2014年8月11日月曜日

口約束をどれだけ果たすかが、今後とても大事になります。

最近感じることは、「人って口約束が多いなあ」と言うことです。

仕事でも「今度よろしくお願いします」ですとか「検討させて頂きます」という文言をずらりと並べられて、結局は発注はされないというオチが90%以上の確立で起こることは最近知りましたが、プライベートでも、「またお話ししたいです!」「お茶しましょう!」という声をかけてもらうことこそあれ、それが実現したことは恐らく5回に1回あるかどうかです。


果たしてこれらの文言が、本音か建前かは私には分かりません。私はもともと建前を連ねることが大のニガテなので、口にすることはほとんどが本音です(深謀遠慮の嘘や方便は、何度か使ったことがあります)。今まではてっきり、相手も同じように言葉を口にしているとずっと思っていましたが、どうやらそうではないらしい。恐らく世間では、私の思っている以上に建前でごまかしをすることが多いようです。

ただ、それはとても残念なことでもあります。声をかけてくれるということは、仕事でもプライベートでも「自分のことをどれだけ気にかけてくれているか」ということを測る指標の一つになるわけですから、口先だけで結局行動に移さない人は(どんな理由があれ)「ああ、その程度の人間なんだな」と思わざるを得ません。


で、私はどうしているかといいますと、「口約束はできるだけ果たす」ようにしています。していますが、なかなか果たせないこともあるわけでして、これは難しいことでもあるのですが。

例えば、私が関西に住んでいて、ある友達が東京にいるとします。その子の誕生日にメールをして、近況報告のしあいになり、「今度お茶しよう!」という話になったとします。その子はなかなか関西に来ることがないから、私の方から「東京は遠くないうちに行くと思うから、その時に連絡するわ」と、含みを持たしてメールをその時は終えたとします。

で、この後どうするかというと、次に東京に行った時は必ずその子と会う予定を作ります。仕事で行くことになれば、その次に大事な予定にして、万難を排して予定を組み込みます。それくらいに「口約束を果たす」ことにはこだわっています。実際に、東京だけでなく、世界各地にいる友達には、その地に足を運ぶ機会があればコンタクトを取って、会えるかどうかを聞いてみる。そして、その地に赴く時はお茶でも食事でもお酒でも、何らかの機会を作って会うことにします。もはや自分の性といっても良いかもしれません。


なぜここまで、「口約束を果たすこと」にこだわっているかといえば、それはやはり、自分が作った約束だからです。私はいろんな人に借りを作っていますし、彼ら彼女らの存在なしには生きて来れませんでしたし、直接会うことで新しい何かが生まれるかもしれません。あと、口先だけで「会いたい」などと言っておきながら、それすら果たせないかっこ悪い人間にはなりたくもありません。私は、人から声をかけてもらうとやはり嬉しいですし(これは人間共通の感覚でしょう)、ただ「自分が嬉しいと思うことを人にし」ているだけなのかもしれません。

だって、声をかけてもらう、興味を持ってもらうことは本当に嬉しいことですからね。自分のことを気にかけてくれる人がいるように、自分もいろんな人のことを自然に気にかけるようになりました。


なんだか今は、誰もが「自分が、自分が」となっている世の中ですが、こんな世界だからこそ、自分ではなく相手のことを考えるだけで、他の人とは差異が生まれるわけです。仕事でも「相手のことを第一に考えなさい」と言われますが、これは仕事以外の場面でもあてはまりますし、この「当たり前のこと」をしていない人は思った以上に多いです。Facebookの書き込みなどを見ていると、余計にそう思います。(それだけ、自分のことをアピールしないと振り向いてもらえない時代になったのであれば、それはそれで寂しいことですね)。
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私はこれからも、口約束を果たして、果たすために生きていくでしょう。自分に嘘をついていないか、他人に嘘をついていないか。他人を期待させておいて地に落とすのは、たとえ私がされたとしても、私は絶対に相手に対してしたくありません。それが結局は、その人の人となりを作っていくことになると思います。

これからも自分のスジを通して、私は生きていきます。それほどに私は、人に支えられて、また人が好きなのです。

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