2015年8月28日金曜日

テレビゲームよりも有害な物

ここ数年、めっきりテレビを見なくなった。


時々NHKのインタビュー番組やスーパープレゼンテーション、語学番組は録画して見るけれど、バラエティ番組はもう全然見ていない。



なんといっても、内容が下らない。


よくこんなもの、数時間もかけて見ていられるな、と吐き捨てたくなるほど、実に下らない。


出てくるのは毎回同じメンツだし、テレビによっては裏方が出演者をイジメているような番組もあって(どことは言わないけど)、まあ、くだらない世の中をそのまま反映しているというか、縮図になっている、というか、とにかく、よくこんなくだらないことをしてお金が動いているな、と、呆れ返るようにしかならなくなった。


もちろん、全ての番組がそういう状態になっているわけではない。


ただ、おしなべて、テレビを見るのに時間を使うのはもったいない、と思うようになってしまった。



自分は結構、周りの環境に影響を受ける人間だと分かっているので、意図的にそういう「悪い影響」を及ぼしそうなものとは、関わりを経っている。


言葉づかいがすごく汚い芸人もいれば、平気で他人を叩くような人もいて(この辺りは、人によって許容度も異なると思うが、自分は無理)、普段学校とか職場でもこんなことってあるのに、そんな追体験をテレビを見てまでする人たちって、何を考えているのかな、とまで思うことすらある。


(あと、ドラマも元から全く見ないけど、これは単純に、ドラマ見ているより生の人生の方が楽しいから、というのが理由である。)



ところで、一般的にテレビゲームはしないほうがいい、と言われている。

勉強をする時間が取られるし、いつまでもしてしまうし、目が悪くなるし(これには個人差があるのだろうけど)…、といった理由が、多くの家庭で使われていると思う。

ただ、最近思うのは、テレビゲームってテレビを見るより実は有益なんじゃないか、ということだ。

これも個人差があるからなんともいけないけれど、例えばRPGだと、物事をクリアしていく達成感が味わえるし、瞬時の判断力も必要とされるし、何よりも「時間を忘れて没頭できる」というのが、かけがえのない財産になると思うのだ。


勉強よりゲームの方が楽しい、という子供も沢山いると思うけれど、これはやっぱり、達成感を味わえる、とか、レベルが上がっていく、とか、なにかしら「没頭できる」要素があるからだと思う。


で、将来的にこの、「テレビゲームに没頭する」経験というのは、大切になるんじゃないかと思っている。


というのも、人間はそもそも「何かに夢中になるのが好き」なんだけれども、夢中になる方法を知らない場合が多いからだ。そして歳を取っていくとなんとなく、「何かに夢中になるってかっこ悪いことだ」なんて、思ってしまうことすらある。


でも、本当は私たちは、何かに夢中になっていたい生き物だし、何か夢中になるものを見つけたい生き物なのだ。


そういう時に、(これはなかなか難しいかもしれないけれど)「ゲームに夢中になる」という経験を小さい頃にやっていれば、その時のことを身体が覚えていて、別のものにも夢中になれるんじゃないか、と思うのである。

だから極論、ゲームに夢中になった子は、受験勉強だってお茶の子さいさいでクリアできると思う。ただ、「勉強はつまらないよね」と、周りの大人が暗に示してしまっているのだ。(これは話がそれるけれど、そういう意味では僕たち大人は暗に「仕事ってつまらないし大変だよね」というオーラを出してしまっているのだ、そして子供なんて感受性豊かだから、そんな微妙な機微をきちんと微妙なまま、感じ取る。)


そういう意味でゲームは、良くできていると思う。

だって、楽しい要素ばかりが詰まっているのだから。


だから、こういうゲームをそれこそ夢中になって開発した人たち(先日他界した、任天堂の岩田さんとか)や、自分の好きな研究に没頭してノーベル賞をもらった研究者とか、ああいう人は子供の鑑になってしかるべきなんじゃないか。


そういう人達がもっと、子供の周りの見える位置にいるべきだと思いますよ。



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