけの文章を訳すものもあったりと、一括りで表現できるものではない。それに、上で述べた「相場」というのは、翻訳会社に登録している翻訳者の相場であって、その幾らかは会社に入るマージンになっているだろう(実際、翻訳会社のHPを見ていると、1word15円とかそれ以上になっている場合も多い)。
そういう意味では、少しずつ認知度を得てきているクラウドソーシングというワーキングスタイルでは、翻訳会社を通す必要もないから、仕事の単価は下がってしまうのも、ある意味ではやむない、と見ることもできる。(それでも、いくらなんでも5000字で6000円は安すぎだろう!というツッコミは十分に通用すると思う。)
実際のところ、フリーで仕事をしている方のブログを拝見していると、「明らかに不当な金額で仕事を受けてしまった」とか「自分を安売りしないように気をつける」という実体験・箴言が書かれていることが多く、なかなかフリーで生きていくのも簡単ではないな、とも、この一ヶ月でより一層思うようになった。
(僕にも似たような、苦い経験がある)
ただし、である。
クラウドソーシング等の「新しい仕事の仕方」が徐々に現れてきている今の世の中で、従来の「仕事の相場」がどれほど意味を持っているのかは、案外根本的に問い直されなければいけない問題であるようにも思うようになった。
「仕事の相場」なんて風に考えてしまうと、実際に仕事をしたことがない・経験の浅い人にとっては想像しづらいかもしれないので、ここでは一度「モノを購入/サービスを利用する相場」を考えてみることで、「仕事の相場」について考え直してみたい。
例えばここ数年で、パソコンやテレビは大幅に値下がりしている。5年前のテレビやパソコンがいくらくらいかは、僕は正直覚えていないが、ここ5年でも、テレビなんて5万円あれば結構いいものが買えるようになったと思うし、パソコンも同じような状況にあるんじゃないだろうか。(違っていたらすみません。)
もっとわかりやすいのは、航空会社を取り巻く状況だろう。数年前なんて、LCCを使って韓国や中国、台湾、東南アジアに1万円前後からで移動できるなんて、考えられなかった。(僕もPEACHのセールを利用して、台湾に往復1万2千円で行ったことがある。なんと、東京から大阪までの、新幹線の片道切符より安い!)
ヨーロッパなどの別の地域へも、まだ10万円以上かかるとはいえ、格安航空券をうまく使えば、財布にダメージをそれほど与えることなく移動することができるようになった。
(ちなみに僕は、ヨーロッパへ往復9万円で移動したことがあるが、その方法に興味がある方は、こちらの過去記事を参考にして欲しい)
だからなんというか、確実に相場は変わってきているのだと思う。
今だって、僕たちがそこそこ品質の良い服を、安い値段で購入することができるのは、日本の会社がこぞって東南アジアに進出し、人件費の安い国で安い労働力を使って、それらの製品を安く供給できているからだ。(世界で有名な某日本企業も、世界同一賃金のことが話題に上ったりしてる)
そういう意味では、クラウドソーシング系サイトというのは、まさにグローバル化の象徴ではないかと思っていて、なぜなら場所を選ばずに仕事ができるようになってしまったからだ。
まあ、「グローバル化の象徴」というよりはボーダレス化の象徴と言ったほうが分かりやすいかもしれない。
だって極端な話、生活コストの低い東南アジア出身のウェブデザイナーや翻訳家(もちろん日本語が堪能)が、このようなサイトを使って仕事を受注し出したら、それこそ「仕事の相場がこれくらいなのに!」なんて言い訳(?)は、通用しなくなってしまうから。
(この例も、現実的になりうるかどうかよりも、思考実験くらいに受け止めて欲しい)
「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?」という本にも書いてあったことなのだけど、給料(賃金)が決まるのは、「労働を再生産するのに必要なコスト」が基準となっているらしい。(詳しくは本を読んで欲しい)
組織・企業に属さず仕事をするようになって、はや四ヶ月が経った。以前の記事(企業に雇われずに3ヶ月間仕事をしてみて、感じたこと。)でも、フリーになって感じたことをいろいろ書き綴ったが、この一ヶ月でも、また新たな視点から物事を考えることができるようになったので、今回はそんな雑想を綴っていくことにしようと思う。
さて、この一ヶ月で一番考えたことは「仕事(料)の相場」である。
今僕は、自分で翻訳の勉強をしながらクラウドワークス、ランサーズなどのクラウドソーシングサイトを使って、仕事を探して頂いている。
(クラウドソーシングについては、以前に書いたこちらの記事に詳しく書いているので、そちらを参照して欲しい→クラウドワークは、「仕事の仕方」の選択肢としてアリだと思う。)
これらのサイトを使っていて、一番疑問に思うのは「あれ、仕事の単価が相場より極端に安くない?」ということだ。
この疑問に関していうと、これらのサイトを活用して仕事をしている他の人からも、同じような感想が出て来るのが現状なのだが、これはいろいろと考えさせられる(シリアスで見逃せない)事実だと思う。
翻訳の相場というと、ピンキリであるのも事実だが、例えば1word(英単語)が10円とか、一文字(日本語)が5円とかである(ここで示した数値をその道のプロがみると、いろいろ思うことはあるのだろうけど、ここではあくまで「例え」として、思考訓練に必要なものだというくらいに考えて欲しい)。
だから、一つの案件の英単語数が1000wordであれば、1万円で見積もりを出したりするのが、いわゆる「相場」なのである。
しかし、実際にクラウドソーシングを活用している人は分かると思うのだけど、ここで翻訳系の案件を探していると、1ページ400字のデータが10ページあって、発注側の希望額が6000円だったり、これに似たような(あるいはこれより額が少ない)案件が時たま見られる。残念ながらそれが事実となっているのだ。
もちろん翻訳といっても、内容が「金融」とか「法律」とか、その道を極めないとできないような分野もあれば、日常使われている、比較的平易な言葉だけの文章を訳すものもあったりと、一括りで表現できるものではない。それに、上で述べた「相場」というのは、翻訳会社に登録している翻訳者の相場であって、その幾らかは会社に入るマージンになっているだろう(実際、翻訳会社のHPを見ていると、1word15円とかそれ以上になっている場合も多い)。
そういう意味では、少しずつ認知度を得てきているクラウドソーシングというワーキングスタイルでは、翻訳会社を通す必要もないから、仕事の単価は下がってしまうのも、ある意味ではやむない、と見ることもできる。(それでも、いくらなんでも5000字で6000円は安すぎだろう!というツッコミは十分に通用すると思う。)
実際のところ、フリーで仕事をしている方のブログを拝見していると、「明らかに不当な金額で仕事を受けてしまった」とか「自分を安売りしないように気をつける」という実体験・箴言が書かれていることが多く、なかなかフリーで生きていくのも簡単ではないな、とも、この一ヶ月でより一層思うようになった。
(僕にも似たような、苦い経験がある)
ただし、である。
クラウドソーシング等の「新しい仕事の仕方」が徐々に現れてきている今の世の中で、従来の「仕事の相場」がどれほど意味を持っているのかは、案外根本的に問い直されなければいけない問題であるようにも思うようになった。
「仕事の相場」なんて風に考えてしまうと、実際に仕事をしたことがない・経験の浅い人にとっては想像しづらいかもしれないので、ここでは一度「モノを購入/サービスを利用する相場」を考えてみることで、「仕事の相場」について考え直してみたい。
例えばここ数年で、パソコンやテレビは大幅に値下がりしている。5年前のテレビやパソコンがいくらくらいかは、僕は正直覚えていないが、ここ5年でも、テレビなんて5万円あれば結構いいものが買えるようになったと思うし、パソコンも同じような状況にあるんじゃないだろうか。(違っていたらすみません。)
もっとわかりやすいのは、航空会社を取り巻く状況だろう。数年前なんて、LCCを使って韓国や中国、台湾、東南アジアに1万円前後からで移動できるなんて、考えられなかった。(僕もPEACHのセールを利用して、台湾に往復1万2千円で行ったことがある。なんと、東京から大阪までの、新幹線の片道切符より安い!)
ヨーロッパなどの別の地域へも、まだ10万円以上かかるとはいえ、格安航空券をうまく使えば、財布にダメージをそれほど与えることなく移動することができるようになった。
(ちなみに僕は、ヨーロッパへ往復9万円で移動したことがあるが、その方法に興味がある方は、こちらの過去記事を参考にして欲しい)
だからなんというか、確実に相場は変わってきているのだと思う。
今だって、僕たちがそこそこ品質の良い服を、安い値段で購入することができるのは、日本の会社がこぞって東南アジアに進出し、人件費の安い国で安い労働力を使って、それらの製品を安く供給できているからだ。(世界で有名な某日本企業も、世界同一賃金のことが話題に上ったりしてる)
そういう意味では、クラウドソーシング系サイトというのは、まさにグローバル化の象徴ではないかと思っていて、なぜなら場所を選ばずに仕事ができるようになってしまったからだ。
まあ、「グローバル化の象徴」というよりはボーダレス化の象徴と言ったほうが分かりやすいかもしれない。
だって極端な話、生活コストの低い東南アジア出身のウェブデザイナーや翻訳家(もちろん日本語が堪能)が、このようなサイトを使って仕事を受注し出したら、それこそ「仕事の相場がこれくらいなのに!」なんて言い訳(?)は、通用しなくなってしまうから。
(この例も、現実的になりうるかどうかよりも、思考実験くらいに受け止めて欲しい)
「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?」という本にも書いてあったことなのだけど、給料(賃金)が決まるのは、「労働を再生産するのに必要なコスト」が基準となっているらしい。(詳しくは本を読んで欲しい)
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フリーで仕事をして、案件ごとに仕事を獲得する、という意味では、一般的なサラリーマンに該当する考え方は、あてはまらないかもしれないが、それでもフリーで仕事をしている人は「これぐらいの時間が必要」「これぐらいの労力が必要」というのも含めて見積もりを出すから、「これぐらいの料金」というおよその額は、おのずと決まって来るはずだ。
そんな中で、仕事の発注側があきらかに相場を逸した金額で仕事を発注し、受注側もそれに応じてしまうと、フリーで仕事をしている他の人にも、悪い影響が出てしまう。
…というのは一般的に言われていることなのだけど、本当に、そんな「当たり前」が「当たり前でなくなる」ことも、何も全く現実味のないことではないのかもしれない。
さっきは、東南アジアで…という例を出したが、例えばこれが、どこか生活コストの低い土地で生活している日本人だったらどうだろう。例えば、ある程度フリーで仕事を獲得できる実力を持っている人がいて、そんな人がどこか、生活コストの安い土地に住んでいるとする。そこでクラウドソーシング系のサイトを使って、他のフリーの人と同じように、仕事を探すのだ。
これって、そこまで現実的ではないかもしれないが、やはり実現すると恐ろしいことであるには間違いがない。だって、日本にいるフリーランサーが「この仕事量に対してこの金額は、相場を無視している!」と声を大きくしたって、「生活コストの低い所で暮らしているので、この案件は従来の2分の1の料金でします」なんて人がいて、仕事が取られてしまったら、なんかもう、言い訳はできないし、それが厳しいけど現実になると思う。
もちろん、生活コストの低いところで暮らしていたって、貯蓄を増やしたいからありえない額で仕事を受ける人なんているかどうか分からないし、そもそもこんな「生き方・働き方」ができる人が何%いるのかも分からないから、単なる絵空事でしかない(けれど思考実験には適していると思う)事象であるかもしれないが、僕がこの一ヶ月で思ったのは、「やれ産業の空洞化だの叫ばれて、いろいろ問題が起こってきているけど、案外それと同じことが、別の世界でも起こってしまうんじゃないの?」という、僕の中ではショックでもあり、一方で興奮もすることだったのだ。
今は複雑系の時代とか、先が分からない(読みにくい)時代である、とも言われていて、「一つの会社でずっと働かないことも当たり前」とか「手に職(一芸)をつけると安心」なんて言われてもいる。確かにそれは事実で、大事なことなんだろうけど、でもそれは必要条件ではあっても、十分条件ではないんじゃないか、と、この一ヶ月で自分なりに考えて、結論に至っている。
(余談だが、僕は人間にとって一番難しくって、かつ尊い仕事は自分の頭で考えることだと思っている)
もし何か一芸を持っていたとしても、ボーダレス化は着実に進行していて、それに巻き込まれてしまう(たぶん逃れられない)と、殆ど役にたたなくなってしまうだろう。
今回書いた僕の文章・知見・危機感については、分かる人は分かるのだけど、分からない人にとっては何のことかさっぱり分からないことかもしれない。また、「いや、そんなことはない!」という、厳しい反論を頂くかもしれない(もし建設的な反論をお持ちの方は、遠慮なくコメント欄に書いて頂きたい。僕も勉強させて頂きます)。
でも、案外世界のフラット化・ボーダレス化は身近なところで進んでいるのではないかと、強く実感したし、僕が持っている興味、関心、課題も少しずつ変化している(気づけたことは良かったと思っているし、変化していることも逆に、僕自身は安心している)。
それでは、これからを生きていくために必要なことは何なのか。僕はそれを自分の人生の舵は、自分で取るという認識、もっと言葉を変えると経営者思考と起業家精神だと思っているが、これらについては、またの機会に書いてみようと思う。
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