2014年7月28日月曜日

もう秋ですね

今朝起きてみると、先週までの猛暑はどこへやら、部屋の中、そして外の空気がひんやりしていて、夏らしくないなと思いました。

日中も、つい先日までへばるような暑さだったのに、それすらも忘れてしまうような涼しさがあって、もしかしたらこれは、夏も後半、いや、既に秋が始まったのかな、という予感がしたのです。

そんな今日は夕方から外に出かけたのですが、思った通り、蝉の鳴き声は聞こえますが田んぼからは虫が鳴いていて、肌に受ける風は涼しく、日照時間は驚くほど短くなっていて(それでも18時半頃の日没でしたが)、建物に当たる夕陽は、秋のそれでした。



気がつけばもう7月も終わり。世間はこれから夏休み、夏真っ盛りなのかもしれませんが、環境が確実に変化したことを今日、感じて目にしました。今回は今日一日の出来事だったのかもしれませんが、そんな変わり目に気づいて、少し寂しさも胸に込み上げてきました。


本当に命は、蛍の光のように儚くて一瞬なんだな、と。

2014年7月24日木曜日

過去にとらわれない

人間って、年を重ねるごとにこれまでの好みや価値観、自分の嗜好に合わせて物事を選びがちになるんですが、それはある意味で選択肢を狭めているんじゃないか、と思うときが多々あります。

他にも、「あの時こうしたんだから、今はこうしないと」「あの道を選んでからこうするのは変だ」という風に、むりくり因果関係(?)を作ってしまって、今の自分が心の中で望んでいることとは別の道を選んでしまったり、過去からの繋がり(スジ)を正当化しようとしたりも、してしまいます。

それはそれで、過去から未来への一つの直線上を生きるという意味で素敵なことだとは思います。ただ、必要以上に過去にとらわれてしまうのは、反対に足かせになってしまう場合があります。

人間は悩む生き物ですが、今を生きる上で問いかけるべきは「今の自分はどうしたいのか」ということでしょう。しかし私たちはえてして、過去からの一連の繋がりを考えて今までに払ったコスト(時間、お金)を正当化しようとしてしまったり、自分の周りにある「守るべきもの」を守るために、なかなか思い切った行動に出ることが、選択肢を取ることができなくなってしまうのかもしれません。(歳を重ねる上で、守る者が多くなってしまうのは仕方がないことではありますが。)


私が将棋をしていた頃に学んだ興味深いことが一つあります。それは、ある局面を見て、「ここはこう指す」という答えが、その局面をその時に見た人と、自分がずっと指してきたうえで導いた人とでは、異なる場合があるということです。

その局面を初めて見る人は、これまでの繋がりは一切考える必要がない(考えようがない)ので、その局面を起点に先を読んで、最善手あるいはそれに近い手を選ぶことができる可能性があります。その一方で、今までずっと指してきた人にとっては、それまでに紆余曲折があった(序盤の駆け引きをめぐってポイントを上げたのに、途中で読み抜けがあって不利になってしまい、そこから相手のミスに乗じて再度有利になってこの局面まできた)わけで、その場で判断をする時に余計な指標(ノイズ)が現れてしまうことになります。このノイズが、常に悪玉として働くわけではありませんが、心理的な要因が思った以上にバイアスをかけてしまう場合は誠に多いのです。

それはつまり、「今まで積み上げてきた有利さを失わないために安全勝ちを目指そう」という気持ちであったり、二転三転する局面の中で最善手が分からなくなったり、という場合などがあるのですが、過去にこだわる、過去のことを良くも悪くも引きずってしまうと、「今の自分」に取っての最善手を選びづらくなってしまうことでしょう。ノイズをできる限り取り除いて、純粋に局面を見渡した場合と、過去からの繋がり(スジ)を意識してしまう場合とでは、結果として選ぶ道が大きく違ってしまいそうです。

先日の記事、「積み上げない生き方」でも書きましたが、過去の延長上に今を、未来を作ることにこだわってしまうとドツボにはまってしまうことがあります。年を重ねるからこそ、過去にとらわれずに、まっさらな局面に飛び込んでいくことを恐れずに(意識せずに)できるようになりたいものです。

2014年7月22日火曜日

積み上げない生き方

生きていく中で「過去を積み上げて今を作る(今を生きる)」ことは、理想的なことだとは思いますがメリットばかりでもなさそうです。

今の世の中では、特に仕事に関しては「キャリアを積み上げる」ことに重点が置かれていますが、積み上げることにばかり目がいってしまうと、反対にそれらが崩れてしまった時に途方にくれてしまうことがあるかもしれません。
(ここでの「積み上げ」とは、同業界内で自分の市場価値を高めて転職をしていくこと、もしくは大企業内で出世をしていくことを指します。)

高みを目指すことはもちろん尊いことであり、それを根っこから否定するわけではありません。しかしその一方で、積み上げることばかりを考えてしまうと、その道が閉ざされてしまった時に絶望感に浸ってしまうのもまた、人間なのではないかと思います。


逆に言えば、積み上げることにそれほどこだわらないで生きていくことも可能です。異業種に転職をしたり、仕事と旅を繰り返したり、という生き方をされている方もおられます。


このようなことを思うに至ったのは、私自身が「積み上げない」ことを実践するようになって、自分の可能性の広さや視野の狭さに気づくことができたからです。

大学を卒業して2年と少しが経ちましたが、卒業当時は考えもしなかった仕事を今はさせて頂くこともあります。当時の知り合いから仕事を頂いたりすることはありますが、当時自分が勉強・研究したこととは全く異なる分野の仕事がほとんどですし、逆に今、新しい分野に足を踏み入れて、当時は知りさえしなかった世界を学ぶことができています(主に、新しい世界に対する知的好奇心という面と、その世界の仕事観(お金の動きなど)という二つの面での学び・気づきがあります)。

これには、自分の裁量である程度仕事ができ、かつ余裕を持って取組めているからこそ気づけることなのかもしれませんが、大学在学当時には知りもしなかった世界を見ることができて、またそこからいろいろと考えるきっかけをもらうこともあって、自分は恵まれていると思っています。

最近は特に、いろんな分野の仕事を複数頂くことが多く、本業以外にも様々なことに挑戦をする機会がありますが、案外自分はいろんなことに取組むことが出きるんじゃないか、仕事の可能性はそんなに狭くはないんじゃないか、ということを何度も何度も思います。

ですから、これからも予想もしていない畑に足を踏み入れていくことにはなると自分でも思っていますが、そういうことに対して拒絶反応はなるべく起こさずに、新しい気づきが得られるようにしていきたいと思っているのです。

20代半ばを生きるにあたって、もっともっと横断的に世界を眺めながら、自分のペースで生きていこうと思うのです。


【関連記事】

人生は、思った以上に可能性に溢れている

「変化し続ける自分を、納得しながら楽しむ」

2014年7月21日月曜日

遊びを楽しいものにするために気をつけていること

前々回、前回と「遊び」についてブログで書き綴りました。三連休も最後ということで、私が遊びを通して学んだ「楽しい遊びにするための気をつけること」を今回はまとめててみました。

【参考記事】
「人生で大事なのは遊び」

「なんで遊びは楽しいのか」

↑前々回、前回の記事です。



〜遊びを楽しいものにするために〜
①あまりに大勢の人を誘わない

地元で遊ぶときは、誘う人は多くて3、4人です。自分を含めて最大5人の時がありますが、多くは自分を含めて3人か4人となります。これには幾つか理由がありますが、一番大きいのは「足並みを揃えやすい」ことです。5人以上になると、全員の希望を汲めませんし、一人一人が話をして打ち解ける機会もそう多くはありません。あとは、田舎に住んでいるとどうしても車で出かけることが多くなり、乗れて最大5人、ということも関係しています。

やっぱり、気の合う少数の仲間と時間を過ごすのが遊びの醍醐味でしょう。


②欲張って遊ぼうとしない

よく、「三連休だ!毎日朝から晩まで遊ぶぞ!」「お盆休みは初日から最終日まで海外にいます」という、なんだか端から見ても慌ただしい人がいますが、個人的にそういうのは避けるようにしています。理由は、遊びが「義務」になってしまって、反対に楽しいものではなくなってしまうからです。「これだけの時間しかないから、できるだけ多くのところに行って、いろんなものを食べて、楽しもう!」となると、スケジュールが狂った時にすごく嫌な気分になりますし、そもそも精神的余裕がありません。「遊び」=「精神的余裕」なのであれば、極端なことを言えば、一日中家でゴロゴロしていても楽しければ遊びであるともいえます。「せっかくの休みだから外に出ていろいろとしよう」ということだけが、何も遊びではないと思います。遊ぶ中で起こるトラブルも味わう精神的余裕と、何もしていなくても「これでいいのだ」と言える精神的余裕も、心の片隅に置いておきたいものです。


③「消費活動」にばかり走らない

これは田舎に住んでいるからなのかもしれませんが、都会にいるよりも、お金を使わずに楽しめることも案外多いものです。近くの川で蛍狩りをしたり、緑の中を散歩をしてみたり、こういうことをするだけでも十分に楽しい場合があります。もちろん、都会にいても虫取りや蛍狩り、花火はできると思いますが、それ以上に消費欲を駆り立てる設備が多いのも、また事実です。カラオケ、ボーリング、ジム、映画館、ゲームセンター…。他にも、洋服を買ったりご飯を食べたり、ということも「消費」に関係しています(ここでの消費とは、お金を使うことと考えて頂ければと思います)。これらは都会にも田舎にもありますが、都会に住んでいた時(大学時代)は、今よりも「なんとなくお金を使ってしまう」機会が多かったような気がします。もし今も、東京や大阪の中心地にいたとしたら消費欲を駆り立てるものは、田舎よりも圧倒的に多いでしょう。そういう「遊び」ももちろん否定はしませんが、もっとシンプルに遊びをすることも、可能だと思います。
(お金を使って遊んだ後に「お金が飛んでいった…」と思うのも、精神的にあまり良いものではありませんね。)


もちろん、都会には都会の良さ、田舎には田舎の良さがあります。ただ、あまりものを用意しなくても、お金を使わなくてもそれなりに楽しい遊びは、田舎のほうができるのではないかというのが率直な感想です。

ー ー ー ー ー

遊びのポリシーは、皆さん一人ひとり異なるものでもあるでしょう。皆さんはどんな遊びのポリシーをお持ちですか?

2014年7月20日日曜日

なんで遊びは楽しいのか

昨日の記事で、「遊びは大事だ」ということを強調しました。では今回は、なんで「遊びは楽しいのか?」について、思うところを書いてみます。


◎遊びが楽しいのは、自己裁量が大きいから

遊びが楽しい理由は、これに尽きるのではないでしょうか。

自己裁量というのは、自分で決められる、動かせるものごと範囲のことです。これが大きくなると、当然ではありますがワクワクしますよね。

私たちが中学生、高校生の頃は、夏休みになるととてもワクワクしましたし、多くの方はその時期を楽しく過ごされていたのではないでしょうか。それはなぜかといえば、普段学校に行っている時期とは違って、「自分が使える時間が増え」ます。つまり、自己裁量で使える時間がこの場合は増える訳です。(もちろん、やらないといけない宿題もありましたが…)


中学や高校の時代を過ぎても遊びが楽しいのは、「自分で決められること」が多くあるからだと思います。バーベキューを例に取ってみましょう。
・いつ行くか?
・どこへ行くか?
・何人くらい誘う?
・予算はどれくらい?
・何食べる?
・バーベキューの他に何をしよう?
・集合時間はどこ?
・誰の車を使う?レンタカーは?
…などなど、あげればきりがありませんが、私たちは意識をせずともこれらの決定・判断を重ねているはずです。

要するに「自発的」に行動・判断をしているわけです。そしてこれこそが、「遊びが楽しい」ことの根本にあることでしょう。

裏を返すと、行きたくない人も一緒にいる遊びは嫌ですし、誰かが勝手に決めたスケジュールに沿って、がんじがらめに行動しないといけないのも、あまり楽しいものではありません。


◎自己裁量が大きいと楽しい、は仕事にも当てはまる

そしてもう一つ大事なこと。「遊びが楽しいのは自己裁量が大きいから」というのは、仕事にも当てはまるということです。

私自身、仕事の全てが楽しいとは思ったことがありませんが、今もある程度楽しいと思えるのは、「自分で決めれること」がそれなりの部分(60%程度?)を占めているからなのだと思います。

仕事というのは、ルールや決まりがある程度存在します。納期であったり仕様であったり。
そして問題は、日本の商慣習はこの「ルールや決まり」が多すぎることでしょう。私が会社勤めをしていたときも、仕事そのものよりも、その回りにある「枝葉末節」(キモではない部分)に対する心配りや気遣いが多くなりすぎて、仕事の本質が見えなくなっていたことは確かだと思います。


◎楽しく生きるために

仕事でも遊びでも、「自己裁量」が大きいことに取組む時間を少しでも増やしたいですね。それには当然「自分の頭で考える」ことが必要になってくるわけですが、周りから言われたことをそのまま反対側に通すよりも、頭は使いますし、工夫もしますし、自分にとってもプラスになることが多いのではないでしょうか。

自分の人生の自己裁量を少しずつ大きくしていきましょう。

2014年7月19日土曜日

人生で大事なのは遊び

今年の夏は、いつもにまして遊びに力を入れている夏のような気がします。

一番大きいのは、高校・大学時代に仲の良かった友達が地元に帰ってきて、会う機会が増えたことだと思っていますが、既に蛍狩りに行ったり、川沿いに涼を求めに行ったりしていて、これからも花火(大会じゃなくて、自分たちで遊ぶもの)に行ったり天体観測に行ったりする予定です。

ああ、遊びってこんなに楽しいものなんだ、ということに、何年ぶりに気づいた夏でしょう。

高校時代は、勉強をしたり部活に勤しんだり、文化祭の準備をしたりしていました。

大学時代は、夏には海外に行かず、日本をうろうろしていましたが、サークル活動もあったし、それほど「夏休み」という生活はしていなかったように思います。(単に、自分が遊びが下手なだけだったとは思います)

大学卒業後も、始めての夏は中国に旅行に行っただけですし、昨年の夏も、夏っぽいことは何一つしていなかったはずです(苦笑)。今年は不思議なくらいに「夏だな〜」と思うようなことに足を突っ込んでいますが、これが思った以上に楽しい。特に思うのが、以下の二つです。


①遠くに行かなくても楽しい
奈良という土地柄、車を使えば山や森ばかりの県の東部や南部に簡単に足を運べます。天気がよければ天体観測もできますし、自分たちで花火を用意して遊べる場所も、それほど少なくはありません(都会はもっと厳しい印象)。

工夫次第ではバーベキューもできるとは思いますし、これだけ楽しいことをそれほどお金をかけずにできると、正直仕事のために都会に出て(通勤もしくは移住)、人ごみの中で24時間生活するのはできなくなりそうです。(東京でも、奥多摩など良い所があるのは知っていますが、そもそも都心から車で行けるんだろうか…と思ったりします。)

私は、時間とお金さえあれば海外に行きたくなるような人間ですが、それと同じくらい、地元で遊ぶのも楽しいんだなと気づいたのが今年の夏です。


②歳を重ねると自由度が少しずつ高くなる
高校生のときも大学生のときも、楽しかったのは事実です(時間が経つと記憶は歪みますが、まあこれは置いといて)

でも、今楽しいのは、曲がりなりにも自分でお金を稼いで、自分たちで物事を決めて遊んでいるからなのではないかと思います。車は親のを借りていますが(苦笑)、友人の仕事が終わった後に車を出して、夕暮れの中をお気に入りのプレイリストを流しながら目的地に向かう時の気分の高揚は何にも代えられません。あれ?こんな体験したのいつぶりぐらいだろう?と。もしかしたら、自由度が高いという点では、今まで経験した高揚感より更に大きいものなのかもしれません。


◎やっぱり大事なのは遊びだ

生きる上で大事なのは、仕事だと良く言います。

私も、それは否定しません。仕事は大事だと思います。

でも、それ以上に遊びも大事です。この夏に学んだこと。それが「遊びは大事だよ」ってことです。

遊びっていうのは、なんなんでしょう。仕事をしているときも「仕事の中でも遊びは大事」と、前の職場で言われたことがあります(その時はなぜかハンドルの「遊び」に例えられて説明されました)が、思うに遊びとは「心の余裕」なのではないでしょうか?

仕事も楽しいときはありますが、そうは言っても大変な時、辛いときも多くあると思います。私もまだまだ未熟な点が多いですし、コミュニケーションが上手く取れないときや、ミスをする時もあります。

で、こういうことを一時的に忘れるためにも、メリハリをつけるためにも、絶対に遊んだほうが良いのです。遊ぶ方法なんて何でもいいですが、経験的に、身体を動かす、もしくは自然に触れられるものが良いですね。自然というか、太陽の光だったり心地よい風をここでは指しますが。

思いっきり遊ぶと心も身体も軽くなりますし(当たり前です、楽しいですから)、それが仕事に良い効果を与えてもくれるでしょう。できれば、買物で散在とか、お金を気にしてしまうような遊び(というのか分かりませんが)は避けた方が良いと思います。

私もどちらかといえば、仕事に対して真面目に考えて、あれこれ悩んで生きてきた人間ですが、そういうものに対する答えは案外「遊び」にあるのかもしれません。良く言われますが、日本人は遊びが下手です。遊びを真似することは得意なようですが、遊ぶのが下手。

でも、これもある意味仕方ないことかもしれません。週40時間で仕事をきちんと済ませられる環境なんて多くはなさそうですし、仕事に使う頭の容量と時間が多くなると、自然と遊びに対して頭が働かなくなってしまいます。ヨーロッパでは長い休暇が普通のようですが、日本人は、そんな休暇を取っても使い方が分からないのかもしれませんね。とても哀れなことだと思います。

ずばり提言。みなさん、もうちょっと遊びにも精を出してみませんか?お金をそんなにかけなくても遊ぶ方法なんて沢山あります。目下世間は三連休ですが、それが終わると皆さんまた仕事に勤しんでいくのは、ちょっともったいないような気がします。遊びに力を注ぐと、自然にメリハリがついて来ますし、気の流れも良くなってきます。仕事ばかりしていたら駄目ですよ。

〜一緒に歳を取ろう。最良の時はこれからだ。〜(ロバート・ブラウニング)
Grow old along with me! The best is yet to be. Robert Browning. 




2014年7月15日火曜日

90年代ポップを聞くと、なぜか懐かしい感覚に溺れる

この前、友達から借りたJUDY AND MARYのCDを聞いていたのですが、

タイトルこそ知らなかったけれど、聞いたことがある曲が多くて「これもどこかで聞いたことあるぞ〜」と、曲が進むたびにワクワクしました。




「Over Drive」とか



「クラシック」

他にも「くじら12号」とか「散歩道」とか、恐らく1990年代後半の曲だと思うのですが、見事にサビのメロディーは記憶に残っていてびっくりしています。


「90年代音楽(JPOP)はすごかった。黄金期だった」とはよく言われます。僕も、それには同意です。当時僕は小学生でした(1989年生まれ)が、同級生の友達と話していても「やっぱりあの時代の音楽が一番良い」ということになります。

他にはスピッツとかMy Little Loverとか、タイトルは覚えていないけれど「メロディは聞いたことあるな」という、どこか懐かしい感じがするのは、だいたい90年代の音楽です。

僕は音楽はそれなりに聞きます(親の影響で、古めのものをよく聞きます。基本的に守備範囲は狭く、一人のアーティストやバンドをよく聞くタイプです)。

でも、なぜか90年代の曲は、有名どころは聞いたら分かる、聞き覚えがあるものが沢山あります。そして、当時は小学生で殆ど記憶なんて残っていないのに、懐かしい気持ちになるんです。

これはなぜなんでしょうか。

JUDY AND MARYを聞いても、すごく明るい曲ですし(その中に切なさはありますが)、こういう曲を聴いたら「明日もがんばろう!」となります。最近の曲を聴いてもならないのに、なんでなんだろう。

不思議なのは、僕の中で90年代=どん底の10年、というイメージがあるのに、その中で歌がとても輝いているということです。
90年代と言えばバブルがはじけて、阪神大震災があってオウム真理教のサリン事件があって、山一証券が潰れて不良債権が出回って、就職氷河期があって「ロストジェネレーション」と呼ばれる世代が出てきて、という話しか聴いたことがなく(もちろん自分の目で見たわけではないので、実感はないのですが)、こんな時代に作られた歌だからこそ、明るくって前を向いていくようなものが多くて、今も尚色あせずに残っているのかもしれませんね。

皆さんのおススメの90年代ポップソングがあれば、ぜひ教えて下さい。

2014年7月12日土曜日

腹を割って話せるのが高校の友人なのはなんでだろう

今日も突然、いつもの大親友とご飯に行ってきました。

ご飯の後は若草山の夜景も見に行って。

もう何年も見ていない景色でしたが、やっぱりきれいでした。(若草山から見える夜景はおしとやかで、個人的には神戸の夜景より好きです。県外の方も是非お越しを!)


彼とは、高校3年のクラスが一緒で、その時はそれほど仲良くもなかったのですが(時々話す程度)、大学が近くで、ある日「今日泊まらせてや」というメールを受けてお酒を飲みにいってから、今まで神戸や奈良、名古屋など、いろんなところに行ってはくだらない話から重い話まで、なんでもやってきました。

こんな話ができるのは、なんで大学の友達じゃなくて高校の友達なんだろう、とふと思います。

大学時代の友達は、学内、学外を含めても多く、これまた世界のことや仕事のこと、スケールは広くテーマは多く、熱く語り合ってきました(そんな話ができる友達は、そう多くはありませんでしたが)。でも、やっぱり地元の友達のほうが、機微が分かるというか、どこか「阿吽の呼吸」で通じることも多いのです。

これはなぜなんだろう。


一つは、高校時代は「同じ釜の飯を食った」間柄だったから、ということがあると思います。

朝の朝礼(?)から時には部活後まで、人によっては、授業はもちろん休み時間もずっと一緒にいるわけです。そこでは
・あいつはあの科目が得意だとか
・あいつは頭が良くて絶対に敵わない、だとか
・あいつは軽音でドラマーなんだとか
・あいつは女の子にいろいろやらかしているらしい、だとか(笑)

そういうことをだいたい知る訳です。地元(高校)も同じだから、ローカルな話題は通じますし、友達の話をしてもネタには困りません。そんな「共有できること」が、大学の友人よりもはるかに多いことが、高校の友達と腹を割って話せる理由なんではないか、と思います。時間が経っても、あの時自分は、あの子は、あいつはどんなだったとか、当時の恋愛の話なんかも織り交ぜて話ができ、「懐かしさ」と「時間が経ったなあ」という感情も沢山生まれます。

一緒に過ごした時間が長いから、自然に「あいつはあんな奴」ということをイメージとして持つことにもなりますし、17歳前後の思春期(なのか?)という時期も関係しているのかもしれません。

大学の時代に腹を割って話した友達もいます。そういう子もかけがえのない存在です。

でも、僕は何か悩みがあったら、絶対に高校時代の親友に相談することになるでしょう。それくらい、高校時代の友達は心強い存在なのです。

2014年7月11日金曜日

ジェットスターが関空〜大分間に就航!ますます関西と九州が近くなりそうな予感です。

今年の10月9日に、ジェットスターが関空と大分の間に一日一往復就航します。

こちらがそのソース。

関空発は14時55分、大分発は16時45分。所要時間は共に約1時間で、利用しやすい時間なのもポイントです。


このニュースには、個人的に「待ってました!」と膝を叩いて喜んでしまいました。温泉大国の大分まで関西から格安でいける!と。



大分といえば別府、湯布院など湯の国で、ずっと行ってみたかった場所ですが関西からだと新幹線に乗り、更に小倉で在来線特急に乗り換えないといけず、時間もお金もかかるのがネックでした。

今までも、ジェットスターは成田から高松や大分、鹿児島にフライトを飛ばしており、正直羨ましくて仕方がありませんでした。ようやく関空からも大分に格安でいけることになって、とても嬉しいです。

(大分空港から別府や湯布院、大分市内までの移動に時間とお金がかかってしまうのが若干辛いところ。詳しくは大分空港HPまで)


現在、関西と九州を結んでいるLCC(と中堅航空会社)は以下の通り。

<ジェットスター>
・関空〜福岡
・関空〜大分(←New!)

<Peach>
・関空(第二)〜福岡
・関空(同)〜長崎
・関空(同)〜鹿児島

<スカイマーク>
・神戸〜長崎
・神戸〜鹿児島

個人的に魅力的な路線は
・ジェットスターの関空〜大分
・Peachの関空〜福岡(便数が多い)
・スカイマークの神戸〜鹿児島
でしょうか。

神戸〜鹿児島は、あまり知名度が高くないようですが、一日一便、60日前までのチケット購入で片道6,900円で移動できるのが魅力的です(Peachの関空〜鹿児島は、日中の便が満席で、朝一か最終便しか空いていないのがネック)


LCCが就航するごとに、いろんな街が近く感じられるようになったのは本当に嬉しいことです。


【関連記事】
これが僕の、LCC利用ポリシーです

これが僕の、LCC利用ポリシーです・その2(ジェットスター vs Peach)

【これだけあった!】中堅エアライン利用のメリット

フライト搭乗記:ジェットスタージャパン509便 東京(成田)→福岡

フライト搭乗記:スカイマーク156便 神戸→仙台

2014年7月10日木曜日

中庸の難しさ

高校時代に一番お世話になった国語の先生が、何かの折りに口にされていた言葉。

「中庸は難しい。だからこそ、中庸を目指しなさい。」


当時、「中庸」という言葉は古代中国の「四書」の一つ、ということしか知りませんでしたが、そのニュアンスなどからなんとなく「ほどほどが一番いい」ということなのではないか、と思っていました。
(この一文が先生本人の目に留まってしまうと、こっぴどく叱られてしまいそうですが…笑)


「中庸」とは、「行動などが一つの立場に偏らず中正であること。過不足がなく、極端に走らないこと」という意味だそうです。

そして今痛感しているのが、まさに中庸の難しさ。

例えば仕事。

最近の悩みは、仕事の量が少ないということ。
別に、平日日中にずっと仕事をするのが良いとは思いませんが、あまりにも仕事がない時などはどうやって時間を使うかが分かなくなってしまいます。

かといって、世間を見てみると平日休日、日中深夜を問わず働き詰め(働かされすぎ)の人もいて、そういう人から見れば、私のような立場は羨ましい存在だったりするのも事実ではあると思います。

どうやら、この二つの世界の間に「中庸」はあるのだと思います。でも、そこに辿り着くのはなまじ簡単なことではなさそうです。実際に仕事をしていても「もう少し仕事があったらいいな」と思う時と「こんなに仕事できない」と思う時は多々ありますが、「これぐらいがちょうどいい」と思ったことは、自分のこれまでを振り返ってみても恐らくないと思います。

仕事以外でも、例えば一回の食事の量であったり、大切な人と会う頻度であったり、欲しいものを買うことであったり、あらゆる場面でこの「中庸」の難しさは身に沁みるのではないでしょうか。「過不足がなく、極端に走らない」というのは、両極端を経験しないと分からないことでしょうし、その経験をすることも案外コストのかかることだったりもします。

二千年以上も前に、同じようなことに悩んでいた偉人がいたことはすごいことですし、同時に、人間の悩みというのは長い時間が経ってもさほど変わらないのかもしれません。

仕事人と学生の間にある断絶

今日は夜、知り合いと大阪で食事をしてきました。

この4月から仕事を始めて、大学の後輩に当たるのですが(知り合ったのは僕が大学を卒業してから)、お互いの近況報告や仕事の悩みについて2時間ほど、お酒を片手に話しました。


そこで二人とも口にしていたのが、「仕事のことって学生の時には分からないよね」ということです。(この話は、少し前にも同じく仕事をしている同い年くらいの人として、ものすごく噛み合いました。)

つまりは、学生の時にはいくらインターンなどを通して就業経験を積んでいたとしても、その経験は「ほぼ0に近い」ということで、それは求められる責任の重さや、イメージと現実の差異から生まれるものだと思うのですが、やっぱり「仕事を始めた」「仕事をしている」からこそ悩むことや気づくことがあるわけです。
そして、そういう話は悲しいかな、学生という身分の人とはおそらく殆どできないでしょう。これは、何も自分を棚に上げているわけでもなく、数年前の自分と話をしてみても、当時の自分には分からないことが思っている以上に沢山あった、ということなのです。

もちろん、だからといって私は学生との対話をなくすなんてことはしませんし、自分のような立場から(会社員を少しだけして、そのあと個人で仕事をするようになったという経緯を踏まえて)様々な人の力になれることはないか、とは思っています。

ただし、話をする上での「前提」が、仕事人と学生だと変わってくるとは思いますし、それを理解した上でなにを提供できるのか、ということが大事になってくるのではないでしょうか。(異なる文化圏にいる人どうしが話をするような「前提の差異」です。


この「断絶」については、私もまだうまく言語化ができていません。ですが確実に、学生と、仕事をしている人の間では話の前提や基準が異なっていて、その断絶がある限り仕事に対する考え方や見方については、齟齬が生じたままになるのではないかと思っています。
(そして、大学を卒業してから仕事を始めて、自分の中で「前提」が変わる時があるのですが(それは得てして様々な経験をした上で起こることです)、それを冷静に整理することなく私たちは歳を取ってしまうのだと思います。)


僕のように、仕事をしている人が考えている「前提」については、あくまで自分目線ではありますが今後言語化をしていく必要があると思っていますし、その上で、様々な仕事に就いている人と学生とが、仕事について赤裸々に話し合って止揚を目指すような機会作りも必要になってくるかと思います(既にそういうことは西村佳哲さんなどがされているのだとは思いますが)。


もう少し時間をかけて、このあたりは融かしていきたいです。


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2014年7月8日火曜日

青春18きっぷの季節がやってきた!夏に足を運んでみたいおススメの場所(東日本編)

7月1日から、青春18きっぷが発売されています。

毎年恒例の、青春18きっぷを片手に日本をうろうろする季節がやってきました。

私は、最近は18きっぷを使う機会がないのですが学生時代によくこれを使って旅をしていたことがあります。今回と次回は、この青春18きっぷを使って一度は訪れてみたい日本各地のスポットを紹介します。

今では、夜行列車が絶滅してしまった代わりに夜行バスやLCCが日本各地を網羅しているので、適宜これらも利用してまだ見たことのない日本を探しに出かけるのも良いかもしれません。


今回は東日本編、ということで北海道、東北、関東周辺を紹介します。



北海道・函館本線森駅&長万部〜小樽間

旭川〜札幌〜小樽〜長万部〜函館、と続く函館本線の南側です。





羊蹄山を眺めながらゆっくり走る列車に揺られて旅をするのもまた良し。



長万部駅は「かにめし」が有名です。ご飯の上に乗っているかにの散らしが美味!


こちらは森駅。




森駅は「いかめし」で有名です。タレが利いたごはんとイカの身が、これまたおいしいです。

羊蹄山&かにめし&いかめし、がこのルートの定番なので、ゆっくりと函館から札幌(またはその逆)に向かってみるのもよいでしょう。



秋田県・日本キャニオン&十二湖

秋田県の能代と青森県の川部(弘前)を、日本海に沿って結んでいる五能線もおススメです。

弘前ねぷたが行われる五所川原も通りますし、なんといってもハイライトは「十二湖」駅から行ける日本キャニオンと「青池」です。


青森と秋田を結ぶ「リゾートしらかみ」号を使えば、スムーズにアクセスできます(全車指定席なのでチケットを取るのが大変)




神秘の青池。



日本キャニオン


十二湖は幼い時にテレビで見てから絶対に行きたい場所だったので行ってみました。逆に言えばこの池くらいしか見所はないのですが、日本海に沿って列車は走り続けるので絶景が続きます。

参考サイト:白神なび


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山形県・立石寺(山寺)


あの松尾芭蕉も訪れた、そして「静けさや 岩に沁み入る 蝉の声」を詠んだ立石寺。

立石寺は、仙台と山形を結ぶ仙山線の間に位置しているので、仙台駅からも比較的簡単にアクセスできます。






右上が山寺駅。距離は近いですが坂が急です。




これだけ緑のある所でのんびりもしてみたいですね。

参考サイト:山寺観光協会


茨城県・袋田の滝

日本三大瀑布(那智、華厳、袋田)の一つです。

水郡線という、福島県郡山市と茨城県水戸市を結ぶローカル線にあるのでアクセスは結構大変です。ですが、冬には凍るその滝のスケールは圧巻です。


袋田駅。駅員さんもいません。
最寄り駅ですが、ここからはバスなどを使わないと滝に行くことは厳しそうです。




当時は一眼レフを持っておらず、広角で写真を撮れませんでした…




ー ー ー ー ー


いかがでしたか。

ここで紹介したのは、私が足を運んだことがある場所のほんの一部です。

青春18きっぷを使うと、目的地を周遊するだけでなく、目的地に着くまでの過程も楽しくなります。ですから、観光地がなくても、面白そうな駅があったり、食べてみたい駅弁があったり、そんな小さな動機でも良いので一度は遠い場所に足を運ばれてみてはいかがでしょうか。


最後に、青春18きっぷのキャッチコピーも素晴らしいのでその一部の紹介を。


「ずっと友達だよ」と言うかわりに、みんなで旅にでた。(2014・春)


前略、僕は日本のどこかにいます。(2000・冬)


空気は、読むものじゃなく吸い込むものだった、と思い出しました。(2013・春)


大人には、いい休暇をとる、という宿題があります。(2009・夏)


学校を卒業すると、春は黙って行ってしまうようになる。(1999・春)


あの頃の青を探して。(2005・夏)





夏だ、旅に出よう。


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2014年7月7日月曜日

Two-day tour to Mt. Fuji for trekking

July 1st was the first day of climbing season to Mt. Fuji, where is the highest mountain in Japan (3,776m).

Though only four days had passed, I offered a two-day tour to Mt. Fuji trekking. 

It was my first trekking to Mt. Fuji, so I looked forward to joining it and was so exited. 

I departed Kyoto on 9am in July 4th and headed to Mt. Fuji by bus. With several breaks at highway rest stop, we arrived at the 5th station of Mt. Fuji around 5pm. Preparing baggages and finishing simple dinner, we started trekking with a tour guide. 



at 5th station



The weather was so bad: raining and misting. 



 We took several breaks at 6th, 7th stations and arrived at 8th station for short sleep.



The prices were so expensive!



We arrived at the 8th station around 11pm and slept until 1am (only 2 hours!)



Thought the weather was bad, we could watch the sky with full of stars midnight!



Finally we arrived at the summit but couldn't see the sunrise, which is the best highlight of this tour.


Before departure I worried about my stamina but I was stronger than I imagined: this trekking was a good exercise for me.
However, when I arrived at the summit oxygen was really thin. I needed an oxygen spray for my breathing. 
As I couldn't watch the sunrise, I want to try Mt. Fuji trekking again for it.



2014年7月6日日曜日

富士山が山開き!ということで富士山登山に行ってきました。

7月1日に富士山が山開きとなりました。

そんな山開きからわずか4日しか経っていない7月4日から一泊二日で、ツアーで富士山登山に行ってきました。

利用したのはロイヤルホリデーこちらのツアー。


料金ですが、7月上旬の平日出発ということで、諸々込みでなんと16,900円(!!)でした。

簡単なスケジュールは以下の通りでした。
7月4日
9時:京都を出発。
途中三回サービスエリアで休憩を取り、17時頃に富士山午五号目に到着(車内では仮眠を取りました)。ここで着替えをし、夕食をとって
18時:登山出発。
ガイド付きのツアーなので、ゆっくりしたペースで歩きました。
途中休憩を繰り返して、
23時:八号目の山小屋に到着。仮眠を取る。

7月5日
1時:起床、身支度。
1時半:山頂に向けて出発。
4時半:山頂到着!
5時:下山
9時半:五号目に戻ってきました。
10時半頃:バスで出発。
11時半頃:お土産屋さんで買物(自由)
12時15分頃:温泉に到着、入浴後昼食(バイキング)
14時:関西に向けて出発。途中二回休憩をし、
19時半:京都着。

一泊二日なので、やや詰め詰めのスケジュールでした。

一番楽しみにしていたご来光ですが、生憎の天気で見ることができず…。八合目あたりでは視界が良く、雲間から朝焼けが見えたのですが九号目を過ぎた辺りからガスに包まれ、頂上では何も見えませんでした。残念でした。

7月初めは天気もそれほど良くないようで、出発後から雨に打たれたりガスが出てきたりで、あまり良い条件ではありませんでした。ですが、八合目に行く途中は雲もなく、満天の星空が見えて個人的には満足でした。普段見えないような星も沢山あって、星空はこんなに明るかったんだなあ、と改めて気づきました。

以下写真。






以上、山梨側の富士山五号目入り口。



天気が悪かったです。


確か、六号目入り口。太陽が沈んでおらず、まだ明るかったです。




富士山の物価はとても高いです。荷造りの関係もありますが、なるべく出発前に手に入れられる物は手に入れましょう。


休憩中。八合目到着手前。



日付が変わり、仮眠後出発前。





上二つが頂上の写真。見事に何も見えませんでした。


以下簡単な感想。
・歩くペースはややゆっくりめ。私は親の影響で、小さい頃からトレッキングに行ったり、高校時代少しだけ登山部で活動していたことがあったので、思っていたほど負担は大きくありませんでした。
・高山病も、心配していましたが大丈夫でした。よく見る酸素スプレー(?)は、他の人の話を聞いているとあまり効き目がなさそうでした。(ただ、山頂に着いた時はさすがに酸素が薄くて、スプレーを使いました。)
・山頂付近に近づくと、あまりご飯がのどを通らなくなります。咀嚼するエネルギーがなくなるのか、ウイダーゼリーなどの、液状の食べ物を持参したほうが良いかもしれません。
・下りも、ジグザグの道を延々と下るので思った以上に負担が大きかったです。
・今回はご来光を見れなかったので、次回また挑戦してその時は絶景を目にしたいです。



<参考情報>
ツアーに含まれていたもの
・関西〜富士山入り口までのバス
・登山時のガイド
・仮眠時の山小屋利用
・一日目夕食、二日目朝食/昼食(昼はバイキング)
・登山後の温泉

含まれていないもの
・富士山でのお手洗い使用料
・一日目の昼食