2015年4月22日水曜日

東北13日目(陸前高田・広田半島)

4月22日の行程

陸前高田市内(広田半島)


今日は朝から、パクトのボランティアに参加。

地元の漁師さんのわかめの収穫の手伝いをしました。

もともと若者、後継者不足に悩まされていた三陸地域は震災により、更に人手不足、後継者不足に陥ってしまったようで、震災から数年が経ってもボランティアの受け入れが続いています(当初は瓦礫撤去などがメインでしたが、現在は漁業の手伝いなどがメインのようです。)

三陸海岸産のわかめはブランドとなっていて、塩蔵わかめ、生わかめ等が作られます。

今日は塩蔵わかめの製造処理の手伝いをしました。

作業環境の関係で写真は撮れませんでしたが、収穫したわかめを温水につける→冷水にひたす→漕から取り出して袋に入れる→海水+塩を入れた大型ミキサーにわかめを入れ塩分を加える、という工程の仕事でした。


ジャーナリストの取材ということで、他の作業場も見せてもらいました。

長期的にボランティアに関わっておられる方もいるようです。


陸前高田の漁師は、春にわかめ→夏にホタテ→秋に雲丹→冬にアワビ、というサイクルで種付け、収穫を行っているようです。今はまさに、わかめの収穫の最後のかきいれ時。午前9時頃に初めて、終わったのが14時前でした。


通訳をしていて思うのは、なかなかお互いが言いたいことを伝えられないというもどかしさ。ジャーナリストの質問に対して、厳密な答えが返ってこない時も多くあるのと、そもそも震災後のことは論理的に説明できることではないので、ジャーナリストの質問はなかなか答えづらいのかな、とは、今回の仕事を通して思いました。「今の仕事を始めた理由は?」って聞かれても、なんだか英語で聞いているニュアンスと日本語で聞くニュアンスは違いますし(単に個人的な感覚かもしれませんが)、日本人って大概「いろんな人に支えられたから」のように、主体性が見えにくい動機付けや理由が多いので、個人的には、ジャーナリストがある程度欲しているような答えとは違う方向で話が進んでしまっているのかな、とは思います。


まだまだ自分のアシスト不足だな、とは思いますが。


ただ根本的に、取材の時でも「客観的事実を述べる」ことはしても「主観的理由/意見」を述べない人が時々いるので、個人的にももっと後者の話を聞きたいな、とは思います。

(でも、これはイメージですが、英語だと「●●という理由で■■を選んだ」、っていうのは全員言語化している一方、日本語(日本人)は、そういう主観を言語化するのが上手くはないんじゃないかな、とは思います。いわゆる「空気」というか「なんとなく」という理由を奥底に持っていることが多いですし、他の人たちも「それなんとなく分かる/共感できる」ということが多いですよね。自分もそのあたりを言語化して聞くのがまだまだ上手ではない。今回見えた仕事の課題かなとは思います。)

東北での仕事はあと二日。自分のできなさに勝手に委縮してしまっている部分はあるけど、悔いの残らないようにやるしかない。




【関連記事はこちら】

フライト搭乗記:スカイマーク156便 神戸→仙台

東北0日目(関西→仙台)

東北1日目(福島、飯館)

東北2日目(富岡、三春)

東北3日目(帰宅困難地域周辺)

東北4日目(南相馬、棚倉)

東北5日目(山元、福島)

東北6日目(仙台)

東北7日目(牡鹿半島)

東北8日目(石巻、女川)

東北9日目(女川、石巻市北上地方)

東北10日目(石巻北上地方、陸前高田)

東北11日目(陸前高田)

東北12日目(陸前高田)

東北13日目(陸前高田・広田半島)

東北14日目(陸前高田、仙台、福島)

東北15日目(栗原、仙台)




0 件のコメント:

コメントを投稿