2014年6月30日月曜日

正しい縁を辿ること。縁を正しく辿ること。

かのスティーブ・ジョブズがスタンフォード大学で行ったスピーチで発した"connecting the dots"と言う言葉、これは日本語にすると「正しい縁を辿る」ということなんじゃないか、ということを最近考えるようになりました。

私も曲がりなりに人生四半世紀生きてきた訳ですが、振り返ってみると、人生の転換点となる時期があったわけでして、その時は不思議なくらいにタイミング良くものごとが起こるなあ、ということを思うのです。

他にも、思っても見なかったところで世界が広がったり、世界が繋がったりすることも多く経験してきたわけで、そんな経験をするたびに「そうか、自分はこの世界で生きるように誘われてきたのか」というくらい、必然めいたものを感じるようにもなりました。


例えば、私が会社員を辞めたとき。

私は2012年の春に大学を卒業して、そこから地元の奈良で仕事を始めました。そしてその夏休みに、航空券だけを取って中国(上海)に出かけました。そこで、大学時代の恩師と出会うことができました。

私は大学時代に、小さな会社の立ち上げに関わる機会(インターン)があったのですが、恩師はその時の会社の社長です。自分自身、独立や開業などに興味があって、学生時代にそういう世界に関わってみたのですが、いろいろ悩んだ挙げ句、地元で就職をすることに決めました。
ただ、そのインターンで会社が関わった地域が中国の上海で、社長の話を聞く中で(私は国内の営業を担当していたので)自分も一度、中国もとい上海に足を運んでみたいとは思っていたのです。

そして、ちょうど二年程前、2012年の6月末に関空発上海行きの、ANAの6万円の航空券を買って(今考えればなんでこんな高い航空券を買ったのか分かりませんが)、夏休みは丸々上海(とその周辺)で過ごすことにしたのです。
そこで、その恩師にも連絡を取って、もし上海でお会いできるので会えば、是非調整をさせて欲しいとお願いしました(社長は仕事でコンスタントに上海に行かれていました)。

当初は「お盆の時期には上海に行く予定はなくて」ということで、自分も一人でぶらぶらしようと決めていたのですが、本当にお盆の直前(確か4日前くらいだったと思います)に「お盆に出張で上海に行くことになりました」という連絡が入り、実際にその地をいろいろと案内をさせてもらったのです。

そして旅行中と帰国後、自分自身の生き方をもう一度考え直すことになり、結局そのままお盆明けに仕事を辞めてしまった訳なのですが(精神的に大変な時期を過ごすことになりました)、もしあの時、上海で会う機会がなければ、自分は今いったいどこでどうしているのだろう、とふと考えます。もしかすると、「お前が生きる道はそっちではない」という風に、天が道を強制的に変えたのかもしれませんが、それにしても、今振り返ってみても偶然にしてはよくできているな、とつくづく思います。

「仕事を辞めた」と言っても、単に社会復帰ができなくなっただけです(笑)。8月が終わり、9月10月は本当に人生のどん底を過ごすことになりました。
当時は無気力症候群と言いますか、なんのやる気も出ず、まさに生きる気力すらほとんどなかった時期でした。一度リセットするために海外をまたブラブラしようかと思ってはいたのですが、いかんせん行動に起こす気力すら出ない時で、自分はこれからどうしようか、ということを悩んではまったく答えのでない日々を過ごしていました。

そんなある日、朝起きてFacebookを開いてみると、ある海外の知り合いからメールが届いていました。大学時代に参加をした海外ボランティアのプログラムで知り合った友達でしたが、「人手が足りず、誰か紹介して欲しい。なんならあなた自身がこっちにきてくれてもいい」というメールで、いろいろと悩んだ挙げ句、「ここでリセットできないと一生なにも変わらない」と思い、海外に2ヶ月半程、長期滞在して「外籠もり」をし、自分の人生をリセットしよう、ということに決めました。幸い、日本より物価が大幅に安い東欧でしたので、無職無収入の自分にとっては出費を抑えて生活することもできました(物価差が大きな要因だったと思います)。

この時は現地で日本語をボランティアで教えたりしていたわけですが、向こうの人との交流も楽しく、活力を取り戻したのは確かでした。2012年の10月終わりから2013年の年明けまで海外にいて、帰国は1月半ばでした。

そして帰国前(年末頃)から、日本に戻ってからのことをぼんやり考え始めました。その時に、もう一度どこかに就職して仕事をしようかとも考えていたのですが、前の職場で上手くいかなかったことが多かったので、また同じようなことにならないか不安で、あまり身を入れて考えることはしていませんでした。
そんな中で、クリスマスは向こうで一番お世話になった人の家に泊まらせてもらい、カトリックの荘厳なクリスマスも体験したのですが、その一週間がメールが全く繋がらない状況でした。そして年の暮れに空港のある首都まで戻った時にメールを開くと、知り合いの経営者の方(恩師とは別の方。こちらの方も恩師ですが…)から、「翻訳をして欲しいんだけど」というメールが入っていて、そこそこ大きな仕事だったので、「こういう仕事ができるなら、個人事業でしてみるのもいいかも」と思い、何も考えずに帰国後からその道を歩むことにしたわけです。(今振り返ってみても、いかに何も考えずに道を選んでいるかが分かりますね笑)

結局、この方からの仕事の相談もものすごく良いタイミングだったことを考えると、(それを勝手に判断している自分はいますが)「起こるべくして起こったこと」と考えても良いのではないか、と思う訳です。


この時仕事を頂いた方とは、今年の2月にも台北のコミックマーケットに一緒に行きましたし、仕事を頂いたりと、緩くではありますがお世話になっています。そして上海でお世話になった恩師も同じです。


★縁があるとか縁がないとか

日本人は「縁」という言葉が好きですね。僕も、乱発するのは嫌いですが、「この人(場所)とは不思議な繋がりがあるなー」と思う時には、やっぱり「縁」を感じます。逆に言えば、縁がなかったと思うこともあるわけで。

上に書いた以外にも、私は他の国や地域、人に対して「縁があるな」と思うことはあります。そして、そういう「正しい」縁を辿ることが、案外大事なんじゃないかと思うのです。

では、「正しい縁」とはなんぞや、という話になってくるのですが、これは簡単な問いではありません。

ですが、ジョブズの"connecting the dots"のように、「あの時にあれがあったから、次にこれに繋がって、そして結果今ここにいる」というような「線」になっていることが、人生を振り返ってみるとあると思います。私は、それが「正しい縁」の一つなんじゃないか、と思っています。

もちろん、過去のある一点に何かが起こったとして、それが別の何かに繋がっていないのであれば、繋がりがなかったことに気づくこともないと思います。(〇〇があったから△△になった、とは人間は気づくものですが、〇〇があって□□にはならなかった(起こっていない)というのは、気づきようがありません。)

つまりは、「過去が現在の伏線になっているか」。これに気づくことが、「正しい縁の見分け方」なのではないでしょうか。(そして、現在が未来の何の伏線になっているかなんて、分かりようがありません。)


自分も、上で書いたこと以外にも沢山の「伏線」があったり、「縁」に出会ったりしています。

大学時代にした海外ボランティアはポーランドでした。そこからポーランド関係の人と知ることにもなりましたし、言語や人に興味を持つことにもなりました。
ボランティア活動時に書いていたブログがたまたまバズって、同じ時期に海外にいた人が集まるイベントに招待され、そこから関東の人たちとも面識ができました。学生時代の立ち上げインターンもここから繋がりましたし、この伏線があってインドにフリーペーパーを配る活動も行いました。
インターンは上海に繋がりました。
群馬で仕事をさせて頂いたのも、この関東とインドと繋がっています。大学時代の学部の数少ない友達の一人が今年ベトナムで結婚式を挙げ、そこでベトナムにも縁が生まれました(他のところで、ベトナム関連の方にお世話になっています)。
5月下旬に東北に行ったのも、ベトナム関連の方と無縁ではありませんし、そもそも昔近鉄バファローズを応援してて、球団消滅で楽天イーグルスを応援したのも、何かの伏線になっていたんじゃないか、と思ったりすることもあります。(そういえば2009年に鳥インフルエンザが流行して大学が休講になった時にも、切符だけ買って目指した場所が東北でした。やっぱり、何か繋がっているような気がします。)


と、完全に自分の人生に惚気てしまいましたが(笑)、自分はある場所に誘われているんじゃないか、ということを時々感じでしまうのです。そして、これらの足跡が更に伏線を作って、更に人生は複雑になっていく…。
サスペンスドラマを見るよりも100倍面白いですね(笑)


果たして自分はどこに歩いているのか、皆目検討がつかないわけですが、実は全て決まっているんじゃないか、と勘ぐってみたくもなってしまいます。自分は分からない、けど天は見ている。自分が生きるべき場所に、知らず知らずのうちに誘われている。


★自分が生きる意味は、生きる中で教えてもらう

自分が必要とされている場所、自分を必要としてくれている人、自分が誘われている世界。こういうことは、自分が人生を歩む中で回りが気づかせてくれるんじゃないでしょうか。そこが自分の生きるべき場所でなければ、きっと勝手に場所が変わる。正しい縁に誘われていないのであれば、人は勝手に去ってゆく。そして、そんなことを何度も経験して、「自分が生きる意味」は自分で気づいて、見つけるものなのかもしれません。


★だから正しく縁を辿ろう

簡単なことではないと思います。そして、縁は辿ろうとして辿れるものではないことも、私は分かっています。
ですが、道を進む中で、いろんな伏線が出てきたり、過去のできごとと繋がっていたり、することがぜったいにあるはずです。そういうことに耳を澄ませて、それらの力を借りて、辿り着いた世界こそが、自分が生きるべき世界なのではないでしょうか。
自分も、何度も何度も不安に襲われていてもたってもいられないことがあります。ですが、そんな時こそ深呼吸をして、昔を思い出して、正しい縁はなんだったのか、どんな点が繋がっているのか、今一度思い直してみませんか。





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