「世界(日本)のルールが変わって、今手元にあるお金の価値がなくなってしまったら、どうなるんですか?」
という話を、何度か友人としたことがあります。いわゆる「思考実験」みたいなものですけれど。
もしくは、「いくらお金を持っていても、税金が取られるだけだし、持っていてもと何かと不便だね」という話も聞きます。
こういう考え方が、嫌いなわけではありません。確かに、お金を手にしたが故に身を滅ぼしてしまった(とまではいかないまでも、苦しさを背負ってしまった)人を周りで何人も見てきましたし、今のギリシャの動向を見ていると、借金まみれのこの国だって、いつ自分の銀行からお金が引き出せなくなるかなんて、分かりませんし、ある意味恐怖ですらあります。
ただし、です。
最近思うようになったのは、特に今回のギリシャのような事態を見ている時に世間で言われる「あんな状態になるんだったら、お金を稼ぐ意味もないし、持っている意味もない。」というような意見には、どうも素直に首を縦に振れるわけではない、ということです。
一体お金とは、何なのか?という、本質的な話を、上の議論ではできていないのではないかと思うのです。
●お金の本質とは?
お金の話をしたとたんに、耳をそむけてしまう方もおられるのですが、そういう方は今回の記事は読んでいただかなくて構いません。ただ、自分で仕事をしている人は好きでも好きでなくても、お金と向き合うことは避けては通れないので、興味がある方は是非ご一読ください。その上で反論や意見などあれば、ブログのコメント欄にお願いします。
自分が思うに、お金とは「何かとの交換手段」です。
今回は、「自分がお金を手に入れる」ということを土台にしたいので、例えば仕事の場合だと、おおまかにいうと「自分が顧客(会社)に提供した対価として、お金(報酬や給料)を頂く」というのが、一般的な仕組みであり考え方になるかと思います。
アルバイトや会社員だと、この考え方がどうしても「自分が費やした時間(時給、月給)」に対する「得たもの(お金)」となってしまいがちなのですが、平たく言うと、社長や経営者には「これだけのお金を払うから、これだけの成果を残してね」という思いがありますし、「自分が提供する(できる)価値」を考えるほうが、頭を使うことになるので、良いかと思います。
ここで考えて欲しいのですが、果たして皆さんが手にする「報酬」は、「お金」の形でしか手元に来ないのでしょうか?
例えば、飲食店のホールやキッチンでアルバイトをしていると、賄いを用意してくれるところもあります。
外国人旅行客がやってくる安宿で仕事する場合、「お金は払えないけどタダで寝泊まり、食事ができます」という条件も、あります。(それでも「無給」っていうのは、どうかとは個人的には思いますが…)
他のケースが思いつかないのでこれくらいにしますが、仕事の「対価」として得るものは、何も「お金」だけではありません。
これはやや型破りな話になるかもしれませんが、例えば、仕事の交渉をする時に「この案件で○○円頂きます」というだけじゃなくて、「3ヶ月分の食事を提供してもらいたい」とか「住むところを無料で使わせてほしい」というような提案(交渉)は、(仕事の内容にもよりますが)論理的には可能でしょう。お金は月15万円でいいから、ご飯と寝床を無料で使わせてほしい、という交渉も、できなくはないと思います。
で、この考え方がベースにあると、(急に話を飛躍させてしまう感が否めませんが)「お金がなくても生きていける」というのは、実現不可能ではない筈です。
自分で農業をしつつ、家を作りつつ、近所の掃除をして差し入れをもらって…、と、これだけではさすがに心もとないですが(笑)、「お金以外のものを交換手段として用いる」ことを徹底的に実現できれば、「お金が価値を失っても生きて行けるよね」という考え方は可能です(実際にどこまでできるのか、自分もやったことがないので分かりません)。
で、です。
ここまでの話なら、別の方もされていると思います。本にでも書いていると思います。
私がここで言いたいのは、「実業家も、お金は手段でしかないと考えている」ということなんです。
これは実際にインタビューをして聞いたわけではないので、あくまで想像なのですが(苦笑)、
常人の何万倍も稼いでいる実業家は、恐らくお金の本質に気付いているでしょう。
それはさっきも言ったように、「お金とは交換手段でしかない」ということであって、もっというと、大事なのは「自分がどんな価値を提供しているのか」ということです。
ここが、「お金しか見ていない(考えることができない)人」との、一番の違いではないでしょうか。
本当に稼いでいる人は、一番大事なことは「自分が何を提供できているのか(どんな価値を提供できているのか)」ということであって、その結果として(それと交換して)お金を手に入れているにすぎない、という認識を持っているはずです。
そういう本質に気付いている人は、恐らく「価値の本質」「人を動かす本質」「仕事の本質」のような部分も気づいているので、異業種に移っても結果を出せるのではないかと思っています。だって、人が何に価値を見出すのか、どんな時に心を動かすのか、という世の中の根っこは同じだから。
だから、ブログの表題に戻るのですが、本物の実業家(だけでなく、いろんな方法、形で仕事をしている人)は、たとえハイパーインフレになってお金の価値がなくなっても、国が破たんして銀行からお金を引き出せなくなっても、それで死ぬことはないと思います。なぜなら「人が何を求めているか」「どんな価値を提供すべきか」という部分にフォーカスを当てるからです。
逆に、そんな状況にならないと「本物」と「まがい物」の区別はできないのかもしれません。
なので、本質に気付いて価値を提供している人は、莫大な儲け(資産)を手に入れていると思うのですが、その人自身はお金に対する執着を持っていないので(大事なのはそこじゃないと気付いているから)、貧乏な人を貶めることもないでしょうし、自分にコンプレックスを持つことも、反対に見栄を張ろうとすることもないはずです。
そういう部分に気付いたら、「いくらお金を持っていても、税金が取られるだけだし、持っていてもと何かと不便だね」なんていう話は不毛であることに気付けるはずです。
という話を、何度か友人としたことがあります。いわゆる「思考実験」みたいなものですけれど。
もしくは、「いくらお金を持っていても、税金が取られるだけだし、持っていてもと何かと不便だね」という話も聞きます。
こういう考え方が、嫌いなわけではありません。確かに、お金を手にしたが故に身を滅ぼしてしまった(とまではいかないまでも、苦しさを背負ってしまった)人を周りで何人も見てきましたし、今のギリシャの動向を見ていると、借金まみれのこの国だって、いつ自分の銀行からお金が引き出せなくなるかなんて、分かりませんし、ある意味恐怖ですらあります。
ただし、です。
最近思うようになったのは、特に今回のギリシャのような事態を見ている時に世間で言われる「あんな状態になるんだったら、お金を稼ぐ意味もないし、持っている意味もない。」というような意見には、どうも素直に首を縦に振れるわけではない、ということです。
一体お金とは、何なのか?という、本質的な話を、上の議論ではできていないのではないかと思うのです。
●お金の本質とは?
お金の話をしたとたんに、耳をそむけてしまう方もおられるのですが、そういう方は今回の記事は読んでいただかなくて構いません。ただ、自分で仕事をしている人は好きでも好きでなくても、お金と向き合うことは避けては通れないので、興味がある方は是非ご一読ください。その上で反論や意見などあれば、ブログのコメント欄にお願いします。
自分が思うに、お金とは「何かとの交換手段」です。
今回は、「自分がお金を手に入れる」ということを土台にしたいので、例えば仕事の場合だと、おおまかにいうと「自分が顧客(会社)に提供した対価として、お金(報酬や給料)を頂く」というのが、一般的な仕組みであり考え方になるかと思います。
アルバイトや会社員だと、この考え方がどうしても「自分が費やした時間(時給、月給)」に対する「得たもの(お金)」となってしまいがちなのですが、平たく言うと、社長や経営者には「これだけのお金を払うから、これだけの成果を残してね」という思いがありますし、「自分が提供する(できる)価値」を考えるほうが、頭を使うことになるので、良いかと思います。
ここで考えて欲しいのですが、果たして皆さんが手にする「報酬」は、「お金」の形でしか手元に来ないのでしょうか?
例えば、飲食店のホールやキッチンでアルバイトをしていると、賄いを用意してくれるところもあります。
外国人旅行客がやってくる安宿で仕事する場合、「お金は払えないけどタダで寝泊まり、食事ができます」という条件も、あります。(それでも「無給」っていうのは、どうかとは個人的には思いますが…)
他のケースが思いつかないのでこれくらいにしますが、仕事の「対価」として得るものは、何も「お金」だけではありません。
これはやや型破りな話になるかもしれませんが、例えば、仕事の交渉をする時に「この案件で○○円頂きます」というだけじゃなくて、「3ヶ月分の食事を提供してもらいたい」とか「住むところを無料で使わせてほしい」というような提案(交渉)は、(仕事の内容にもよりますが)論理的には可能でしょう。お金は月15万円でいいから、ご飯と寝床を無料で使わせてほしい、という交渉も、できなくはないと思います。
で、この考え方がベースにあると、(急に話を飛躍させてしまう感が否めませんが)「お金がなくても生きていける」というのは、実現不可能ではない筈です。
自分で農業をしつつ、家を作りつつ、近所の掃除をして差し入れをもらって…、と、これだけではさすがに心もとないですが(笑)、「お金以外のものを交換手段として用いる」ことを徹底的に実現できれば、「お金が価値を失っても生きて行けるよね」という考え方は可能です(実際にどこまでできるのか、自分もやったことがないので分かりません)。
で、です。
ここまでの話なら、別の方もされていると思います。本にでも書いていると思います。
私がここで言いたいのは、「実業家も、お金は手段でしかないと考えている」ということなんです。
これは実際にインタビューをして聞いたわけではないので、あくまで想像なのですが(苦笑)、
常人の何万倍も稼いでいる実業家は、恐らくお金の本質に気付いているでしょう。
それはさっきも言ったように、「お金とは交換手段でしかない」ということであって、もっというと、大事なのは「自分がどんな価値を提供しているのか」ということです。
ここが、「お金しか見ていない(考えることができない)人」との、一番の違いではないでしょうか。
本当に稼いでいる人は、一番大事なことは「自分が何を提供できているのか(どんな価値を提供できているのか)」ということであって、その結果として(それと交換して)お金を手に入れているにすぎない、という認識を持っているはずです。
そういう本質に気付いている人は、恐らく「価値の本質」「人を動かす本質」「仕事の本質」のような部分も気づいているので、異業種に移っても結果を出せるのではないかと思っています。だって、人が何に価値を見出すのか、どんな時に心を動かすのか、という世の中の根っこは同じだから。
だから、ブログの表題に戻るのですが、本物の実業家(だけでなく、いろんな方法、形で仕事をしている人)は、たとえハイパーインフレになってお金の価値がなくなっても、国が破たんして銀行からお金を引き出せなくなっても、それで死ぬことはないと思います。なぜなら「人が何を求めているか」「どんな価値を提供すべきか」という部分にフォーカスを当てるからです。
逆に、そんな状況にならないと「本物」と「まがい物」の区別はできないのかもしれません。
なので、本質に気付いて価値を提供している人は、莫大な儲け(資産)を手に入れていると思うのですが、その人自身はお金に対する執着を持っていないので(大事なのはそこじゃないと気付いているから)、貧乏な人を貶めることもないでしょうし、自分にコンプレックスを持つことも、反対に見栄を張ろうとすることもないはずです。
そういう部分に気付いたら、「いくらお金を持っていても、税金が取られるだけだし、持っていてもと何かと不便だね」なんていう話は不毛であることに気付けるはずです。
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