大阪都構想の住民投票結果、マスメディアやネットでいろいろと言われていますが、結果を見て一番思うのは「今回変化を期待して失望した人は、もう自分で先に動いたほうが良い」ということです。特に私のような20代や、少し上の30代の人でそう思った人は。
世の中が変わるのは、思っている以上に時間がかかりますし、エネルギーも必要です。
2009年の政権交代
2011年の震災
当時も何度も「これで日本も変わるか」と言われましたが、結局何もなかったかのような世界に戻ってしまいましたし、今回もそう。
「結局日本は変わらないのだ」という捨てゼリフ(?)も、お決まりになってきた感があります。
なので、もう「世界が変わるのに期待している」人たちは、そういう淡い期待は捨てて、少なくとも自分は変化する、という風に舵を切った方が、いいんじゃないかなと思います。
今回の住民投票結果も、一部では「若者の意見が反映されなかった」と言われていますが、各世代のパーセンテージを見てみると、6:4くらいで賛成と反対が分かれていたので、世代論で片づけるのは少し違うかな、とは思います。変化を好まない人も(若い世代に限っては)それなりの数いるわけなので、そういう人の意識を変えるのは、これでまた大変。
その一方で、変化を必要と思っているマジョリティの意見が一部の層の存在で打ち消されてしまったことも認めなくてはいけない事実であると思います。
その上で、今回落胆してしまった人は、もう自分で先に土俵を作って、そこで勝負したほうがよっぽど建設的なんじゃないかなと思います。仕事でも住む場所でも、なんでもいいとは思いますが。
一番怖いのは、残酷にも時は流れるということです。
私たちだって歳をとります。今回の選挙で「賛成」に投票した人だって歳を取るわけで、果たして今後同じような内容の住民投票を再度行ったとしたら、例えば10年後に再度大阪で、というのでもいいですが、その時の結果は「賛成多数」になるのか?と言われれば、それは違うような気がして、結局今回みたいになるのではないかな、と思ってしまいます。20代の自分だって、10年、20年と歳をとったら、守るべきものが増えてしまって考えが変わってしまうかもしれない。そして、大多数の「大人」はそういう風になってしまうでしょうから、自分は、こういう行動の結果は、数年後でも恐らく変わらないんじゃないかな、と思うのです。
2009年の政権交代から、今年で6年です。当時自分は選挙権がありませんでしたが(確か)、今は立派に選挙権を持っています。6年あったら、30代から40代になった人も一定数いるでしょうし、「何も変わない」世の中を作っているのは、まぎれもなくそんな私たちなのです。
2009年や2011年の出来事がきっかけで、世の中は変わったのか。変わったとして、自分はその変化に何らかのかかわりを持っていたのか。自分は変化することを嫌っていたのに、誰かが変えてくれるというような甘い考えを持っていなかったか。今一度振り返って考え直してみるのもいいでしょう。
私の場合、10代の頃から世の中に幻滅することが多くて、結局「周りは頼りにならん」と思うようになりました。一種のあきらめでもあります。
ただ同時に、最低限自分のことは自分で考えて生きていこう、とはその時から決めているので、そういう羅針盤を片手にいろいろと考えて、行動してきました。国家の仕組みや役割が変わりつつある中で、旧来の体制やシステムが機能不全を起こしてきている中で周りに期待するなんて、自分にとってはナンセンスなことだとずっと思っています(それでも、選挙には行っています。期待はしていませんけど。)
今回の住民投票で失望してしまった方は、戦うフィールド、エネルギーを使う方向を変えた方がいいかもしれません。
次回は選挙権を使おう、なんて言っても、次の選挙があるのはいつですか。そして、その選挙で何か変化が起きる確証はあるのか。
そのうち年を食って、私たちだってしょーもない「既得権益」の仲間入りをしてしまいますよ。
世の中が変わらないことに対する危機感よりも、時間だけは残酷に過ぎていくということに危機感を抱いたほうが良いのかもしれません。
世の中が変わるのは、思っている以上に時間がかかりますし、エネルギーも必要です。
2009年の政権交代
2011年の震災
当時も何度も「これで日本も変わるか」と言われましたが、結局何もなかったかのような世界に戻ってしまいましたし、今回もそう。
「結局日本は変わらないのだ」という捨てゼリフ(?)も、お決まりになってきた感があります。
なので、もう「世界が変わるのに期待している」人たちは、そういう淡い期待は捨てて、少なくとも自分は変化する、という風に舵を切った方が、いいんじゃないかなと思います。
今回の住民投票結果も、一部では「若者の意見が反映されなかった」と言われていますが、各世代のパーセンテージを見てみると、6:4くらいで賛成と反対が分かれていたので、世代論で片づけるのは少し違うかな、とは思います。変化を好まない人も(若い世代に限っては)それなりの数いるわけなので、そういう人の意識を変えるのは、これでまた大変。
その一方で、変化を必要と思っているマジョリティの意見が一部の層の存在で打ち消されてしまったことも認めなくてはいけない事実であると思います。
その上で、今回落胆してしまった人は、もう自分で先に土俵を作って、そこで勝負したほうがよっぽど建設的なんじゃないかなと思います。仕事でも住む場所でも、なんでもいいとは思いますが。
一番怖いのは、残酷にも時は流れるということです。
私たちだって歳をとります。今回の選挙で「賛成」に投票した人だって歳を取るわけで、果たして今後同じような内容の住民投票を再度行ったとしたら、例えば10年後に再度大阪で、というのでもいいですが、その時の結果は「賛成多数」になるのか?と言われれば、それは違うような気がして、結局今回みたいになるのではないかな、と思ってしまいます。20代の自分だって、10年、20年と歳をとったら、守るべきものが増えてしまって考えが変わってしまうかもしれない。そして、大多数の「大人」はそういう風になってしまうでしょうから、自分は、こういう行動の結果は、数年後でも恐らく変わらないんじゃないかな、と思うのです。
2009年の政権交代から、今年で6年です。当時自分は選挙権がありませんでしたが(確か)、今は立派に選挙権を持っています。6年あったら、30代から40代になった人も一定数いるでしょうし、「何も変わない」世の中を作っているのは、まぎれもなくそんな私たちなのです。
2009年や2011年の出来事がきっかけで、世の中は変わったのか。変わったとして、自分はその変化に何らかのかかわりを持っていたのか。自分は変化することを嫌っていたのに、誰かが変えてくれるというような甘い考えを持っていなかったか。今一度振り返って考え直してみるのもいいでしょう。
私の場合、10代の頃から世の中に幻滅することが多くて、結局「周りは頼りにならん」と思うようになりました。一種のあきらめでもあります。
ただ同時に、最低限自分のことは自分で考えて生きていこう、とはその時から決めているので、そういう羅針盤を片手にいろいろと考えて、行動してきました。国家の仕組みや役割が変わりつつある中で、旧来の体制やシステムが機能不全を起こしてきている中で周りに期待するなんて、自分にとってはナンセンスなことだとずっと思っています(それでも、選挙には行っています。期待はしていませんけど。)
今回の住民投票で失望してしまった方は、戦うフィールド、エネルギーを使う方向を変えた方がいいかもしれません。
次回は選挙権を使おう、なんて言っても、次の選挙があるのはいつですか。そして、その選挙で何か変化が起きる確証はあるのか。
そのうち年を食って、私たちだってしょーもない「既得権益」の仲間入りをしてしまいますよ。
世の中が変わらないことに対する危機感よりも、時間だけは残酷に過ぎていくということに危機感を抱いたほうが良いのかもしれません。
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