2014年7月12日土曜日

腹を割って話せるのが高校の友人なのはなんでだろう

今日も突然、いつもの大親友とご飯に行ってきました。

ご飯の後は若草山の夜景も見に行って。

もう何年も見ていない景色でしたが、やっぱりきれいでした。(若草山から見える夜景はおしとやかで、個人的には神戸の夜景より好きです。県外の方も是非お越しを!)


彼とは、高校3年のクラスが一緒で、その時はそれほど仲良くもなかったのですが(時々話す程度)、大学が近くで、ある日「今日泊まらせてや」というメールを受けてお酒を飲みにいってから、今まで神戸や奈良、名古屋など、いろんなところに行ってはくだらない話から重い話まで、なんでもやってきました。

こんな話ができるのは、なんで大学の友達じゃなくて高校の友達なんだろう、とふと思います。

大学時代の友達は、学内、学外を含めても多く、これまた世界のことや仕事のこと、スケールは広くテーマは多く、熱く語り合ってきました(そんな話ができる友達は、そう多くはありませんでしたが)。でも、やっぱり地元の友達のほうが、機微が分かるというか、どこか「阿吽の呼吸」で通じることも多いのです。

これはなぜなんだろう。


一つは、高校時代は「同じ釜の飯を食った」間柄だったから、ということがあると思います。

朝の朝礼(?)から時には部活後まで、人によっては、授業はもちろん休み時間もずっと一緒にいるわけです。そこでは
・あいつはあの科目が得意だとか
・あいつは頭が良くて絶対に敵わない、だとか
・あいつは軽音でドラマーなんだとか
・あいつは女の子にいろいろやらかしているらしい、だとか(笑)

そういうことをだいたい知る訳です。地元(高校)も同じだから、ローカルな話題は通じますし、友達の話をしてもネタには困りません。そんな「共有できること」が、大学の友人よりもはるかに多いことが、高校の友達と腹を割って話せる理由なんではないか、と思います。時間が経っても、あの時自分は、あの子は、あいつはどんなだったとか、当時の恋愛の話なんかも織り交ぜて話ができ、「懐かしさ」と「時間が経ったなあ」という感情も沢山生まれます。

一緒に過ごした時間が長いから、自然に「あいつはあんな奴」ということをイメージとして持つことにもなりますし、17歳前後の思春期(なのか?)という時期も関係しているのかもしれません。

大学の時代に腹を割って話した友達もいます。そういう子もかけがえのない存在です。

でも、僕は何か悩みがあったら、絶対に高校時代の親友に相談することになるでしょう。それくらい、高校時代の友達は心強い存在なのです。

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