2014年5月3日土曜日

ご好意に甘える

最近覚えたことが、人のご好意には甘えるということです。

食事やお茶をごちそうになったり、手みやげを頂いたりといろんなケースがありますが、個人で仕事を始めてからは一層、人のご好意に甘えるようになったと思います。


大学時代も、先輩や仕事をされている方から食事をごちそうになったことも多々ありましたが、その時は決まって「申し訳ない」「恐縮だ」という思いが先行していて、心底から感謝できなかったというか、こんなに甘えたくはない!というようなことを思っていました。


ですが、大学を卒業してからも、同じようにごちそうになったり何かを頂いたり、ということが、当然ながら減ることはなく、もう自分の中で「人の好意はきちんと受け入れよう」という踏ん切りがつきました。


なぜか。


一つには、「先輩方も同じように、彼らの先輩から好意を受け取ってきた」ということに気づいたこと。

恩送り」という言葉があるのですが、まさに「好意に甘える」のは、恩送りをしようと思うからです。

今までは、お世話になっている先輩方に「お返しをしないと」と思っていましたが、それ以外にも、自分の後代に同じように好意を与える、という風にしていけば良いんだ、という風に思うようになりました。もちろん、ずっと先輩方に対する感謝の気持ちは忘れないようにしたいですが、受け取ったものをそのまま同じように、相手に返すことはほとんど不可能かも、と思っているので、では自分は、受け取った好意を同じ(あるいは別の)形で、自分の後輩、後代にパスしていこうと思うようになりました。というか、そう思わないとご好意に素直に甘えられないです。


二つ目。人の気持ちを拒否するのは気分が良いものではないな、と思うようになったからです。

好意を与えてくれるというのは、何であれ理由があるんだと思います。食事をごちそうしてくれたり仕事をパスしてくれたり、友達の間柄でも「きちんと対価を支払いたいから」といって、いろんな依頼を引き受けることもあります。

そんな時に、「いえ、気持ちだけで十分ですので」といって断るのは、自分も相手も気持ちよくないんなじゃないかな、と思うのです。

「気持ち」っていうのは、なんだかぼんやりしたものではっきりとした形はありませんが、誰であれ、そんな気持ちをなんとか形にしようと、しているのだと思います。それが人によってはお金そのものであったり贈答品であったり、言葉であったりお花であったりするわけです。

そんな「表現」を拒絶するのは、ナンセンスだなと思う訳です。


考えてみて下さい、自分が誰かに気持ちを伝えるのに、ギフトをあげて断られたら嫌な気持ちになりませんか?

誕生日であったり母の日、父の日など、いろんな機会に気持ちを表現して、それを拒否されたらやっぱり私は嫌です。


それと同じで、記念日でなくても、自分の気持ちを表現する、お礼を伝える時に、自分の好意を受け取ってもらえなかったら残念です。だから翻って、私は「人からの好意には甘える」ことにしたのです。


人から何かを受け取った上で、自分は何が返せるのか、何を送れるのか。断らない上で、与えられたものの上に何かを重ねていくイメージです。だって、その方が気持ちがいいじゃないですか。



なので後代の方は、先代の人がどんなことを考えているのか、少しでも察してもらえれば有難いです(笑)

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