2014年8月15日金曜日

生きることは、一人称単純現在です。

知らず知らずのうちに、あるがままの姿に余計な意味を付け加えてしまっている時はありませんか?

私たちの口癖はえてして「〜があれば」「〜したい」「〜だったらよかったのに」「〜できれば」などであることが多いようです。英語で言えばifやwant、canなどの条件節や助動詞がくっついていることになります。



ですが、こんなことを嘆いても何も始まりません。私たちが立っている、向き合っている世界というのは紛れもない「〜がない」「〜できない」「〜ではなかった」という、現実世界なのです。できない理由は様々あるでしょうが、大の大人がそれをいつまでも追い求めることは、傍目にはみっともなくも見えてしまいます。


余計なものが周りにくっついてしまうと、本質に近づくことは難しくなります。ものの見方を変えれば良い方向に向けるのに、それすらできなくなってしまう時もあるのですから。


「人生は楽しまないと損」と言う人がいます。「人生は楽しんだもの勝ち」だと言う人もいます。ですが、これは本来の姿なのでしょうか?あるがままの世界を見て「人生は楽しい」と気づけないのであれば、それは心が死んでいる証拠かもしれません。「人生は楽しまないと損」「人生は楽しんだもの勝ち」という言葉の裏側にある精神世界はどんなものか?


生きるということは、他でもない一人称単純現在なのです。そこに仮定法や条件節、人称の変化や余計な助動詞の付加はありません。現在進行形でも、過去形でも未来系でも完了形でもありません。


生きることは、一人称単純現在です。

2 件のコメント:

  1. 人生は楽しんだ者勝ち・の意味は大多数の日本人は他人の目や村社会の秩序が○と×の判断基準になっていることの否定なんです。 つまり藪内さんがこの投稿で言っていることと同じです。

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  2. okn様
    コメントありがとうございます。人生は楽しんだもの勝ち、にはそういう意味があったんですね。
    ただ、個人的に気になるのが、「勝ち」を使ってしまうと、裏にある「負け」が自然と出てくるということでして、私は、この言葉を使うこと自体がまた、○×判断になってしまうのではないか、と懸念しているのです。なので、私はできるだけ「勝ち」という表現はこの場合には使わないようにしています。

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