尊敬している人のブログに、こんな記事があります。
脱サラブレッド、そして野ネズミへ!
なかなかインパクトのあるタイトルで、書かれている内容も、シンプルですが力強い。
そして僕自身も、この野ネズミ化は大事だと思っているんです。
(それには、僕自身がそうなる必要がある、という意味もありますし、もっともっとそういう人が、世間一般で増える必要もある、という二つの意味が含まれています)
新卒で始めた仕事を半年で辞めて、今はどこの組織にも所属している僕は、どちらかといえば野ネズミに近い生き方をしているのかもしれません。
ただ、大学まではいわゆる「サラブレッドコース」を歩んでいたのも同然で、その「サラブレッドに仕立てられる」過程で、調教に違和感を感じて、そのコースから抜け出してしまったわけで、そういう意味では、自分がサラブレッドに向いているのか、それとも野ネズミに向いているのかは、まだ自分でははっきりと分かっていません。
でも、心の中ではどこかサラブレッドなんてくそくらえ!と思っているのも事実で、こういう反骨心は、幼い頃からずっと持ち続けてきたんだと思います。
自分がサラブレッドであることにあぐらをかいて、盲目的になりたくはない。
英語の勉強を例にとると、ここでのサラブレッドというのは、英語圏に長期間留学をして、海外の大学院で修士号や博士号を取って、それからは外資系企業に勤めたり、国連で働いたりしている人を指すんだと思います。
正直言って、こういう人たちは凄いと思います。英語力や仕事力等で、僕は足下にも及びません。
しかし一方で、これだけ”サラブレッド”になってしまうと、その世界が当たり前になって、逆に怖いこともあるんじゃないかと思います。
この前、ある方に紹介頂いて、翻訳分野で活躍されている方にお会いし、キャリアをどう歩んでこられたのか、翻訳の勉強はどのようにされてきたのかを、沢山伺いました。
その中で一つ頂いた忠告が「英語ができることと翻訳ができることは全く別のことだから、自分が英語ができるからといって、甘く考えない方がいい」というものでした。
その方は、学生時代に英語圏に留学されて、英語講師の仕事もするなど、ネイティブ英語と触れ合う機会も人一倍あったようなのですが、それでも後で通い始めた翻訳学校では、厳しい指導をもらい、今まで自分が持っていた自信がなくなったこともあったそうです。
そんな自身の経験も踏まえて教えて下さった忠告なのですが、それを聞いて僕はむしろ、チャンスだな、と思いました。
ここ数年で紆余曲折を経て、今僕は翻訳分野で身を立てようと、勉強をして仕事もしています。
ですが、実は僕は、留学経験(半年以上)はありませんし、英語圏に語学留学で滞在したこともありません。(高校の時に、10日間だけ語学研修でオーストラリアには行きましたが、それ以来「英語圏」の国には行ったことがありません)
僕が英語と接するきっかけになったのは、ラジオで放送されいる1日15分の語学番組でしたし、逆にいうと、それがきっかけで言葉(言語)の魅力に取り憑かれてしまって、今まで14年間、1日15分を続けてきたわけです。そのおかげで、ある程度英語は使えるようになりましたし、大学で言語学分野を専攻することにもなりました。
長期滞在したのは非英語圏のポーランドで、そういう点では、僕はあくまでESL(English as a Second Language:第二言語としての英語)を使ってきたのです(もちろん、ラジオ番組のアシスタントは英語ネイティブです)。
だから、先日先輩の翻訳家にその話を聞いた時に、覚悟もしないといけないと思った一方で、「英語圏に留学して、自分の英語に自信があるのに、翻訳は全く別物だなんて、これは面白いな」とも思ったわけです。
僕なんて、英語圏留学・生活経験はおろか、英語を使っての就労経験もゼロに等しいわけで、そんな自分を比較するのは失礼とは思うんですが、逆に、こんな自分だからこそ、成功体験(=幻想)に縛られず、前進できるのではないかとも思いました。
(よくも悪くも、まだまだこれから)
そしてもう一つ、その先輩から聞いた話で印象的だったのは、「翻訳家の質が低下してきている」という話でした。
具体例を聞くことはできなかったのですが、僕が思うに、クラウドソーシングサイトで、個人・単発案件単位で仕事をできるようになりつつある時代で、「プロの翻訳家」としての品質保証がなされないケースが増えてきているのではないか、と思っています。
(参考:クラウドワークは「仕事の仕方」の選択肢としてアリだと思う)
僕もこういうサイトを使っているのでなんとなく分かるのですが、仕事の単価が異常に低い場合が殆どですし、経験がなくても「プロ」と名乗れることも重なって、「本物」と「本物じゃない人」の区別が分かりづらくなってきている。
(僕も、経験年数が少ないのでまだまだ後者側ですが)
そんな中で、翻訳の経験もない人がボランティアで仕事をしたりして、翻訳全般の品質低下に繋がり、「プロ」にもその影響が及んでいる、ということみたいです。
この話を聞いた時には、なるほど一理ある、と思いましたが、その一方で「それはプロにも原因があるんじゃないか?」とも思いました。
例えが変わりますが、今、日本の企業は工場を、どんどん海外移転しています。
それは、人件費が安いのが一番の理由で、結局「コスト」の問題なんでしょうね。
そして、それは翻訳の世界にも当てはまって、「そんなに多くのコストをかけられないのに、本物のプロに多額のお金を払うのは厳しい」と思っているクライアントもいるんじゃないか。
翻訳というのは、よほど専門的な文章を除いては、クライアント側も「これくらいの質で」と思っている基準もあって、それが満たされればいい、というのも真実だと思います。
それって、わざわざ日本製の高級な商品を買わなくても、中国で作られた、価格の安いものを買おう、っていうケースと同じだと思うんですよね。
以前、「日本の伝統工芸品を海外に売り込む」という事業に関わらせて頂きましたが、パートナーを探していても、とても質の良い製品(工芸品)を作っているのに、その良さが伝わらずに、厳しい状況に直面している、という会社(事業主)も目にしてきました。
そして、これは工芸品も翻訳も同じで、自分が「いくら良いものを提供している」と口で言っても、自ら動かなければ、その良さは伝わらないんですよね。
「プロにも原因があるんじゃないか」と考えるのは、そんな仮説からです。
サラブレッドであることにあぐらをかく、というのは、僕にとっては上に書いたようなことを具体的に指しているわけで、そういうことも考えると、自分が取るべき方向が分かってくる。
こんなことを書くと、翻訳の世界で活躍されている方を全員敵に回してしまうことにもなりかねないのですが、僕の根底には
・世の中のサイクルがだんだんと早くなってきている
・これから生きていく(仕事をしていく)ためには、何か一つでも芸(専門技術)があれば良い
・世界のいろんな常識、ルールが変わってきている中で、今までのスピード感や方法論は通用しなくなってきている
・今まで理想とされてきた「進むべきレール(取るべき進路)」さえも、リスクになりうる
といったような認識、問題意識があり、それらを考えた上で、「翻訳」を自分の武器の一つとして生きていきたい(必要がある)という思いがあります。つまり、あくまで「手段」として武器を選び、今の道を進んでいるため、同業界の方々を単に批判、非難しているわけではないことをご理解頂ければと思います。
(いろんなところで、上の4色で書いた議題・課題は耳にしたり目にしたりするのですが、翻訳の世界って、比較的これらの影響を受けていない気がするので、今後の動向に興味があるのと、このような問題意識に対して、当事者の皆さんがどのように考えておられるのか、伺ってみたいのも本音です。もちろん、僕もこの世界ではまだまだ未熟ですので、大きな勘違いをしているのであれば、それについては教えて頂ければとても有難いです。)
だから、いろいろ考えると、”サラブレッド”を目指すためだけに歩みを進めるのは、結構なリスクだと思っています。
”サラブレッド”というのは、よくも悪くも芝の整ったコースを一位で駆け抜けるためだけに、調教されますから。
だから、僕は”野ネズミ”まではいかないかもしれませんが、もっと「泥臭さ」「アナログさ」「カオスを生きる力」をつけていきたい。
これから必要なのは、「〇〇力」と簡単に示されるものではなく、もっともっと訳の分からない力、カタチに表しにくい力なんだと思っています。
(この辺りは、「ナリワイを作る」を読んで頂くのが一番手っ取り早いと思われます)
そんな意味では、22歳から会社に勤めて、ゼロから武器を手に入れるのではなく、スタートラインを無視して、10歳から手にしてきたものを武器にしようとしている点で、僕は野ネズミにまだ近いほうなのかもしれません。
→Skype相談始めました。お悩みがある方はこちらからお気軽にどうぞ。
脱サラブレッド、そして野ネズミへ!
なかなかインパクトのあるタイトルで、書かれている内容も、シンプルですが力強い。
そして僕自身も、この野ネズミ化は大事だと思っているんです。
(それには、僕自身がそうなる必要がある、という意味もありますし、もっともっとそういう人が、世間一般で増える必要もある、という二つの意味が含まれています)
新卒で始めた仕事を半年で辞めて、今はどこの組織にも所属している僕は、どちらかといえば野ネズミに近い生き方をしているのかもしれません。
ただ、大学まではいわゆる「サラブレッドコース」を歩んでいたのも同然で、その「サラブレッドに仕立てられる」過程で、調教に違和感を感じて、そのコースから抜け出してしまったわけで、そういう意味では、自分がサラブレッドに向いているのか、それとも野ネズミに向いているのかは、まだ自分でははっきりと分かっていません。
でも、心の中ではどこかサラブレッドなんてくそくらえ!と思っているのも事実で、こういう反骨心は、幼い頃からずっと持ち続けてきたんだと思います。
自分がサラブレッドであることにあぐらをかいて、盲目的になりたくはない。
英語の勉強を例にとると、ここでのサラブレッドというのは、英語圏に長期間留学をして、海外の大学院で修士号や博士号を取って、それからは外資系企業に勤めたり、国連で働いたりしている人を指すんだと思います。
正直言って、こういう人たちは凄いと思います。英語力や仕事力等で、僕は足下にも及びません。
しかし一方で、これだけ”サラブレッド”になってしまうと、その世界が当たり前になって、逆に怖いこともあるんじゃないかと思います。
この前、ある方に紹介頂いて、翻訳分野で活躍されている方にお会いし、キャリアをどう歩んでこられたのか、翻訳の勉強はどのようにされてきたのかを、沢山伺いました。
その中で一つ頂いた忠告が「英語ができることと翻訳ができることは全く別のことだから、自分が英語ができるからといって、甘く考えない方がいい」というものでした。
その方は、学生時代に英語圏に留学されて、英語講師の仕事もするなど、ネイティブ英語と触れ合う機会も人一倍あったようなのですが、それでも後で通い始めた翻訳学校では、厳しい指導をもらい、今まで自分が持っていた自信がなくなったこともあったそうです。
そんな自身の経験も踏まえて教えて下さった忠告なのですが、それを聞いて僕はむしろ、チャンスだな、と思いました。
ここ数年で紆余曲折を経て、今僕は翻訳分野で身を立てようと、勉強をして仕事もしています。
ですが、実は僕は、留学経験(半年以上)はありませんし、英語圏に語学留学で滞在したこともありません。(高校の時に、10日間だけ語学研修でオーストラリアには行きましたが、それ以来「英語圏」の国には行ったことがありません)
僕が英語と接するきっかけになったのは、ラジオで放送されいる1日15分の語学番組でしたし、逆にいうと、それがきっかけで言葉(言語)の魅力に取り憑かれてしまって、今まで14年間、1日15分を続けてきたわけです。そのおかげで、ある程度英語は使えるようになりましたし、大学で言語学分野を専攻することにもなりました。
長期滞在したのは非英語圏のポーランドで、そういう点では、僕はあくまでESL(English as a Second Language:第二言語としての英語)を使ってきたのです(もちろん、ラジオ番組のアシスタントは英語ネイティブです)。
だから、先日先輩の翻訳家にその話を聞いた時に、覚悟もしないといけないと思った一方で、「英語圏に留学して、自分の英語に自信があるのに、翻訳は全く別物だなんて、これは面白いな」とも思ったわけです。
僕なんて、英語圏留学・生活経験はおろか、英語を使っての就労経験もゼロに等しいわけで、そんな自分を比較するのは失礼とは思うんですが、逆に、こんな自分だからこそ、成功体験(=幻想)に縛られず、前進できるのではないかとも思いました。
(よくも悪くも、まだまだこれから)
そしてもう一つ、その先輩から聞いた話で印象的だったのは、「翻訳家の質が低下してきている」という話でした。
具体例を聞くことはできなかったのですが、僕が思うに、クラウドソーシングサイトで、個人・単発案件単位で仕事をできるようになりつつある時代で、「プロの翻訳家」としての品質保証がなされないケースが増えてきているのではないか、と思っています。
(参考:クラウドワークは「仕事の仕方」の選択肢としてアリだと思う)
僕もこういうサイトを使っているのでなんとなく分かるのですが、仕事の単価が異常に低い場合が殆どですし、経験がなくても「プロ」と名乗れることも重なって、「本物」と「本物じゃない人」の区別が分かりづらくなってきている。
(僕も、経験年数が少ないのでまだまだ後者側ですが)
そんな中で、翻訳の経験もない人がボランティアで仕事をしたりして、翻訳全般の品質低下に繋がり、「プロ」にもその影響が及んでいる、ということみたいです。
この話を聞いた時には、なるほど一理ある、と思いましたが、その一方で「それはプロにも原因があるんじゃないか?」とも思いました。
例えが変わりますが、今、日本の企業は工場を、どんどん海外移転しています。
それは、人件費が安いのが一番の理由で、結局「コスト」の問題なんでしょうね。
そして、それは翻訳の世界にも当てはまって、「そんなに多くのコストをかけられないのに、本物のプロに多額のお金を払うのは厳しい」と思っているクライアントもいるんじゃないか。
翻訳というのは、よほど専門的な文章を除いては、クライアント側も「これくらいの質で」と思っている基準もあって、それが満たされればいい、というのも真実だと思います。
それって、わざわざ日本製の高級な商品を買わなくても、中国で作られた、価格の安いものを買おう、っていうケースと同じだと思うんですよね。
以前、「日本の伝統工芸品を海外に売り込む」という事業に関わらせて頂きましたが、パートナーを探していても、とても質の良い製品(工芸品)を作っているのに、その良さが伝わらずに、厳しい状況に直面している、という会社(事業主)も目にしてきました。
そして、これは工芸品も翻訳も同じで、自分が「いくら良いものを提供している」と口で言っても、自ら動かなければ、その良さは伝わらないんですよね。
「プロにも原因があるんじゃないか」と考えるのは、そんな仮説からです。
サラブレッドであることにあぐらをかく、というのは、僕にとっては上に書いたようなことを具体的に指しているわけで、そういうことも考えると、自分が取るべき方向が分かってくる。
こんなことを書くと、翻訳の世界で活躍されている方を全員敵に回してしまうことにもなりかねないのですが、僕の根底には
・世の中のサイクルがだんだんと早くなってきている
・これから生きていく(仕事をしていく)ためには、何か一つでも芸(専門技術)があれば良い
・世界のいろんな常識、ルールが変わってきている中で、今までのスピード感や方法論は通用しなくなってきている
・今まで理想とされてきた「進むべきレール(取るべき進路)」さえも、リスクになりうる
といったような認識、問題意識があり、それらを考えた上で、「翻訳」を自分の武器の一つとして生きていきたい(必要がある)という思いがあります。つまり、あくまで「手段」として武器を選び、今の道を進んでいるため、同業界の方々を単に批判、非難しているわけではないことをご理解頂ければと思います。
(いろんなところで、上の4色で書いた議題・課題は耳にしたり目にしたりするのですが、翻訳の世界って、比較的これらの影響を受けていない気がするので、今後の動向に興味があるのと、このような問題意識に対して、当事者の皆さんがどのように考えておられるのか、伺ってみたいのも本音です。もちろん、僕もこの世界ではまだまだ未熟ですので、大きな勘違いをしているのであれば、それについては教えて頂ければとても有難いです。)
だから、いろいろ考えると、”サラブレッド”を目指すためだけに歩みを進めるのは、結構なリスクだと思っています。
”サラブレッド”というのは、よくも悪くも芝の整ったコースを一位で駆け抜けるためだけに、調教されますから。
だから、僕は”野ネズミ”まではいかないかもしれませんが、もっと「泥臭さ」「アナログさ」「カオスを生きる力」をつけていきたい。
これから必要なのは、「〇〇力」と簡単に示されるものではなく、もっともっと訳の分からない力、カタチに表しにくい力なんだと思っています。
(この辺りは、「ナリワイを作る」を読んで頂くのが一番手っ取り早いと思われます)
そんな意味では、22歳から会社に勤めて、ゼロから武器を手に入れるのではなく、スタートラインを無視して、10歳から手にしてきたものを武器にしようとしている点で、僕は野ネズミにまだ近いほうなのかもしれません。
→Skype相談始めました。お悩みがある方はこちらからお気軽にどうぞ。
0 件のコメント:
コメントを投稿