2014年9月30日火曜日

ダウンシフトはしない

ここ数日で、大きな買物を幾つかしました。


今後の仕事のための投資です。


ここ数年で、「ダウンシフト」という考え方が良く出てきています。

生活の規模を小さくする、ということですね。
仕事の時間を短くする、収入を下げる、など。

私も、この考え方に反対はしていません。

ただ、自分の年齢やこれからのことを考えた時に、「自分はまだダウンシフトする時ではない」という結論に達し、今回の投資を行いました。

まだ、自分は20代半ばです。

自分のしたいことをするために、そして大切な人を守れるように、作っておかないといけない土台がある。

そのために、投資をすることにしました。

こんな額の買物をしたことはこれまでにありません。(もはや、金額がただの数字にしか見えないw)


長いスパンでみて、きちんと回収できるようにしていきます。

まだまだ、ダウンシフトをする時ではありません。


捨てた一か月

早いもので、9月も終わりです。


このひと月は、断捨離の月でした。


月の最初は、デトックスに挑戦。結果的に、この一週間で内省ができて、自分に何が必要か、何が必要でないかを考えることができました。貴重な時間を過ごすことができました。

そして、それに合わさるように、ある仕事が打ち切りになってしまい。

こちらの力不足でしかないのですが、デトックス期間でもあったので、特段へこむわけでもなく、「必要ないから去って行った」ぐらいに考えることができました。

特に前半は、スケジュールも全然埋まっておらず、今後の自分の人生(といえば大袈裟ですが)を考え直す機会になりました。


そして中旬から下旬にかけて、大きな決断もしました。二週間くらい東北と東京に出向いて、行きたいところに行って、会いたい人に会って。図らずしも、気分的にも、もっと深い意味でも転機となった二週間になりました。


月の前半でいろいろと捨てたことが、今はプラスに働いています。すべて最善のタイミングで起こっているのかもしれません。


来月以降は、次のステップに向けて土台(根っこ)を固めていくことになりそうです。


2014年9月29日月曜日

サイクル

最近は、7時前に目が覚めて、24時までに床に就く生活が続いています。

いろいろとやることもあるためですが、以前より力が漲っている気がします。何もできない時間が惜しいこともしばしば。


デトックスをして以来、翌日に疲れが残ることがほとんどありません。

一週間のデトックスだったのに、それ以後も効果は続いています。デトックスの効果もあるのかもしれません。

「早寝早起きが良い」ということを意識しないようになってきているのは、良い兆候かと思っています。目的と手段ははき違えてはいけませんからね。


2014年9月28日日曜日

仕事で重宝している道具たち

①PCメガネ


パソコンから出る、目に負担の大きいライトを最大50%カットしてくれるメガネ。私はJINSの店舗で度が入ったレンズのメガネを作ってもらいました。目の疲れが全然違います。

PCメガネを知ったのは約1年前ですが、なぜそれ以前に使っていなかったのか、未だに不思議です。

仕事に限らずパソコン(やスマホ)と向き合う人は持っておきたいメガネです。自分の身体は大切に。


②マウス(ワイヤレストラックボール)

サブ機のWindowsパソコンの操作の時に重宝しています。普通のマウスは手の向きが変になって、負担が大きいです。
このマウスはワイヤレス(USB接続)なので、配線がこんがらがることもありません。コンパクトなのもポイントです。

このマウスもまだ慣れませんが、こちらも「スムーズに仕事をする」というよりは「身体への負担を減らす」ことを主眼に置いて購入しました。

③電卓(CASIO)



収入、支出、案件の金額等の計算に。

大学の時は近くの100均で買ったコンパクトなものを使っていましたが、仕事をするにあたっては
・叩きやすい大きさのキー
・「00」入力ができる

が大事な点でした。やっぱり、キーが小さいと正しく打てないんですよね…。

金額の計算程度などで、関数電卓は必要ありません。


今後も機を見て更新予定。
ー ー ー ー ー ー ―

仕事道具に投資をすることは、ある意味当然だと言えます。それは仕事の効率化であったり、身体への負担を少なくすることであったり。その辺りのことを意識できるかどうか。


「先」と「後」

一ヶ月「先」の予定



一ヶ月「後」の予定




これら二つの言葉が同じ意味なのだとしたら(いや、恐らく同じなんやろうけど)、


「先」と「後」っていうのは、同じことなのかもしれませんね。

概念って不思議。


フライト搭乗記:全日空736便 仙台→伊丹

先日の陸前高田行きの帰路で全日空の東北〜関西便を使用しました。ちなみに往路はスカイマーク156便の神戸→仙台


東北〜関西の移動では、
・新幹線は片道料金が高すぎる
・夜行バスはフルフラットになれないのでできれば避けたい(一度それで風邪を引いたことがあるので)

ということがあり、最近は殆ど飛行機一択ですが、それでも
・仙台〜伊丹の全日空、JAL
・仙台〜神戸のスカイマーク
・仙台〜関空のPeach
と選択肢が多いのです。

全日空を選んだのは
・スカイマークは、時間は良いが安いチケットが軒並み売り切れ
・Peachは時間が午前の早い時間か、夜出発なのと、スーツケースを預けるのに別料金がかかるため、それほど安くない
という消去法、かつ
エーゲ航空のマイルを貯めているため
という、以上の理由でした。


利用するのは、仙台を14時30分に出発する736便。

その日はホテルを早めにチェックアウトし、見るところもなかったので早めに空港に到着(11時半頃)。

国際線と違って、3時間前でも荷物(スーツケース)を預けられたので、預け荷物の手続きだけをして、あとは喫茶店に籠っていました。ブレンドコーヒーは飲み放題のORGANIC CAFEでした。(でも、コーヒーは何倍も飲むものじゃないんですよね…)

出発の1時間程前に、ゲートを通ります。



目的地が意外と多い仙台空港。


分かりづらいですがANAの機材。エアバス320なので、Peachやジェットスターが使っているのと同じですね。ちなみにこの便を予約したのは、他の便だと小型機になってしまうからでした。




機内はやはり広いです。手荷物を多く持ち込んでいる客が多かったので、頭上の荷物入れが埋まり少し離れた場所に入れることになりました。

機内はほぼ満席でした。LCCに客が流れているのかと思いましたが、どうやらそうでもないよう。
機内サービスは、一般的ですが飲み物だけ。アルコールは有料。僕はりんごジュースを頂きました。

機内誌もめくっていましたが、今までの緊張が一気にほどけたのか、まどろんでいました。足元が広いのがフラッグキャリアの良いところですね。LCCだともうちょっと気が張っていたかもしれません。

窓側に座っていて、途中はどの辺りを飛んでいるのか分かりませんでしたが、恐らく仙台〜郡山〜会津若松〜(?)〜愛知上空(眼下にセントレアが見えました)〜奈良〜伊丹、という航路でした。到着予定は15時50分でしたが、出発が10分ほど早かったので到着も前倒しに。

伊丹空港はやはり便利でした。バスで難波まで25分。梅田、難波、天王寺まですぐに行けるのが最大のメリットですね。私の地元からは関空に行く方が近い(高速バスが出ているため)のですが、空港まで行く料金だけで見ると伊丹のほうが安いので、LCCの料金や時間帯も考えて、どれが一番良いのかを考える必要があると思いました。

これからも神戸空港、伊丹空港も使って行こうと思います。


<フライト情報>

搭乗日:2014年9月23日
フライト情報
仙台(SDJ)発 14:30

伊丹(ITM)着 15:50
航空券費用:13,100円(旅割60)



2014年9月23日火曜日

2泊3日で陸前高田でのワークショップに参加してきました。

9月20日から22日まで、岩手県陸前高田市で行われたワークショップに参加してきました。

参加者したワークショップはこちら。
「陸前高田 二つの滞在〜友廣裕一・長谷川浩己・西村佳哲とゆく2泊3日」

私が参加したのは、友廣裕一さん、西村佳哲さん主催のほう。友廣さんの活動に興味があったことと(面識はあるのである程度は知っていたのですが)、「働き方、仕事とは?」ということに対して西村さんの著書の影響を強く受けたので、このお二方のイベントは参加するしかないやろう、という理由でした。







宿泊地は「箱根山テラス」。デッキから見える景色がとてもきれいでした。

四枚目の写真は、奇跡の一本松があるあたり。このあたりのことは殆ど知らなかったのですが、もとは高田松原があり、震災前後で大きく変わってしまったようです。

今は大型コンベアーがあったり、住宅移転のための高台が作られていたり、「復興」よりは「開発」という言葉を連想してしまう取り組みが行われていると思いました。住宅は移転しても商店街などは別のところに残るらしく、(私はてっきり、街全体を移転するのかと思っていたので)コミュニティの機能はどうなっていくのか、ということも疑問に思いました。

(私は今回のワークショップ目当てでやってきたので被災地関連のことはそこまで強く興味があったわけではありませんでしたが、実際にここで何が起こっているのかが分かったことは良かったです。)


ワークショップは2泊3日でしたが、想像していたものよりもずっとゆっくり(まったり?)としていて、お互いに色々話をして新しいものを作り出す(到達地点を決める)というよりも、少人数に分かれて自分自身に問いかけをして、言葉を紡ぎだすような印象が強かったです。これが西村流ワークショップなのか…と思いました。(西村さんが現地で活動されている社長にインタビューをする時間も何度かあったのですが相手の言葉をそのまま反芻するので、聞かれる側はすごくエネルギーを使うし、自分と向き合うことになるのではないでしょうか。)

ワークショップの参加者はバックグラウンドも仕事も興味も出身地もバラバラで、この3日間に参加した動機も、私のように仕事に関することや、主催者に会ってみたい、という人もおられました。遠くは福岡、更にはベルリン(!)からの参加者もおられ、お二方が人を動かす力はものすごいんやなあ、と改めて感じました(私も奈良から出てきたので遠いほうかと思っていたのですが…)。

以下、写真を数枚。


津波の被害がひどかったところ。


テラス。何時間いても飽きません。



ご飯。薄味で美味しかった。これを毎日食べてここで暮らせたら、自然に良い身体になるでしょうね。


コンベアー。


八木澤商店一本松店。しょうゆソフト、各種しょうゆ、チーズケーキなどが買えます。


未来商店街。


テラスの近くには「日本一長いローラー滑り台」もあったので滑りました。お尻痛い。


BRT(バス高速輸送システム)奇跡の一本松停留所。上の一本松支店のすぐ近くです(一本松のレプリカもありますが、コンベアーに隠れて今は殆ど見えません)


☆3日間を終えての感想☆

参加前は「3日後にはどんな風に考えが変わっているのか」ということは殆ど想像できず(更にそこまで期待もせず)ここに到着したのですが、終わった後は「やっぱり人との関係で自分は生きている」ということを確認できました。仕事にしてもプライベートにしても、人がいなければ成り立たないし、相手がいるから自分もいることができるんだ、ということ。そのことは今までも何度も思う機会がありましたが、今回でより鮮明で確固たるものになりました。

その中で、「わたしたち」という概念を大事にしたいなあ、と。仕事では今まで「自分のこととして取組めるか(考えられるか)」ということを思っていたのですが、それだと「自分ごととして考えるのであれば、他人から受けた仕事の、彼らの思いを無視してしまうのか?」という問いがこの滞在中に出てきてしまったので。コミュニティの醸成とか、場作りでのほうが分かりやすいコンセプトなのかもしれませんが、
「あなたと私で一緒に作る、動かす」という考えを普段の仕事でも持っておきたい。これは自分がフリーランスで仕事をしていて、クライアントワークが多いからですが…。

あとは、陸前高田もまた帰ってきたい。自分で仕事をする力をもっとしっかり付けて、この街でももっと長く滞在してみたい。今回は箱根山テラスという素敵な場所に泊まりましたが、地元の人とも出逢って、そこから何か新しい仕事が生まれる瞬間にも立ち会いたいし、そういう世界に身を置きたい。

だんだんと帰る場所が増えていきます。


この三日間で出逢った皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

2014年9月17日水曜日

ターニングポイント

明日から二週間、バタバタとしそうです。

恐らく、振り返ってみると人生のターニングポイントになるのではないでしょうか。

今まで張ってきた伏線が合わさって、また新しい伏線が生まれる。そんな気がします。

自分が持っているエネルギーを大きく投入することになりそうです。

詳しくは改めて、リアルタイムで更新できればと思います。


これだけワクワク、ドキドキするのは小学校のとき以来かな。



2014年9月16日火曜日

入念な準備

自分はどちらかというと、ものすごく石橋を叩く人間だと思います。一歩を踏み出すまでにものすごく下調べをして、準備をします。動かすエネルギーが大きくなればなるほど、その傾向は強くなります。

ですが、一度動き出すともうまっしぐらです。最初の一歩を踏み出すまでが長いのですが、一歩を踏み出すとあとは一直線に動きます。

どこまで見極めができるか。日々鍛錬です。





2014年9月15日月曜日

もう都会で暮らせない

今日は友人と、奈良界隈を散策してきました。

白毫寺と春日大社周辺を、3時間くらいかけてぶらぶら歩いてきました。



白毫寺からは奈良盆地がきれいに見ることが出来て、街の中心からは少し歩くのですが、緑が多くて素敵な場所です。

稲穂にも黄金色が加わってきていて、風情がある散歩でした。


こういう景色や空気感が毎日身近にあって、おいしいご飯も食べられて(奈良は時間がゆっくりと流れていて、シャレたお店も沢山あります)、やっぱり自分は地元が好きで、時間がゆっくりとながれる空間が好きなんだな、と思いました。

こういう場所で暮らしと仕事をすることができれば、都会にわざわざ出て生活をする必要はないんじゃないかと思いますし、自分はできないと思います。

やっぱり奈良はいいところです。



年齢を重ねる、とは

自分にかかった制限を少しずつ外していくこと、だと思っています。

年を重ねるにつれ、自分の興味、関心が広くなっていっていることに最近気がつきました。

裏を返せば、昔はごく一部のことに集中的に興味・関心のエネルギーが注ぎ込まれていたのだと思います。鉄道好きでしたが興味のある分野はごく一部で、将棋も指していましたが、実際に使う戦法も決まっていました。

最近は鉄道よりも飛行機が好きになり、車もおもしろそう、と思ったり。

将棋は指さなくなりましたが、いろんな棋士のいろんな戦法、戦型、棋譜を鑑賞するようになりましたし、囲碁にも興味を持ち始めました。

お酒も、ビール、ワイン、日本酒、焼酎などいろいろ飲みますし、音楽も、JPOPの定番曲はプレイヤーに入れています。ご飯もいろいろと食べるようになったかな。


大学入学当初は右も左も分からず、バイト先ではゼロからみっちり教育を受けたわけですが(結果としてこのバイト先でずっと働いていましたし、ここで仕事ができてよかったとは思っています)、それからすると、自分もだいぶ変わったんだろうな、と少し感慨に浸る時もまたあります。

仕事を通すことで、使えるお金の額も少しずつ増えてきています。自由に使える時間も増えたかもしれない。


昔はいろんなものにがんじがらめだったのに、絡まった糸を少しずつほどいて、自分の自由度を高めていく。年を重ねるとはそういうことなのだと思います。



2014年9月14日日曜日

何もしない日も大事。

この二週間は慢性的にスケジュールが詰まっていて、緊張の糸がほぐれる時間があまりありませんでした。

今日は特に予定のない日。

そして明日以降もまた、慢性的にスケジュールが埋まっています。


今日のような日は特になにも考えず、ぼーっとするのが一番良いと思います。生産的なことをしよう、と思ってしまうとどうしても気が張ってしまいますから。


会社員を始めた頃は、「平日は仕事をして土日は自分のしたいことをする時間に当てよう」と思っていたのですが、平日バリバリ仕事をするとエネルギーが出て行ってばかりなので、更に週末にもエネルギーが出て行くことをすると、充電をする時がなくなってしまうんですよね。なので、今振り返ると、週末はクラシックを聴きながら紅茶でも飲んで、自分を解放する時間を作っておいたほうが良かったのかもしれません。(そして、この経験を通して気分をリフレッシュできる「遊び」の時間・要素は生きていく上でとても重要だとも気づきました。)

今日は本を読んだりテレビを見たり、少しブログを書いたり、という風に、全く生産的でないわけでもないのですが、普段と比べると気の張りようが全然違います。こんな「クッション」の役割を果たす日(時間)も、生きていく上では重要ですし必要なのです。



2014年9月12日金曜日

この世界は自分の脳の中のようなもの?

シナプス、という言葉がありますよね。

神経細胞の中などで、神経活動に関わる部位やその結合のこと、というのが本義だそうです。

脳の中で、断片的な記憶どうしが繋がってひらめきが起きる時などにも、シナプスは関係しています。

こういう、断片的な知識や記憶が多ければ多いほど、シナプスどうしが繋がる可能性は高まり、そこから新しい気づきや発見、転回を得ることが出来やすくなるのではないか、と私は考えているのですが(科学的に正しいのかは、すみません、分かりません)、ふと思ったんです。


故スティーブ・ジョブズが言ったように、「点が繋がる」という考え方がありますよね。偶然と偶然が合わさって、人生の大きな転機になったり、過去からの繋がりが分かる時などが、あります。

これは現実世界で起こっていることですが、他でもない、脳内で起こっているシナプスの働きと一緒なのではないでしょうか?

知り合いにAさんとBさんがいるとします。AさんとBさんは、全くの赤の他人です。私が知っているだけ。
ですが、「Aさんと〇〇という良さと、Bさんの□□という良さを合わせると、何か新しいことが起こるんじゃないか?」と思うことは多々あります。それは新しい仕事が生まれるきっかけであったり、交際相手を作るきっかけであったり、いろんな場合があるわけですが、ものすごく、私たちの脳内で起こっていることと、この現実世界で起こっていることが、とてつもなく似ているんじゃないか、ということに今日、ふと気がついたのです。


これは何かの比喩なのでしょうか?

私たちが生きている世界は、もしかすると自分自身の脳の中のようなものなのでしょうか?

それとも…??



2014年9月11日木曜日

見えないものが見えますか?

氷山の一角、という言葉がありますね。

海面の上に出ている氷はほんの一部分であって、海の中にはもっと大きな氷の塊がある、ということです。



今、あなたの目に見えていることは、本質的なことなのか?ってことです。

目に入ってくるものの裏側には何があるのか、ということを想像した、考えたことはありますか?



幸か不幸か、人間はその立ち居ぶるまいや言動、一挙手一投足を見ていると、その人のなりがわかります。もちろん、全部が全部分かるわけではありませんが、時には好感を持ったり、時には嫌悪感を抱いたりすることもあるでしょう。少なくとも、自分に合うか合わないか、というのは感覚的に分かってしまうわけです。

その人が口に出している言葉。その言葉を出すために、どれだけの本を読み、頭の中で言葉を紡ぎだしているか。薄っぺらい言葉は、聞いたら分かります。読んだら分かります。

他人の名声や収入。気になりますよね?でも、それらを得るために、彼ら彼女らが手放したものはなんなんだろう?ものすごい高給取りになった変わりに、家族と過ごす時間が少なくなっているかもしれない。何百人という人を踏み台にして、利用して、その人は頂点に上り詰めたのかもしれない。

見えないものが合っているかあっていないか、なんて大事なことではないんです。要はその「見えない部分」を考えることが出来るか。裏には何があるのか?そこに頭を使うことです。

最近、一月の間に日本各地で豪雨が起きました。で、広島で水害が起こった時には被害も大きく、新聞で大々的に報道されていました。でも、それが三日も続くと、違和感を覚えるわけです。「これしか報道することないの?」と。今日の日中もお昼のニュースで、北海道での大雨のことが報道されていましたが、30分以上それしか流れていませんでした。個人的には、「何か隠しているんじゃないか?」と、この二回で勘ぐってしまったわけです。(真相はどうか分かりません。)

そういうところに頭が向くのかどうか、アンテナが出るかどうか。


あなたには見えないものが見えますか?



2014年9月10日水曜日

一週間のデトックスを終えて

今日はデトックス最終日でした。


大きな変化は以下の通り。

<身体の変化> 体重 -0.6kg(もともとやせ形なので…) ウエスト -3cm 太もも -2cm ヒップ -2cm (体重以外は今回初めて測定方法から学んだので、若干誤差がありそうです。思った程減っていませんでした)
ただ、数字以上に色々と変化はありました ・肌がもちもちで弾力が増える ・身体が軽くなる ・午前中、夜の集中力がすごく高まる(昼は普通の食事やったからか、それほどでした) ・肩こりが治る ・耳周りの乾燥が治る ・いつも口周りに出ていたにきび(?)が治る ・朝早く起きられるようになった(ただ、腸の調子で未明に何度も起きて疲れたことも) ・短い時間でぐっすり眠れた
<心の変化> ・食事の香り、匂いに敏感になりました。特に白ごはんの匂いが!明日からはこれ以上においしく頂けます。 ・いろんなものは循環しているんやなあ、と改めて感じました。タイミング良く(悪く?)打ち切りになった仕事があったのですが、別の仕事が入ったり、まずは「何かを出す」ことが大事なんだなと。仕事がなくなったのも、余裕を作るために仕向けてもらったのかもしれません。 ・いろんなもの、人に生かされているなと痛感。自分がしんどい時こそ、周りの人に何が出来るかを考えて、実践できるようになりたいです。 ・「見えない部分」を感じるようになりました。裏方の仕事、両親、身体の中、人が考えていること。大事なものは目に見えなくて、目に見えないからこそそれを分かるようになりたいな、と。

また普通の毎日に戻ってしまうのかもしれませんが、自分の身体を通していろんなものを見つめ直したい時には、再度デトックスをしてみようと思います。
自分の身体を気にかけたい方は、是非一度デトックスに挑戦して頂きたいです。

【参考記事】

2014年9月8日月曜日

必要とされている場所で、必要とされる人に命を使う

私はあまり「生きている意味」を考えるタチではありませんが、時々思うのは「自分は人に支えられているし、自分を必要としてくれている人がいる」ということと、「だからこそ、そういう人たちのために自分の命を使いたい」ということです。

仕事でもプライベートでも、自分を必要としてくれている人は多寡を問わずいます。それが仕事で多くなれば、その分だけ仕事が増えたり、キャリアを積上げることが出来たり、得る対価が増えるだけのことなのだと思います。

もちろん、声をかけてもらうためにはそれなりの研鑽が必要だとは思います。ですが、人はただそこにいるだけでも価値がある(「価値」と言う言葉を使うと経済的な意味が強くなるので、あまり好きではないのですが)と思います。

自分の周りを見渡すと、家族を始め、人生のいろんな時点で何かを与えてくれた人、力を分けてくれた人、応援をしてくれた人が沢山います。私は今でも、時々自信をなくしたり、どうしようもなく落ち込んだりする時がありますが、そんな時は今までお世話になった人の姿を思い出します。それだけで、「自分はまだまだくたばれん」と、生きる力に変わるのです。

自分を必要としてくれる人に力を添えて、少しでも恩返しをするために私は生きているのです。



2014年9月7日日曜日

異業種交流のすすめ

今日は、仕事分野が全く違う知り合いとお茶をしてきました。

前回に会ったのはいつなのか…というレベルで、実際に会うのはご無沙汰でした。


仕事に関する考え方が似ているのもあって、普段一人では考えないようなことを一緒に考え直す機会になりました。

これからの仕事はどうなるのか、とか、働き方について、ひいては結婚や家庭を養うこと、仕事だけではなくどう「暮らす」か。

普段、こういうことについて一人で考えることはありますが、他に話す人もおらず、やはり価値観が近しい人とこういうことをシェアすることは、毎日のスパイスになると思いました。

全く異なる仕事から出てくる共通点や、その違いを比較することで、自分の仕事に対して客観的な立場からアドバイスをもらうこともできます。同業者とばかり話していると、どうしてもタコツボに入りがちなので、こういう機会が良い空気の入れ替えにもなります。

毎日こんなことはできませんが、定期的に、世界が全く異なる人と話をすることで、自分の考えに幅と深みができるのだと思います。

こういう機会作りを大切にしたいですね。



2014年9月6日土曜日

体調に波があるとか、仕事に波があるとか、そんなものは当たり前です。

先々月、先月と仕事でバタバタとしていたのですが、今月に入ってからは今のところそれほどでもなく、時間に余裕ができた一方で財布周りも気になって仕方のない状況にいます。

でも、これっていたって普通のことなんですよね。

昼があれば夜があるように、身体の調子がいい時もあれば悪い時もあるように、
変化をし続ける(まわりまわる)ことは、いたって当たり前のことなんです。それこそが本質。

だから、「先々月と先月は財布に余裕もできたけど、今月はそうでもない、まずい!」というのは、自然の摂理に則ったことで、すごく真っ当なことなんです。仕事の量も違います。これも当たり前。

良い状況が一生続くわけでは決してありませんし、かといって悪い状況が続くわけでもない。これは自分自身の身体についても仕事についても、他のことについてもそうです。


仕事を始める前にしていた勘違いというのは、「就業時間内はバリバリ働くんだろうなー」ということでした。ですが、実際に仕事を始めてみたら分かりますが、そんなことは全然ありません(笑)。週5日仕事をするとして、気分が乗らない曜日だってありますし、一日の中でも集中力が出るときとそうでないときがあります。身体の調子や他の要因によっても、日々のパフォーマンスや心の持ちようは変わってきます。そして、会社のような場になると、そういう「いろんな」人がごちゃまぜになっているわけです。自分は調子がいいけど、相手は調子が悪い、とか、その逆も当然あるわけです。恥ずかしいながら、仕事を始める前はこのことに気づきませんでした。

ただ、世の中の至る所でこの「変化することが不変の真理」であることが、ベールに隠されたままであることが多いように思います。「自然の摂理」が表層化されていない、と言っても良いかと思います。

まずは、「何事も変化して、良い時も悪い時もあるんだよ」ということを知って、受け入れられることが大事ですし、必要です。(この点については、身体の変化と付き合うことが多い女性の方が、実感しやすいことなのかもしれません。)

その上で、そういう変化と上手く付き合っていくことが大事です。「これだけ忙しい(儲かる)時期はずっとは続かないんだな」と思うことも、「全然仕事ないけど、また好転するわ」と思うことも、これらを考えることが出来るか。(私はこの一年半でだいぶ慣れましたが、まだ後者の時になると不安に押し潰されそうになります。)

変化することが当たり前に思えると、全てのことがずっとは続かないと思えると、謙虚にもなるし、前向きに考えられるようにもなります。


ただ、今の世の中はできるだけ「自然の摂理を隠す」ように出来ているのかもしれません。例えば月給制で仕事をすると、「一月でこれだけもらえる」ということから「仕事に波があるんだ」ということは、感じづらいことであるように思います(あくまで個人的な感覚です)。

自然の摂理とは何か。世の中、ではなくもっと大きな世界がどのような仕組みになっているのか。私たちはそのことを謙虚に、いっそう学ぶ必要があるのではないでしょうか。


止まない雨はない。
そして、沈まぬ太陽もない。

2014年9月5日金曜日

この一週間はデトックスに挑戦しています

今週水曜日から、「デトックス」に挑戦しています。

デトックスとは「毒出し」という意味で、要は「自分の身体に溜まった不純物を取り除こう!」というもの。主に腸をきれいにして、それが全身に効果を及ぼすんです。
(もともと、知り合いの方がされていて、興味を持って自分でも始めてみました)


この一週間の流れは、
朝ご飯、夜ご飯はデトックス用の食事
昼ご飯は通常の食事(なるべく肉やコンビニ食、ファーストフードは避ける)
寝る前に、別のデトックス食を身体に入れて、翌朝腸をきれいにする

というもので、これを一週間続けます。

デトックス用の食事は腹持ちが良いのですが、とてもシンプルなので欲に負けそうになる時が多々ありまして(ちなみにコーヒーも駄目、紅茶を無糖で飲むのはOK)

これだけ書くと制限が多そうですが、「外に出ているとお腹が減る」くらいなので、そんなに不自由はありません。
(ただ、晩ご飯を一緒に食べられないのは辛いですね。)


今日でまだ三日しか経っていませんが、目に見える変化は次のようなものです。

・体重が減った(身体が絞られた)→おへそ周りが締まりました。
・肌がスベスベかつモチモチ→弾力が戻りました。びっくり。
・身体が軽くなる→体重的な意味ではなく…身体にキレが戻ったような気分です。
・朝早く起きられる/短時間で深い眠りにつく→めちゃくちゃ目覚めが良い。そして気持ちいい。
・肩こりが治った→どうやら肩に溜まってた血が上手く循環したみたいです。これ一生続けたい…
・集中力が高まった→デトックス食は消化が良く、胃に負担がかからないので頭に血が回るのだと思います。

…と、僕はこれをやってみてとても満足です。毎日こんな風に過ごせたらいいな、と思います。


<なぜ今デトックスなのか?>

最近、自分の口に入れるもの、身体に取り込むものに関心を持つようになったのが一番の理由です。

今まで、食事はあまり気にしていませんでした。お腹いっぱい食べる時もありましたし、脂っこいものばかり食べる時もありましたし、ファーストフードで済ます時も多々ありました。
ただ、それをして身体に変な負担がかからないのかな?とはずっと思っていました(添加物であるとか)。

これは感覚的な話なのですが、最近(といっても一年ほど前ですが)はファーストフードを食べると、身体から力が抜けていくような感覚に陥ったのです。仕事でもパフォーマンスが発揮できないし、頭もしっかり使えない気がする…。そこで、「自分の身体に不必要なものはあまり食べないようにしよう(ゼロには出来ないから、ちょっとでも減らす)」ようにして、今年はファーストフード(というよりハンバーガーショップ)には行っていません。

あとは、変なものを口にするとイライラもするのもありました。とにかく、自分が口にするものをちょっとずつ変えよう、という意識がここ1年くらいは働いているのです。

デトックスは「何を入れるか」ではなくて「何を出すか」に焦点を当てていますが、確かに自分の中にある不必要なものを捨てることも大事だと思いました。それは必ずしも物質的なものだけではなく、精神的なものにもなるわけですが。


<自分の身体を見つめ直す機会を>

私たちは恐らく、自分が思っている以上に自分の身体に対して無頓着なのではないでしょうか。
それは体力的な面や病気、免疫、アレルギーなど…自分の身体がどんな風になっていて、どんな時にどんな反応をするのか。これは私が個人事業主で仕事をしているから、という理由ではなくて、もっと根源的に「暮らすこと」「生きること」に興味を持ちはじめたからなのです。

仕事でのパフォーマンスや、将来的な子ども作りのことも考えると(これは今のところ予定はありませんが)、やっぱり自分の身体が関わることであって、土台をしっかりしておかないといけないなあ、と思うのです。デトックスは、そんな自分の身体を見つめ直す機会になると思っています。


2014年9月1日月曜日

自然に対する嗅覚を磨く

今日の夕方、日没前にものすごく大きな虹を見ることができたんです。




今まで見てきた中で、一番大きい虹でした。

そして、この虹に気づいたのは、ほんの偶然なんですね。

窓の外を見て、西日が入り込んでいた。
そして、狐の嫁入りで、雨が降っていた。

この二つから「東の空に虹が出ているんじゃ?」と思って外に出たら、思っていた以上に完璧な虹ができていて(写真では分かりづらいですが、二重でした)、自分でも思わずにやけてしまいました。

地元は田舎なのですが、こういうところにいると自然が近く、それに対する感覚が少しずつ研ぎ澄まされる気がします。

夏場でも朝起きて「あれ、涼しいな」と感じる時もありますし、春先でも「数日前よりずっと暑い」と思う時もあります。

毎朝(と夕方)に近所を散歩していますが、田んぼが広がっていて、田植えのシーズンから徐々に稲が育っています。
日の出・日没の時間も変化することに気づきますし、太陽のエネルギーも違います。8月中旬から既に虫が鳴き始め、夏の中にも秋の気配は感じ取れました。

今ものすごく自然が身近にあって、自然に対する畏怖の念や、細かい変化に対してものすごく敏感になりました。都会に出ていて平日週五日のワークスタイルを貫いていると、こんな変化も感じ取ることなく、「もう秋なのか」と思ってしまうかもしれません。

まだまだ、自然を理解して上手く付き合えているとは微塵も思えませんが、これだけ自然が身近にあると、日常のふとした変化(自分の身体の変化も含めて)にはたと気づける時が多くなりました。身の回りにあるものを受け入れられるという意味では、このような自然のある環境に身を置くことも一理あるのかもしれません。