2013年11月1日金曜日

人生24周目は

先日、誕生日を迎え24歳になりました。

年男なんですね、実は。

毎年、正月は家族と一緒に祝って、その時に年男であることも言ってもらうのですが、今年は年末年始に海外にいたためそれもなく、あまり年男であるという実感は湧いていません。

でも、また齢を一つ重ねました。

いろいろ思うことはありますが、何よりもまず、健康で元気にこの一年間を過ごせたことに感謝です。


「第二の誕生」から一年

ちょうど一年前、23歳の誕生日を僕は、はからずしも海外で迎えました。
誕生日になったのは、ちょうど夜行列車に乗っていたとき。

人生23年目、この誕生日は僕にとっての「第二の誕生日」となりました。

一年前に考えていたことは当時の記事をご覧頂きたいのですが、今と殆ど全く同じことを考えて、文章に残していました。


そんな一年は、とてつもなく長かった

この一年間は、とてつもなく長い時間でした。

それは悪い意味ではなく、むしろ良い意味で。

去年の11月、12月を海外で過ごし、帰国後どうしようか考えている頃に、いろんな方から声をかけて頂いて、結局今の道を選びました。

今は、組織に属さず、フリーランスとして仕事をしています。驚くことにまだ、今の環境に身を移して1年も経っていないんですね。

当時、もちろん仕事は殆どなく、知り合いの方から頂いた仕事をこなしながら試行錯誤を続けたわけですが、10ヶ月間で仕事も多く頂けるようになりましたし、取組む内容も変わりました。

(今は、外向きには「翻訳家」と名乗っていますが、実際は複数の仕事をさせて頂いているので、何でも屋と言った方が適切かもしれません。笑 ただ、もちろんメインの仕事は翻訳関連です。)

そして、こんな風にいろいろと取組んだことを振り返ると(あまり振り返る余裕もないですが)、一年365日って、思った以上に長いんだなということに気づきました。

これは、環境を変えないと分からなかったことかもしれませんし、逆にいうと、それだけ毎日が変化に富んでいる証拠なのかもしれません。
そういう意味では、本当に、こんな自分を支えて頂いている皆さんには感謝の気持でいっぱいです。

正直、道を選んだ当初は自分でもどうなるか分かりませんでした。(続くかどうかも、ぶっちゃけ分かりませんでした。)でも、この10ヶ月間、がむしゃらに動き続けたことで、少し芽がでて、次に続くようになっているんだな、ということが分かりました。

もしかすると、人生というのはRPGのようなものなのかもしれません。(僕はドラクエもファイナルファンタジーもしたことありませんが。笑)

今立っている場所から、遠い遠い目的地が見える訳じゃないんですね。でも、手元の地図に書かれてある「ミッション」をクリアして行くことで、自ずと道が開けてくる。そんな感覚です。

そして、こんな感覚、こんな仕組みは、実際に一歩を踏み出した人しか知り得ないものなのではないでしょうか。

何か新しいものを始めるとき、第一歩を踏み出すのが一番怖いし、エネルギーがいる。だって、踏み出した先はよくわからないし、踏み出してしまうと、元には戻れないから。

でも実は、進み始めると、そこからはいろんな助けが出て来るんですね。だから、一歩を踏み出すのはすごく度胸と覚悟がいります。逆に言うと、度胸と覚悟があればなんとかなる、ということでもあるかもしれませんが…。

そして、こんな風に、自分で前に進んでみて、いろいろ経験して、分かって、手応えがあったりなかったり。これらは全部自分の血肉になります。今、まだ失うものが少ない環境で、これだけのことを学べたのは文字通り、大きな収穫でした。

だから、これから先、一年後のことは僕も分かりません。けれど、1年間動けば、相当のことはできますし、1年という時間は、それほどにも貴重で価値の大きいものなのだと、僕は思っています。


人間は本来、自由である
そして、そんなことを通して、生きるって本当は、自由なことなんだと思うようにもなりました。

朝いつ起きてもいいし、夜いつ寝てもいい。いつ仕事をしてもいいし、どこで仕事をしてもいい。
(もちろん、納期やら何やらはあるのですが)

暇な時は近くをブラブラしたり、本を読んだりテレビを見たり。

僕自身も、なかなか余裕はありませんが、それでも「生きるって、こんなに自由なんだな」と思えるようになったのは、こんな環境に身を置いてしまったからに違いありません。

もちろん、自由であることには責任が伴います。自分の仕事は自分でこなさないといけませんし、自分の力を付けることも、体調管理も、何から何まで、自分でやらなければいけない。

でも、そんな適度な緊張感がある中で生活ができるからこそ、良い循環に繋がっていくのかもしれません。

そして、自由であるとは、あくまで手段であるということ。自由になって何がしたいのか。それを常にイメージして、生きていきたい。
(妄想偏重になってしまうの僕も困ったものですが。笑)


人あっての自分
最近は、自分がいかに、どれだけ多くの人に支えて頂いているのかを痛感しています。

そもそも、仕事を自分で作り出している状態ではありませんし、自分のできないこと、苦手なことはいろんな人に代わりにして頂いたり、助けて頂いています。

そして、そんなことを通して、人を紹介して頂いたり、仕事を頂いたり、そういうことに繋がっていくんですね。

フリーで仕事を始めて、多くの人に支えて頂いているということを、一層知りました。

そして、その中で自分は何ができるのか。何をお返しできるのか。これからはそこも意識して、生きていきたい。


生態系を作り出す
この一年は、生態系作りに力を入れようと思っています。

「生態系」というのは、仕事的なものもありますし、生活的なものもあります。すなわち循環。どこか外部の生態系に頼り切ってしまうのではなく、自分自身の、独自の生態系を作り出せるようにしたい。

先程、人あっての自分と書きましたが、これと「人に依存すること」は、全く違うことなんですね。

仕事でもなんでも、他人に期待しすぎると、その期待が裏切られた時が怖いです。それは、単に精神的なものというよりは、経済的、もしくはエネルギー的な意味でです。

ひとつの会社だけと仕事をしていて、そこから生まれる収入だけだと、それが潰れると終わってしまいます。

食・エネルギー的にも、仕入れ先が一つだけだと、リスクが高い。

なので、この一年は「細分化」を行って、できるだけ潰れにくい、そして自分独自の生態系を作り出すことに挑戦しようと思います。
(具体的なプランがある訳ではないのですが。笑)


自分が生きていく環境を、自分で作っていく。もちろん、生態系である以上自分一人だけでは厳しいのかもしれませんが、どれだけ独自の進化を遂げられるか。イメージするだけでワクワクします。


経験知を増やす
仕事柄、常に言葉と触れ合っています。

けれど、言葉って、言葉だけで存在するのではないんですね。

つまり、その言葉が表す内容(シニフィエ)があって、それが記号(シニフィアン)で表される。

だから、言葉というのは、それが意味するものを知らないと理解できない、と思っています。

(特に、高校の時は現代文が何を言っているのか分からなかった。これは今では、そのシニフィアンを理解できるだけのシニフィエが、自分の中にはなかったのだ、と言う風に考えています)

翻訳というと、どうしてもデータを見て、辞書等を使って調べて、適した言葉を選ぶ、ということになってしまいますが、自分はそれでは満足できない。

そのシニフィアンが何なのか、自分自身が分かっているのか。

自分の(言葉の)センスを磨くためには、もっともっと、いろんなことを経験知として、自分の中に蓄える必要があるのではないか。

頭で分かることではなく、身体が知っていることを増やしていく。

これにもっともっと、こだわっていきたい。



なんだか、すごくとりとめのない文章になってしまいましたが、自分自身の「こだわり」を持って、次の一年を歩んでいこうと思います。

皆様、今後ともよろしくお願い致します。

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