最近仕事をしていて感じるのは、「頼まれることが多くなってきた」ということです。
一般的に仕事というのは、自分から求人を確認して応募→採用→仕事をする、という流れになっています。
僕の場合も基本的にはそうで、例えば翻訳の場合、ウェブサイトで求人(会社への登録情報)を確認し、応募→試験→登録、という流れをくむことが多いです。この一年間で試験を受けた会社の数は沢山あって、殆どは通っていませんが、この方法で仕事を頂くことが多かったです。
ただ、去年の夏頃から、自分から動く以上に、相手からアプローチ、依頼を頂く、ということが多くなってきました。
例えばインド企業とのパートナーシップ。これはLinkedInに登録していたら相手から連絡が来て、現在も継続的に仕事を頂いています。
もしくは、夏の屋外音楽フェスでの通訳アテンド業務。これはもともと、別の案件で応募をし、その時は不採用になったのですが、企業の担当者が目をつけて下さり、この仕事をさせて頂くことになりました。(担当予定だった他の人が急遽対応できなくなり、バトンが回ってきました。)
そして、去年後半に半年にわたり仕事をさせてもらった群馬イノベーションアワードのSNSプロモーション。
これは、僕がSNS(FacebookとTwitter)を多面的に活用していることを知って下さった担当者が目をつけて下さり、初めての試みに挑戦させて頂きました。
他にも例を挙げるとキリがありませんが、要するに、自分では思ってもいなかったような仕事の依頼を、だんだんと受けるようになってきたんです。
この三週間もヨーロッパを旅していましたが、時々仕事の依頼を頂き、それに対応する日もありました。
逆にいうと、自分で求人を確認して応募をしたりコンタクトをとった企業、案件は殆ど担当させてもらえていないのですが、それに勝るとも劣らないくらいに、仕事の依頼を発注側から頂いています。
この経験を通して、仕事の本質は「たのまれごと」なんだということに気づきました。
誰か、世の中には困っている人がいて、その人(達)に対して力添えをすることが、仕事の本質。
これは何も、いわゆる経済活動としての仕事だけではなく、僕たちが子どもの頃に家でしたような風呂掃除や洗濯物乾し、皿洗いなどといった家事についても、同じだと思います。家族の誰かが困っている、助けを必要としているものにコミットする、ということです。
僕の場合、本業は翻訳なので言語面でのサポートが仕事の「大義名分」となります。このような面構えをしていて、相手から相談や依頼をして頂くのは、本当に有難いことです。
◎「何ができるか」
これらの経験を通して思ったことは、「仕事は「何がしたいか」ではなく、「何ができるか」が第一にやってくる」ということです。
僕の場合、英語ができ、翻訳ができ、通訳ができ、SNSを使うことができ、という「自分ができること」があった上で、様々な「たのまれごと」を頂いています。
よく「仕事は自己実現」なんて言いますが、これはもしかしたら嘘かもしれません。だって、仕事は「たのまれごと」なんですから。「仕事は他者実現」なのだと思います。自分ができることを相手に提供して、存在する課題を解決する。その上で「自分のしたいこと」に取組むことはできると思いますが。
「仕事は自己実現ではない」ということについては、別の記事で改めて書く必要があると思っていますが、今の日本にいると(就職活動の仕方を見ていると)、なかなか僕が気づいたような経験、体験をすることが難しいのではないかと思います。
◎「人の役に立った」という経験が必要
これが必要なのだと思います。
僕は仕事を通して、いろんな人(企業)のサポートをさせて頂いています。翻訳という業界(仕事)は特殊で、(売上がいくら上がったとか、動員数がどれだけ増えた、といったような)成果がなかなか分からないのですが、それでもクライアントさんからお礼の言葉を頂いたり、他の仕事の相談やパスを受けた時には、「役に立てたんだ」と感じます。
仕事をする上で、この経験はあったほうがいいと思います。仕事以外での経験でもいいと思います。ボランティアでも家事の手伝いでも、近所の草むしりでもいい、何か「人の役に立った」という経験を少しでも多くしておいたほうが、自尊感情も高まりますし、「自分は必要とされている」ということが分かります。(あ、でもできれば、人の役に立って、対価としてお金を受け取る経験があった方が良いかもしれません。)
今の日本では、就職できなかった大学生が自殺をしたり、サービス残業が問題になったりと、仕事を取り巻く環境が異常になっています。前者の場合だと、人に必要とされていることを感じられないことが原因の一つにあるでしょう。(もっとも、根本的に構造がおかしいとも思ってはいます。)
僕自身、今仕事をしていてとても楽しいですし(でも大変なことの方が多いですが笑)、人に必要とされているという感覚、経験は、これ以上ない財産なんじゃないかと思います。
もちろん、求められたこと以上を提供できるための研鑽が必要ですが、それでも、今のような形で仕事をさせてもらっていることは、大変多くの勉強になっています。
一般的に仕事というのは、自分から求人を確認して応募→採用→仕事をする、という流れになっています。
僕の場合も基本的にはそうで、例えば翻訳の場合、ウェブサイトで求人(会社への登録情報)を確認し、応募→試験→登録、という流れをくむことが多いです。この一年間で試験を受けた会社の数は沢山あって、殆どは通っていませんが、この方法で仕事を頂くことが多かったです。
ただ、去年の夏頃から、自分から動く以上に、相手からアプローチ、依頼を頂く、ということが多くなってきました。
例えばインド企業とのパートナーシップ。これはLinkedInに登録していたら相手から連絡が来て、現在も継続的に仕事を頂いています。
もしくは、夏の屋外音楽フェスでの通訳アテンド業務。これはもともと、別の案件で応募をし、その時は不採用になったのですが、企業の担当者が目をつけて下さり、この仕事をさせて頂くことになりました。(担当予定だった他の人が急遽対応できなくなり、バトンが回ってきました。)
そして、去年後半に半年にわたり仕事をさせてもらった群馬イノベーションアワードのSNSプロモーション。
これは、僕がSNS(FacebookとTwitter)を多面的に活用していることを知って下さった担当者が目をつけて下さり、初めての試みに挑戦させて頂きました。
他にも例を挙げるとキリがありませんが、要するに、自分では思ってもいなかったような仕事の依頼を、だんだんと受けるようになってきたんです。
この三週間もヨーロッパを旅していましたが、時々仕事の依頼を頂き、それに対応する日もありました。
逆にいうと、自分で求人を確認して応募をしたりコンタクトをとった企業、案件は殆ど担当させてもらえていないのですが、それに勝るとも劣らないくらいに、仕事の依頼を発注側から頂いています。
この経験を通して、仕事の本質は「たのまれごと」なんだということに気づきました。
誰か、世の中には困っている人がいて、その人(達)に対して力添えをすることが、仕事の本質。
これは何も、いわゆる経済活動としての仕事だけではなく、僕たちが子どもの頃に家でしたような風呂掃除や洗濯物乾し、皿洗いなどといった家事についても、同じだと思います。家族の誰かが困っている、助けを必要としているものにコミットする、ということです。
僕の場合、本業は翻訳なので言語面でのサポートが仕事の「大義名分」となります。このような面構えをしていて、相手から相談や依頼をして頂くのは、本当に有難いことです。
◎「何ができるか」
これらの経験を通して思ったことは、「仕事は「何がしたいか」ではなく、「何ができるか」が第一にやってくる」ということです。
僕の場合、英語ができ、翻訳ができ、通訳ができ、SNSを使うことができ、という「自分ができること」があった上で、様々な「たのまれごと」を頂いています。
よく「仕事は自己実現」なんて言いますが、これはもしかしたら嘘かもしれません。だって、仕事は「たのまれごと」なんですから。「仕事は他者実現」なのだと思います。自分ができることを相手に提供して、存在する課題を解決する。その上で「自分のしたいこと」に取組むことはできると思いますが。
「仕事は自己実現ではない」ということについては、別の記事で改めて書く必要があると思っていますが、今の日本にいると(就職活動の仕方を見ていると)、なかなか僕が気づいたような経験、体験をすることが難しいのではないかと思います。
◎「人の役に立った」という経験が必要
これが必要なのだと思います。
僕は仕事を通して、いろんな人(企業)のサポートをさせて頂いています。翻訳という業界(仕事)は特殊で、(売上がいくら上がったとか、動員数がどれだけ増えた、といったような)成果がなかなか分からないのですが、それでもクライアントさんからお礼の言葉を頂いたり、他の仕事の相談やパスを受けた時には、「役に立てたんだ」と感じます。
仕事をする上で、この経験はあったほうがいいと思います。仕事以外での経験でもいいと思います。ボランティアでも家事の手伝いでも、近所の草むしりでもいい、何か「人の役に立った」という経験を少しでも多くしておいたほうが、自尊感情も高まりますし、「自分は必要とされている」ということが分かります。(あ、でもできれば、人の役に立って、対価としてお金を受け取る経験があった方が良いかもしれません。)
今の日本では、就職できなかった大学生が自殺をしたり、サービス残業が問題になったりと、仕事を取り巻く環境が異常になっています。前者の場合だと、人に必要とされていることを感じられないことが原因の一つにあるでしょう。(もっとも、根本的に構造がおかしいとも思ってはいます。)
僕自身、今仕事をしていてとても楽しいですし(でも大変なことの方が多いですが笑)、人に必要とされているという感覚、経験は、これ以上ない財産なんじゃないかと思います。
もちろん、求められたこと以上を提供できるための研鑽が必要ですが、それでも、今のような形で仕事をさせてもらっていることは、大変多くの勉強になっています。
俗に言う回り始める、ですね。 頼まれごとというのは選ぶ方が自分なので、より高付加価値(高報酬)になりやすく、また相手にしてみれば困っていたのが解決するから満足度も高くなり、同じ内容を提供しても評価が高くなります。
返信削除籔内さんはまだ若いから今の放浪のようなinputを積み上げて正解です。
翻訳スキル×X のX候補が沢山身についてある時偶然その内の一つが大きな付加価値になるでしょう。 多分それば自分の想定外のものの可能性が高いです。
あっ、放浪記(失礼(笑))楽しみにしてます
okn様
削除コメントありがとうございました。
「回り始める」なんですね、初めて耳にしました。
おっしゃる通りで、頼まれた仕事ですと付加価値づけがしやすいです。まだまだなれない部分もありますが、これは数を重ねて経験を増やすしかないですね。
放浪ばかりして、相変わらず積上るものがないのですが(笑)、旅をする中での気づきやアイデアは、今後の人生における貴重な財産だと思っています。あまり打算的にならず、どこかで点が繋がるようにしたいです。
旅行記は、なかなか時間がないのですが、挑戦してみます。読者の方からの貴重なコメントは財産です。これを励みに頑張ります。