2014年3月29日土曜日

肩の力を抜いて

この一年くらいで、あまり物事を考えなくなった。


良く言えば鈍感になって、


悪く言えば思考停止。


何が起きても、そんなに動じなくなった。

なんなんだろう、これは「慣れ」なんだろうか。


例えば、海外でも、身を守ることには相当気を遣うけど、でも、盗難に遭っても最悪なんとかなる、と思うようになったし、ぼったくられても、仕方がないか、とも思うようになった。

シャレにならない事故や事件は絶対に割けるようにするけど、逆に言えば「お金で解決できること」は、お金で解決すればいい、と思えるようになった。(盗難に遭っても保険が利くし、ぼったくりに遭ったら儲け返してやろう、というように。)

仕事をしていても、支払のことやスケジュールのことも、「なんとかなるし、実際になんとかできる」くらいにしか、思わなくなった。
お金が支払われなくても、経験値は上がったからOKと思ったり、スケジュールが厳しくても、時間はなんとか作れる、と思って実際に工面したり。(お金に関しては、火傷をしない程度を見極めてはいるが。)


なんだろう、もう一線を越えてしまったんだろうか。引き返せないボーダーラインを。


最近は本当に、悩まなくなった。厳密に言うと、今悩んでも仕方のないことが沢山あるし、それに時間を使うなら、もっと別のことに使おう、というような心構えになったんだと思う。


自分でいうのもなんだけど、学生時代はものすごく悩んでいた。いろいろコンプレックスもあったし、自分の思い通りに行かないことや、うまく言葉にできないこと、沢山の挫折…そんなことが数えきれないくらいにあって、本当に暗い時間を過ごしていた。

その時と何が変わったのかと言えば、たった一つ、「世界をだんだんと知った」ことだけだと思う。

いろんな生き方をしている人がいたり、仕事の依頼をしてくれる人がいたり、手を差し伸べてくれる人がいたり、自分を必要としてくれている人がいたり。


数年前は全く分からなかったことが、実際に自分の経験として積み上ったことが、大きな財産になっているのだと思う。「案外いけるんだ」とか、「実際のところなんとかなる」ということを、一次情報として知ることができた。まだ20代半ばだけど、この時期にこのことを知れたことは、やっぱり大きいんじゃないかな。まだまだしたいこと、やり足りていないことが沢山あるけど、舵の取り方も世界の見方も、少しずつ、勉強してきた。


巡り合わせもあるのだと思う。良い取引先と巡り会えたこと、大きなトラブルもなく仕事を(だいたいは)させてもらえたことなど、もちろん仕事以外のことでも沢山あるけれど、世界って思っていた以上に素敵なところなんだな、と思えた。気づかせてくれた。

だから、時々不安になることもあるけれど、やっぱり大丈夫だ、今までも同じようになってきたのだから、という、妙な安心感も心の片隅にあるわけで。


本当はもうちょっと、痛い目に遭わないといけないんだろうけど(実際に、時々そういう経験した方がいいんだろうなと思う)、それも全て巡り合わせ。とにかく、こんな素敵な出逢いと経験をもたらしてくれた世界に、僕は感謝してもしきれない。


だから、またどこかで悩むときが来るのかもしれないけれど、今はこんなにも、肩の力を抜いて、気負わずに生きていけている。どうなんだろう、これはもしかすると、まだ独り身だからなのかもしれないけれど、あまり悩みすぎても、実際良くないんだろうと思う。


本当に、有難いです。

0 件のコメント:

コメントを投稿