2014年5月9日金曜日

「知り合い」と「友達」の境い目

最近考えるのが、「知り合い」と「友達」の境い目ってどこだろう?ということです。

特に、Facebookを使っていると繋がっている人は全員「友達」(私の場合、英語で使っているので"Friend")なのですが、友達かどうかの線引きって微妙だよな〜、と思う訳です。

高校からの付き合いがある子、大学時代に語り合って今も会っている同級生のみんなは、間違いなく「友達」です。

ですが、日本だと学年が一つちがうだけで「先輩」「後輩」になってしまいますし(その時点で友達じゃない)、今は仕事(もプライベートもあまり関係なく)お世話になっている、年齢が離れた(2年〜8年くらい年上?)の方も沢山いて、こういう人たちを「友達」というのは申し訳ないと思う一方で、「知り合い」という度合いは超えているよなあ、と思ってしまいます。

そういう意味では、海外の人(外国人)とは、学年・年齢が少しくらい違っていても"Friend"でひとくくりにできますし(付き合う頻度は多くはないけれども)、あまり他人との距離感に関係なく「友達」だな、と私は思っています。
(もちろん、友達が多いことが良いことでは決してないのですが)


◎どんな距離感、立場であれ「人は人だよね」っていう話

これはもう、ずっと前から思っていて私もできるだけ実践しようとしていることなのですが、相手が友達かどうか、先輩なのか後輩なのか、上司なのか、ということはさておいて、「一人の人」として付き合っていこうと思っています。

今、特定の組織に属さずに生きているからなのかもしれませんが、仕事とプライベートの線引きが曖昧なままな人もいますし、あまり「相手がどういう立場か」ということを考えていると、いろいろと面倒くさいので、相手の方も「一人の人」として話を聞いたり、話をするようにしています。
(もちろんその上で、相手がどういう立場なのか、ということは意識して尊重します。)

思えば、私の親もあまり自分のことを子ども扱いしませんでした。そういう経験が無意識のうちに自分の中で思考を司ったのかもしれません。

世の中の多くの場面では、私たちは「役割」を演じているわけですが(「果たす」のではなく、「演じる」というのがミソ)、そういう立場からの視点や意見、行動というのはあくまで一面的なものですし、どんな肩書き、地位、立場を取り除いても(それらが変わっても)その人はその人だし、相手が友達なのか知り合いなのか、というのはあまり重要な問題ではないのかな、とも思っています。



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