今朝、散歩を終えてからタブレット端末で確認したパリのテロは、さすがにショックでした。
パリというか、ぼくはヨーロッパで20代前半のそこそこの時間を過ごして、価値観(世界観)とか哲学、人としての在り方を多く学ぶことができたので、ヨーロッパには人一倍愛着を持っていますし、恩も感じているわけですよ。
(もとい、その期間のほとんどをポーランドで過ごしていたわけですが。)
パリは旅で訪れただけで、しかも盗難に遭ったりゲイに追い掛け回されたりして、今まであまりいい思い出が残っていないんですが(苦笑)、向こうに住んでいる友人も何人かいますし、自分も今後ヨーロッパで生活を考えているので、驚きと恐怖で、久しぶりに打ちひしがれていました。
(それに、非常事態宣言が発動されたのも、驚きでした)
ここ数年、特にヨーロッパ(ロシア含む)と中東の辺りが本当に励起状態にあるというか、ピリピリした状態になっています。ウクライナで飛行機が撃墜されたのも相当ショックでしたが、エジプトで飛行機が爆破されたのも、今回のテロも、一昔前には考えられなかったことが起こっていて、改めて、自分の頭で考えて、自分の身は自分で守るしかないな、と思ったわけです。
翻って、ここ日本で、こういう危険はないのかな、とも考えてみるんですね。
確か今年の夏に、新幹線でテロが起こりましたけど(報道では「テロ」という言葉は使われていなかったようですが、あれはれっきとした「テロ」です)、果たして今後、ああいうことが起こってしまうのか。
一つ思うのは、日本でこういうことは起こりにくいんじゃないか、ということです。
なぜかというと、「日本人に限って」という枕詞が付いてしまいますが、この国ってもう長い間、「長いものには巻かれろ」といいますか、「世の中変わらないんだな」という風潮が蔓延しているからです。
政権交代の時も、震災の時も、この夏の大阪都構想も、何も変わらなかったじゃないですか。
それに日本で特徴的なのは、仕事現場でストライキが起こらないことですよね。
ヨーロッパだと、従業員が自分の権利を主張してストライキをおこしますし、その結果、飛行機が欠航する、なんてことも起こってしまうわけです(笑)
こういうこととテロを一緒の水準でまとめるのは問題があることは承知ですが、これらに共通点があるとすれば、それは「内なるエネルギーを外に向ける」という点です。
もちろん、どのような動機であれ、憎悪の気持ちを暴力と殺戮という形で表現することは、どんな社会であっても許されない行為ではありますが、結局のところ、「社会に物申す!」というエネルギーが何らかの形で、爆発しているのです。
そしてそれは、形は違えど、従業員が自分の権利を行使してストライキを起こすことと、輪郭は似ているとも言えます。
かたや日本では、そういう風に「エネルギーを外に出す」ということは、まあ行われてきませんでしたし(半世紀前には安保闘争があったり、最近は安保に関するデモもあったりしますが)、仕事に関していうと、どうにもできずに死を選んでしまう人が後を絶たないわけです。
この国では基本的に、エネルギーを外に出して何かを表現することをプラスである風に考えることは多くはありませんし、それによって「世界が変わる」と思うことなんて、もっと難しいことです。
そういう意味では、今の日本社会から、暴力によって社会を混乱させるような存在が出てくる可能性は、低いんじゃないでしょうか。
(もちろん、地下鉄サリンとかあったわけですけれど)
ただ、新幹線テロの場合でも、貧困層が暴走して事件が起こってしまったので、「計画済みの高等殺戮」ではなく、「憂さ晴らし」として、テロのようなことが起こる可能性はなくはないと思っています。(いずれにせよ、一般市民が巻き添えになるのはあってはならないことですが)
日本は島国なので、ヨーロッパのように国境伝いに犯罪組織が入ってこれる可能性も低いですし、今後、今回の事件と似たようなことが起こる可能性は高くはないと思っています。
ただ、いずれにしても世の中全体が励起状態に向かっている感は至る所で感じているので、身の振り方は個々が考えておかないといけないでしょうね。
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