2015年7月24日金曜日

長い時間をかけたからといって、必ずしも良いものが生まれるわけではない

画家や作家の話を聞くと、「作品のアイデアを出すのに時間がかかって、製作そのものに時間はさほどかからない」と言われる時がありますが、


どんな仕事にしても、かけた時間とその成果が正比例することは、まずないと思っています。


ここでの「かけた時間」というのは、アイデア出しや下調べに関する時間を除いた、「実際に手を動かす時間」とでもいいましょうか、


小説家で言うと、文章を実際に書いている時間。

美術家だと、筆でキャンバスに描いている時間。

営業だと、取引先に提案、取引先と交渉をしている時間になるんでしょうか。


自分は絵がうまくないのでなんともいえないのですが、中学生の頃の美術の時間に絵をかいていた時も、最初に書いたものが一番ましで、そこにいろいろと手を加えると、一層「微妙」になってしまったことが多々ありました。


今の仕事をしていても思いますが、翻訳って、何度も同じ文章を見直して、推敲を重ねる、っていうことは、自分の場合ほとんどありません。絵本や小説の翻訳だとそういうケースもあるのでしょうが、自分の場合は納期や一日の処理量との兼ね合いがあるので、なるべく「最初の一回で訳は決める」ようにしています。


他の人ってどうなんでしょうか。


こういうこともあって意識しているのは、何事においても「かける(費やす)時間が長いことが、いいわけではない」ということです。


仕事で言うと、成果にこだわる(むしろ、できるだけ短い時間で成果を出す)。

人間関係とかも同じだと思うんですけど、かけた時間、関わった時間が長いことと、良好な関係が築けることっていうのは、必ずしも正比例しないと思うんですね。(自分はそもそも、長時間人と関わるのができない人間なので、そういうことに意味を見いだせず、無理になってしまうタイプです)。


恐らく自分は、「できるだけ短時間で中身の濃いことをしたい」ということにものすごく価値を見出しているのだと思います。密度の濃さというか。

そのあたりの考えの違いで、人との相性も決まってくるのでしょうね。



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