人生での悩みは四つに分けられる。
①お金
②健康
③仕事
④人間関係
生きてる中で直面する悩みは、絶対にこれらのうちのどこかにあてはまる、
と、僕の知り合いの方が言っていました。
なるほど、言われてみれば、僕たちはお金の稼ぎに頭を抱え、健康な身体と病気に対して気を遣い、仕事がなければ時には自殺もしてしまい、恋愛や職場の人間関係などの悩みも持っています。
これを聞いた時は、まさにその通りだと思いました。
でも、です。
僕は、人間の持っている問題の根源は全て「認識」にあると思っています。
認識。
物事をどう見るか。どう捕らえるか。どう解釈するか。
上の四つでいうと、
①お金がないと何もできない、貧しいという「認識」。お金持ちは良い、という「認識」
②適切な血糖値やカロリーがいくらであり、その状態が良いという「認識」、病気や怪我になった時の「認識」
③職についてないといけないという「認識」、仕事とは自己実現をするためのものだという「認識」
④あの人が好きだ/嫌いだという「認識」、誰からどのように自分が見られているかという「認識」
僕たちの身の回りにある悩みは、全て「認識」の問題なのではないでしょうか?
お金持ちの方がよいということであったり、友達が多い方がいい、ということであったり、自分のしたい仕事をできている、ということであったり、自分はあの人が好きなんだけど、相手はどう思っているんだろうか、ということであったり。
そこにあるのは、客観的な事実だけなのに、それに対して僕たちは勝手に解釈をし、意味付をしてしまうようです。
僕も、数年前まではこの「認識」の病に冒されていました。人と自分を比べたり、時間やお金、友達に対する意識であったり、仕事に対する考えであったり。
でも、齢を重ねる中で(まだ四半世紀も生きていませんが)そんな認識が変化し始めました。
良く言えば、細かいことに気にしなくなり、悪く言えば鈍感になったと言えます。
自分のしている仕事がどうだとか、他人からどう思われているんだろうとか、収入の額がどうであるか、とか、今はそんなに気にならなくなりました。良く言えば、認識が変わってそこにあるものをそのまま見るようになった。
僕自身も、このように物事を見ることに長けているわけではありませんが、人から悩み事の相談を受ける時も、自分の相手の間にある「認識」の差(溝)のようなものがあるんだな、とも気づくことが多いです。
悩みとはすなわち、認識の齟齬。先の四つの悩みも、本来こうであるべき、と一般的に思われていることと、自分が思うことに齟齬があり、そこで悩みが生まれてしまう。
悩めることは良いこと、贅沢なことだと思いますが、結局僕たちは、世界をどう見るか、という「認識」の病を患っているのではないでしょうか。
①お金
②健康
③仕事
④人間関係
生きてる中で直面する悩みは、絶対にこれらのうちのどこかにあてはまる、
と、僕の知り合いの方が言っていました。
なるほど、言われてみれば、僕たちはお金の稼ぎに頭を抱え、健康な身体と病気に対して気を遣い、仕事がなければ時には自殺もしてしまい、恋愛や職場の人間関係などの悩みも持っています。
これを聞いた時は、まさにその通りだと思いました。
でも、です。
僕は、人間の持っている問題の根源は全て「認識」にあると思っています。
認識。
物事をどう見るか。どう捕らえるか。どう解釈するか。
上の四つでいうと、
①お金がないと何もできない、貧しいという「認識」。お金持ちは良い、という「認識」
②適切な血糖値やカロリーがいくらであり、その状態が良いという「認識」、病気や怪我になった時の「認識」
③職についてないといけないという「認識」、仕事とは自己実現をするためのものだという「認識」
④あの人が好きだ/嫌いだという「認識」、誰からどのように自分が見られているかという「認識」
僕たちの身の回りにある悩みは、全て「認識」の問題なのではないでしょうか?
お金持ちの方がよいということであったり、友達が多い方がいい、ということであったり、自分のしたい仕事をできている、ということであったり、自分はあの人が好きなんだけど、相手はどう思っているんだろうか、ということであったり。
そこにあるのは、客観的な事実だけなのに、それに対して僕たちは勝手に解釈をし、意味付をしてしまうようです。
僕も、数年前まではこの「認識」の病に冒されていました。人と自分を比べたり、時間やお金、友達に対する意識であったり、仕事に対する考えであったり。
でも、齢を重ねる中で(まだ四半世紀も生きていませんが)そんな認識が変化し始めました。
良く言えば、細かいことに気にしなくなり、悪く言えば鈍感になったと言えます。
自分のしている仕事がどうだとか、他人からどう思われているんだろうとか、収入の額がどうであるか、とか、今はそんなに気にならなくなりました。良く言えば、認識が変わってそこにあるものをそのまま見るようになった。
僕自身も、このように物事を見ることに長けているわけではありませんが、人から悩み事の相談を受ける時も、自分の相手の間にある「認識」の差(溝)のようなものがあるんだな、とも気づくことが多いです。
悩みとはすなわち、認識の齟齬。先の四つの悩みも、本来こうであるべき、と一般的に思われていることと、自分が思うことに齟齬があり、そこで悩みが生まれてしまう。
悩めることは良いこと、贅沢なことだと思いますが、結局僕たちは、世界をどう見るか、という「認識」の病を患っているのではないでしょうか。
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