2015年4月30日木曜日

三分の一

今日で4月も終わり。

一年の三分の一が終わりますね。早い、怖い。


残りの三分の二をどんなものにしようか、とりあえずは次の四ヶ月をどんな風に過ごそうか、思案中です。

結構引き籠ることになると思っていますが、どうでしょうか。



2015年4月28日火曜日

毒盛り・毒抜き

この三週間の食生活は自分でも思うほどに悲惨だったのですが、ここにきてそのツケが体に出てきたようです。

特に、腸の調子がいまいち。

後は、口の中がざらざらして気持ち悪い。
自分は体(特に口まわり)に異変が出やすい体質なので、注意信号だとは思っているのですが、これだけ続くとさすがに辛いですね。

ものすごい量の「毒」を体に入れてしまったのでしょう。

特に、食物繊維を摂れてなかったからだと思います。


地元に戻ったら、生活習慣と食習慣を早く戻します。

半年くらい前にしていたデトックスをもう一回やって、半ば強制的にリセットするのもありなんでしょうね。


自分の体調を維持するためのコストって、結構高いですよね…。




2015年4月27日月曜日

平常運転

通訳の仕事の整理や今後のスケジュール調整もある程度終わり、今日から平常運転です。

しかし、現在は友人宅に匿わせてもらっていて仕事環境が普段と違うので、勝手が悪い。普段の環境がいかに整っているかを痛感します。

締切の問題もあるので、今のうちに少しでもやるしかないですが。



2015年4月26日日曜日

東北新幹線・グランクラスを利用してみた

東北での仕事を終えたあと、数日間関東に滞在しています。


以前も、東北から東京に移動したことがありましたが、その時はJRバスの昼行便を利用、6時間ほどかかりましたが、3500円で移動しました。

今回は、以前から気になっていた東北新幹線のグランクラスを利用してみようと思い、思い切って予約をしてみました。


グランクラスとは?


通常、JRの新幹線や特急列車には「普通車」と「グリーン車」の二種類があります。
グランクラスは、このグリーン車の更に上のサービスを提供する、というコンセプトで、飛行機でいうところのファーストクラス並のサービスを提供しています。

主な特徴としては、
・ビジネス/ファーストクラスのような幅広の座席
・無料のドリンク/軽食サービス
・各種アメニティ(アイマスク等)の無料サービス

が挙げられます。

当然料金も通常の自由席、指定席料金とは異なり、私が利用した「やまびこ」の場合、乗車券に加えて、特急料金4220円、グランクラス料金9250円が必要でした。
(停車駅の少ない「はやぶさ」の場合、特急料金、グランクラス料金共に数百円高いです。)

(乗車券は「週末パス」8730円を利用。これで、週末の二日間はJR東日本区間のJRや第三セクターのほとんど全路線を利用できます。※特急料金等は別途必要。また週末きっぷは、前日までの販売となり、利用当日に購入することはできません。)

仙台駅を出発するのは14時24分、はやぶさ48号に乗車しました。
車両は10号車、一番青森方面の車両なので、乗車位置は一番北になります。

仙台駅中央改札から入って、北側のエスカレーターを利用すればちょうどのところにつきます。



利用時は二週間分の荷物を入れたスーツケースを持ち込むことになり、置き場を不安に思っていましたが、アテンダントが上手く対応してくれました。

座席はこんな感じ。




車内後方からの様子



座席上部の網棚は、飛行機のようなハッチ付。クオリティが違います。

私は進行方向左側(太平洋側)、一人席を予約しました。予約の埋まり具合は50%程度。
やまびこ号ははやぶさ号より停車駅が多く、ゆっくり移動する人にはおすすめです。
(速達のはやぶさ号のグランクラスのほうが、すぐに売り切れる傾向にあるようです。)

仙台を出発して数分、アテンダントによるドリンクサービスがありました。

とりあえず、ホットコーヒーを注文。

同時に軽食やおつまみ、茶菓子の利用も聞かれたので、ここぞとばかりに全て頂きました(笑)

ドリンクにはアルコールも含まれます。軽食は和洋食から選ぶことができ、サービスはビジネス/ファーストクラスさながらです。

各種食事はこんな感じ。(中身を撮り忘れました)









座席にはドリンク用のサイドテーブル、食事用の大型テーブルが付いています。

写真は撮り忘れましたが、コンセントもついていました。


座席はフルフラットにはなりませんが、背もたれを倒して足を延ばして、十分にリラックスできる態勢は確保できます。


座席横には雑誌も各種用意されています。(あまり読みませんでした)
もちろん、読書灯もついています。
(日中の移動なので明るさはきになりませんでしたが、トンネルを何度も通過するので、その際は室内灯だけでは不十分と思いました。)


飛行機のようにスタッフコールボタンもあるので、ドリンクのお代わりやアメニティサプライも気軽に行えます。

車内用スリッパもついています。



仙台の次の停車駅、福島で後発のはやぶさに追い抜かされ、その後は郡山、宇都宮、大宮、上野と停車して東京に向かいます。(今回の利用は上野まで)


アイマスクももらい、宇都宮から大宮までは仮眠。車内はとても静かなので、イライラすることもなく2時間、くつろぎながら休むことができました。


料金を考えると決して安くはない値段ですが、半年に一度、一年に一度利用してみるぶんには十分利用価値があると思います。




2015年4月25日土曜日

ブログを読むときに注意してほしい5つのこと

ブログを始めて約7年。

新しいブログに変えて約2年半。


おかげさまで、毎日多くの方に読んでいただけるようになりました。

一方で、予期していなかったような反応を頂くことも多くなりました。


今回は私のブログ(もっというと、ブログ一般)を読む際に注意してほしいことをまとめました。ある意味メディアリテラシー、ネット上の情報と付き合う方法論でもあるので、今後の参考にして下さい。

そして今後当ブログを読まれる際には、特にこれらの点に注意していただくよう、よろしくお願い申し上げます。


①掲載情報の裏どりはご自身でお願いします。

世の中は常に変化しています。それは情報の鮮度がすぐに落ちる、ということでもあります。

このブログではなるべく、世の中の本質(=経時的に変化しづらいもの)を捉えて、自分なりの考えをまとめるようにしていますが、ご覧になればわかるように、飛行機の利用記録、空港ラウンジの利用記録、旅行記等、比較的情報が変化しやすい内容ももちろんまとめています。

そのため、特にこのブログ情報をもとに実際に行動をされる際は、情報の裏どりは十分に行って下さい。たとえばフライト情報、ホテルの場所、各種運賃、出発ターミナル/プラットフォーム等。

私がまとめているのは、自分が利用した当時の内容です。場合によっては一年以上前の記事をご覧いただく場合もあるかと思います。

このブログだけを読んで判断、決断をしたことに対する失敗については、こちらは一切責任を負いかねます。

(以前コメントで、「飛行機の出発ターミナルが現在は変わっていますが、このブログを読んで間違った行動をされる人が出ないか心配です」といった内容を頂きましたが、こちらではそこまでカバーできません。というか普通に、鉄道や飛行機の会社サイトなどから情報の裏どりはしていると思っていたので、驚きました。)


②記載内容を不快に感じられた際は、途中で読むのをやめて下さい。

私がブログを続けている理由の一つに、「自分が伝えたいことがあるから」というものがあります。

その中で、ある程度自分の立場をはっきりさせないと書けないこともあります。

自分の土地柄、仕事柄、中立的にではなく、あるフィールドを礼賛したり、否定することもあります。
(実際的には、違いを際立たせるためにやや大げさに、過激に表現している部分はあります)

もし、ブログをご覧になって不快な内容、気に障る内容がありましたら、その場で読むのをやめて下さい。できるだけいろんな方に読んでいただきたい、とはブログを書く上で思っていますが、合わないものは合わない、という見極め(あきらめ)も時には大切です。

③ご意見やコメントがある場合は、直接コメント欄にどうぞ。

これは②と関係していますが、ガス抜きのためにこのブログを陰で叩くようなことはおやめください。

ブログの更新時は、自分のTwitterでの告知、及びフェイスブックでの告知を行っています。

基本的に気の知れた知人からは、フェイスブックでコメントを頂いています。共感にせよそうでないにせよ、直接コメントを頂いています。

一方で最近増えてきたのが、自分のフェイスブックで「共有(シェア)」をしつつ、否定的な意見を書かれる、ということです。

こうされると、こちらでは直接コメントを確認できません。(フェイスブックでの通知で、「●●さんがシェアしました」というのは分かるのですが、さっと確認すると、どうやらぶっ叩かれているか、嫌味っぽく言われているみたいです。)


もし、記載内容に関するご意見やクレームがあれば、直接ブログコメントにして頂くか、フェイスブックでの告知の際に、コメントを書いて下さい。

これはお願いです。

勝手に共有して、こちらの知らないところで批判や嫌がらせをするのはやめて下さい。気分の良いものではありません。



④コメントの際は、建設的な意見をお願いします

③とも関連しますが、コメントをする際はできるだけ建設的な意見をお願いします。

なぜそう思ったのか。こちらの論理のどの辺りがだめなのか。単なる嫌がらせ、批判ではなく、お互いの意見や立場の違いを分かったうえで歩み寄れるような形で、意見のやりとりができればと思います。

単純に「●はダメ」なのではなく、なぜだめなのか。代案は何か。そこまで示さない方のコメントはスルーします。

私が知りたいのは、その人はなぜ「違う」と考えるのか。出自の違いや人生の年数、経験してきたことの違いもあるかと思います。そのあたりを明確にしたうえで、ご意見をお待ちしております。



⑤ブログ運営者の人となりを知るには、一通りブログ記事をご覧ください。

最近、ブログの炎上(?)が多くなってきましたが、この多くは特定の記事に対する批判です。

記載内容に関する批判やコメントはして頂いて構いませんが、それを拡大解釈して、ブログ管理者の人格や思考、歩みまで否定、批判するようなことはおやめください。
(最近、多くなってきたかなと思います。)

「この内容、気に食わないな」というのはオッケーです。

ですが、たった一つの記事だけを見て「コイツ、気に食わないな」と思うのはアウトです。

ブログ記事ではなく管理者を全否定したければ、まずは一通りこのブログ記事をご覧ください。ブログの右側には閲覧数トップ10の記事もありますし、総記事数も450本以上あります。管理者の人となりを知りたければ、まずはある程度の数の記事をご覧ください。

まとまった数を読めば、私の思考の癖や志向はある程度掴んでいただけるかと思います。

その上で「コイツ面白そうだ」と思って頂ければ、また時々でいいのでブログをご覧ください。

記事を読んだ後で「コイツ、気に食わないな」と思うのであれば、どうぞ、このブログの上記利用規約に則って建設的な批判、コメントをお願いします。










2015年4月24日金曜日

東北15日目(栗原、仙台)

4月24日の行程

仙台→栗原→仙台(終了)


最後の取材は、カフェ・デ・モンクを主体的に行っておられる、通大寺の金田住職を訪ねてきました。




栗原市は仙台より車で1時間程度。自分の記憶では何年か前にくりはら田園鉄道が廃止になったことしか、この街のことは知りません。


金田住職の話は面白かったです。悟りを開くというか、人間のこと、罪の話、ローマクラブ「成長と限界」と今回の原発事故、どのようにカフェデモンクに取り組んでおられるか…。話の深み、広さ共に聞いていて飽きませんでしたし、2時間では到底全てを聞くことはできないような内容でした(通訳をしているので、実際にしゃべっておられたのはもう少し短かったです)。


天災と人災、そして今回の災害に各被災地が、各県が、そして日本や世界がどのように向き合って、何を学ぶのか、ということが問われているのだと思います。


今後、今回の仕事に関する記事には加筆を行う予定でいますが、痛感したのは、自分も被災地のことや震災のことはほとんど何も知らなかったこと(定量的には知っていることもありましたが、もっと定性的な意味で、知らなかった、気づかなかったこと)がたくさんありました。

この二週間で学んだことをどうやって次に生かすはゆっくり、でも急いで考えていかないといけませんが、自分のスタンスは「自分の身の回りで変えられるものを変える」なので、政治を変えたり、大きなものを動かすのではなく、自分自身、家族、そして友達に、何らかのきっかけづくりを行えるようにしてはいきたいです。



さて、最後になってしまいましたが、今回エスコートしたのはポーランド人のジャーナリスト。

前回、半年前に陸前高田に行った時に泊まったホステルでたまたま彼女も同じ日に泊まっていて、自分もポーランドに行ったことが何度もあること、少しは東北につてがあることもあって、半年以上経って今回、2週間以上にわたって仕事をすることができました。

身の回りで起こっていること、自分がこれまで足を踏み入れてきた世界がだんだんと、繋がってきているようです。

たぶん今回は、相手がポーランド人でなければ仕事にはならなかったかもしれません。不思議な縁といえば不思議な縁ですが、私にはどうも、運命とか縁とかそういうものではなく、もはや業(カルマ)にしか思えません。

自分の未熟な点も多く分かりました。しかしそれ以上に、被災地のこと、通訳のことについて学べたことが多かったですし、これでまた、人生の伏線が増えたと思えば、これもまた、必然のなりゆきなのかもしれません。

「Do you believe Kami?」
(Godじゃなくて、神です)


移動中の車の中で何度か、こんな話を二人でしていました。

神はどこかに実在しているんじゃないかな。


この2週間で強く、そう思うようになりました。彼女も同じように思っていたようです。

生きていて良かった。この道を選んで本当によかった。

本当に、人生って不思議なものですね。



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東北8日目(石巻、女川)

東北9日目(女川、石巻市北上地方)

東北10日目(石巻北上地方、陸前高田)

東北11日目(陸前高田)

東北12日目(陸前高田)

東北13日目(陸前高田・広田半島)

東北14日目(陸前高田、仙台、福島)

東北15日目(栗原、仙台)



東北14日目(陸前高田、仙台、福島)

4月23日の行程

陸前高田→仙台⇔福島(最後は仙台泊)


朝一で、特定非営利活動法人パクトを訪問し、30分ほど話を伺いました。



(今回の陸前高田での宿。旧小学校を改装しています)


この時は相手が英語をしゃべれるので、こちらは横で聞いていました。

今回の仕事を通じて痛感したのは、「考えたことを英語でしゃべる」ことと「日本語で聞いたことを英語でしゃべる」ことは全く違ということ。後者こそが通訳ですが、自分の場合、ものすごく日本語にひきずられてしまう。


そのあとは陸前高田を後にして、一関経由で仙台市内へ。


(こちらは陸前高田市内にある震災遺産(?)。4階まで津波が来たんですね)


カフェ・デ・モンクという、お坊さんの移動喫茶が仙台市内で行われていたので、そこに顔を出してきました。

震災を経験された方が集まって、いろいろと話をする場が設けられています。


私は大学の時にも、神戸の震災に関する活動を行う団体で少しかかわりを持っていましたが、このカフェの雰囲気は、その時に関わっていた内容に雰囲気がとても似ていました。暖かさというか。


やっぱり過去と現在は繋がっているのかな。



そのあと、仙台市内のゲストハウスにチェックインをした後、夜に福島へ。

仕事の前半で取材をした人に、追加で話を聞いたいので半ば強引にですが福島まで行きました。

震災直前直後の話を、経験された方から聞くのはやっぱり、重さが違いますね。


そのあと、仙台に帰ってきたのが翌午前2時頃。


一日で東北三県はさすがに大変でした。

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2015年4月22日水曜日

東北13日目(陸前高田・広田半島)

4月22日の行程

陸前高田市内(広田半島)


今日は朝から、パクトのボランティアに参加。

地元の漁師さんのわかめの収穫の手伝いをしました。

もともと若者、後継者不足に悩まされていた三陸地域は震災により、更に人手不足、後継者不足に陥ってしまったようで、震災から数年が経ってもボランティアの受け入れが続いています(当初は瓦礫撤去などがメインでしたが、現在は漁業の手伝いなどがメインのようです。)

三陸海岸産のわかめはブランドとなっていて、塩蔵わかめ、生わかめ等が作られます。

今日は塩蔵わかめの製造処理の手伝いをしました。

作業環境の関係で写真は撮れませんでしたが、収穫したわかめを温水につける→冷水にひたす→漕から取り出して袋に入れる→海水+塩を入れた大型ミキサーにわかめを入れ塩分を加える、という工程の仕事でした。


ジャーナリストの取材ということで、他の作業場も見せてもらいました。

長期的にボランティアに関わっておられる方もいるようです。


陸前高田の漁師は、春にわかめ→夏にホタテ→秋に雲丹→冬にアワビ、というサイクルで種付け、収穫を行っているようです。今はまさに、わかめの収穫の最後のかきいれ時。午前9時頃に初めて、終わったのが14時前でした。


通訳をしていて思うのは、なかなかお互いが言いたいことを伝えられないというもどかしさ。ジャーナリストの質問に対して、厳密な答えが返ってこない時も多くあるのと、そもそも震災後のことは論理的に説明できることではないので、ジャーナリストの質問はなかなか答えづらいのかな、とは、今回の仕事を通して思いました。「今の仕事を始めた理由は?」って聞かれても、なんだか英語で聞いているニュアンスと日本語で聞くニュアンスは違いますし(単に個人的な感覚かもしれませんが)、日本人って大概「いろんな人に支えられたから」のように、主体性が見えにくい動機付けや理由が多いので、個人的には、ジャーナリストがある程度欲しているような答えとは違う方向で話が進んでしまっているのかな、とは思います。


まだまだ自分のアシスト不足だな、とは思いますが。


ただ根本的に、取材の時でも「客観的事実を述べる」ことはしても「主観的理由/意見」を述べない人が時々いるので、個人的にももっと後者の話を聞きたいな、とは思います。

(でも、これはイメージですが、英語だと「●●という理由で■■を選んだ」、っていうのは全員言語化している一方、日本語(日本人)は、そういう主観を言語化するのが上手くはないんじゃないかな、とは思います。いわゆる「空気」というか「なんとなく」という理由を奥底に持っていることが多いですし、他の人たちも「それなんとなく分かる/共感できる」ということが多いですよね。自分もそのあたりを言語化して聞くのがまだまだ上手ではない。今回見えた仕事の課題かなとは思います。)

東北での仕事はあと二日。自分のできなさに勝手に委縮してしまっている部分はあるけど、悔いの残らないようにやるしかない。




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東北14日目(陸前高田、仙台、福島)

東北15日目(栗原、仙台)




2015年4月21日火曜日

Facebookは大衆紙

最近Facebookを使っていてふと思ったのは、これって大衆紙や週刊誌と変わりないなー、ということ。


時々スクロールでページ内を見るけど、ぶっちゃけ「どうでもいい」話ばかり。

それに投稿されている内容も、自分の近況報告やリンクのシェア、写真の連投、イベントの告知など、様々。なんだか、限られたスペースに様々な内容が掲載されている一般向け新聞や週刊誌のネット版だな、とにわかに思ってしまった。

(かくいう自分も、ひたすらブログの更新をFacebookで告知している。)


新聞や週刊誌と違うのは、Facebookには記者がいないこと。

使い手それぞれが記者となって、いろんなネタを見つけては投稿する。


ただ正直、モラルというか規律がないのでまとまりがないし、そのあたりがとても大衆向け読み物のようで興味深い。









東北12日目(陸前高田)

4月21日の行程

陸前高田市内で取材を数件。


午前中は行政関連の方と。

その後少し、奇跡の一本松を見に。




高田松原の名前は前から知っていたんですが、実際に以前の松原を見たことはないんですよね。


そして180度反対側には、無数のコンベアーが。

ちなみにこのあたりはまだ、コンベアーと仮設の店舗以外は何もありません。

「復興とは何か?ということを考えさせられます。

ちなみにこの場所、半年前にも足を運んでいます。
結果的にあの時に東北に足を運んだことが、今回の仕事の伏線になりました。

【参考記事】


昼食は「りくカフェ」というところで食事。



塩分やカロリーも計算されているようで、おいしかったです。


午後は産直所の「産直はまなす」を訪問。

ここの運営に携わっておられる方に話を聞きました。


その方は震災でご家族を亡くしておられるのですが、当時の話を聞いていると、こちらも辛かったです。が、本人はそんな言葉では表せないような感情、環境に浸っておられたのだと思います。


しんどかったのは、話があちこちに飛ぶので途中で事実関係がややこしくなること、家族や知り合いがたくさん出てきて途中でこんがらかってしまうこと、時系列もごちゃまぜになるので、それをその場で整理するのがなかなかストレスになること。

あとは、ジャーナリストにも時々内容が伝わらないことがあって、自分の表現の未熟さや、取材相手とジャーナリストとの板挟みになる時もあること。こっちもイライラしてしまうのがいけないところですが、そこは相手も同じだと思って、辛抱するしかないですね。


今回の仕事を通じて感じているのは、人が作り上げたものを一瞬で奪ってしまう自然の恐ろしさと、そんな局面に直面してもなお、現実を受け止めて前に進んでいこうとする人の偉大さです。

これはたまたまかもしれませんが、震災後自分の力で何かを始めている人はほとんどが、女性なんですよね。

ジャーナリストも取材の中でこぼしていますが、取材相手も大概「女性の方が強い」と言っています。これは自分が男だからそう見えてしまうのかもしれませんが、それでもやっぱり女性は偉大だと、私はずっと思っています。

晩御飯は仮設の「未来商店街」内の「鶴亀鮨」でちらし寿司(並ちらし、1000円)を頂きました。



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東北11日目(陸前高田)

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東北15日目(栗原、仙台)




2015年4月20日月曜日

東北11日目(陸前高田)

今日はオフ。




(これは前回、2014年9月に陸前高田を訪れた時の写真。箱根山から)



ジャーナリストは一人で各種取材(打ち合わせ)に行きました。

こちらは別の仕事を抱えているので、先週水曜と今日は休みをもらいました。


こういう調整ができるのは、こちらがフロントエンドで直契約を交わせているから。日々の仕事ではなかなか通訳しにくい内容もあるので(単純に力不足というほかないですが)、こんなんではいけない、と思ってはいます。

通訳と言ってもいろいろあって、今回の仕事はどちらかといえば、同時通訳ではなくて逐次通訳寄り。

ただ、もともと打ち合わせをしているわけではなく(取材先によっては大まかな質問内容を事前に伝えていることもありますし、一通り相手のことも調べてはいますが)、話の内容も原子力発電から津波、町の復興計画・事業(行政系)、コミュニティの話、私生活の話と、恐らくカテゴリーするのも一苦労なほど多岐に亘るため、事前に全てをカバーするのは厳しいです。

一般的な通訳というのは、逐次通訳でもあらかじめ打ち合わせをして、語り手に数センテンスで止めるように伝えていると思うのですが、今回は相手によって、ゆっくりしゃべる人もいれば早口にしゃべる人もいる、適当なところで一呼吸置く人もいれば、こちらから止めないと延々としゃべり続ける人もいる(かといって、こちらから口をはさむのは極力避けたい)、というような状況なので、普通の仕事とは色合いが大きく異なるのかも知れません。

(事前に「数センテンスで区切らせてほしい」というのも、予定調和のようになってしまうので、ジャーナリストと相談して伝えないことにしました。)

もう一つの課題は、自分は結構日本語にひきずられて英語をしゃべってしまうということ。これは訓練不足を認めざるを得ません。

翻訳はその場で検索したり辞書を引いたりできるので、そこが通訳との一番の違いでしょうか。


まあ、もとを正しますと、そもそも「言語」っていうのは、非言語状態で頭の中にあるものを現す一手段なわけで、それをその場で聞いて、自分の頭でリプロセスをして、別の言葉で再度表出するっていうのは、ものすごく高度な技術なんですよね。

私は通訳はまだまだ経験不足ですが、プロの同時通訳者の研鑽をふと思うと、まったく頭が上がりません。

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東北6日目(仙台)

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東北9日目(女川、石巻市北上地方)

東北10日目(石巻北上地方、陸前高田)

東北11日目(陸前高田)

東北12日目(陸前高田)

東北13日目(陸前高田・広田半島)

東北14日目(陸前高田、仙台、福島)

東北15日目(栗原、仙台)





東北10日目(石巻北上地方、陸前高田)

4月19日の行程

石巻市北上地方→陸前高田


午前中は、仮設の中を訪問したり居住者の話を伺ったり。
近くに大川小学校跡があるので、そこも車で訪れました。

集会所ではたまたま、自分で仏教を勉強している人にも会い(東北を巡礼中だそう)、その人と一緒に仮設周辺や小学校跡は見て回りました。

その人曰く、霊への供養がまだまだ足りないらしく、霊のエネルギーをものすごく感じるようです。自分は霊感ないので分かりませんでしたが、仮設の中での幽霊が出る、という話も子供の間であるらしく、実際に経験するとトラウマを抱えたり、精神的に何らかの影響が出てしまうのでしょうか。


小学校跡の訪問の次は、昨日に続き追分温泉を訪問し、その後陸前高田へ。

途中、南三陸の旧防災庁舎跡の前で途中下車し、黙とうしてきました。

陸前高田には数日間滞在予定です。




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東北7日目(牡鹿半島)

東北8日目(石巻、女川)

東北9日目(女川、石巻市北上地方)

東北10日目(石巻北上地方、陸前高田)

東北11日目(陸前高田)

東北12日目(陸前高田)

東北14日目(陸前高田、仙台、福島)

東北15日目(栗原、仙台)

2015年4月19日日曜日

東北9日目(女川、石巻市北上地方)

4月18日の行程

石巻→女川→石巻北上町。

午前中は行政関連の取材。午後は仮設住宅が集まる地域に移動し、一晩集会所に泊めさせてもらいました。


行政関連の取材では、流された写真の引き取り手を探す活動をされていた方を訪問。ただ、ポジショントークが多かった印象がああったというか、その人自身の意見なのかどうかはいまいち分かりづらかった。

このあたり、自分もフリーで仕事をしているので「保身もあるのかな?」という勘繰りはしてしまいました。



午後に行った集落の仮設住宅のコミュニティ(にっこりサンパーク)は外向的なようで、ボランティアや取材を基本的に受け入れているようでした。他のところでは基本的にそういう訪問は断られているようで、最後に流れ着く場所がこのコミュニティのようです。

車で15分あたりのところに秘湯追分温泉があるので、そこに連れて行ってもらいました。宿泊安いようで、いわゆる東北の名湯でしょう。

この日は夜に酒盛り兼取材(?)ということで、食事の時に一緒になった仮設住宅の方から話を聞きました。自分たちで物を作って販売することもされているようで、自分が同じような立場にあったらはたしてできるのか、という問いはいつも残ります。



石巻市北上地方の風景。



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東北7日目(牡鹿半島)

東北8日目(石巻、女川)

東北9日目(女川、石巻市北上地方)

東北10日目(石巻北上地方、陸前高田)

東北11日目(陸前高田)

東北12日目(陸前高田)



2015年4月17日金曜日

人に興味を持つことの大切さ

今回の東北では、基本的に知らない人に私からアポを入れて、取材の段取りを組みます。

多くはジャーナリストが一度会ったことのある人で、英語だとコミュニケーションが取れないので、私が代わりにメールや電話で依頼をします。

要するに秘書みたいな感じです。



今でも、どこの誰かも知らない人に電話をするのはとても勇気がいることです。

似たようなことは会社員時代に営業の仕事でしていましたが、その時は基本的に断られるのがデフォだったので、その経験があまり良い印象を与えていないのかもしれません。


ですが今、テレアポを取っていて驚くのは、みなさん嫌な顔一つせず取材を引き受けて下さるということです。

暇ではないはずなのですが、自分たちのことを説明して依頼をしたら、とりあえず話は聞いてもらえますし、実際に受け入れてもらえます。


これは推測ですが、人は自分に興味を持ってもらうと、気分が良くなるのでしょう。営業の仕事の時は「相手のため」とは言いながらも、こちらにも営業ノルマがあるわけですし、いきなり電話をされるのは気分の良いものではないはずです。


そんな中で、「私はあなたに興味を持っています。ぜひ詳しいお話を伺えないでしょうか」というメッセージを伝えることは、自分が相手に心を開いていることを示しているわけですし、相手にとっても悪い気分になるものではないはずです。


こんな風に接すれば、そして取材の時は最後まで相手の話を最後まで聞き(これはもともと自分の性格でもあるわけですが)、相手を遮らないでいれば、自然と相手も自分たちに対して心を開いてくれるのではないか、と思います。


これは何も仕事だけにあてはまることではありませんし、普段から心がけたいものです。


こういうことを学べる、気づける機会があることに感謝です。



東北8日目(石巻、女川)

4月17日の行程

石巻→女川→石巻。


今日は移動も比較的少なく、ゆったりと過ごせました。
でも、基本的に通訳の間は大変です。

朝一で、女川の「マリンパル女川」という施設に行き、昆布巻きを製造販売されている女性社長に取材。

その後、同じく女川の「ゆめハウス」という喫茶施設を訪問。軽食のつもりが取材になり、あまり休憩できず。

最後は女川の旧校舎を活用して自主学習場(放課後学校)のような取り組みをしている「カタリバ」に取材。


一週間経ってやっと、通訳の間は濃いめのコーヒー(ミルクと砂糖入り)とウイダーinゼリーをこまめに補充するのが良いことが分かってきました。

カフェインで眠気を飛ばして、ウイダーで脳に糖分を補充。


あと、宮城に入ってから、被災地の様相の違いも如実に感じました。

福島県内は、震災を人災として捉えて、人のエネルギーの強さ(良い意味でも悪い意味でも)がとても強い。

三陸海岸に来ると、震災は津波がもたらしたもので、事実を受け止めて力強く前に進んでいる人が多い。


通訳をしていても、福島では情の強さを感じ、三陸海岸では淡々としている人が多いと感じます(あくまで相対数でですが)。

特に今日は皆さん柔和な方で、通訳も比較的エネルギーを使いませんでした。


ただ、通訳の後に必ずジャーナリストから「どう思った?」と聞かれるんですが、取材の間は通訳するのに必死で(時系列を追ったり細かいところを確認したり)、そもそもその内容を自分の中で反芻する時間がないんですよね…。仕事の後でへばっているのもありますし。


言っているうちに仕事も半分が過ぎました。明日も淡々と生きるのみです。




これらはマリンピア女川の写真。



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東北6日目(仙台)

東北7日目(牡鹿半島)

東北8日目(石巻、女川)

東北9日目(女川、石巻市北上地方)

東北10日目(石巻北上地方、陸前高田)

東北11日目(陸前高田)

東北12日目(陸前高田)

東北13日目(陸前高田・広田半島)

東北14日目(陸前高田、仙台、福島)

東北15日目(栗原、仙台)


東北7日目(牡鹿半島)

今日は一日オフ。

ただ、他の細かな仕事を抱えているのでそれをしたり、経理関連の事務仕事を行ったり、明日以降のアポ取りをしたり。

福島滞在は昨日で終わり、今日からは仙台以北を回ります。

東北に来て以来、殆どの日で曇りか雨なので、もう少し晴れ間を見てみたい。

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2015年4月15日水曜日

「チャンスの神様には前髪しかない」とはいうが

この言葉、自己啓発系の本やイベントでよく耳にしますね。他の機会でも耳にするような気がしますが、私は自己啓発系の言葉に聞こえます(それが良し悪し、ということはあまり考えないのですが、単にイメージがあるという意味で。)

私もこの言葉はある程度真実だと思っています。


ですが、その一方でこうも思います。


「チャンスの神様には前髪しかないだろうが、それでもあえてそのチャンスを逃してみる。時間が経った後で出逢えたのなら、それが「縁があった」ということだ」


と。

チャンスの神様を、絶対に逃がすまいと全力でタックルを受け止めますよね。


でも、その行動が正しかったかどうかというのは、後になってみないとわからない。チャンスの神様を捕まえたからと行って、それが次につながるかは分かりませんし、すぐにまた手放してしまわないといけなくなるかもしれません。

その一方で、ガツガツしなくても長続きする関係性もあります。別に「チャンスの神様が」なんて思ったことも当時はないし、逆に、前髪を掴もうとすることで、一生それを逃してしまうんじゃないか、と思ったことも沢山ありました。


なので、こちらに向かってくるものが自分に本当に価値のあるものなのか、意味のあるものなのか、というのは、時間が経たないと分からないのだと今は思っていますし、待つことも覚えました。


高校、大学の時は毎日会っていた友達も、卒業後は全く会わないほうが多いですし、逆に当時はあまり親しくなかった子にお世話になっていることも多いです。かならずしも、クラスや学部、サークルで一緒だったから長続きする、というわけではないのです。


本当に自分にとって必要な人なのか、必要なものなのか、ということは、時間が経たないと分からないものです。それは時間が教えてくれるものでもあります。


昭和の大棋士、大山康晴も「一度目のチャンスは見逃す」という言葉を残しています。


向こうからやってくるものがただの流れ星なのかハレー彗星なのか。そんなことを考えることも必要です。