2015年10月19日月曜日

「時間の射程」は人それぞれ異なります

どのくらい先の未来を具体的にイメージできるか、っていうのは、人それぞれ個人差があるんですよねー。



今までゆめにも考えたことがなかったんですが、いろんな人と話していて、「もしかしたら?」と思い、ここ最近ようやく気づいたんです。




ぼくはものすごく、「近視眼的」というか、「時間の射程が短い」んですよ。


一年先のことって正直、具体的にはイメージできないです。


考えることができて半年先、とかなので、「とりあえず半年間の計画をざっくり立てて動いてみて、時期が来たら分かることもあるから、その時にまた考え直そう」っていうタイプです。


この「射程」が、一年とか五年とか、十年とか、または逆に3ヶ月とか1ヶ月、ってこともあるわけです。


ぼくのばあい、学生時代にリーマンショックや震災を見てきたので(直接モロに影響を受けた、ってことではありませんでしたが)、これらの影響は思った以上に大きいですね。これで「将来って何が起こるか分からないし、ん十年計画とか無意味だろ」と思うようになりました。


ただ、今まではこんな考え方が当たり前だと思っていたんですが、世の中どうやらそうではないようなんですね。


例えば、そこまで具体的にイメージしているわけじゃないと思うんですが、「大学卒業から定年まで一つの会社で勤めあげる」とか、「35年ローンを組んで家を買う」とか、そういう方々は今でも大勢いらっしゃるんですよ。


ぼくにしてみたら、ここまで変化の激しい時代に一つの会社で仕事を続ける、とか、35年間同じ場所に住み続ける、っていうのは到底理解できないことなんですが、実際にこういう行動を取る人が居るっていうことは、漠然としているかもしれないけれど「時間の射程」を長く取ることができる人も、一定数いるってことを意味すると思うんですね。
(ただ正直、時間の射程が長いのか思考停止なのかは、紙一重だと思っています)


だから、今まではこういう人たちの考え方にすごく衝撃を受けていたんですが、もはや「そんな考え方もあるんだな」くらいに受け止めて、流すことが多くなりました。



で、こういう風に「射程」が異なっていると、コミュニケーションを取るのも難しいんですよね。


簡単な例で言うと、「35年ローンを組む」前提で物件を探す夫と、「35年ローンなんて信じられない」考えをしている妻がいたとすると、当然ながら居住地や引っ越しの話をした時に、話が食い違います。


パートナーであれば、話して解決することがほとんどなのでしょうけれど、もうちょっと遠い距離になると、「お互いが持っている前提」が違っていることすら気づかなくなるので、危ないことが多くなってくるんじゃないでしょうか。


例えば、企業の役員が計画を立てるときに、「1年の射程を持つ人」と「5年の射程を持つ人」と「10年の射程を持つ人」とがいたとします。

この時に、「長期的に見るとプラスになるけれど、短期的になるとマイナスを甘受しないといけない」という考え方が必要な場合がありますし、それとは相反して、「短期的に売り上げを上げてキャッシュを確保する」という考え方が出てくる場合があるわけです。


前者は「10年射程」の持ち主が、後者は「1年射程」の持ち主が考える可能性が高そうです。
(もっというと、1年射程の人にとっては、マイナスを甘受するのが「最初の2ヶ月」だったりするので、射程が違う、というよりも時間の尺度が異なっているだけ、という場合もあり得ます)



こういう風に、感覚の違いで方向性や意見に齟齬が出てきたときに、「相手は自分と、時間の射程が異なっているんだな」と理解できるかどうかは、コミュニケーションを取る上でも大事になってくるでしょう。
(これは会社内だけではなく、むしろ親子や学校の先生生徒のように「世代間」でのコミュニケーションが必要な場合にも、差を生み出しうる要素となるでしょう。一昔前は10年かけて起こっていた変化が、今では1年で起こるようになった分野だってあります)



できれば、二つ以上の「時間の射程」で物事を計画、考察できるようになりたいものですね。



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