2015年11月15日日曜日

大切な人を守れ


フランスのテロについていろいろと思うことはあるんですが、



「どのようにすれば未然に防ぐことができるのか?そして自分は巻き込まれないようにすることができるのか?」



ということを、一体どれくらい多くの方が考えているんだろう、と思うわけです。



もちろん、テロというのはかつての戦争のように、宣戦布告をして行うものでは多くの場合ないでしょうから、「未然に防ぐ」ということはとても難しいのでしょうけれど、


例えば、人の多い場所には極力出て行かない、夜は出歩かない、というような対策は、取ろうと思えば取れるわけです。



これって何もテロに限らず、日本の場合は地震だとか津波だとか、海外旅行をする時の危険回避だとか、別のケースで考えることもできるわけです。



ぼくの場合、「大切な人をどうやって守れるのか?」と考えます。



テロの後、世界中が祈祷をパリに捧げたようで、Facebookなどもいろいろと取り組みをしているようですが、




正直言って、これは気休めでしかないと思っています。




パリにいるぼくの知り合いは、幸いにも全員無事だったようです。


しかし、仮に誰かが命を落としていたら?





はたして僕は、Facebookでの多くの方のプロフィール写真の変更を見て、気持ちが安らぐのか、と考えるわけです。



これって結局の所、「後出しじゃんけん」にしかならないわけです。




もちろん、何も起こらないのであれば、何もできないっていうのは事実としてあります。





だが、そうじゃない。



別に、今回のテロじゃなくてもいいんです。




あなたは、大切な人を守ることができますか?




それを、各自が考える必要があるんじゃないでしょうか。



例えば、アフリカでは今でも、一日に何百人という人が飢餓で命を落としているわけです。医療も満足して受けられずに、病気にかかって命を落としてしまうこともあるわけです。



そういう人が自分にとって大切かどうかは人それぞれ違うと思いますが、何か感じるものがあれば、「10円で●人の命が救えます」という募金に参加するくらいは行動に移すでしょう。




「失われた命に対して祈りを捧げる」というのは裏を返せば、「祈ることしかできない」ということなわけです。








これ、ぼくにとってはものすごく無力感をもたらすことなんですよね。





だって、何らかの形で自分が力になれたんじゃないか?とは思うわけですし、そういう時に力を提供できる自分でありたい、とも思うわけです。




フランスでテロが起きた一方で、中東からは何千もの人が、ヨーロッパに移動してきているわけです。


欧州各国のキャパやスタンスにもよりますが、例えば財力がある程度あれば、理論上そういう人の命はある程度救えるわけですよね。




もし今回のテロで思うことがあるのなら、「きちんと大切な人を守れる」ように、各自ならないといけないんじゃないかと思います。


日本を見渡して下さいよ。今日も鉄道に飛び込みをして命を絶つ人がいますし、仕事をし過ぎで死んでしまう人もいる。



祈りがどうこう、気持ちがどうこう、ということ以上に、あなたにとっての大切な人を、あなたはきっちりと守れるのか?そういうことを実際にできるようにならないと、人として恰好悪いとぼくは思います。

祈りだけで、愛だけで、言葉だけで、大切な人を守ることができますか?




(もちろん、いろいろと無力感を持った上で、「祈ることしかできない」のであれば、それはそれでアリです)





少なくともぼくは、大切な人を守れるような人間でありたいですし、そのために仕事をして、ある程度稼ぎを得ている、というのがあります。













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