2013年11月19日火曜日

お金がないと嘆く人の大半は、単に価値を知らないだけ

仕事柄、いろいろな翻訳案件の相談を頂くことが多いのですが、具体的に交渉を進めていくと、予算の関係などで料金が変わったり、時には「お金がないので」なんて露骨に言われて、条件が合わなくなってキャンセル、なんてことがあります。


自分もかつて、常識的に考えるとありえないくらい安い料金で仕事をしたときもあって、その時の教訓で調査も行って、今は「これくらいの値段で」と決めているのですが、それでも発注側としては、なるべくかかるコストを減らしたいんでしょう、時にはこちらが想定していないような料金を提示されることもあります。

(特にクラウドソーシングサイトでは、顕著かと思います。)


もちろん仕事の受注・発注に限ったことではないのですが、どうも我々はえてして「お金がない」ことを理由に、(声には出さないかもしれないけど)旅行に行かなかったり、友人との付き合いを断ったり、ということをしてしまいがちです。

(私もそんなことは結構あります。笑)


でも、よくよく考えてみると、本当に「お金がない」のか?実は私たちって、「使うお金はある程度あるけど、こんなことにこれだけ使っていいの?」って思っていることを、表面的に「お金がない」って言い換えているだけ何じゃないの?なんて、最近思うようになった訳です。

平たくいうと、「価値を分かっていない。」

(私も偉そうに言えたタチではない、ということは予めお断りしておきます。笑)

価値を理解する

価値には「交換価値」と「使用価値」の二種類がありますが、ここでいう価値はどちらかというと「交換価値」の意味合いが強いです。つまり「これだけのお金を払って、これだけのものが手に入るのは、価値があるのか、ないのか、どうなのか!?」ということを、私たちってあまり、分かっていないんじゃないか、ということなんです。

例えば、今私が抱えている問題が次のようにあったとします。

「仕事用の自分のウェブサイトを持ちたいけど、自分では作れる自信がない。けれどいろいろ調べてみると、作ってもらうには数万から数十万かかるし、そんなお金一月分の収入くらいになってしまうし、うーん、ここまでお金を払えるのか…」

実際に、半年くらい前はこれで悩んでいました(笑)

で、当時は自分でWordpressをインストールして自作した訳ですが、これは確かに、収入的な問題もありましたが、それ以上に「HP一つ作ってもらうのに、これだけのお金は払えないな」という「交換価値」を認めなかった、ということもありました。
(実際に、銀行の口座からお金を引き下ろしたらその費用は工面できました。)

でもこれが、例えば「HPを作ることによって確実に認知度は高まって、仕事依頼と収入が増加する」という見込みが高ければ、どうでしょうか?

数万円の投資は結構痛いけど、十分な料金で、自分の納得いくHPを作ってもらって、SEO対策もしてもらって、「ある程度元が取れる」のなら、これは十分にペイできるものではあるかと思います。

もちろん、それでも自分で作ることは可能ですが、細かい機能までは付けられなかったり、納得いくデザインじゃなかったり、ということが起こる可能性もあるでしょうし、もっというなら、その製作にかける時間は、本業の研鑽に当てることだって、できるわけです。

これはつまり、自分が交換価値を認めているということです。


で、今回はすこしカッとくるようなタイトルなんですが、大概の人って、ある程度のお金は持っているはずですし、その中で「お金がない」って口にするのは、実は「お金とその対象の交換価値が分かっていないです」ってことだと思うんですよね。


この前も、知り合った企業からHPの翻訳の見積もり依頼が来たので、綿密に計算をして(大きな額になりましたが)きちんと見積書を出しました。

数字が数字なので、先方も驚いたのかもしれません。それ以来返事はないですが、もしかしたら「この翻訳にこれだけのお金は高い」と思ったのかもしれませんね。

でも逆に言うと、HPって会社の看板であるわけです。それを英語にして、全世界の人に見てもらうのだと思えば、認知度も上がって海外でのブランディングができるかもしれない。そこまでを含めて考えると、この額は払えない額なのか。仮にHP内の文言を当面変えないのだとすれば、数年間、看板をこの額で英語にしてもらえるのであれば、それって逆に十分にペイできるのではないか?

もちろん、それだけのお金を頂くということは、こちらもそれだけの仕事をする必要は当然あるのですが、こんなことを思うようになったのは、最近仕事をしていてあまりにも「安かろう、悪かろう」が多すぎることに、気づいたからなんです。

今では「スピード翻訳」なんてものも沢山出てきて、「安い料金で、早く」翻訳する会社も多いみたいなんですが、今担当させてもらっている某案件の参照資料にあり得ないようなミスが多数見られて、「ああ、安かろう、悪かろうなんだな」ということに気づき始めています。
(それは過去の参照資料で、某HPにもきちんと掲載されて一般公開されているものなんですが、よくよく見てみると、もう誤字はあるわ入力ミスはあるわ、イライラが募って収まらないです。笑)

もちろん、この翻訳がスピードをウリにする翻訳会社によって行われたのかどうかは知る由がありませんが、訳した文章にも統一性が見られず(結構長い文章です)、誤訳の程度も幼稚なミスが多数見られたので、翻訳者の質も良くないだろうし、それらをとりまとめる翻訳会社も杜撰なんだろうな、と想像していますし、恐らく外れてはいないでしょう。


で、これをどう捉えるか。

恐らく、発注サイドとしては二通りの考え方があると思います。
「お金がなかったから、少々のミスは仕方ない。これはこれでOK。」
②「公開するのにこの内容はひどい。もっと払ってもいいから、良い会社に頼むべきだった。」

私が発注者なら、間違いなく②を選びます。つまり、良いものに仕上げてもらいたいので、「お金はない」かもしれないけど、なんとかして工面して、支払う。

ただ、実際世の中には①②の両方の人間がいるのも事実です。


価値を知らないととんでもないことになることも

こんなミスが多々見つかって、軽く怒りを超えて呆れてしまった私ですが、こういうミスが取り返しのつかないことに繋がってしまうこともあると思います。

例えば、人の命を扱う場合。

翻訳でも、医療分野、製薬分野の専門領域がありますが、こういう文書を翻訳すると、例えば数字のミスや、専門用語(化学薬品等ですね)の翻訳ミスで、冗談抜きで人命に関わることになってしまいます。

もしかしたら成分が致死量になってしまうかもしれないし、違う化学反応が起きて爆発が起きたり、なんてことがあるかもしれません。

(実際は、訳文チェックなども行われるのでそういう可能性はゼロに等しいと思いますが、このまえクラウドソーシングで医療系の翻訳案件が出ていて、「簡単な翻訳」なんて書いてあるけど、これ本当に大丈夫なのだろうか、と思いました。)


で、例えばこういうちょっとしたミスが大きな命取りになる場合、それでも「お金がないから」安いところで済ませるのか、それとも、少し高めでも信頼できる会社や相手にしてもらうのか、といえば、前者の選択は結構危ういことになってしまいます。


別に仕事じゃなくてもいいのですが、例えばワンコインで食べられる、添加物とかいろいろありそうな、けれどお腹はいっぱいになるものを口にするのか、それともその倍くらいするけど透明性のある材料を使った食事を口にするのか、という選択は現実的にあるはずです。

これも「お金がないから」安いものを買ってしまった結果、身体に悪影響が及んでしまうかもしれない。それならば、「安心と安全」を買って、「お金がなくても」後者を口にする方が、理にかなっているとは思います。


価値があるかどうかは、身銭を切らないと分からない

実は「どれだけの価値があるか」ということは、人によって違います。

さっきのHPの製作に関しても、「リターンが見込める」かどうかは人によって違いますし、食事の選択にしても「高いお金を払うより、安くても腹一杯食べたいんだ!」という人もいるでしょう。

それは、別に否定はしません。


ただ、いずれにしても「身銭を切らないと、価値は分からない」ものだと思います。

手持ちの少ないお金で手入れたものだから、愛着が湧いて大切に使うかもしれません。

サービスがいいと聞いていた店だが、払ったお金の割りには自分が思っていたものより劣っていた、なんてこともあるでしょう。

「身銭を切る」ことで、お金と何かを交換する訳ですから、そこからその「交換価値」が自分にとってはどうなのか、ということが分かる。

翻訳で重宝する辞書があるらしい。それを買おうかどうか。
自分への投資として、翻訳ツールを買ったり勉強本を買おうかどうか。

「お金が出て行く」ことばかりを考えると怖くなってしまいますが、「お金を払うことで何が得られるのか」ということまで考えれば、ある程度分かれば、怖さは半減します。

だからこそ、「お金がない」なんていわずに、身銭を切る経験をして「自分にとっての価値」を身をもって知ることが、大切なんだと思います。


余談〜世界はレイヤーに分けられている〜

この記事の前半でも「ありえないくらい安い額で仕事を依頼する人」の存在を述べました。

かつ、こんな現状を見てみると、自分だって「安い相手に仕事取られたらどうしよう」って考えますし、知り合いと話しても必ず「どうやって安い競争相手に勝つのか」と聞かれます。

これについて、今までは確かに不安でしたが、最近ちょっと、分かってきたような気がするんです。

それは、世界は見えないレイヤーに分かれているということ。

どういうことかというと、「安い早いサービスを求める」レイヤーがいる一方で、絶対に「お金を払ってもいいサービスを受けたい」レイヤーが存在する、ということです。

で、そういう人たちは、同じレイヤーどうして繋がりあうと思うんです(類は共を呼ぶ)。

例えば、私がHP製作をどこかに頼むとすると、「早い安い」業者に頼むかというと、そうはしない。
少し高いかもしれないけど「安心」を買ってそういう業者に頼むか、もしくは気の知れた知り合いに、しかるべき対価を払って頼むと思います。

そして、今までも仕事で地道に営業とかしてきましたが、似た考えを持つ者同士、集まっていきます。

翻訳を発注する側にも「安くして欲しい」という人もいれば、「文章のコンセプトまでニュアンスを理解した上で翻訳をして欲しい」なんて言ってもらえる人や「同じミッションを持つもの同士、よろしくお願いします」なんて言って頂く場合もあって、ああ、これがつまりは、みんなが口にするなんだろうな、とつくづく思います。

だから、「安い額で仕事を受けるところは、それだけの内容のものしか提供できないだろうから、意識しなくて良い」という風に、次第に考えるようになりました。

「価値」を知っている人同士は、それぞれが共鳴しあう。

そう、合理性だけでは、ヒトは生きてゆけないんです。


そっか、世の中こんな感じなんだな、ということに気づいたので(根拠は全くないですが笑)、あとは何をするのかといえば、研鑽あるのみです。

(そもそも、フリーランスとして個人で仕事をする時点で、スピードと規模では勝てない訳ですから、そんなレッドオーシャンに立ち向かっていこうなんて考えてはいません)

そのためには、自分がしっかりと価値を知って、相手にそれを提供していけるようになることが必要ですね。


さて、手元にあるお金。「お金がない」なんて嘆いていないで、いろんな「価値」と交換して人生豊かなものにしていきませんか。


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