2015年5月16日土曜日

反対意見と代替案

中学生の時だったか、「反対意見があるなら代替案を出しなさい」と言われました。

学級委員か何かをしていた時の話だったので、自分が言われたというよりは、クラスの他の子に言われていたのだと思いますが。



代替案というのは、なかなか考えるのが難しいもんです。

自分の場合、その代替案が現実的なのかどうか、ということをまず頭の中で考えて、無理そうだったら日の目を見せることなく却下してしまいます。それが例え、他の人にとっては名案に映ったとしても。


政治の世界にしても、そう。


沖縄の基地問題。

原発問題。

集団的自衛権の問題。



自分事として考えなければならないことは山ほどありますが、仮にこれらの問題の現状に対して反対するとして、自分はどんな代替案を考えるのか、そして、その案を、自分は受け入れられるのか。


そのあたりを考えると、自分なりの方向性を決めるのはいけるのですが、本当にその代替案がacceptableなものなのかどうか、というのは、いつまでも葛藤になって残ると思います。


基地を移転したとして、その時のリスクはどうなるのか、とか、基地(いわば軍関連)の仕事で生計を立てている方もいるのではないか。

仮に自分がその立場だったら、どう考えるのだろうか、とか(ただ、市井のいち人間としてそこまで考えると、身動きができなくなってしまうのですが)、いろいろと考えます。
(こういう、いろんなケースを考えて動くことこそが、政治なのかな、とは思いますが。)


結果的に、立場替われば意見も考え方も変わる、というものになってしまうとは思うのですが、


自分が当事者になった時に、どこまで受け止めて、葛藤を抱えて生きていけるのか、という問題は常にありますね。


これは政治だけじゃなくて、仕事の問題などでも同じなのでしょうが、


結局は「自分事」として考えないと、何も想像はできないし、動くこともできないのだと思います。




その上で、今自分が取った選択というのは、働き方にしてもそうですが、「最低限自分のことは自分で守る」というものです。


今はある程度、場所を変えても仕事はできますし、生きていけるようになりました。取引先も国内、国外共に幾つかあるので、どこかと共倒れになる可能性は、低い。


この先どのような道を選ぶかは分かりませんが、結局のところ、今の自分にできることといえば、これぐらいのことしかないのだと思います。


政治(民意を集めて世の中を動かす)というのは、ものすごくエネルギーと時間が必要ですし、果たして思い通りに進むのかは分からない。


なので、というと変ですが、政治に関心は持っていますが、そこに期待しすぎるのではなく、最低限自分(とその家族ぐらい)は支えられるように、自分に投資をして、生き抜いていける力を付けよう、というのが、現時点での自分のスタンスです。自分に投資をするほうが返ってくるものは多い、と思っているのも、このような方向に進んだ一因でもありますが。


なんかこう、今の世の中での典型的な個人化の例になっていると思いますが、もともとリターンの見込めないこと、興味のないことに時間とお金をつぎ込めないタイプの人間なので、仕方ないのかな、とは思っています。


ただ、個人化とはいうものの、できるだけ払う税金は少なくして、変なところに税金を持っていかれないように考えたり、ということは頭の片隅に入れています。最近特に税金に対しては敏感になりましたが、興味や関心をもつきっかけや分野は人それぞれだと思うので、そこで自分なりに頭を使って知恵を付けて生きていくことは必要だと思います。


仕事をしている人にとっては、例えば税金なんかが政治に興味を持つきっかけになってもいいのではないでしょうか。会社員の税金の仕組みはよく知りませんが、身の回りを見渡す限りでは、会社員で「税金を無駄に使うな!」と声を張っている人は多くはないような気がします。(イメージ的に、自営業の人と主婦の人のほうが、関心が高そう。)



なんだか、まとまりのない文章になってしまいました。


自分の場合、代替案を出すのが苦手なので(案を出すことはできますが、それが現実的なものなのか、その案を自分が受け入れられるのか、という部分でいつも葛藤する)、自分はできるだけ、周りからの影響を受けにくい環境を作り上げたいと思っています。





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