2014年7月24日木曜日

過去にとらわれない

人間って、年を重ねるごとにこれまでの好みや価値観、自分の嗜好に合わせて物事を選びがちになるんですが、それはある意味で選択肢を狭めているんじゃないか、と思うときが多々あります。

他にも、「あの時こうしたんだから、今はこうしないと」「あの道を選んでからこうするのは変だ」という風に、むりくり因果関係(?)を作ってしまって、今の自分が心の中で望んでいることとは別の道を選んでしまったり、過去からの繋がり(スジ)を正当化しようとしたりも、してしまいます。

それはそれで、過去から未来への一つの直線上を生きるという意味で素敵なことだとは思います。ただ、必要以上に過去にとらわれてしまうのは、反対に足かせになってしまう場合があります。

人間は悩む生き物ですが、今を生きる上で問いかけるべきは「今の自分はどうしたいのか」ということでしょう。しかし私たちはえてして、過去からの一連の繋がりを考えて今までに払ったコスト(時間、お金)を正当化しようとしてしまったり、自分の周りにある「守るべきもの」を守るために、なかなか思い切った行動に出ることが、選択肢を取ることができなくなってしまうのかもしれません。(歳を重ねる上で、守る者が多くなってしまうのは仕方がないことではありますが。)


私が将棋をしていた頃に学んだ興味深いことが一つあります。それは、ある局面を見て、「ここはこう指す」という答えが、その局面をその時に見た人と、自分がずっと指してきたうえで導いた人とでは、異なる場合があるということです。

その局面を初めて見る人は、これまでの繋がりは一切考える必要がない(考えようがない)ので、その局面を起点に先を読んで、最善手あるいはそれに近い手を選ぶことができる可能性があります。その一方で、今までずっと指してきた人にとっては、それまでに紆余曲折があった(序盤の駆け引きをめぐってポイントを上げたのに、途中で読み抜けがあって不利になってしまい、そこから相手のミスに乗じて再度有利になってこの局面まできた)わけで、その場で判断をする時に余計な指標(ノイズ)が現れてしまうことになります。このノイズが、常に悪玉として働くわけではありませんが、心理的な要因が思った以上にバイアスをかけてしまう場合は誠に多いのです。

それはつまり、「今まで積み上げてきた有利さを失わないために安全勝ちを目指そう」という気持ちであったり、二転三転する局面の中で最善手が分からなくなったり、という場合などがあるのですが、過去にこだわる、過去のことを良くも悪くも引きずってしまうと、「今の自分」に取っての最善手を選びづらくなってしまうことでしょう。ノイズをできる限り取り除いて、純粋に局面を見渡した場合と、過去からの繋がり(スジ)を意識してしまう場合とでは、結果として選ぶ道が大きく違ってしまいそうです。

先日の記事、「積み上げない生き方」でも書きましたが、過去の延長上に今を、未来を作ることにこだわってしまうとドツボにはまってしまうことがあります。年を重ねるからこそ、過去にとらわれずに、まっさらな局面に飛び込んでいくことを恐れずに(意識せずに)できるようになりたいものです。

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