2013年11月11日月曜日

逃げることは悪いことではない。逃げているということを素直に認めないのがいけないのだ

先日、もう3週間くらい前になると思うのですが、Facebookで知り合いからイベントの招待を頂きました。

その方は、今までに二度か三度くらいしかお会いしたことがなく、殆どがFacebookやメールでしかやりとりをしたことがないのですが、初めて知り合った時から、どんな活動をされているのかは追っていましたし、会う回数のわりには、いろいろとお世話になっている方でした。

そのイベント内容を見ると、どうやらその方が日本を発って、世界をウロウロしてくるらしいようで。
なんでも、その方の送別会なんだとか。

僕は関西に今住んでいて、その方も関西在住だったので、イベントも関西圏の知り合いを大勢呼んで開催するみたいでした。


その方には、他の機会にも沢山イベントの招待を頂いていたのですが今までいけず、この機会に行こうかとも思いました。

手帳も何度も確認して、日程調整もしたと思います。



でも、結局行かないことにしました。



理由は、あまり言葉にしたくないですが、「ああ、たぶんこの人本気じゃないんだろうな」と、イベントの文面を見て思ったから。


なんでもその知り合いは、二年以上かけて、世界を回って来るみたいです。


もちろん、それだけだったら僕も興味を持つのですが、その告知文にはまた、こんなような文面も書かれていました。


僕はもともと、世界平和に貢献するために活動をしてきました。しかし、世界平和を目指している自分が、世界に行ったことがない。だから時間をかけて、世界を見て回ることにしました」


すごくはしょっていますが、告知内容で触れられていた動機付けらしき部分は、このようなニュアンスでまとめられていました。


当人も、説明不足な点は認めているようでしたが、こういう文章を読んだ時に、「何か違うな」と僕の中で感じたのです。


世界に出る方法はいくらでもある
「世界平和」って、すごく曖昧な言葉ですし、人それぞれで解釈やイメージも異なるかと思います。

例えば地雷撤去であったり、伝染病が蔓延する地域で医療活動を行ったり、という「治安・健康の保障」というのは、一番イメージしやすいものでしょう。

他には、何を持って「平和」とするかの解釈によりますが、文字の読み書きを教えたり、義務教育の保障であるような「教育」面からの関わり方があったり、再生可能エネルギーの実用化を目指したり、地産地消に取り組んだり、というような「環境」面での関わり方もあるはずです。

そして、切り口が無数にあるがゆえに、コミットの仕方も一通りではないでしょう。

例えば、制度をうまく活用するのであれば、海外の大学院に進学して、自分の関心のある分野を極める、という方法。もしくは青年海外協力隊であったり、他の活動に参加する、という方法。

もしくは、企業的なアプローチをするのに、海外の関連企業で働いたり、自身で会社を興して関わる、という方法。

あるいは、僕の周りで一定数の方がされている方法ですが、どこか海外の地に移り住んで「個人」としてコミットをしたり、もしくは自身は日本にいながら、現地へのスタディーツアーのコーディネートをしたり、と言った方法。
(「個人で」というのは、自身でされている方がおっしゃっていますがものすごくハードルが高いようです。しかしここでは、環境的な難易度は考えずに、純粋に選択肢としていろいろと挙げてみました。)


いやはや、他にも選択肢はあると思うのですが、ぱっと考えるだけでも、いろんな手段があるんですね。

それに、そういう方法を使えば、否が応でもなんらかのコミットは可能です。


なぜ「旅」なのか
そう考えると、なぜ「旅」にこだわるのか?という素朴な疑問も湧いてきます。

上の例を見れば想像がつくと思うのですが、「世界平和」を成し遂げるには、一般的にはどこかに「根を張る」必要があるかと思います。「世界平和」という言葉は漠然としていて、少しこそばいですが、いずれにせよ「地域の課題を解決する」ことが、ひいては「世界平和に繋がる」と考えるのであれば、必然的に、ある国や地域に根を張って、活動して行くことになるのではないでしょうか。

翻すと、各地を転々とする旅で、どれだけ「世界平和」に関与できるのか、ということを考えると、興味はありますが同時に大きな疑問符が、僕にはつきました。

それに、具体的にどんな方法をイメージしているのかも、伝わって来ないんですね。例えば世界を旅するにしても、「世界平和」への関わり方として「環境」とか「食」とか「医療」とか「教育」とか、具体的な軸があればいいのですが、それが字面を見るだけでは分からない。本人は心の中に秘めているのかもしれませんが、キーワードすら確認できなかったのは、ちょっと残念でした。

そして。
文面を見る限りでは、そんなに海外にも行ったことのないようです。

英語はできるのか。

これ、結構大事だと思います。
いずれ「世界平和」を成し遂げるのですから、ある程度しっかりと意思疎通をはかれるだけの英語は、持っておくべき何じゃないのか。

これまた、フィリピン留学など方法はありますが、果たして実際に行うのかは、これだけでは分かりませんでした。


結局「世界平和」は、建前でしかないんじゃないか
そうなんです。この文面を見るだけでは、僕には本気が伝わって来なかった。それが、僕がこのイベントに参加しなかった理由です。

具体的な切り口も分からず、どんなことをするのかも分からず、ただ「みんなとわちゃわちゃしたい」オーラがぷんぷん漂ってきていました。本人は至って真面目に取組んでいるのかもしれないし、イベントの中でそういう話をする予定だったのかもしれません。

でも、いきなりイベントに誘われて、その告知文で熱いハートが伝わって来なかったから、これは参加しても徒労に終わるんだろうなあ、と、自分は判断した訳です。



やっぱり、人は本気じゃないと動かないです。

僕もいろんな人と付き合ってきましたが、本気で思っている人は、行動しているし、行動している量も違う。立ち居振る舞いだって違いますし、口にする言葉も違う。

そう。言葉が違うんですよ、本気の人って。
(言葉だけじゃないですが)

僕も一年くらい、今の道で仕事してきましたが、口にする言葉は本当に気を遣うようになりました。

というか、生半可なことは、下手に口にできないです。

言葉って、自分が思っている以上に力があるんですね。特に僕なんか、言葉には結構こだわる人間ですし、人が発した言葉は昔のことでも覚えていることがあります。

たぶん僕は、そういう姿勢に敏感だったのかもしれません。


だから、僕はこの字面を追った時に、ああ、たぶんこの知り合いは、本当の気持ちは別にあるんだろうな、けれど自分をよく見せたいがために、こんな風に言葉を使っているんだろうな、と思いました。
(あくまで自分の憶測です)


じゃあ、その「本当の気持ち」とは何なのか。


たぶんそれは、「逃げたい」ってことだと思っているのです、僕は。


僕も何度も逃げていた
こんなことを偉そうに言う自分は何様なんだ、という指摘が矢のように飛んでくるかもしれません。

しかし、正直に告白しますと、僕もいろんなことから逃げていました。

特に、去年くらいまでは、2年くらい逃げ続けていたと思います。

それは、目を向けなければならないことから目を背けていた、ということです。

具体的には書きませんが、今、道を歩いてきたからこそ振り返って、ああそうだったのか、と気づくことがあるんです。

しかし、僕は逃げることは悪いことだ、とは思っていません。むしろ、逃げないと行けない時は、全力で逃げるべきだと思います。真っ向から向き合っても、太刀打ちできない時もあります。

じゃあ、何がいけないのか。それは自分は逃げているんだ、ということを自分で認めないことだと思います。


逃げるって、あまり印象のいいものではありません。トンヅラとか夜逃げとか、確かにあまりいいイメージを持てるものではありませんね。

でも、人間生きてりゃ、誰だって逃げたい時がありますよ。

大学のレポート難しすぎる、とか、将来何がしたいか分からない、とか、仕事したくない、とか、いろいろあります。

だから、そういう時は、正々堂々と「私は逃げます!」って、伝えればいいと思うんです。


取り繕わなくていい。


逃げていても、いずれ直接向き合わなければならない時は来ます。

けど、だからといって逃げることが悪い訳じゃない。


「自分探し」って、今流行っているのかはわかりませんが、すごくいい響きを持った言葉です。

「自分探しの旅」って言って、学生でも仕事している人でも、どっかに行ってしまうことがあります。

それ、僕は全然否定しません。むしろ、行けばいいと思います。

けれど、認めましょうよ。「私は何がしたいのか分からないです」って。


僕も、ちょうど一年前は海外にいました。

その時は精神状態も危うかったんですが、当時の思いはまさに「私は何がしたいのか分からない」でした。


でも、「環境を変えればあらたな気づきもあるかもしれない。何か変わるはずだし、何か見つかるはずだから、逃げよう」と思ったんです。


だから、この知り合いにはー果たしてどこまで本気なのか分からないですがー正々堂々と「逃げます」って言って欲しかったですね。


「自分は世界平和を成し遂げたいけど、何がしたいか、何ができるのかよく分からない。海外の学府に留学して研究をしたり、団体や企業の一員として特定の地域にコミットしたり、いろんな関わり方があるみたいだけど、自分はそれができる勇気もない。英語もそんなに自信がない。だから、一年以上世界をフラフラして、逃げてきます」と言う風に。
(これ、完全に自分の妄想なのでその点はご了承下さい)


なんか、変に自分を良くみせるより、潔くって全然かっこいいですよ、このほうが。

僕は、こういう風にさらけ出してくれる人の方が、これからも付き合っていきたいなーと思います。

だから、自分自身はこれからも「いやー、直視したくないから逃げるわー」って、ありのままに言えるような(逃げてばっかりでもダメなんですが 笑)人間でありたいです。



さて、僕の知人。自分の進みたい道と決めて進んだのか、それとも逃げなのか。結果は時を追って自然に判明するでしょうから、どんな風になるのか、ちょっと楽しみです。

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