2015年8月10日月曜日

価値ですら、一種の共同幻想である

いつも、そこそこいい値段のする美容室(メンズ専用サロン)に行って、髪を整えてもらっているのですが、


1000円理髪店に行かれている人にとっては、「髪切るのにそんなお金払えない!」と思われると思っています。

しかも、大学時代にお世話になったところで、引っ越した後も使い続けているという(笑)


なので、髪切りに行くだけで片道2時間くらいかけていて、交通費もかかるわけで、結構なお金を飛ばしています。


でも逆に、私にとっては「1000円で切るなんて信じられない!」という感想に至ります。

何度かそういうところを使ったことがあるんですが、自分は納得いかなかったんですね。

今お世話になっているところは、サービスも付加価値も満足いくものなので、そういうのもひっくるめて、お金を払う価値があるかどうかを判断しているわけですが、


こう考えていくと、何かに見出す「価値」ですらも、ある種の共同幻想でしかないと思ってしまいます。


貨幣も国家も共同幻想だと、私は思っていますが、

最近考えている「価値」ですら、共同幻想であると。


というのも、自分は1000円カットに価値は見いだせないけれど、1000円カットを使っている方には、髪を切るためだけにほぼ半日を使うことになんて、価値を見いだせないからです。


あと私は、鉄道や飛行機に乗って移動をするのが好きなのですが、


車やバイクを運転することには、これっぽっちの価値を見いだせない人間です。


逆に、そういうことが好きな人は、私のような属性の人間が考えていることには価値を見いだせないでしょう。


でも、それっていたって普通のことなので、別に気にしなくてもいいんです。


そしてここで大事なのは、「何か似ていることに価値を見出し合う人がいる」ということです。


1000円カットに価値を見出さない人ばかりだと、1000円カットは成り立ちません。

自分は風俗などに関心がなく、なんであんなものがあるんだろうとは思いますが、実際に必要としている人が多くいるので、存在しているわけです。


LCCができても、新幹線での移動の方が、大手の飛行機での移動の方が良い、という人もいるでしょう。


大事なのは、「何かに価値を見出し合う人がいれば、その中で交換が起こること」だということです。


それが商いであったり経済の原点です。


翻って、「自分は何に価値を見出すのか」「自分はどんな価値を提供できるのか」ということから考えるのが大事。


もっというと、仕事の「相場」なんて存在せず、「それっぽいもの」はありますけど、お互いに価値を見出す内容を交換すれば、それで取引が成立するのです。だから、クラウドソーシングで値崩れが起こることもある一方で、付加価値の高い仕事をしている人は買い叩きに合わない(合いづらい)。


結局、仕事であったり経済であったり、というのは、似たような価値観を持った人との交換作業であることを認識する必要があるのではないでしょうか。


そんなことすら考えずに仕事をしていると思うと…ぞっとしますね。




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