2015年11月2日月曜日

究極的に、他人は信用しない

こういうことを言うと、驚かれるときがあるんですが、



基本的に、「他人なんて当てにならないもんだ」という哲学を持って生きています。


もちろん、腹を割って話せる親友も居ますし、いろいろと助けてもらった恩人(恩師)のような方も、何人も居ます。


ただ、究極的に、他人のことは信用していません。


根っこの部分では、っていう意味ですが。



だって、他人って変化してしまうじゃないですか。

それにそのことを、自分が止められるわけでもない。


逆に言うと、「信じているのは自分のみ」という哲学を持っている、ということです。



ですから、世の中を見ていると、すぐに人を信用して騙されたり、トラブルが起こったり、ということが日常茶飯事になっていて、「こんなにも人間は、他人を信用してしまうのか」と、驚くことが多いです。


(もちろんぼくも、知らない間に他人を過度に信用してしまって、ワナにはまることがありますよ。)



信用とは、言い換えれば「依存」でもあるわけです。



他人を信用するということは、他人に依存しているということ。


お金を信用するということは、お金に依存しているということ。


フレームワークが存在することは仕方ないのですが、そのフレームワークをどのように切り取って、何を考えるのか、っていうことが大事なんです。





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