2015年7月31日金曜日

言葉の貫通力

「言葉の貫通力」という言葉を先日耳にして、「そういう考え方って面白いな」と思いました。


恐らく私が考えている「言葉には力が宿る」ということの、言い換えなのではないかと思っているのですが、


確かに文章を読んでいて、心が動かされる、読み入ってしまう、泣いてしまう、というケースがあります。


文章っていうのはなにも、小説だけではなくって、論説文だったり、新聞記事だったり、ブログも含まれています。


では、どういう言葉に貫通力があるのか?と聞かれれば、一つには「実体験に基づくかどうか」が挙げられます。


読んでいて、「これはこの人が経験したことではないな」と思う時は結構あります。

そして、書き手の経験と読み手の経験が一致するか。「あー、それ分かる!」という気持ちになったことは誰てもあると思いますが、それってほかでもない、書き手が伝えたいことが、読み手の心にかかるから、なんですよね。

で、そういうリンクは、実体験が伴っていないとできません。


そういう意味では、そこまで貫通力のある言葉を使っている人、貫通力のある文章を書ける人って、そんなに多く接してきたことはなかったな、と振り返ってみて思うのです。

なぜか最近、後輩の就職活動の書類を見て欲しい、という依頼と何回か頂くので目を通すんですが、読んでいて他の全てを忘れてしまった、という文章には会ったことなかったんですね。

採用担当者だと、もう何万通ものメールや書類に目を通してきているので、ものすごく貫通力のある文章にも出会っているとは思うのですが、


もし私がそういう立場になると、文章を読むのがつまらなくなってしまいそうで怖いな、と思いました。



で、結局貫通力を持たせるには、自分自身がいろんな(そして強烈な)体験をしないといけなんだと思います。

あまり経験しない方がいいとは思うのですが、失恋とか、リストラとか、大切な人をなくしてしまう、とか、仕事でとんでもない失敗をしてしまうとか。


それか、映画や漫画、小説を読む。



こういうことを重ねて、「自分の心が動かされる」体験をする必要があるのではないでしょうか。


自分の心が動かされると、翻って「他人の心はどんな時に動かされるのか?」ということも考えると思いますし、そのあたりに本質が埋まっているような気がします。


話を聞いていて思いますが、ポジショントークをしている人の話は全く面白くありません。肩書では人の心を、根底から揺さぶることはできないのではないからなのかもしれません。

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