ビザ申請のために行ってきました。
にしても、一番驚いたのは、品川駅。
大学時代には、この駅近くにオフィスを構える会社で在宅でインターンをさせてもらっていて、時々東京で集まる機会に品川駅で降りていて、コンコースの内側を、会社に向かって、外側を、駅に向かってきっぱりと二手に分かれて歩いている群衆を見ていて「怖いな」と思ったんですが、
今回は、駅のホームと上の乗り換えコンコースを結ぶ階段で…
階段の左半分が「↑のぼり」、右半分が「↓くだり」という目印があって、一応手すりもあって分かれているわけですよ。
ただ、山手線のホームでしたが、時間的にホームに降りる人は殆どいなくて、反対にホームから上に行く人は、列車から沢山降りてきたわけです。
で、全員が全員、「↓くだり」の階段が空いているにもかかわらず、律儀に「↑のぼり」の階段側に列を作って上っているのを目にしてしまって…
いやあ、本当に言葉は悪いですが「気持ち悪い」って思いましたよ。
だって、右半分空いているじゃないですか。
ちなみに僕は、その右半分の一番左側(階段全体で言えば真ん中付近)をスタスタスタ…と早足で歩いて、軒並みの人間を追い越していきましたが、
なんで右半分にも分かれて歩かないのか、全く理解できませんでした。
いや、もちろん降りている人が沢山いるときにそれやったらダメですよ。(大阪とかそういう人多いですけど。笑)
でも、この時は降りる人が殆どいなくて、右半分だけ異常に空いていたので…本当に不思議でした。
これがいわゆる、思考停止状態ってやつなんでしょうか。
それとも、「みんなが左を歩いているし、自分だけはみだせない」なんていう、見えない同調圧力でも存在するんでしょうか。
僕は全く感じませんでしたが(汗)
いずれにせよ、恐怖というか、薄気味悪さを覚えましたね。
あと、最近思うんですが、上でも使いましたけど「思考停止」って言葉あるじゃないですか。
人間、頭を持っているのにそれを使っていない、って意味ですよね。
僕、人間の価値ってそれこそ「考えること」にあると思っているんですよね。
人工知能が台頭してきているなかで、人間が他人を動かすことができる分野って、「(失敗も含めて)考えること」だと思っているわけです。
いろんな前提を組み合わせたり、帰納・演繹を組み合わせて考えを詰めていったり、メタファーを使って・独自の視点で物事を切り込んでいったり。
それらの根本にあることって「思考」だと思うわけです。あるいは、疑問を持つ力。それが「考えること」に繋がります。
将棋の世界でも、コンピュータがプロ棋士をなぎ倒していっていますが、その上で、「人間同士の戦い」が魅力的なのは、悪手を指したりポカをしてしまったり、という「マイナス面」まで含めた「人間らしさ」に、魅力を我々が感じているからじゃないか、と思うんですよ。だって、人間誰だって失敗はしますし、そういう経験をするからこそ、自分や他人の弱いところを受け入れられるし、人間同士の泥臭い付き合いが生まれていったりするわけですよね。(まあ、これは「思考」っていうよりも「感情」といったほうがいいかもしれないですけど)
だから、いずれにせよ、考えることを放棄してしまった人間って、なんというか、アレだよなあ、と思ってしまうわけです…
(今回、あえて言葉を濁してしまいました)
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