今回の和佐木坂ラジオで木坂さんが言っている、「世の中に信仰対象なんてない」という部分に、激しく同意。
その対象は、自分自身でさえも含まない。
「自信なんてなくて一生なくて当然か。自信があるとなると、それは何かをごまかしているか、嘘をついているな、と思ったの。」
自分も、言うてこれまで自分に自信を持てたことなんてなかった。
もちろん、何かに挑戦する上で、こうやったら上手くいけそうだ、とか、変なところでミスをしなさそうだ、という計算をしたり、何度か失敗をする中で、別の方法での切り込み方を行ったこともあって、
その結果として、成功したことは何度もある。
だけれども、そういう結果を残せたからといって、同じ方法が一生通用するわけではない、と昔から思っていたし、
今後の人生で、全くの同一局面なんて二度と現れないから、常に打ち手を変えないとやっていけないだろう、という考えもあって、「自分に自信を持つ」ということができなかったし、これからも恐らく、自信なんて持つことはないだろう。
だいいち、木坂さんが言っているように、自分に自信なんて持ってしまうと、世界を奢った目で見て渡っていくことになってしまうだろうから、こんな邪魔なものなんて持たずに、常に新鮮な気持ちで物事に取り組んで、人に向き合う、というのが自分の哲学でもある。
(注意して欲しいのだけれど、自分は何も、自分に自信が持てなくてオドオドしている、という意味合いで「自信」という言葉を使っているわけではない。これまでの経験から、自分に有利なデータ、自分に不利なデータ、得意分野不得意分野など、ある程度の情報と分析のストックはあるし、それらを参考にしはするけれど、それらに全て頼って今や今後の局面を判断することはない、ということである)
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