2014年4月19日土曜日

人が「生き物」であることが忘れられているような経済社会

僕は結構、気持ちの浮き沈みが激しく定期的に身体の調子の善し悪しが循環していく人間なのですが、周りで仕事をしている人たちを見ていると、まるでそんな調子の善し悪しなんて存在しないかのような世界にいるんだな、と思うことが多々あります。

前々から思っているのは「人間週に5日、一日8時間も仕事しなくていいやろう」ということです。実際に会社勤めをしているひと、特にこの4月からそれを始めた人はうすうす気づいているかもしれませんが、案外人間、週に40時間も働くことなんてないのです。僕はいままで、会社勤めをしたら「1日8時間は仕事するんだよな〜」なんて思っていた訳ですが、実際にして思ったのはそんなことまったくない、ということ。曜日や時期によって閑散期と繁忙期があるように、一日のなかでも仕事が次々にある時や、逆に時間をもてあますような時だってあるわけです。これは業界や職種によってもちろん異なるとは思いますが、今複数の仕事をさせて頂き、いろんな世界を垣間みることができた中でこのことに気づけたことは、自分にとって視点が増えた、大きな財産だと思っています。

ですが、求人情報を見たりする限りでは、時給換算、月給換算によって自分のお給料が決まるために、仕事内の時間に濃淡があっても、それがあたかも平坦な時間になっているかのような錯覚を私たちはしてしまうんだと思います。今の私の仕事の仕方では、翻訳の仕事の場合、日によって稼動時間も大きく異なりますし、毎日この時間からこの時間まで仕事をしないといけない、という縛りもありません。もちろん時間がかかる仕事の時は、10時間ほど仕事をしたり夜に仕事がずれ込んだりするわけなのですが、気分が優れないときは早く寝たり遅くまで寝ていたり、自分のペースで仕事ができるようにある程度の融通は利くようになっています。ですから、定期的に鬱のような状態になることがあり(その逆もある訳ですが)そういう時には思い切って休むことが可能な今の状態は、収入的には不安定ですが、案外自分の身体の状態のことを考えると適した仕事の仕方なのかな、とも思っています。

そのために、今自分の身体の仕組みが徐々に分かってきて思うのは、自分は果たしてどこまで会社勤めができるんだろうか、ということと、現在会社勤めをしている人の中にも、僕と同じような状況に直面している人もいるのではないか、ということです。


人間も生き物であって、定期的に身体の調子が良くなったり悪くなったりするものだと思うんですが、そういうのとうまく付き合いながら、それでも毎日決まった時間に職場に通うことって、今の自分には結構大変なことかも、と思います。「体調管理をすることも大人(社会人)の仕事の一つ」と、ある先輩がおっしゃっていましたが、そこまでして毎日同じ時間に職場に行くことの意味とはなんだろう?意味はないのかもしれないけど、今の僕にとってそういうことを実際にしている多くの人は、ある意味尊敬というか、それを超えて「大変な時は無理しないで欲しい」とすら思う時さえあります。(他には、身体の限界を超えてまで仕事をすることであったり、薬を飲んでまで仕事に身体を合わせることであったり、今の僕は身を入れることができない世界です。)


上で述べたような世界が仕事の全てではないでしょうが、時々、私たち人間が生き物であることが忘れられてしまっているような世界になってきているんだな、と感じることがあります。スターバックスCEOが毎朝4:30に起きる理由という記事が今人気らしいですが、毎日起きる時間が異なる自分からすると、生き物って毎日同じ時間に起きるのだろうか?夜行性動物もいるし、そんなに早起きすることって得のあることなのだろうか?とまで、いぶかることも多々あります。(もちろん、早起きすると気分がいいしメリットはあると思うのですが、私の今の状態では朝から仕事の予定が埋まっている訳でもなく、あまり自発的に早起きしようとは思えないです。こちらの記事でも書いたのですが、逆に旅をしている時は自然に早起きします。)


まだまだ生物、生命分野に関する知識が不足しているのでしっかりとした論理展開ができないのですが、生物、生き物、生命の仕組みについてもっともっと知りたいと思います。その上で、人間らしく生きる、生き物らしく生きるとはどんなことなのか、自分の中で答えを作り上げていきたいです。



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