2016年4月6日水曜日

若さ故の頑固さを取り除く



この前、とあるネット起業家の音声(対談)を聞いていてすごく同感したのが、「僕も昔は頑固だったから、人の言うことはあまり聞かなかったですね」という内容だった。

その人は自分より1つ下で、今は受験勉強関係のネット塾のようなものを運営されている人。


大学卒業後にそのような事業に取り組んだらしいが、大学時代の彼は何の変哲もない人間だった。



(ちなみに彼は、和佐大輔がやっている

「凡人のためのBreakRuke2016」

の第七回目に登場する、与那嶺さんという方。

興味があれば上のリンク先から登録して音声入手してみて下さい。七回目に到着するまでに2週間ほどかかりますけど…)



この「若さ故の頑固さ」というのは自分も身にしみるほど経験していて、似たような人間もいるものだなあ、と妙な感慨にふけったものだ。


もっぱら、頑固さというのは歳を取るにつれて増していくものと考えられているし、「若さ故の」というのは妙な言い方かも知れない。


ただ、ここでの「頑固さ」とは即ち、「若い故に世間を知らない」、言い換えればいろいろと単純に決めつけてしまう、という意味あいがあるものだ。

(そういう意味では、世間一般で言われている「頑固さ」とは同じなのだが…)





ちょっと考えてみて欲しい。


若い、即ち、世間を知らないが故に犯してしまう「決めつけ」には、どんなものがあるだろう。


自分の場合だと、例えば

・私は経済学部だから、法学部の授業なんて興味がない(一般教養で法律の授業なんて取っても面白くない)


といった決めつけや、


・いい高校、いい大学に進んでいい会社に入るのが「良い人生」だ


という、(こちらはどちらかと言えば学校や親からの洗脳に近いわけだが)決めつけ、が頭に浮かぶ。



あなたの場合はどうだろう?


あなたが今18歳とか20歳とかだと、そもそも自分が「頑固」である、なんてことはこれっぽっちも思わないかも知れない。(まあ、かくいう自分も当時はそんなだったから、全くそれを悪いように捉える必要はないのだけど)


もしあなたが25歳とか30歳とか、それくらいの年齢になっているなら、例えば学生時代を振り返ってみると、「こんな決めつけをしていたのか」と反省したり、恥ずかしさが込み上がってくる場合もあるかもしれないだろう。



何が言いたいのかというと、簡単だ。



自分の頑固さに気づいて、それを取り除くように意識して行動して欲しい。



●●は■だからOK、○○は□だから×、なんてほど、世の中単純にはできていないし、こういう「決めつけ」は場合によっては、自分(や他人)の存在を絶対視してしまい(絶対善や絶対悪と捉えてしまい)、自分の存在を根っこから否定してしまったり、他人の存在をハナから無視してしまうことが起こりうる。


そして、こういう決めつけは何よりも、自分の可能性を必要以上に限定してしまう。


例えば、大学の学部がどうだ、という話は、年が経つと分かるが、そこまで大事なことではない。世の中は様々な専門分野が確立した体系的な知識や思考が組み合わさってできているから、それらを細かく因数分解してみれば、法学部も工学部も文学部も、本質的には同じものを見て捉えている、と言うことができる。


(これはやや比喩であるのは事実だが、違うものは、同じものをどの角度から見るか、ということや、どんな機具を使って調理するか、という部分なのである。だから、本質は同じ。)



だから、高校とか大学とか、そういう時分は、自らの好奇心や興味・関心の趣くままに行動して何かに片足を突っ込んでみる、ということを、失敗を気にせずにやってみるのがいい。


片足を突っ込んでみて「何か違うな」と思えば、さっと足を引き出せばよろし。



そういう中で、自分が本当に好きなことは分かってくるもんですよ。

(だから、こういうことを言っている自分自身も、まだ自分の興味関心の根源的な部分は分かっていないし、自分がまだ知らない自分がいる、とは思っている)



そして、こういうことを場数をある程度踏んでやっていると、有るときに「全く関係がない事柄の間に、繋がりがある」ということが感覚的に分かる時がやってくる。


そう思えればしめたもの。「世の中は案外1つなのかも知れない」というとらえ方を持っているかどうかで、世の中への向き合い方は180度変わってくる。



だから、仕事を辞めたら終わり、じゃなくて、辞めても自分で稼げる、ということを知っておく必要はあるし、


経済学部だから他学部の学問領域は関係ない、じゃなくって、経済学部と文学部の学問領域の架け橋となっているのはどんなところなんだろう、と考えて覗いてみよう、と思える心意気が大事。


有名大学に入ったから家庭教師のアルバイトでもするか、よりは、コンビニやユニクロで勉強してみたい、と思って行動できるほうが、確実に世界は広がる。



そして、それだけ多くの世界を知った上で「あえてやるならこれ」と、自分のお気に入りを1つ選ぶ、っていうのが、ある種理想の生き方だろう。



狭い世界しか知らないとつまらないし、いざというときに自分を追い込んでしまって自殺に繋がったり、世界に対する好奇心を失いかねない。



だから、ちょっとでも引っかかるものがあれば、後先気にせずやってみること。そこで新しい発見があって続くのであれば◎、自分に合わないと思って止めても、相性の悪さが分かったことと、こんな世界もあるんだ、という学びがあるだけで○。



若いうちは、失うものなんて何もないよ。




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