とある実業家の話を聞いていたときに、「株やFXは絶対にしてこなかった」という件があったんですが、
その理由は「自分の外にあるものに価値を求めてしまうから」
なんだそうです。
株やFX、宝くじ。
これらのものは、「自分で生み出した価値」ではないんだそうですね。
だから、こういうので「金儲け」をした人は、多くの場合その後更に大きな額の借金をしたり、悲惨なことになっているようです。
この「自分の中にある価値」っていう考え方、とても本質的だと思います。
同時に、これをきちんと考えられていない人も多い。
「自分の中にある価値」ってなんなのか?
逆に、「自分の外にある価値?」ってなんなのか?
ってことなんですけど、
「中にある価値」っていうのは、純粋にその人が生み出せる価値、その人の内面にあるものですよね。
まあ、あまり説明になっていないのは分かっていますが、
例えば、「あの人だから仕事を頼もう」っていうのは、紛れもなく「中にある価値」を見てもらっています。
「外にある価値」っていうのは、要するに自分以外のものに宿っている価値です。
それは、相手(第二者)であっても、他人(第三者)であっても同じ。
簡単な例を言うと、
恋愛とか結婚で、相手に何を求めるのか、って話になったときに、「容姿」とか「思いやり」とか「考え方」っていうのは、紛れもなく「中にある価値」です。
で、「年収」とか「肩書き」、「仕事内容」っていうのは、「外にある価値」ですよね。
こういう風に考えると、何気ない話で、その人が「何に価値を見いだしているのか?」ってことは簡単に分かったりします。
仕事で言うと、「●●さんだから」頼む(どちらかといえばフリーランスや経営者どうしの話で多い)のは、「中にある価値」を見いだしていて、「●●会社の■■さんだから」頼むのは、「外にある価値」になってしまいますね。
ただ、実際のところ「中にある価値」なんてあんまりなくって、その人の考え方や行動など、数値化できなかったり簡単に説明できない部分が「価値」になってくるわけです。
人自体を「コンテンツ」だと思うと、その人が経験してきたことは、(他人は価値を見いださないかもしれないけど)その人自身の中に存在する価値です。
会社で考えるとわかりやすいかもしれないですね。
スキルの高いデザイナーやプログラマーが、自営で仕事をすると、それは「その人の価値」になります。
その人がどこかで勤めると、その人自身の価値もありますが、それとは別に、そういう人を抱えている会社が持っている「価値」(資産)にもなるわけです。
で、
自分のスキルや経験が「中の価値」として存在すればよいのですが(というか、誰でもそういうものは持っているはずなのですが)、会社で勤めていると、「外の価値」を「中の価値」と勘違いしてしまうことが発生してしまうわけです。
大企業で長いこと勤めた人がリストラに遭って再就職が厳しくなる(年収が下がる)っていうのは、その典型例ですね。
もしくは、相手の肩書きや収入でパートナーを選ぶ(選ばれる)と、それを「中の価値」と勘違いすることにもなってしまう。
難しいものです。
今一度、「自分の中にある価値はなんなのか?」ということを、1人1人見つめ直すことが必要なんじゃないでしょうか。
【参考記事】
価値ですら、一種の共同幻想である
本質的な価値の話
その理由は「自分の外にあるものに価値を求めてしまうから」
なんだそうです。
株やFX、宝くじ。
これらのものは、「自分で生み出した価値」ではないんだそうですね。
だから、こういうので「金儲け」をした人は、多くの場合その後更に大きな額の借金をしたり、悲惨なことになっているようです。
この「自分の中にある価値」っていう考え方、とても本質的だと思います。
同時に、これをきちんと考えられていない人も多い。
「自分の中にある価値」ってなんなのか?
逆に、「自分の外にある価値?」ってなんなのか?
ってことなんですけど、
「中にある価値」っていうのは、純粋にその人が生み出せる価値、その人の内面にあるものですよね。
まあ、あまり説明になっていないのは分かっていますが、
例えば、「あの人だから仕事を頼もう」っていうのは、紛れもなく「中にある価値」を見てもらっています。
「外にある価値」っていうのは、要するに自分以外のものに宿っている価値です。
それは、相手(第二者)であっても、他人(第三者)であっても同じ。
簡単な例を言うと、
恋愛とか結婚で、相手に何を求めるのか、って話になったときに、「容姿」とか「思いやり」とか「考え方」っていうのは、紛れもなく「中にある価値」です。
で、「年収」とか「肩書き」、「仕事内容」っていうのは、「外にある価値」ですよね。
こういう風に考えると、何気ない話で、その人が「何に価値を見いだしているのか?」ってことは簡単に分かったりします。
仕事で言うと、「●●さんだから」頼む(どちらかといえばフリーランスや経営者どうしの話で多い)のは、「中にある価値」を見いだしていて、「●●会社の■■さんだから」頼むのは、「外にある価値」になってしまいますね。
ただ、実際のところ「中にある価値」なんてあんまりなくって、その人の考え方や行動など、数値化できなかったり簡単に説明できない部分が「価値」になってくるわけです。
人自体を「コンテンツ」だと思うと、その人が経験してきたことは、(他人は価値を見いださないかもしれないけど)その人自身の中に存在する価値です。
会社で考えるとわかりやすいかもしれないですね。
スキルの高いデザイナーやプログラマーが、自営で仕事をすると、それは「その人の価値」になります。
その人がどこかで勤めると、その人自身の価値もありますが、それとは別に、そういう人を抱えている会社が持っている「価値」(資産)にもなるわけです。
で、
自分のスキルや経験が「中の価値」として存在すればよいのですが(というか、誰でもそういうものは持っているはずなのですが)、会社で勤めていると、「外の価値」を「中の価値」と勘違いしてしまうことが発生してしまうわけです。
大企業で長いこと勤めた人がリストラに遭って再就職が厳しくなる(年収が下がる)っていうのは、その典型例ですね。
もしくは、相手の肩書きや収入でパートナーを選ぶ(選ばれる)と、それを「中の価値」と勘違いすることにもなってしまう。
難しいものです。
今一度、「自分の中にある価値はなんなのか?」ということを、1人1人見つめ直すことが必要なんじゃないでしょうか。
【参考記事】
価値ですら、一種の共同幻想である
本質的な価値の話
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