2016年3月20日日曜日

紙一重の世界



今日は、将棋のNHK杯決勝だったので、放送時に見ていた。


優勝者は村山慈明(やすあき)七段で、個人的には関西の千田(ちだ)翔太五段を応援していたので、この結果はちょっと残念だった。


(ちなみに千田さんは、先日のA級順位戦最終局の大盤解説会でも顔を出されていて、このNHK杯戦での活躍もあり、ファンになってしまった。自分より年下だし)




で、この村山さん、NHK杯優勝の裏で、順位戦ではB級1組から陥落。



他にも、NHK杯ベスト4入りの久保さんがA級から陥落したり、


つい昨日、羽生さんの挑戦を退けてタイトルを防衛した郷田九段も同じく、A級から陥落。




華々しい結果を残す一方で、別の舞台では苦杯を味わうプロ棋士が、特に今年は目立った気がする。



それほどにこの世界は実力伯仲、紙一重の世界になっているのだと、改めて思った。



自分もこういう世界を横目に、もっと研鑽しなければならない、と思った。




2016年3月19日土曜日

世の中の大多数の人間には、評論家になる資格がない



世の中を見ていると、自分がいかにも世界を知っているかのように振る舞う「評論家」気取りの人間が多いことが、目に付く。



その一方、これはある機会に聞いた話なのだが、「自分のステージが上がっていないのに、評論家になってはいけない」という金言が、存在する。



どういうことか。



何かを評論することができるためには、まずあるステージで何かにがむしゃらに取り組む「打ち込み」が必要である、ということだ。


その上で、結果の有無にかかわらず、その打ち込んだ「何か」をやっと、評論することができる、と。



プロ野球などでも、かつて選手として活躍をしていた人が今や評論家となって重鎮と化している場合があるが、あれは紛れもなく、自分自身が「プレーヤー」として打ち込んだ時期があるから、できる芸当なのである。



しかし、こういうケースはどちらかというと稀で、世界を見てみると、何かに打ち込んだことすらないのに、その「何か」を全て知ったような顔をして、評論する人間が多く存在する。



個人的に思うが、やっぱり「何か」を経験しないと、評論をする資格はその人間にはない。



というのも、評論というのは、それ「だけ」が別個として存在するものではなく、その評論する「対象」と切っても切れない関係性があるから、である。



評論「だけ」を別のものとみなして切り離してしまうと、その評論自体が説得力のない行為になってしまう(即ち、厳密に言えばそれは「評論」ですらないものになり下がってしまうのだ)。





例えば、自分はブログ記事を1000個書いたから、ブログを続けることと情報発信のことや、マネタイズの話をメタ的に評論することが、理論的には可能なのであって、ブログの記事を100個も書けない人が使う言葉よりは、明らかに説得力を持てるものとなっているだろう。



つまりは、そういうことなのだ。


結果が出るか出ないかに関わらず、何かに取り組んでみる、即ち「経験をしてみる」ということが、評論を始めるための紛れもない第一歩になる。



それを頭で、そして肌感覚で理解できていない限り、その人に何かを評論する能力も、資格もない。



そして、そんな資格すらない人間が世の中の9割以上を占めている。


例えば、ブログ飯について評論をする上で、最低ブログ記事は1000個書かないと、殆ど何も見えてこない。つまり、そもそも土俵に上がれていない人ばかりなのだ。



世の中はなかなかどうして、「プレーヤーとして活躍できない人が評論家になる」という構図が強く存在してしまっているようだ。


だが、真理は違う。プレーヤーになろうとしたものしか、評論家にはなることができないのだ。




「世の中を動かしているのは、世の中をよく知らない奴らだ」とは、ここ最近自分の頭の中を駆け巡っている金言である。





国内で引っ越しをするなら



最近、「引っ越すならどこにしようか」なんてことを考える程度には不自由ないほどの稼ぎを得られるようになってきて、たまに賃貸情報を調べているのだけれど、



自分の中でのこだわりは、以下の通り。


・最寄り駅まで徒歩10分圏内

・家賃は4~5万円

・居住面積が30平方メートル以上

・コンビニ、スーパーが徒歩圏内(又は自転車で行ける距離)




特に、家賃と面積の関係にこだわりがある。


面積が広いほうがいいのは、仕事用の机や本棚をどかんと置くスペースが欲しいから。

今はノートパソコンを使っているけど、環境を変えるならデスクトップでデュアルディスプレイにして、



本棚も、既にぱんぱんになっているので、引っ越しした際はもう2つくらい、大きいのを購入。壁一面は本棚にして、本を埋めたい。

(地震が起こると怖いけれど)


寝るスペースは、スポーツ選手とかが使っているマットレスのほうがいいかな?と思っている。


問題は自炊で、手軽にできるものを作り置きしたりして、週に何度か料理をするようにしておいて、行きつけのバーを開拓。



住む場所としての候補は、一つは都市圏で、例えば神戸。

一度住んだことがあるし、東京までも新幹線・飛行機(神戸空港)・夜行列車(サンライズ)でいけるし、時間もそれほどかからない。

(これが広島とかになると、空港まで遠いし、新幹線を使うのも、東京までは遠いなあ…となってしまう)


あとは、以前に調べたことがあるのは、地元の奈良や四国の高松や徳島(小松島市)、関東だと神奈川の三浦市。



そもそも、どこまで実現できるのかは分からないし、とりあえず先に海外生活をやってみたいと思っているのだけれど、



自宅で完結する仕事の仕組みを作ることができたので、それを目一杯享受して、いろんなことに挑戦をしてみたい。

(むしろ、自宅で仕事が完結するからこそ、間取りや大きさにはこだわりたいのだ。)



最近徐々に思考が自由かつ柔軟になってきたと感じている。

それくらい、自分で稼げるようになるということは、自分を解放する上で大事な経験なんだろうな、と思う。




2016年3月18日金曜日

世の中の9割は他人事



プロ野球金銭問題 ソフトバンクも円陣で現金




最近話題になっていますよね。



巨人の賭博問題はまだしも、これくらいの金銭のやりとりですらニュースで大々的に報道するなんて、他に報道することないのか、くらいに思ってしまいますが(苦笑)、




それにしてもすごいのは、これに対して正義感を堂々と示すことができる人が多いこと、です。



個人的に、こういう問題ってもう、どーでもいー話なんですね。


プロ野球は好きですし、今年も見に行く予定ではありますが、以前ほど熱っぽくないというか、「こういうことされたら、別に見るためにお金払わなくてもいいんじゃない?」くらいに思うようになったので。



だから、「こういうことをする球団や選手がいるのはとても残念。もっと心を入れ替えて仕事に取り組んで欲しい」って考えているファンの人は、すごいと思っています。



だって、自分はそこまで思わないし、思い入れもないから(笑)




いや、だって別に、プロ野球選手が円陣を組んでお金のやりとりをしていようがいまいが、別にこっちにしたら関係なくないですか?って話ですよ。


個人的には、しびれる試合を見ることができたらオッケー。


さすがに賭博問題となると、きちんと対応したほうがいいとは思いますけど、別に円陣組んで、という件にまで、熱っぽくならなくても…というのが、正直な感想です。



最近思うようになったんですが、世の中の9割って他人事ですよね、本当に。学歴詐称とか存在しないなんとか細胞とか、まあ世間を賑わす内容は尽きないわけですが、個人的にそういうのに興味がないのが、「自分に関係ない」ことだと思うようになったからです。



で、きちんと理解しておきたいことは、「他人事も自分事も、人それぞれ異なる」ってことですよね。本当に当たり前のことなんですけど。



恐らく、世の中には自分の仕事や身内、親戚が、今回の野球の問題に関係している、という人は一定数いるはずです。そして、そういう人にとって今回の件は、間違いなく「自分事」ですよね。それに関係することでお金をもらっていたり、近しい間柄に関係者がいるわけですから…。




別に、それはそれでいいんです。人間誰だって、何かの件については当事者ですから、それについて悩んだり考えたり、何か行動を起こすっていうのは、すごく真っ当なことですし、本来人間はそうあるべきだ、とも思います。



ただ、一方でこちらも理解しておきたいのは、「他人事に勝手に首を突っ込んで、必要以上に悩まない」ってことも、同じくらいに大事な能力だってことです。



今回の件で言うと、僕にとって野球の金銭授受は他人事なので、「こんなことする人達がいる世界には関わりたくないな」と思えば、野球を見に行かない、とか、「その世界から関わりを絶つ」ことをすれば、おしまいです。「プロとしてあるまじき行為だ!」とか、言うのは自由ですけど、自分はそこまで疲れたいとは思わないので(苦笑)、そういうことはやりません。



そう考えてみると、なんだか世の中って、他人事に勝手に首を突っ込んで自分事のように考える「自意識過剰な人」が沢山いますよね。いや、それはそれで、その人の人生なんで止めませんが、自分はそこまでやってすり減りたくない、っていうのが本音なので、もうこれからは、こういうことで思い悩んだり立ち止まったりするのは、できる限り止めにしよう、と。



その代わり、自分事に対しては精一杯悩んで苦しんで、自分なりの答えを探し続けたい、というのが率直な意見です。「自分事」っていうのは要するに、自分が考えたり悩んだりすることで、自分にとっての見返りが大きい内容です。(世間的に言う「成長する」っていうのも、当てはまりますね。この言葉は自分は嫌いですが。笑)



そう、人生はあまりに短いのが実情。その中でなにをして何をしないか、ということを私たちはもっと考える必要がありますし、実際に取捨選択をする必要があると、思うのです。



自意識過剰になるのは止めましょう。そして、自分がアクションすることで自分に何らかの変化をもたらしてくれる「自分事」に、全力で向き合いましょう。


それが、自分自身の人生をちょっとだけ豊かにするコツなのです。





2016年3月17日木曜日

当たり前のことを当たり前にやる



自分は、できる限り

・他人との待ち合わせの時間には、早めに到着する

・他人との約束をすっぽかさない

・会う予定を入れるときは、2週間くらい前には連絡を入れる(直前にいきなり連絡を入れない)

・遅れそうなときは予め連絡を入れておく



ということを意識してこれまで生きてきたし、これを世間では当たり前にやっているんだろう、と思ってはいたが、



どうもそうじゃないんだろうな、というのが、ここ一年ほど、自分なりに世界を見てきた感想。



いや、自分が経験したのは、約束をすっぽかされるとかが年に数件、なので、決して多くはないのだけれど、相当人付き合いを限定している自分でもこれなんだから、基準を設けずに「1日3人と会う」なんてことをしていたら、それこそ5割を超える確率で、こちらが待たされたり待ちぼうけを食らったり、してしまうんじゃないだろうか、というのが感覚的にある。



究極的に言えば、そういうことをしたって、こちらには全く害がないので、どうでもいい、というか、「ああ、約束も守れないんだな」と少し思って、それっきり絶縁、ということでしかない。もちろん、こちらも「貴重な人生の時間を無駄にした」とは思うが、それ以上に、約束を守れない相手の株が下がるだけだから、自分にとってはどうでもいい、と言える。




で、こういうことを思うからこそ、今一度言いたいのだ。



「当たり前のことを当たり前にしよう」と。



もちろん、当たり前の定義は人によって違うだろうし、自分も、朝早くに起きる、ということは今後もできそうにない(苦笑)



しかし、改めて1人1人が「相手からされたや嫌なこと」を見つめ直して、最低限それだけはきっちりノーミスでやらないようにする、と意識して実践しないと、本当にひどいことになってしまうんじゃないか、と、世間と殆ど付き合いのない自分でも思ってしまう。


(というか、もうひどい状態になっているのかもしれないが…)





いい年した大人が人との約束一つ守れない、なんて恥ずかしいし、こんなことを堂々としている限り、その人は成功を手にする権利なんていつまでたっても来ないのだ。





2016年3月16日水曜日

成功者の法則




このブログでも何度か紹介している、和佐大輔さんが新しいコンテンツを公開されました。



凡人のためのBreak Rule 2016



これは、様々なビジネスで圧倒的な成果を出している10名と和佐さんが対談をして、一定の成功を収めている人の共通点を探して行く、ちょっと変わった対談集です。


(こういうのを対談形式でする、っていうのはあまり聞かないので)



合計10回の音声が無料で聞けるのですが、すでに私は一回目の音声を聞き終えました。



凡人は必ず、ブレークスルーを起こすきっかけを持っているということですが、


これは自分の人生の振り返りをする時にも有効かもしれませんね。




リンク先のメッセージに何か感じるものがあった方は、無料音声だけもらっておけばいいと思います。


(僕は基本的に、貧乏性なのでもらっておきます。笑)



あと、もっと大きな成果を出したい、と思っているのにくすぶっている人も、聞いた方が良いかもしれませんね。




こういうのを見ると必ず「怪しい」と思う人が一定数いるんですが、それは和佐さんを含む、これらの人の実績を知らないからです。


イチローと聞けば、錦織圭と聞けば素人でも「すごいな」と思うのは、彼らが残してきた実績が桁違いだから、というのもまた事実ですし、「この人知らん」と思っても、調べてみたらスポーツや仕事でずば抜けた結果を出していることが分かったら、見る目が変わるのとおなじです。


「自分も含めて凡人だ」よいうメッセージが込められているのも、親近感が湧いていいかなと個人的には思います。




まあ、小さな成功をまずやりたいのなら、約束時間に遅れないとか、人からのお願いをきちんとこなすとか、そういうところからクリアしていく必要があるとは思いますけどね。




凡人のためのBreak Rule 2016





2016年3月15日火曜日

ブログの効果が出てくるのは



1000記事を書いた後だと思う。


もちろん、個人差はあると思うが、自分の場合、アクセス数が安定することや、収益化のもくろみがようやく、現実的なものになってきた、という感じ。



(ある人は、500記事を超えたら…と書いていたのを見たことがあるので、そういう意味では自分は要領が悪いのかもしれない)



とにもかくにも、ブログは積み重ねが大事だと改めて分かった。イケダハヤトさんも「まずは無給覚悟で、1日10記事を1年間書き続けろ」と言っているし、恐らくこれは、避けては通れない道なんだろうなと思う。




で、最近はブログの「次のステージ」を考えるようにもなった。



このブログは引き続き記事入れをやっていくつもりだが、これとは別に、独自ドメインでワードプレスを運用し、そちらでもブログの運用をしていく。

コンテンツ・テーマの案は幾つかあるのだけど、もっと自分の「切り口」「目線」というものを強くして、そちらは運用していきたいと思っている。


そして、そちらではメールマガジンも配信し、自分の濃いファンと、強い関係性を作っていく。


こういうことも考えているので、先ほどの記事で「ステージを変えないと」ということは強調したのだが、


いずれにせよ、1000記事もブログを書き続けられない人は、何を言っても相手にされないし、ただ葬り去られるだけだろう。