2014年1月29日水曜日

無意識の底に眠っている意識

この半年くらいで、ものすごく「無意識的に」行ってしまうことが増えたと最近感じています。

内容も様々で、食事に関してだったり、旅行中のことであったり、仕事のことであったりしますが、よく言えば「以前ほどあれこれ考えなくなった」ということが、自分でもだんだん分かってくるようになりました。


今回は、そんな「無意識」について、自分の思う所を書ければと思います。



◎ちょっと前までは、頭で考えてばかりだった

最近はようやく、仕事でもプライベートでも動いて、実績を積んだり何かをやり遂げたり、ということが多くなってきましたが、少し前までは頭でっかちな人間でした。

「これをやったらどうなるんだろう?」というのはもちろん、「こんなことをしたらこんなことが起こってしまわないだろうか」「やって失敗したらどうしよう」というような、マイナスのことをいろいろと頭で考えては、いろいろと理由をつけて結局はやらなかったことが多くありました。

その結果何が起こるかというと、時間は経つけれど一向に自分の中で何かをやり遂げたり、達成したり、ということは起こらない、ということです。

特に、2011年の夏場頃から一年くらいは、そんなことが特に多かった時期でした。


◎やるしかない状況になって、実際に見えるもの

正直、今までは「学生」ということもあって(もう2年くらい前の話ですが)、それが「免罪符」となっていたのも事実だったと思います。

ただ、去年の今頃からこんな風に仕事をしていこう、と決めたので、とにかく前に進まなければいけません。

・スキルはない
・経験もない
・コネもない

とにかく、自分で仕事を見つけて、仕事を作って、勉強をして、経験を増やして…ということをやっていかなければなりませんでした。

もう自分を守ってくれるものはないので、後ろ盾なしにやっていかなければいけません。

去年は一年間で、それほど大きな稼ぎにはなっていないのですが、特に最初の3ヶ月くらいは悲惨でした。

それでもお金はいりますし、とにかく「仕事がもらえるようにならないと」ということで、いろいろ智恵を絞って、アドバイスを頂いて、自分なりにやってきました。

最初はテストも落ちまくりでしたが、確か4月頃に初めて、ある会社の試験に通って登録させてもらうことができました。
(合格通知メールが届いた時に泣いたことは、今でも覚えています。ただ、登録したからといって定期的に仕事があるわけではない、と気づいたのですが…)


その後はクラウドソーシングサイトも使って、一時的に「実績作り」と「経験値を積む」ことを目標に、仕事を獲得してはやり続けました。

それからは、いろんな仕事を頂いたり、人から教えてもらった情報を頼りに何かに手を出したり、ということをしぶとく続けて、現在に至ります。
(本当はこんなに要約できないのですが笑)


で、こういうことを続けてくると、いつのまにか「なんとかなるんだな」ということが、実体験として分かってきたのです。


僕も一年程前は、何も分からない状態で、何もない状態で、「試験受けても落ちたらどうしよう」とか「仕事でミスしたらどうしよう」なんてことをずっと考えて、悩んだりもしました。(テストは基本無料なので、時間割いたわりには…なんてことになる場合もあるので)


ですが、こういうことを続けていると、「ずっと落ち続けるわけじゃない」「試験に落ちても、勉強になったと思えばいい」というふうに、ちょっとは前向きに考えられるようになって、結局はまた試験を受けたり、勉強をしたり、ということに繋がるのです。


他には、僕はよく人と会うのですが、ご飯やイベントに呼ばれた時は、反射的に「参加しよう(したい)」となります(時間や場所の関係で、見逃すことのほうが多いですが)。

これも、無意識的に反応しているのですが、「人と会ったら面白い話ができる」「情報を手にすることができる」「悩みを打ち明けられる」「仕事に繋がるかもしれない」ということが、経験上分かっているから、こんな風に反応してしまうのだと思います。

(他にも、どこにお金を使うか、どんなことをするかというとっさの判断、決断も、無意識的にするようになってきました)


結局の所、いままでは頭でいろいろと「意識」していたことが、いろんな経験を通す中で身体の奥底にインプットされて、「無意識」的に判断、行動することができるようになってきたのではないか、と思っています。


◎経験を増やして、無意識のうちに判断できることを増やしていきたい

無意識的に判断することになったのは、仕事でも多々あります。

分かりづらい文章、ニュアンスの掴みづらい言葉(単語)等々、英語を日本語に訳す時には次から次に出てきますが、これも辞書と友達になって、英文を読む量を増やして、日本語に触れる機会を増やせば、だんだんと自然な言葉に訳せるようになったり、そういうフレーズが頭に浮かんだりしてくるようになりました。

これは例えば、英語のニュアンスや単語の意味などを(かつて)しっかりと覚えたり、理解したことがどこかに眠っていて、「無意識」的に、かつ正解からそう離れてはいない部分を当てる、考えることができるのだと思います。

(翻訳についてまとめると長くなるので、これは別の機会にでも)


ここで重要なのは、「単なる無意識」と「意識が底にある無意識」は異なる、ということであって、経験、行動、思考のようなものが体のどこかに染み付いて、眠っているからこそ、無意識的に良いものがアウトプットできるのだということです。
(将棋の秒読みで急所に手がいくか、限られた時間内でアイデア出しができるか、など)


このことは、自分で知識を増やして、経験量を増やさないと決して伴わないのではないかと思います。


旅の経験を積むからこそ、盗難防止の対策やパッキング、トラブルに巻き込まれない方法を「無意識のうちに」実践できるのではないのでしょうか。


今はインターネットを通していくらでも情報を得て、「情報デブ」になってしまうことができてしまう時代です。
しかし、本当に質の良いもの、洗練されたものに出逢って、そういうことを自らがアウトプットできるようになることが、こんな時代だからこそ必要とされるのではないでしょうか。

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