2015年9月16日水曜日

仕事に対する誇り

まだ会社員だった頃、仕事を始めたばかりの時に上司に「自分が持っているプライドなんて捨てろ」って言われたんですけどね、

(ちなみに、この上司は今思い返してもそれはもう、ひどいハラスメントをしてきたので、またブログにでも書こうと思います)



どうなんですかね。


自分が持っているプライド(誇り)って、仕事をするときに捨てないといけないと思います?


あまりにも人間的にも仕事人的にも尊敬できない上司だったので(笑)、この言葉がどういう意図で言われたのかすら覚えていないんですが、


今仕事をしていて思うのは、誇りを持たずに仕事をするなんて到底できない、っていうことです。

(ちなみに自分は、「プライド」と「誇り」は別の意味を持つ言葉として使っています。「プライド」は、奢りみたいなニュアンスが自分にはあるんですね。誇りはよくある、「この賞をいただいて誇りに思います」とかで使う時のニュアンスです)

当時、自分はプライドがあったのかどうかはよく分からないんですが、もともと「長生きしているだけで年上の人を敬う」ことができない(その人が残してきた成果、結果、あとはその人の心の持ちよう、哲学とかで判断します)のもありましたし、自分なりの方法である程度の営業成績も残していましたから、正直言って、癪に障った部分はありました(まあ、こういうことを各時点で絶対にプライドありますけど笑)。


自分の場合、人に価値を提供して、それを見いだしてくれる相手がいて取引(仕事)ができるのは大変うれしいですし、まだまだ精進しなければ、と思うことが常にあります。お金は大事ですけどそれが全てではないですし、何より、自分を必要としてくれる人がいるのは嬉しいことですから、そりゃ誇りに思っていますよ、自分の仕事。

それに、今の仕事に対してプライドもあります。「ここまでやっているヤツは他におらんだろう」と。あ、収入の話じゃなくって、仕事に対する取り組みが自分ほどの人はそうそういないだろう、ってことです。まあ、これを「プライド」というのが正しいかも、よく考えないといけないんですが。


だから、というか、絶対、自分の仕事に対してプライドとか誇りはもって置いた方がいいと思います、というより、仕事を続けていれば自然とそういうものは持つようになってくると思うんですよね。

もちろん、あまりに自分のことを可愛がりすぎて盲目的になるのはいけませんが、誇りとかプライドを持たないで仕事をする、はたまた生きていく、っていうのは、フラフラ流されて終わりの人生にしかならないし、そもそも自分が費やしている時間に対して愛着を持てないことに変わりないので、すごく無駄なことだと思います。






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