2014年5月19日月曜日

他力本願と思考停止

最近気になるのは、日本人は「自分ではどうにもならない」と考えるのが好きで、得意だということです。

私もよく使うのですが、「縁がなかった」という言葉が日本語にはあります。(逆に「縁がある」という言葉もあります。)


この言葉は、とても日本的な考え方が反映されている言葉だと言えるでしょう。日本語は「する」文化ではなく「なる」文化である、と私は考えていますが、「自分の力ではどうしようもできない」という、半ば諦めのような考え方が私たちの思考の半分くらいを占めているのではないでしょうか。



私は、この考え方自体は悪いものだとは考えてはいません。日本では昔から台風や洪水、地震等、自然災害と上手に付き合ってくることが多いです。その中で輪中といった生活方法も編み出された訳ですが、自然の力というのはえてして人間では到底敵わない、という私たちの無力さをまざまざと伝えてくれるものでもあります。このような歴史がある中で、「自然への畏敬」が培われ私たちの心の奥底に存在していることは、現代社会に蔓延っている人間中心主義の対をなすものであり、このような考え方そのものは、これからも心の片隅に置いておかないといけないものであると思います。


ですがその一方で、何事に対しても「縁がなかった」「頑張ったけど報われなかった」という考え方を適用してしまうのは、逆に危険なことでもあるといえます。なぜなら、私たちの力ではどうしようもできないことがある一方で、自ら情報収集をして頭を使って考え解決策・対策を編み出すことで、ある程度クリアできてしまう問題も世の中には多数存在するからです。受験や英検・TOEIC等(他には各種国家試験等)の、知識や思考力を問う試験問題であれば、これまでの問題を解くことや対策を勉強することで、合格率(達成率)を高めることは絶対に可能なはずです。


考えるべきは、対象となる物事が、自分が何らかの行動を起こすことで成功確率を高めることができることなのかどうかということです。しっかりと勉強をして、対策も打った上で試験に失敗してしまったのであれば、「縁がなかった」と考えることはできないことはありませんが、それでは今後の自分自身の糧になることはないでしょう。もし失敗してしまったのであれば、敗因がどこにあったのか、もっと入念に準備をできなかったのか、ということを分析しないと、今後同様のことが起こった際にも、同じ過ちを繰り返してしまう可能性は高いかもしれません。


「縁があった」「縁がなかった」というのは、ともすると「頑張っていなかったけれどうまくいった」「頑張っていたのにうまくいかなかった」という解釈ができてしまう場合もあります。ですが、このように考える「クセ」がついてしまうと、本来洗い出せた筈の勝因や敗因を明るみに出すことなく、それらの出来事が過去帳入りしてしまう危険すらあります。大事なのは「自分の頭を使って考える」ことであり、なんでもかんでも「縁があった・なかった」「運が良かった・悪かった」とひっくるめていいまとめてしまうことではないのです。

「自分の力ではどうしようもない」と考えることは間違いではありませんし、そのようなことが世の中には沢山あることも真実です。ですが、それらと「正しい努力をしない」「目標に向かって前に進まない」ということは、まったく異なる話です。知らず知らずのうちに思考停止に陥ってしまっていないか、一度立ち止まって考えてみることも必要ではないでしょうか。

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