2014年7月10日木曜日

中庸の難しさ

高校時代に一番お世話になった国語の先生が、何かの折りに口にされていた言葉。

「中庸は難しい。だからこそ、中庸を目指しなさい。」


当時、「中庸」という言葉は古代中国の「四書」の一つ、ということしか知りませんでしたが、そのニュアンスなどからなんとなく「ほどほどが一番いい」ということなのではないか、と思っていました。
(この一文が先生本人の目に留まってしまうと、こっぴどく叱られてしまいそうですが…笑)


「中庸」とは、「行動などが一つの立場に偏らず中正であること。過不足がなく、極端に走らないこと」という意味だそうです。

そして今痛感しているのが、まさに中庸の難しさ。

例えば仕事。

最近の悩みは、仕事の量が少ないということ。
別に、平日日中にずっと仕事をするのが良いとは思いませんが、あまりにも仕事がない時などはどうやって時間を使うかが分かなくなってしまいます。

かといって、世間を見てみると平日休日、日中深夜を問わず働き詰め(働かされすぎ)の人もいて、そういう人から見れば、私のような立場は羨ましい存在だったりするのも事実ではあると思います。

どうやら、この二つの世界の間に「中庸」はあるのだと思います。でも、そこに辿り着くのはなまじ簡単なことではなさそうです。実際に仕事をしていても「もう少し仕事があったらいいな」と思う時と「こんなに仕事できない」と思う時は多々ありますが、「これぐらいがちょうどいい」と思ったことは、自分のこれまでを振り返ってみても恐らくないと思います。

仕事以外でも、例えば一回の食事の量であったり、大切な人と会う頻度であったり、欲しいものを買うことであったり、あらゆる場面でこの「中庸」の難しさは身に沁みるのではないでしょうか。「過不足がなく、極端に走らない」というのは、両極端を経験しないと分からないことでしょうし、その経験をすることも案外コストのかかることだったりもします。

二千年以上も前に、同じようなことに悩んでいた偉人がいたことはすごいことですし、同時に、人間の悩みというのは長い時間が経ってもさほど変わらないのかもしれません。

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